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価値の哲学

noname#7975の回答

noname#7975
noname#7975
回答No.4

 ご質問は、以前からの続きモノで、暗黙の方向性を持っているように見受けられますが、過去の問答の復習を試みたところで、私には経済学に関わる大前提となるような問題意識が欠落していましょうから、今回の文面のみを小見を述べる拠り所として、また、「人生とは不十分な前提から十分な結論をひきだす技術である」という英国の作家サミュエル・バトラーの言葉を思い出しながら、回答を考えてみました。 > この矛盾をどう解決できるのかという問題です。  フィギアスケートの芸術点がどのような基準で採点されているか、その計算式を提示することは出来そうにありませんが、採点する審判の条件(履歴や経験)を提示することは出来ることかも知れません。そうして選ばれた資格保持者による、云わば「目利きへの一任」という形で質的統一を図ることは、多く採択されている解決方法でしょうか。  また、古来より美術品の売買に利用され、昨今ではインターネットによる多対多の情報交換が可能にしたオークションという取引形態は、質的統一を図ることなく価値評価を行わせている点で、これも解決の一例といえるでしょう。  そして、実はもっと卑近なところで私達は、測られないような価値評価をこなしています。例えば、600円のお昼の定食。その内容を見て栄養・嗜好・ボリューム等の満足感が価格に見合っているかを、すなわち、量的に示された価値を計測不可な価値にリバースエンジニアリングする作業を日常強いられているのです。とすれば、曖昧さは価値判断に付き物な訳で、私達は価値を扱うにあたり、便宜として用いていた値が、いつの間にか、絶対的な値に成りすましたり、またその逆転が遍在していても、逐一驚くことなくおおような気持ちで価値に接することが自然に出来ています。放置の結果とも取れますが、これも解決手段かも知れません。 > 「価値にそのものについて言うことは出来ない」と言うことになります。  「言うことは出来ない」とする理由は何でしょうか。経済的行為としての価値評価の矛盾なのか、それとも、価値みずからを否定する背理的なものを抜きに価値を論じれないというような、価値の定義そのものを切り出した場合に見られるゲーデルの不完全性定理にも似た言葉の論理的不整合が問題なのかが見えません。(それ以前に、言うことは出来ないと言いつつ言っていることが…(^^;それは違うか…)

noname#15238
質問者

お礼

SimpleThree様いつもお世話になります、御礼が大変遅くなり失礼しました。 芸術点やオークション・ランチに関する、具体的事例は非常に参考になります。 現実的には、権威や自由競争・市場の結果を受け入れることで個々様々な解決手段があるということなのでしょう。 お礼が遅れた理由の一つには、ご回答者様の問題意識が、深読みのせいと申しますか、私が以前、経済的部分への橋渡し的な質問に先走ってしまった影響かもしれません。 あの頃は、客観的な等価交換に内在する主観の違和感とか、行為に至らなかった価値意識はどこに行くのかとか、そのようなことが深層にあったような気がします、今でもあるのですが。 今回の質問は、元に戻って、理論的には異質なものの量的計測の不可能性と、現実的には異質なものを量的に計測して個々に判断を下す人間の能力に注目することにより、価値に接近することが目的ですが、ご回答者様の問題意識はすでに方法論的部分に進んでいってしまっているような気がします。たとえていえば、峠に上ってきたら、本当の峠はまだまだ先ですよと言われて、へたり込んでしまったようなものでしょうか。 もう一点は、このご回答を読んで―――私は常々、「現実は合理的なものだ」と言う考えが基本的にあるのですが―――この質問は自分のこの考えに矛盾していることに気が付いたのです。この内面的矛盾を解決しないで先に進んで大丈夫だろうかという不安があったのです。 やっと解決しました、自分がお馬鹿さんだということを、ツイツイ忘れてしまったようです。 後の問題は、お馬鹿さんがカッコウつけていると、おおような気持ちで、放置していただければ幸いです。 それにしてもコメントがよく変わりますね(笑。

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