孤独死でも良いという人が増えているのでしょうか?

このQ&Aのポイント
  • 最近、孤独死を受け入れる人が増えているのか疑問です。
  • 貧困や不和、地域の崩壊などの影響で、孤独死しか選択肢がない人もいるのでしょうか?
  • 一方で、心配されたくないという人も存在し、そのような生き方を望んでいる人もいるのか気になります。
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孤独死でも良いという人が増えているのでしょうか?

 貧困や親族との不和や地域の崩壊と云う事もあり、  孤独死しか選択のない人もおられるかと思いますし、  行政の方もそれに対応していく方向に勧めていると  思います。  が、人によっては「心配されたくない、此方で何とかします。  貴方がどうなろうと知りません」という人も居り、その様な  生き方を望んでいる人も居るのでしょうか?  例えば、縁のある人が亡くなられ、縁があればそれなりの対応と  思いますが、(家族葬であるとかは別として)葉書を出すのも  面倒で、  「故人の縁のある人に何で私が(配偶者や子)対応しなければ  ならない」という人も居ります。  葬儀のみならず、その様な人は災害にあって、連絡しても  「あなたに何が出来る(気が苛立っていたり、同じ様な電話が  あっていちいち対応するのが面倒というのもあり解るのですが)」  的な感覚で居られたり、  此方が物資を送っても「貸し借りが出来た様で嫌」という風に  云われた事があります。  だから、病気は治せ、後の「お大事に」等は要らない?  お祝い貰う位なら「給料」上げろ  (親族(親子等であっても)俺とお前は何の関係も無い、  だから俺には構うな、  その代わりお前がどうなろうと知らん    と云う事で、その様な感覚でもやっていける世の中に成って  いるのでしょうか?   少し、違いますが小6の時の担任の先生、  他の組の担任の先生や担任を持っていない先生も、卒業前の  学年集会で一人ずつ「贈る言葉」を述べ、最後のホームルーム  でも「頑張れよ」と声をかけてましたが、この先生は  一人云わない 卒業アルバムの贈る言葉の欄も  「特にありません」と書かれて居りました。  学校の授業を教える事には心血を注いでおりましたが、  通知表の性格行動の所見欄も空白で、話しかけられると迷惑で  卒業後は生徒とは一切関わらない様にしておりました。  クラスでいじめがあっても、酷く成らない場合は「耐えろ  世の中そんなもんだ」酷く成ると「秩序乱した」と云う事で  罰則をする形で対応しておりましたが、  情や義理というものは必要がないと思って居るのか?  どう対応すれば良いか解らない感じでした。  だから、途中で転校する子にも「明日転校します」だけの連絡。  年賀状も出さない、家庭訪問や学級懇談会でも「成績が上がりました」とか「遅刻はしていない」とかその様な事しか云わず、  「誰と仲良くしていようが関係なし」  「思いやりがあろうがそんな事しらない」という感じでした。  唯、社会は裏切りもあるので、割り切ればこの様な生き方が  楽で、孤独でも良いだから他人にも干渉しない、  自分の身は守るそれだけという生き方をある意味教えていると  いう教育に成るのでしょうか?  ご回答お願い致します。  

noname#250543
noname#250543

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  • dolce0000
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回答No.5

身内にいますよ、縁切りまで行かないけど。 その人見てて思うけど、すでに出ている「お金で解決(福祉も含めて)」「干渉を嫌う」だけじゃなくて、価値観の多様化もあると思います。 非協力的だったり反発する人を見るとつい、わがままだなぁと思いがちだし私も思ったり言ったりしますが、向こうからしたら、君たち多数派の論理で見るな、君らはたまたま価値観の共有ができるから違和感がないんだろうけどこちらは違う、そんな状況で付き合ったら結局少数派のこちらが多数派の犠牲になるだけ・・・と思ってる可能性もあるかもしれませんよね。 自分でもそう思うことがありますし。

noname#250543
質問者

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ご回答有難うございました。 すでに出ている「お金で解決(福祉も含めて)」「干渉を嫌う」だけじゃなくて、価値観の多様化もあると思います。 核家族化と云うのが大きいと思いますし、 行政もその様な対応をすべく動き出したのかと思います。 非協力的だったり反発する人を見るとつい、わがままだなぁと思いがちだし私も思ったり言ったりしますが、向こうからしたら、君たち多数派の論理で見るな、君らはたまたま価値観の共有ができるから違和感がないんだろうけどこちらは違う、そんな状況で付き合ったら結局少数派のこちらが多数派の犠牲になるだけ・・・と思ってる可能性もあるかもしれませんよね。 唯、それでも気遣って戴くと、此方は「ご心配おかけして」と云いますが、その様な事も云いたくない構ってくれるな、此方で何とかするという事でその様な人も居るのかという事かと思います。

その他の回答 (4)

