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価値の哲学

ghostbusterの回答

回答No.5

横レスになりますが。 補足欄拝見しました。 >人は、態度として、動機として、客体として、測定しうる量として、・・・見なされている価値の概念を見出すのである これは文化人類学者としてのクラックホーンが、価値をとらえようとするときのスタンスである、と理解すべきだと思います。 たとえばある文化圏における特定の「価値」あるものの研究を通して、その文化体系の「価値」の概念を把握するためには、当然、比較・分類・測定が必要となります。 >価値評価によって量的比較を行っているという事実 価値評価≠「価値」の概念、です。 たとえば「価値」のような抽象的概念を扱うとき、わたしたちはさまざまな言葉でその概念を表象させます。 ジンメルの「貨幣」はきわめて卓越した表象であるし、ソシュールは「言葉」を「貨幣」と喩えることによって、価値という概念をあきらかにしました。 価値評価、というのは、あるシステムにおける価値を、何らかのモノサシによって表象したものです。 ですから、価値評価の量的比較は当然可能ですし、 >量を測る為には、質的統一が必要だということ >有用性や希少性、美的価値といった、質の違ったものを量的に比較することの不可能性 価値の概念そのものを量的に比較することはできませんが、あるシステムのなかで生じた「価値」を比較することは可能です。 たとえば、質問者さんもあげていらっしゃる見田宗介は「価値とは、主体の欲求をみたす、客体の性能のこと」として定義している。 これはおそらく社会学の定義として理解していいと思うのですが、このような定義づけをする限りにおいて、「客体の性能」ならば、さまざまなモノサシを準備することによって測定可能でしょう。 たとえば「価値」、「欲望」、「場所」、「権力」などという抽象的な概念は、百人いれば百通りのとらえかたがあります。 そして、哲学の方法論、心理学の方法論、社会学の方法論、経済学の、政治学の…もまた、それぞれちがいます。やはり、そのどれに依拠しつつ、自分の考えを深めていくか、自分はどの考え方が一番なじむ感じがするか、選択していくことは必要かと思います。 ** >「価値」とは「関係」の概念である。 わたしも以前、質問者さんの回答にそう書いた記憶があります。 わたしは丸山圭三郎が好きなんですが、丸山は『言葉と無意識』(講談社現代新書)で、ソシュールに依拠しつつ、自説をこのように展開しています。 「価値は関係から成立する」という小見出しがあって、そのなかで、貨幣と言葉の共通性に触れられています。 「言葉と貨幣が共有する類似点を掘り下げていくと、以下に見るような二つの本質が浮き彫りにされてくる。  第一に、いずれの価値も〈関係〉から成り立っているという点である。つまりは、全体から切り離した〈個〉としての存在は、それだけでは何の価値ももたないということだ」 つまりそれは、貨幣の性格 ・一万円札の「価値」は、たとえば一万円分のコメと交換可能である、という関係のなかで、「価値」をもってくる。 ・円という貨幣体系内で、ほかの貨幣との相関関係(これは一万円札で、五千円札でもなければ千円札でもない)においてのみ機能する。 と、言葉の性格 ・日本語の「兄」という言葉は、日本語の体系内でしか価値を持たない。英語で「兄」に相当するかに思えるbrotherには、「兄」に対する「弟」という対立項を含まない。 ・単語の意味は文脈内で決まる。たとえば「民主主義」という言葉ひとつとっても、置かれた文脈によってさまざまな意味を持つ。 は、両者の「価値」が「関係」のなかで成立することをあきらかにしています。 さらに、丸山は「価値は関係である」というだけでは、貨幣と言葉の性格を完全に言いあてることにはならない、と言います。 わたしたちは「関係」というと、実体論的関係、すなわち、すでにあるもの同士の関係を想定しがちです。 たとえば、人間関係にしても、恋愛関係にしても、すでに、別個に存在するもの同士の間に結ばれた関係です。 それに対して、貨幣と言葉に共通して見出される関係とは「〈物〉を生み出す関係(存立的関係)」であるというのです(これが第二の本質)。 「深層のロゴスとしての言葉は(略)、言葉以前に存在する事物や観念の記号でもなければ、社会的価値観を他人に伝えるための道具でもなく、そもそも存在していなかった諸価値を創り出す〈荒ぶる神〉であった。  同様に貨幣もまた、貨幣以前に存在する商品価値(交換価値)に代わるものでもなければ、商品化以前の生産物が有するかに見えている有用性(使用価値)に代わるものでもなく、そもそも存在していなかった諸価値を創り出す〈神〉にほかならない。貨幣が代行・再現しているように見える諸価値は、実は貨幣自らが生み出した非実体に過ぎないのである」 つまり「言葉」と「貨幣」に共通する「価値」の性質とは、 ・実体的に存在するものではなく、関係のなかで存在する。 ・さらに関係のなかであらたなものを生み出す存在である。 としているわけです。 あらゆる価値というのは、あるシステムの中でのみ成立するものだと思います。 同時にいかなるシステムも、「価値」という要素抜きには成立しません。 丸山の「言葉」と「貨幣」に関する考察は、優れて「価値」そのものの本質を言い当てていると思います。

