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不老不死は自己チュー?

不老不死は 人類の夢 なんて フレーズを耳にすることがあります。 そうでしょうか? 死ななかったら、増えるばかりで大変なことになります。 死ぬことで、自分が楽しかったことや つらかったことを こどもの世代にも 味わってもらえるのだから ある時点で 死ななくてはならない と私は考えてます。 そうなると 不老不死は 自己チューな概念なのかなぁと。 でも この概念を拡張すると 医療行為全般に該当するのかなぁと。 どう考えたら良いでしょうか?

みんなの回答

  • frau
  • ベストアンサー率28% (56/199)
回答No.10

人間が進歩してきたのは「愛」と「不老不死」の進化への渇望だと思います。 でもそれが自己矛盾をおこしている。たとえば医学の進歩は「不老不死」の願いへの最も顕著な表れだと思うのですが、延命はしても、やはり死からは逃れられない。私は西洋医学は否定的なのですが、実際医療ミスや薬害問題もある。実際医療は言われるほど進んでいないという意見もあります。一歩進んで二歩下がるような状態なのでしょう。 また戦争もある意味「不老不死」への願いでしょう。 戦争は「恐れ」「憎しみ」からくる悪の連鎖です。SF映画など見るたびに思うのですが、世界戦争になりどの国も化学兵器を用いて人類が滅亡したとする。その兵器を用いるのはたいてい政府の高官などでしょうから、シェルターから這い上がってきたとき何も残されていなかったら、自分を生かすための他の存在すべてがないわけです。ということは戦争は自殺行為である。でも有史以来それをやめられない。戦いをやめられないのは本能のせいらしいですが、結局最新の化学兵器を作るのは人間であっても、原初的な本能にすでに負かされているわけですよね。勝負としては勝っても負けても、本能の命じるままに動かされたわけですから。 私は「太く短い」人生を送りたいので、というよりも今死んでも別に後悔はしないので(有意義な人生だったからというのではなく、生きることへの執着がないかもしれない)、どうせ死ぬならば有意義で幸福な時間を短時間に凝縮してもらい、早く神様のもとへ帰り、こうしたカテゴリのことを色々と質問攻めにしたいからです(笑)。 なので何故生きるために皆こうもあくせくするのかなあと思います。 ・・・と、エラソーに言う私も、例えば「体にいい食べもの」特集などのテレビや雑誌に釘付けになりますし、実際今注目されているマクロビオテックなど試したり、体のために毎日ウォーキングに励んでおります。やはり生に執着するのは私も同じ(笑)。早く死にたいのにこれも自己矛盾をおこしていますよね。 私の中にも不老不死を願う潜在的な希望、つまり本能があるのは否めないわけで、意識としては死への憧憬があるのに、身体や無意識的にはどれだけ延命させようかと志向している。 こうしたことからミクロ的な観点からも、ひとりひとりの人間はとかく生死に関しては「自己中」だと思います。また「自己中」ではなくては生きていけないし子孫を残せない。「愛」はそのための便宜上のものでしょう。 「理性」のあり方を決めるのは人間だけですが、「本能」は神様だけが握っている、人の運命を決める鍵だと思っています。 「不老不死」ついては古今東西、様々な分野でテーマとして語られてきましたが、それを望み願う人間の末路はたいてい哀しいものですよね。結局死なない、死ねないことは煩悩から逃れられない状態が続くわけです。それこそ最も恐ろしいことだと思います。死は神様から与えられた唯一の救いであるのに、不死を望むこと自体すでに「自己中」でしょう。「不老」は望んでも「不死」は望んではならない、つまり生への冒涜だと思います。

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質問者

お礼

ありがとうございます。 当たり前なのですが、人間は生き物である のですよね。

  • geiffel
  • ベストアンサー率50% (3/6)
回答No.9

自分にないものを求めるのは物事の本質かなと思います。人間にとってあり得ないものを求めるのも人間の本質。 なので自己中でも何でもなくて、死ぬのがたいていの人は怖いし、楽しく妄想しているだけです。

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質問者

お礼

ありがとうございます。 なるほどです。 あくまでも 「夢」なのですね。

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3287)
回答No.8

私なりの見解ですが、肉体をもった状態で不老不死を願うから いろいろと矛盾が起きるのですね。 この問題についての私なりの見解ですが、肉体ではなく魂での不死性、 広さが限られた地球上での生活ではなく、広大無辺なあの世の 存在を仮定する必要があるかと思います。 仏典をきちんと読んだわけではないのですが、生老病死の四苦を 解いたお釈迦様も、出家する前はこの苦しみを何とか逃れたいと 真剣に願っていたようです。 お釈迦様自身は、公式の場ではあの世の存在について肯定も 否定もしていないようですが、一部の弟子には魂の実存について 教えていたような痕跡があるようです。 (この箇所、記憶ベースの発言ですので完全な自信はなし) もっとも魂の存在や不死性については、私自身は証明することは できませんので、個々人の判断にゆだねます。 ある程度自信をもって言えるのは、肉体での不死というのは まずありえないということです。 『諸行無常』の理は、現代の科学でもくつがえすことができない ように思います。

