• ベストアンサー

手榴弾

映画『日本のいちばん長い日』を観ていたら、将校の一人が、 「て榴弾」と言っていました。 辞書には「しゅ榴弾」としかなく、私も以前人に笑われたことがあります。 しかしなぜ私はこれを「て榴弾」と覚えていたのだろうと思い、考えてみたら、 従軍経験のある私の祖父がそう言っていたからではないか、と思い至りました。 確かに祖父は、使い方などまで家族に語って聞かせるときに、「て榴弾」と言っていたと思います。 むかしは「て榴弾」と呼んでいたのではないでしょうか? 古い世代の方、よろしくお願いします。

  • gesui3
  • お礼率100% (5604/5604)
  • 歴史
  • 回答数5
  • ありがとう数7

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • oska2
  • ベストアンサー率45% (2182/4832)
回答No.5

>むかしは「て榴弾」と呼んでいたのではないでしょうか? 昔か否かは別にして・・・。 旧日本陸軍では、手榴弾を「てりゅうだん」と呼んでいました。 亡くなった祖父(陸軍)も、「てりゅうだん」と呼んでいましたね。 「しゅりゅうだん」だと、戦地では聴き難いからだと言っていた様に思います。 そういえば・・・。 私立大学の事を「しりつだいがく」と呼ばないで「わたくししりつ」と呼ぶ事がありますよね。 市立大学と間違う事を避ける為。 市立大学では「しりつだいがく」と呼ばないで「いちりつだいがく」と呼ぶ事がありますよね。 もしかすると、「しゅりゅうだん」と似た呼び方の武器があったのかも知れません。

gesui3
質問者

お礼

> 亡くなった祖父(陸軍)も、「てりゅうだん」と呼んでいましたね。 やはり、そうだったんですね。 「しゅ」という摩擦音は、聞き逃しやすいかもですね。 ありがとうございました。

その他の回答 (4)

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10482/32971)
回答No.4

着地すると爆発する弾丸を「榴弾」といいます。軍隊的に手榴弾は「手で投げる榴弾」ですから「て榴弾」となります。 一方、国語的には「榴弾」の榴と弾は音読みとなりますので、その字に当てはめた字は同じように音読みにするのが日本語のルールです。「訓読み・音読み・音読み」は不自然じゃないですか。 だから国語辞書的には「しゅ榴弾」となります。

gesui3
質問者

お礼

まあ、湯桶読みとか、重箱読みとか、いろいろあります。 「榴弾」をまとめて一つの語句と見れば、「て(訓読み)」+「榴弾(音読み)」は、 湯桶読みとなり、あり得なくもないですね。

  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.3

辞書に出てるのは「漢字の読み方」です。 漢字の読み方は「しゅりゅうだん」です。 辞書は「正しい読み方」を載せてます。 軍隊で使うのは「武器の呼称」です。 日本の軍隊での「武器の呼び方」は昔から「てりゅうだん」です。 軍隊では「呼びやすい名前」を使います。 …戦場では、読み方にこだわって舌を噛んでる暇はないので。

gesui3
質問者

お礼

なるほど。 思えば、「手」の音読みが「しゅ」で訓読みが「て」ですね。 耳で聞いて分かりやすい和語である訓読み「て」は分かりやすい。 それで現場では昔から今に至るまで一貫して「て榴弾」なのでしょう。 一つ謎が解けて、スッキリしました! (私が不用意な間違いを犯していたわけでは、なかった(^O^))

  • KoalaGold
  • ベストアンサー率20% (2539/12476)
回答No.2

自衛隊で定年まで勤め上げた父は「て榴弾」と呼んでいました。

gesui3
質問者

お礼

わかりました。 そう聞かされていたのは、私だけではなかった・・・。 ありがとうございました。

回答No.1

旧日本軍だけでなく自衛隊でも「てりゅうだん」呼称のようです。

gesui3
質問者

お礼

おお~、今も現場は「て榴弾」ですか!

関連するQ&A

  • シベリア抑留(帰国者の祖父)

    私の祖父はもう他界しておりますが、その祖父は軍医の一人でシベリア抑留から命からがら帰国したうちの一人だったと、今はもう高齢の父から聞きました(←祖父の息子です) 祖父とは子供の頃に会ったことがあるけど、昔ながらの人の感じは一切なく、いつもニコニコして楽観的というか…シベリア抑留を経験してたと聞いた今思えば『シベリアで受けた経験に比べたらどんなことも耐えられる』と思って生きてたのかな?と思うところなんですけど、たまたま調べてみたら今日2月7日は『北方領土の日』なんだそうです。シベリアとは何か関係はあるんですか? 祖父がいない今、シベリア抑留がどれだけ過酷な環境だったかなどはネットで調べればいくらでも出てくるけど、シベリア抑留の日本人が日本に帰国できた日付などといったことは私が調べた限り出てきませんでしたので、北方領土の日という今日がシベリアも関係しているのかなど含めて、どなたか教えてください。

  • ミリオタちょっと来て!これは薬莢?

