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天皇家の言葉について

私の知っている限り天皇家が東京に来たのは確か“大政奉還”の後ですよね?それまでは京都の“御所”にいたわけですよね?しかも794年の平安遷都からほとんどずーっと。 ということは、天皇家は“関西人”ですよね?今でこそ天皇家が東京に移って140年近く経ちますが、それまではやはり“関西弁”というか“京都弁”を話していたのでしょうか?そりゃあ、庶民が使う“京都弁”とは多少違うとは思いますが…。どうなんでしょ?貴族もそうなんですか? またよく映画等で「まろは~」とか「~おじゃる」という台詞をよく聞きますよね?あれも本当に天皇家や貴族は使っていたのでしょうか? くだらない質問ですがなんだか気になって…。どなたか回答宜しくお願いしますm(__)m

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  • buffaloes
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回答No.3

もし、勘違いをされていると困るので... 僕の書き方も、あまり良くないようですし。 基本的には、かなりの部分で、京言葉と同化していたでしょう。 ただ、宮中独特の言葉も当然あるので、それらを含めて、公家言葉(宮言葉)と言って、一般の言葉との違いを表しています。 >閉鎖的な場所の閉鎖的な言語って感じを私は受けました  宮中自体が閉鎖的な場所ですから、独特の文化があるのは、有る意味、当然の事ですね。  とは言っても、世間ずれしたお公家さんも居られたでしょうし、江戸時代には、町衆の中にとけ込んでいる人も居られたようですから。お互いの交流の中で、お互いが、お互いに影響を与えたのは間違い有りません。  例えば、古い京言葉では、お公家さんを、"ごつさん"と、言うんですが、これは、元々、公家言葉だったのが、町衆の中にも広まったもののようです。

A-_-A
質問者

お礼

何度も無知な私のために回答有難うございます。すごくうれしいです。 なんだかますます“宮言葉”を聞きたくなってきてしまいました。同じ関西に住んでいても“京言葉”自体が特別違うような、上品なような感じが受けられます。“宮言葉”はもっと上品に聞こえるのかなぁ~(?_?) 興味深々です。 <世間ずれしたお公家さん> なんだか“暴れん坊将軍のしんさん”を連想しました(笑) 本当に有難うございます。

その他の回答 (2)

  • mutant
  • ベストアンサー率18% (17/90)
回答No.2

父が祖父から聞いた話ですが、明治天皇が乃木将軍の責任問題になりそうになった時に「乃木を死なしたらアカン」と言ったと聞きました。 やはり京都弁に近いのではないかと思います。

A-_-A
質問者

お礼

<「乃木を死なしたらアカン」> なんだかうれしいです。私の推理(?)が当たったみたいで。特に昭和天皇・今上天皇は東京弁で育ったであろうことは想像つくので不思議には思わないのですが、「じゃあ、御所にいた間の天皇家&公家は?」となんとなく疑問に思ったのです。 有難うございます。

  • buffaloes
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回答No.1

 京言葉でもないですね。  お公家さんには、独特の言葉があって、確か、公家言葉って言ったと思います。 「麿」「おじゃる」等がそうですね。  ただし、イントネーションは、どう考えても、今、テレビで盛んに使われている様なイントネーションだったはずはありません。  100%ではないにしろ、京都弁と同じイントネーションですね。  たまに、NHKのドラマなんかでは、「正解かな?」と、言うイントネーションがありますが、殆どは、「変な言葉」です。  但し、確かに平安遷都以降は京都ですが、それ以前は、奈良近辺を中心に、近畿地方を転々としていました。   ですから、色んな所の言葉の影響を受けたでしょうし、逆に、影響を与えたと考えられます。  因みに、天皇の一人称は、「朕」です。  それと、明治天皇の東京行幸は、大政奉還後には違いないですが、実際には、一回目は明治元年九月に行われています。  一回目の時は、京都に還幸されていますが、そのときに、江戸城が東京城と改められ、皇居とされました。 (この皇居は、"天皇のお住まい"と言う意味で、皇城とは違います)  二回目、即ち、明治二年の行幸の前あたりから、公にも首都機能を東京に作る様な方針を発表し、それを実行に移し、最終的には、正式な遷都宣言もないまま、東京城を、皇城と改称して、うやむやのうちに、東京府を首都としてしまった、と言うのが実情です。 (二回目も、公式には、東京行幸と発表されています。 ですから、国際的には、遷都宣言がない事から、また、朝廷としては、行幸と発表したことから、現在でも、"東京は首都ではなく、行宮である"と、主張する人も居られます)  大政奉還、王政復古という流れの中で実施された事には違い有りませんが、王政復古がそのまま東京行幸につながっているわけではありません。  これは、明治維新と同様に、一部の人間の独断によって強行されたものですから...

A-_-A
質問者

お礼

有難うございます。 皇族・貴族は“公家言葉”ですか…。なんだか閉鎖的な場所の閉鎖的な言語って感じを私は受けました。私の勝手な想像では京都弁がベースで「麻呂は~」とか「~でおじゃる」が使われているのかと思っていました。“朕”はずっと昔から使われていたんですね。勉強になりました。 一度でいいですから天皇家に公家言葉で会話をしてもらってみたいですね。きっとすごく時代錯誤的な雰囲気をかもし出しているかも知れませんね(笑)

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