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質問者

お礼

ありがとうございます。 仏教は興味があって、原始仏典(パーリ語の日本語訳)を 何度も読み返したりしています。(他にも 故 中村元さんの著書なども 何度か読み返しました。) 「不死」= 良いこと とは 限らないですね。

  • sawai197
  • ベストアンサー率39% (164/415)
回答No.7

「不老」はともかく「不死」を本気で願う人がどれだけいることでしょう。少なくとも私は嫌です。永遠に死ねないなんて、恐ろしい! とはいいますが、痛いことや、苦しいことは嫌いです。それが、結果として「延命」につながります。例えば、私は医療機関につとめていました。末期の患者さんや家族の方が、「もう延命治療はやめて欲しい。でも、今現在苦しんでいるのはかわいそうだから痛みをとる治療はして欲しい」という要望をよく聞きました。気持ちはよく判ります。私が患者や家族でもそう望むでしょう。でも、医学的にはコレ、難しいんですよ。何故って「痛みをとる行為」が結果として「延命」につながってしまい、結果として苦しみの時間を長引かせてしまうから。 医療というのは、そういうことです。 「延命は不自然な行為だ!だから医学は悪だ!」という考えや、宗教もあります。しかし「延命=悪」というのであれば、お腹が空いたらごはんを食べることや、眠くなったら寝ることも悪になってしまいます。これは、いうまでもなく人間以外の動物も普通に行なっていることです。自らの身体をメンテナンスして、少しでも長引かせようとする行為は、人間のエゴというより、生物の本能ではないでしょうか。 (私的)結論としては、自己チューではあるけれど、仕方がないんじゃない? です。だって痛いの嫌だもん(笑) では、みんなが不老不死になってしまった場合の問題をどうするか、某SF作品では「アトランダムに人を殺して人口のバランスをとる。これが政府の仕事となる」なんて話もありました。あとは「寿命」年齢を設定して、その年齢になったら安楽死させるとか。…いきなり殺されちゃうのは嫌だから、後者の方がいいかな。でもそうなったら「寿命」年齢に近づいたら「やっぱり死にたくない~!」って発狂する人が続出するかもしれないから、やっぱ前者の方がいいのかな。…な~んて、いろいろ考えてしまいました。

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質問者

お礼

ありがとうございます。 昨晩 寝床で小5のこどもとこの件について話してました。 「本当に不死なら、地球がなくなったって死なないんだから、人間がどれだけ増えたって構わないじゃん。人間が地球表面に何層に重なってても死なないんだもん。」 「でも、記憶(脳の限界)はどうなっちゃうんだろう。」 「不死の薬は、みんな(人間誰にでも)に効くの?」 「不死って キモイね!」 など なかなか するどい 問いを発していました。

  • baihu
  • ベストアンサー率31% (114/357)
回答No.6

仏教で「生老病死」を四苦と呼ぶように、人類の古くからの哲学的テーマですね。 ご質問の内容から考えて、「不老」はいったん別にして考えた方がはっきりするように思います。 「不死」が、自己中心的で利己的な概念かどうかですが、おもしろい切り口だと思います。死を含めた四苦は、そもそも個の意識とは無関係に訪れるものであり、それを意識の力でどうにかしようという発想が「不死」を求める考えです。つまり「絶対に死なない」とか「死にたくても死ねない」ではなく、「死にたくなるまで死なないでいられる」「今までなら死んでいたような状態からも治療してしまう」という、意識の管轄する自己決定の領域に持ち込んでやろうという挑戦なんだと思います。 ご質問で、死なずに増えるばかりでは大変だ、とありますが、上記のように考えると、「不死」は自殺のような意図的な死を含んでいるのではないでしょうか。 「不死」を実現した個が社会を形成できるのかという問いと理解したのですが、「不死」を死のコントロールと捉えれば、その社会は当然のように出生のコントロールを行うことでしょう。のみならず、誰がいつ死ぬのかを管理することから、必要な人間と不要な人間を区別する基準が求められるようになると思います。以前は自然にまかせていられた死の管理権限を、人間が奪い取ることだからです。 幾分かは既に医療の現場で現実化している話題で、ご達観のとおりだと思います。 自然まかせに耐えられず、死さえも思うとおりにしたいという最初の志向性は、わがまま/自己中心的といえばいえますね。でも、多数がそういう考え方を持った社会では、それはもう特段わがままではなく、むしろ個々のわがままの通らない「管理された死」があるのだと思います。

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質問者

お礼

ありがとうございます。 「管理された死」ですか。興味深いです。 確かに 何もしなくて 「不死」では無いわけですからね。 「(不老)不死」は 社会に普遍的に歓迎されるもの とは とられられにくい と考えるべきなような気がしていました。