    従軍経験のある祖父の遺品で こんなものを見つけました。 ずばりこれは何ですか? レプリカでしょうか? 詳しい方いたら教えて欲しいです。 ちなみに蓋は外れます。 中には何も入っていません。

  • 近年は耳にしませんが、第二次大戦以前は従軍経験を持つ作家、あるいは従軍

    近年は耳にしませんが、第二次大戦以前は従軍経験を持つ作家、あるいは従軍記者経験のある作家がたくさんいたと思います。有名な事例として日本では林芙美子、開高健、海外では第1次大戦に赤十字要員として従軍したヘミングウェイがいます。 ほかにどんな作家が従軍体験しているでしょうか?

  • 次の軍事ものの映画のタイトルを教えてください

    こんばんは★ 昔にたまたまテレビで観たことある映画なんですが、また観たいと思って いるのですが、タイトルなど情報がまったくわかりません。 以下に覚えているストーリーや場面をあげるので、どなたかわかる方、 教えていただけたらと思います。 ◎軍事もの、おそらく第二次大戦が舞台か? ◎出ている人物が東洋の顔立ちだったので日本か韓国か中国の映画 ◎最後には自分たちの部隊が上層部からの命令で全滅させられるようなことになる  具体的には、上層部がその部隊の将校に部下たちを皆殺しにするような  命令がくだされる。  (理由は忘れました、おそらくこの手のお約束でいえば口封じのため?)  でもその将校は上層部の命令に従えず、かといってそれをそのまま部下たち  に事情を教えることもできず、結局将校がとった行動は、  部下たちを皆殺しにすることを話し合っている会議をあえて  部下のひとりに盗み聞きさせて、部下たちと将校や上官たちと  同士討ちさせることだった。最終的にはその将校は罪悪感に苛まれて自殺する。 ◎最後のシーンは部下たちが自分たちを切り捨てた上層部の本部のような  ところにバスで突っ込んでいくのだが、最終的には兵隊に囲まれて  そのバスの中で自分たちの持ってる手榴弾でバスごと爆破して自害する。   うる覚えなので細かいところは間違ってるかもしれませんが、だいたいこんな 感じの内容だったと思います。 最後のシーンはかなり感動的だったのだけは記憶していて、ぜひレンタルで もう一度みたいと願っていますので、どうかみなさんのちからをお貸しください。 回答お待ちしております。

  • 朝鮮人の男はただ指をくわえて、見てただけなのか?

    私は以前から、催眠、心理学、NLPを勉強してきました。 その観点からの質問だという事をご了承ください。 従軍慰安婦とされる人達の証言では、ある日、突然、日本人がやって来て無理やり連れて行かれた。 という事ですが、その証言が本当か嘘なのかという事はこのさいどうでもよいと私は思います。 できれば、強制的に連れて行かれたという事にしておいた方がいいかもしれません。 こう書くと、「強制連行は無かったんですよ!!」と息巻いて回答してくる人がいるだろうな!?と言う事は容易に想像できますが、ここは心を扱った分野を勉強してきた私個人の意見だとご理解してください。 ところで、あの当時の朝鮮人の男も日本の兵隊として軍隊にいたわけですが、自分の姉、妹、恋人、幼なじみなどが無理やりに日本人に連れて行かれたというのに、なぜ、武装蜂起などして立ち上がらなかったのでしょうか? それどころか、朝鮮人の男も慰安所で性欲の処理をしていた!? 韓国の元大統領、朴 正煕は日本の青年将校達が226事件を起こしたという事に衝撃を受けたという事を語っていますが、あのクーデターを起こした青年将校達の中には貧しい東北出身の人達が多くいて、自分の姉、妹達が売られていったという事に憤りを感じていたそうです。 そして、クーデターを起こした・・・。つまり日本人の男達は立ち上がったのです。 韓国の自称、従軍慰安婦と言われるバアさんとその取り巻きの連中が声高に「強制連行だ!!」、「日本は謝罪しろ!!」などと批判すればするほど、間接的に、「あの当時の朝鮮人の男は、へたれだ!!腰抜けだ!!」と言っているのと同じです。 バアさん連中が叫べは叫ぶほど、あの当時、何の行動も起こさなかった韓国人のじいさん連中の潜在意識に罪悪感と贖罪感が刷り込まれていくのです。(暗示効果) そして、その結果、確実に韓国人のじいさん、ばあさんの心はボロボロになっているはずです。 こんな事がこの先も続けば、韓国人の若い世代の心もボロボロになるのは必死です。 韓国政府は外交カードのつもりで従軍慰安婦問題を持ち出しているのかもしれませんが、韓国国民の心を傷つけてまでしなくてはならない事なのかと私は疑問を感じます。 心を勉強してきた私の立場からすれば、「韓国はバカ!!」と言わざるをえません。 去年、ソウルの日本大使館前に従軍慰安婦の像が作られましたが、これで韓国は従軍慰安婦問題をこの先も、続けざるをえなくなったと思います。 この事は、将来的にも韓国政府によって、韓国国民の"心"がズタズタに引き裂かれボロボロにされる事を意味しています。 みなさんはこの韓国がやっている事をどう思いますか?それから私とは違う観点からの意見も聞かせてもらえればと思います。 よろしくお願いします。