noname#15238
質問者

お礼

ghostbuster様ご回答有難うございます。御礼か大変遅くなり申し訳ありません。 まだ、御礼の出来る状態ではないのですが、補足欄も使用してしまい、現状を伝える方法がありませんので、お礼の欄を使用して、再度のご回答を依頼するマナー違反をお許しください。 >価値の概念そのものを量的に比較することはできませんが しかし、見田さんも価値を「のぞましさ」と表現して、小倉さんも「よさ」と表現しています。 「さ」を広辞苑で引くと、「接尾語(1)形容詞の語幹…、その程度・状態を表す名詞を作る。」 「程度」と「量的に比較」同義とは申しませんが、やはり共通な点もありそうで、価値には異質性と量概念を同時に併せ持つ不思議な言葉のような気がします。 見田さんは、価値と価値意識を区別することによって、社会科学として価値意識を分析されるのですが、価値を客体に価値意識を主体に区別することが妥当かどうか、これは難しいです。 カントも性質は「もの」に付着しているわけではないと言うようなことを言っていたような気もしますし。 お礼を書きながら自分の考えを整理できるのがよい点ですが、今回は全然ダメですね。 「関係」については、ご回答者様が原因では決して有りません、以下の二つの質問を参考にしてください。 http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=188855 http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=193056 同じ事ばかり何度もやっていると笑わないで下さい(汗。 それと「価値と関係」の関係が理解できない私の問題点に付いて、以下の質問から何かご助言がございましたらお願いします。 http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=997370 丸山圭三郎さんの部分はさっぱりわからないのです、もうご紹介いただいた本を読むしか有りませんが、読まねばならない本ばかり増えて、元々お馬鹿さんが、浮き世の義理ごとや、つまらぬ所用の為、遅々として進みません。以前、経済学的に価値について考えた本はなかなか見つかりませんでしたが、そこから比べれば現在の状況は良い方向に有りますね、ただ経済学的な部分にいつ戻れるのか、それが心配です。 文字制限がありますので、失礼しますが、この質問は当分締め切りませんので、余裕がございましたら再登場をお願いします、特に「関係」は、お気づきの点をアドバイス頂けないかと、勿論無視されてもストーカー行為などしませんのでご安心下さい。

noname#15238
質問者

補足

価値評価≠「価値」の概念、です。 ご指摘有難うございます、この部分は気になっていました、当初、別の質問を予定していまして、あと2回か3回位質問したかったのですが、私の知る限り、多くの学者が価値について知る事を断念する中、この質問も潮時と判断して、急遽この矛盾だけに絞ってみました。 そのため、個人的な時間の制約で、つい、不正確な表現をしてしまったようです(汗。 現在、#2さんのお礼のために、ご紹介いただいた本を読む時間の工面に奔走しております。 興味深いご回答で、後日ゆっくり味あわせていただきます。御礼が遅くなりますので宜しくご理解ください。 蛇足、貨幣は言葉と似ています、但し「yes」としか言えないようです。あと、この場をお借りして、他のご回答者様への御礼が遅くなることにも、ご理解をお願いさせていただきます。

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