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天皇陛下の東京行幸について教えて下さい。
天皇陛下は明治維新時の二度にわたる東京行幸で二回目以降ずっと東京に留まっているのは何故でしょうか? 一千年もの間京都御所におられた日本国の象徴が京都に戻らない(戻れない?)訳を知りたいです。識者の方、宜しくお願いします。
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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No.2 いろんな事情などの下での、連動する事項が多々ありますので。 明治の遷都がちょいと行幸という形で、永年化したのだとは私も存じませんでした。 京都に昔からお住まいの皆さんの中には今も、そういうことをお考えの方もおられると、伺っています。 日本には数次にわたり、いろんな経路で、いろんなふるさとから、いろんな事情と経緯でたくさんの文化と人々、民族が渡ってきました。 仮に天皇家の始祖が弥生のかただとすれば、しるしを見せ合って、弥生の方が、先住者との相克をされたと存じます。 私は否定されていますが、そういう方々の集団が天皇家を中心に、一定の地域にお住まいになられた可能性を推測しております。 多分畿内か、府内ではないかと。そういうところに、天皇家の始祖とともに苦労をともにされた方が住まわれているのではないかと存じます。この湿度の高い、何でも同化する国土の中で、みな同一の文化を形成しましたが、古代に遡行すると、心根があると存じます。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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京都の方々の中には未だにそんなことにご執念とかのことは承っておりますが、皇居、そして東京と命名した歴史事実の存在でしょう。 平城からの遷都もありましたでしょうしね。平城の前も別のところからの、築都ではないでしょうか? 別に千年もなにも関係はないのではないでしょうか? そういうことの判断は識者の専権事項でしょうかね? 天皇陛下が国事・国政上の決定などにお関りにならなくても、国会開会や任命、信任状や接遇、などなど国と国民の象徴としてのご任務が日常的に多いですからね。 国会やいろんな大使館を京都に持って行きますか?それは中央省庁やその関係も移設することに関連しますがね。 私などは識者の判断ではありません、とても難しいと存じますよ。
お礼
ご回答有難う御座います。自分は京都の人間ではないのですが少し気になって皆さんにお聞きした次第です。陛下が都に戻るとなると連動して様々な不便、不利益が出てきてしまうんですね。
- passward
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法律上はともかく、実際には無理でしょうね。 国家機関を地方に分散するようになれば また、話が別になりますが・・・
お礼
時の中央集権体制につられて東京に仮住まいし、以降なんとなくそのまんま、とゆう感じですかねぇ。
お礼
再度のレスとご高察ありがとうございます。