  • K-1
  • ベストアンサー率21% (832/3844)
回答No.5

>死ななかったら、増えるばかりで大変なことになります。 増えないかもしれません。 子孫を残すのは死んでしまうからであって、死なないなら子孫を残す必要が無いからです。 SFなどでは、人類みな不老不死になったので、子供を作るのが違法になるという話もあります。 こうなると「未来の子供のために」という概念が消滅してしまい、「今さえよければ」が普通になってしまうでしょう。 まさに自己中心の極みですね。

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質問者

お礼

ありがとうございます。 逆に 「自分の未来のために」と考えて 今よりシビアに 環境の管理とかするかもしません。と思いましが「不死」なので なにも しないんでしょうね・・。 と言うことは、「不老不死」になったら 「死」が存在しないので「生きている」意味がなくなるのかもしれませんね。

  • Syo-ya
  • ベストアンサー率31% (558/1780)
回答No.4

そうですね、自己チューの極みかも知れませんね。 でも、自然界には、不老不死に近い生き物も居るんです。 「ベニクラゲ」と言って、完全な不老不死ではないですが、繁殖を終えた後、泳ぐ力さえも失って海中に沈んでいくんですが、なんと、全身の各細胞が自ら変化しだして、受精卵へと戻っていき、そこからまた新しく育ち出すんです。 遺伝子情報によっては細胞の再構築もありえるという可能性を示しているんだと思いますが、これが医療の分野に応用される日も可能性としては在るんですね。。。。 まあ、しかし、意識、心までも再生されるのかというのは、クラゲの気持ちですからわかりませんが。 死亡後、脳だけを冷凍保存して、科学技術の発展した未来に生まれ変わるのを待っている人達(脳達)もいます。これが実現したら、それこそ完全なる不老不死なんでしょうか。。。?(その前にその会社が倒産したら、保存した脳はどうなるのかも心配ですが・・・) 自己中心的だとも思いますが、確かに興味もありますね。

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質問者

お礼

ありがとうございます。 単細胞で自分が分裂して行く場合は、自分は死なないんだと思います・・・。 自己チューってくらいなので 「自己」って意識が無い生き物は 死ななくてもいいんです。 (「意識」って何?なんて ここでは 深く考えてません。)

  • ponkiejp
  • ベストアンサー率25% (86/344)
回答No.3

医療行為が人間を死ににくくする。 不老不死がよくない、というようなことはマスメディアでは言われていない。 これらは今現在のことであって、それが未来永劫続く真実と決まっているわけじゃありません。 全てこの世の中は「諸行無常」なのです。

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質問者

お礼

ありがとうございます。 そっかぁ。そうですね。 諸行無常ですね!! まぁ どーでも よくなってきました。

  • ponkiejp
  • ベストアンサー率25% (86/344)
回答No.2

どう考えてもあまり意味がないように思います。 もし数百年前の人が同じようなことを考えていたとしたら、現代はすでにあなたの言う「大変なこと」になってしまっています。 現代から考えても、このまま医療技術が発達して人間がなかなか死ななくなったら、もちろん未来において人口は現代の数倍になってしまうかもしれません。 でもその前に医療行為によって人間をいつまでも生かすことについて論議が起こるかもしれないですし、もしそれがなかったとしたら増えすぎた人口を減らすような自然淘汰が起きると思います。 それは災害かもしれませんし、戦争かもしれません。 もちろん、それは人間にとって悲しいことです。わたしもそれは望みません。 しかし、そういう現実が起こる可能性はあるし、今までの歴史もそれらの繰り返しでした。 あなたの指摘した概念を同じように全ての人が持つわけではなく、人の持つ概念は多様です。 人間社会では何かが行き過ぎると反対の力が働いてそれに歯止めをかけようとします。 個人の幸不幸は別にして、結局は、人類はいつまで経っても完全な幸福は得られないし、完全な不幸も得られないのでしょう。

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質問者

お礼

ありがとうございます。 まぁ 価値観の多様性を言われてしまうと なにもいえませんが・・・。 ただ、不老不死がよくないこと みたいな図式はみたことがないですね。マスメディアでは・・・。

  • ootora-A
  • ベストアンサー率28% (39/135)
回答No.1

手塚治先生の ”火の鳥”をお勧めします。 不老不死に対する欲望や、それを得た人の悲惨さ等がよく描かれています。 やはり人間は、 不老不死ではなく、健全に生きて安楽死が理想ですよね。 植物人間になってまで延命するというのは、本人が希望するならともかく、強制するのはどうかと思います。

overtone
質問者

お礼

ありがとうございます。 「火の鳥」はガロ?だったか 雑誌に連載?されてたこどもの頃に気になる漫画でしたし その後も単行本で読んでますっ! こどもがだんだん大きく(中学生)になってきているのですが、「この子たちのためにも いつかは 死ななきゃならないんだよなぁ」って思うように なって来ました。(いつまでも生きていてはいけないということ) ニュースなどで 不老不死が話題なると 「なんで 次の世代のことを考えないのだろう?自分より前の世代が不老不死になったら 自分は 生まれていないだろうに・・」と考えてしまいます。

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