  • iwashi01
  • ベストアンサー率17% (187/1047)
回答No.4

そういう生き方も許されるようになった、ということでは? 私の親は、入院した時に親戚達に知れるとお見舞い対応、退院後の連絡や病状説明など大変だから一切知られたくない、として家族外に情報を漏らさないようやっていました。 相手は善意としても、お互いの負担が少なくなるように変えていくのはいいこと 本当に、来てほしい人だけ連絡する、のほうがいい

noname#250543
質問者

お礼

ご回答有難うございました。 そういう生き方も許されるようになった、ということでは? 私の親は、入院した時に親戚達に知れるとお見舞い対応、退院後の連絡や病状説明など大変だから一切知られたくない、として家族外に情報を漏らさないようやっていました。 相手は善意としても、お互いの負担が少なくなるように変えていくのはいいこと 本当に、来てほしい人だけ連絡する、のほうがいい 寂しいですが、その様な場合もあるという事なのでしょうか?

  • KoalaGold
  • ベストアンサー率20% (2539/12476)
回答No.3

人間関係に期待はしない、必要なものはお金で解決する。そういうタイプは年々増えている気がします。 私の父は昭和一桁世代ですが、その頃は大家族だったり親戚が多かったのに対し一人で生きてきました。家庭を作っても家族が散り散りになり高齢者ホームと病院で一生を終えました。 信条として「立って半畳寝て一畳」「所詮人間は一人」でした。 この人間関係が作れない最大の原因は育ちです。両親を無くして孤児として生きていく中で培われたものと思いました。なので自分の家族に愛情を分けることも知らずに家族は分散しました。 現在でも家庭をいう形を取りつつも気持ちの生き買わない家族は割とあると思います。親に幻滅した子は一人でたくましく生きていきますが頼る甘さを知りません。

noname#250543
質問者

お礼

ご回答有難うございました。 人間関係に期待はしない、必要なものはお金で解決する。そういうタイプは年々増えている気がします。 人間関係において、親子や家族でも不和であるとその様な事が伺われます。 私の父は昭和一桁世代ですが、その頃は大家族だったり親戚が多かったのに対し一人で生きてきました。家庭を作っても家族が散り散りになり高齢者ホームと病院で一生を終えました。 信条として「立って半畳寝て一畳」「所詮人間は一人」でした。 この人間関係が作れない最大の原因は育ちです。両親を無くして孤児として生きていく中で培われたものと思いました。なので自分の家族に愛情を分けることも知らずに家族は分散しました。 現在でも家庭をいう形を取りつつも気持ちの生き買わない家族は割とあると思います。親に幻滅した子は一人でたくましく生きていきますが頼る甘さを知りません。 多分、人を信用できない(身内でも)という事があり、 その様な感覚に陥るケースはあるのかと思います。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2589/17102)
回答No.2

痴呆症や寝たきりで亡くなった人が多くなると、孤独死の方がましなのではないかと思うことが多いです。

noname#250543
質問者

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ご回答有難うございました。 痴呆症や寝たきりで亡くなった人が多くなると、孤独死の方がましなのではないかと思うことが多いです。 健康ならば良いがそうなると、生きている意義を見出せない、いのちは平等であるが、その様な事はよく解ります。 唯認知症などに成られても、そこでどう生きていくか(大変ですが)という事が求められている課題かと思います。

  • BUN910
  • ベストアンサー率32% (931/2860)
回答No.1

孤独死を好む人がいるわけではないでしょう。 人との関わり合いを面倒と思う人が増えたのでしょうね。 その一因ですが、核家族が増えたのが要因ではないかと思います。 昔は、おじいさんおばあさんも一緒に暮らしていて、子ども達は老人を敬う心や、おじいさんおばあさんの友達が家に遊びに来ていて相手してもらったりと人との関わり合いの大事さを自然と身に着けていたと思います。 今は、核家族が増え、両親共働きで近所との付き合いも少なくなってきたから、人と関わり合うのが面倒になってきたのではないでしょうか。 あなたの質問の答えになっていないかもしれませんが・・・

noname#250543
質問者

お礼

ご回答有難うございました。 孤独死を好む人がいるわけではないでしょう。 人との関わり合いを面倒と思う人が増えたのでしょうね。 その一因ですが、核家族が増えたのが要因ではないかと思います。 頷ける話です。 昔は、おじいさんおばあさんも一緒に暮らしていて、子ども達は老人を敬う心や、おじいさんおばあさんの友達が家に遊びに来ていて相手してもらったりと人との関わり合いの大事さを自然と身に着けていたと思います。 煩わしいと思うが、その様な事も培われていたと思います。 今は、核家族が増え、両親共働きで近所との付き合いも少なくなってきたから、人と関わり合うのが面倒になってきたのではないでしょうか。   そこで行政も対応に動き出したのかと思います。

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