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重仁親王

重仁親王が天皇になれなかったのは、父崇徳院の中宮で摂関家出中宮聖子の養子にならなかったからでしょうか?お答えください。

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  • oska2
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回答No.1

>重仁親王が天皇になれなかったのは、父崇徳院の中宮で摂関家出中宮聖子の養子にならなかったからでしょうか? というよりは、崇徳が父親の鳥羽天皇から疎まれていたからですかね。 質問者さまがご存知か否か分かりませんが、鳥羽天皇の后は藤原璋子。 二人の間に生まれたのが、崇徳です。 が、本当の父親は「白河法皇」との話が宮中で公然の秘密だったのですね。 そこで、鳥羽天皇は藤原得子を側室として愛します。 白河法皇の命で、鳥羽天皇は退位し崇徳天皇が即位します。 鳥羽天皇の目の上のタンコブだった白河法皇が崩御すると、鳥羽上皇は崇徳天皇を退位させ側室との子供である近衛天皇を即位させます。 ところが、近衛天皇が急死。 崇徳としては、わが子(重仁親王)を天皇にしたいですよね。 が、既に崇徳には何の力もありませんでした。 結局、崇徳の実弟である後白河天皇が即位します。 この時点で、崇徳は一種の皇族追放となったのです。 結果として、保元の乱が勃発します。 まぁ、真偽のほどは分かりませんが「崇徳が白河法皇の実子」という話が独り歩きした結果でしようね。

ithi
質問者

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ご回答ありがとうございます。

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