• 締切済み

「お酒」について

「一冊でつかむ日本史」(武光誠著)……この中に、下記のような一文がありました。文章は極めて難解で、悔しいけれど、私には全く理解できず折れてしまいそうですが、……平安時代のようなのですが、……下記の文章が気になりました。……酒が好きなので……笑               記 貴族の食事は思いのほかに簡素である。かれらは米とともに干魚、野菜、果物などをかんたんに調理したものを食べていたが、酒をよく飲んだ。当時の酒は米からつくる濁り酒であるが、貴重なものだった。 以上 気になったのは、「当時の酒は米からつくる濁り酒であるが、貴重なものだった。」というくだりです。 1 当時は、「米」自体が貴重だったのだろうから、「米からつくる濁り酒」がなお一層に貴重だったというのはなんとなく想像できるのですが、「濁り酒」以外の貴重でない酒というのがあったと思うのですがどうなんでしょうか??? 2 当時の庶民は「お酒」を口にする機会はなかったのでしょうか???「そんなことはない。大いに飲んでいたよ」というのであれば、どんなお酒を飲んでいたのでしょうか???

みんなの回答

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.6

 #2です。補足です。 >>質問の趣旨は、貴族にとっても貴重な「酒」ですが、庶民だってきっと飲んでいたのではないか???という気持ちなのです。  ただ「酒」というと今では、米から作った清酒の日本酒を連想しますが。むしろアルコール性飲料全般を指していた言葉ではないかと思います。  朝鮮には「李飯イパ」すなわち、李王朝の王家の人たちだけが食べられ、地主でさえいつもは食べられなかった、白米の飯を表す表現があります。  これは平安時代も同じだったと思われますが、僕が芋焼酎「のような米を使わないもの」と言ったのはそう言った原料のことで麦でも雑穀でもリンゴでも使われたと思います。  酒に清濁の二種あったことは、飛鳥板葺宮出土木簡の「須弥酒スミサケ」でもわかります。  「下層階級では、万葉集893の「糟湯酒」にあるようにしぼり粕を湯に溶かして飲むこともあったらしい」とあります『時代別国語大辞典上代編』  >>あの臭いのは、私は、閉口ですけど。「芋焼酎」ではないにしても、何か「酒らしいもの」を飲んでいたのではないか???と  おっしゃる通りです。

noname#247736
質問者

お礼

ありがとうございました。 むしろアルコール性飲料全般を指していた言葉ではないかと思います。……私は、果実酒なんかも造られていたのではないか???と想像します。 「下層階級では、万葉集893の「糟湯酒」にあるようにしぼり粕を湯に溶かして飲むこともあったらしい」とあります……今、万葉集というのが気になっていて、書店をのぞいてみたのですが、気に入ったものがなくて。

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  • rikimatu
  • ベストアンサー率19% (629/3298)
回答No.5

2に関しては奈良時代にはすでに居酒屋が存在したと言われています。当時の酒は高価なものだったため、「魚酒禁令」など酒を禁じる政令が庶民に対して頻繁に出され、貴族だけが酒を飲むことを許されました。庶民は酒粕を湯で溶いたものを飲んでいたとしています 1に関してはほぼほぼ神事か一部の貴族くらいしからしか呑めていないのであまりないと思います。

noname#247736
質問者

お礼

ありがとうございました。 奈良時代にはすでに居酒屋が存在したと言われています。……商売として成り立っていたということですよね。興味深いですね。 酒を禁じる政令が庶民に対して頻繁に出され、……ということは、守られなかったということですよね。酒粕を湯で溶いたものであろうと「飲むな」といわれたら、飲みたくなるのが「お酒」ですよね。笑

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  • D-Gabacho
  • ベストアンサー率62% (970/1544)
回答No.4

『万葉集』所収の山上憶良の貧窮問答歌に「風交り 雨降る夜の 雨交り 雪降る夜は すべもなく 寒くしあれば 堅塩を とりつづしろひ 糟湯酒 うちすすろひて しはぶかひ 鼻びしびしに…(以下略)」とあります。 下級官吏である山上憶良は、酒かすを湯で溶いたものであろう「糟湯酒」を寒さしのぎにすすっています。祭りや宴席では貴族でなくても濁り酒にありつくことができるでしょうが、下級官吏に過ぎない憶良にとって寒さしのぎの目的で飲めるのは「糟湯酒」くらいであったのだと思います。 飛鳥時代でも庶民が酒を口にする機会そのものはあったようです。『日本書紀』の大化2年(646)3月22日の詔に「農作の月に当たりては早やかに田を営ることを務め、美物と酒とを喫さしむべからず」とあります。農民が飲酒によって農作業を怠ることのないよう戒めているわけで、全面的な禁酒ではありません。

noname#247736
質問者

お礼

ありがとうございました。 寒さしのぎの目的で飲めるのは「糟湯酒」くらいであったのだと思います。……私だったら、「寒さしのぎ」には、相当の量がいります。笑 農民が飲酒によって農作業を怠ることのないよう戒めている……ということは、そのようなことが多々あったとも理解できますよね。どんなお酒を飲んでいたのでしょうね???果実酒なんかもあったのではないか???と想像しているのですが。

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  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.3

「貴重なもの」 …「貴重な酒」ではない。 「酒=貴重」という話。 1、 貴重でない酒の存在を記した文献を目にした記憶が無い。 2、 「1」の理由により、「答は無い」と考えられる。

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  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.2

 これは、米が貴重だった、したがって米から造る酒が貴重だった、ということだと思います。  作り方は噛む、に関連した「かもす」(=醸す)にあるようにコメを噛んで吐き出し唾の酵素で発酵させたので、お神酒つくりの神事に残っています。  当時の庶民のアルコール性飲料は、芋焼酎のような米を使わないものだったと思われます。僕はその頃いなかったので以上は単なる推測です。

noname#247736
質問者

補足

これは、米が貴重だった、したがって米から造る酒が貴重だった、ということだと思います。……そういうことです。質問の趣旨は、貴族にとっても貴重な「酒」ですが、庶民だってきっと飲んでいたのではないか???という気持ちなのです。 芋焼酎のような米を使わないものだったと思われます。……そうなんですよね。でも「芋焼酎」も今では高級品のようですね。あの臭いのは、私は、閉口ですけど。「芋焼酎」ではないにしても、何か「酒らしいもの」を飲んでいたのではないか???と

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  • hiro_1116
  • ベストアンサー率30% (2388/7740)
回答No.1

こちらに紹介されている内容や、挙げられている参考文献がご参考になろうかと。 https://jp.sake-times.com/knowledge/culture/sake_g_lost-100years_02

noname#247736
質問者

お礼

ありがとうございました。いろいろなお酒が造られていたのですね。

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