プロレスを面白く感じない理由について.
プロレスを面白く感じない理由について.
私は,競技レスリングや大相撲を見るのが,子供のころから好きでした.でも,プロレスを見て面白いと感じたことはありません.動きが緩慢で,真剣勝負ではない,と思えるからです.ところが,カンフー映画やチャンバラ,特撮ヒーローと悪者の殴り合いは,これはまた,面白いと感じるのです.なぜなのでしょうか?いくつか考えてみました.
1.カンフー映画等は,動きが素早く,次々に蹴りや拳が繰り出されるので,動きの質がプロレスとは異なるから.
2.カンフー映画等に関しては,物語があるので,それを含めて殴り合いを面白がっている.物語抜きで,例えば,リングの上でのカンフーの殴り合いだけを見ても,面白くないはずだ(特撮好きの私も,デパートにある屋外ステージで見たショーを,面白いと思いませんでした).
3.プロレスは,真剣勝負を装っていながら,明らかに芝居臭く,期待と現実にギャップを感じてしまう.「本当に勝つ気があるなら,蹴りを寸止めしないだろう.オイオイ,何やってんだ」と感じる.ところがカンフー映画等に関しては,はじめから芝居であると承知しているので,「何やってんだ」という余計なことを考えず,純粋に体の動きを楽しめる.
関心があるのは,3.です.演じる方が,芝居を「芝居ですよ」と,はっきりさせていると,視る方はかえって芝居を本物であるように感じてしまったり,楽しんだり,感情移入してしまうものなのでしょうか?嘘も「嘘ですよ」と明らかにしてつかれると,かえって信じてしまう(信じるところまでいかなくても,その嘘を聞く気になる)ということがあるのでしょうか?
言い換えてまとめると次のようになります.
A. 本物を本物だとして提供されると,人は関心をもつ(これは当たり前).
B. 偽物を本物だとして提供されても,人は関心をもたない(これも当たり前).
C. 偽物を偽物だとして提供されると,やはり人は関心をもつ.「良くできた偽物だな」「良くできたお芝居だな」という感じか?.
(本物を偽物だとして提供されたときは,どうなるのかな?)
心理学において,こういう傾向が人の心にあるとされていたり,それに関する用語が作られていたりするのでしょうか?
お礼
ありがとうございます。