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土佐日記とかな文字の普及
- かな文学の始まりとして名高い紀貫之の『土佐日記』は、かなによって日本語を自然に表現する方向が見出されていった作品です。
- 紀貫之は、なぜ「かな」を使おうとしたのか、また朝廷や幕府で男性も「かな」交じり文を使い始めたのはいつごろからかについて知りたいです。
- 「土佐日記」は、現在の日本語を形成する重要な転機になった作品であり、漢字と仮名を併用して文章を作ることの一つの始まりと言えます。
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- 夕紀(@yuki0421)
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