  • 本当の戦場カメラマンは誰?

    戦場映画「ワンスアンドフォーエヴァー」に出てくる戦場カメラマンは実在する方のようです。その映画の終わりの方で激戦地の取材陣が激戦の後にたくさんヘリで大群で来ていました。この映画に出てくる従軍カメラマンは激戦に兵士と一緒に参加しているようでした。 激戦が終わってから安全になって取材する人も従軍カメラマンの中に入るのでしょうか?また、日本の本当の意味での従軍カメラマンは誰でしょうか?

  • ソウルに「慰安婦博物館」開館について

    大東亜戦争当時、中国最前線まで補給部隊として従軍された方が話されていたのです が、「慰安婦はどういう訳だか朝鮮人が連れてきていた」また、「日本軍は駐屯地を設営し、そこから出て街へ行けるのは将校クラスだけだった」とのことです。 この二つのことからしても、規律ある日本軍が、強制して朝鮮人を慰安婦にしたなどとは考えられないのですが。 恐れながら、同じような体験をされた復員兵の方いられないでしょうか。 事実を明らかにせねば、韓国自体が恥をかくことにもなります。 何卒宜しくお願い申し上げます。

  • 昔のアメリカ映画バルジ大作戦で?なこと

    もう相当昔の映画ですが、アメリカ映画でバルジ大作戦というのがあって、 チャールズブロンソンが歩兵将校でドイツ軍の捕虜になる映画ですね。 あの映画の中で、いまだに疑問でしょうがないシーンがあって、 砲撃され大破したアメリカ戦車の中で、アメリカ兵が二人も生き延びている。 うち一人は軍曹でぴんぴんして、機関銃を構えたりしている。戦車は砲塔を失っても十分に稼動する。 というシーンです。 あれだけぶっ壊されたら中の人は生きていられない。と思うのですがどうでしょうかね。 大好きな映画ですが、そこのところがちょっと。 どこかで誰かに聞いてみようと思ってたのです。ここで聞いてみることにします。

  • COMMUNIST!というセリフ

    ものすごく少ない手がかりしかありません・・ずうずうしいのを承知で質問させていただきます(><)もしもご回答いただけたら幸いです。。 昔見た映画のタイトルを知りたいのです。もしわかればDVDなど購入したいとおもいまして。その映画は、古いアメリカの映画で戦争ものでした。たしか、白人のかっぷくのよい将校がでてきて、誰かに「That's because you are communist!!」といって罵るのです。そのシーンしかおぼえていません・・・たったこれだけのてがかりで、なんの映画か教えてくださいというのはずうずうしいとは思うのですが、このワンシーンをご記憶の方、どうかお教えくださいませ、よろしくお願いします。

  • 今から10年近く前に観た(深夜に自宅にて)洋画のタイトルが分からないた

    今から10年近く前に観た(深夜に自宅にて)洋画のタイトルが分からないため、もしご存知の方がいらっしゃいましたら教えて頂けると嬉しいです。 内容もうっすらとしか覚えていないのですが要約しますと、ある家族(祖父、母、その息子がいました)の所に突然謎の女性が来て、祖父に対して「私の家族は昔あなたに殺された」と訴えます。その女性がいうには、「私は昔起きた虐殺事件の生き残りで、その時に私の家族を森の中で殺したのがあなた(祖父)」だと言うのです。 初めは否定していた祖父でしたが、だんだんと過去の過ちに悩まされて最終的には認めることになりました。 家族にせめられ一緒に住むことができなくなり、物語の最後はたまたま外を歩いていた息子が、独りたたずむ祖父をみつけ、見つめるシーンで終わりました。 やはり記憶が曖昧なので多少間違っている点があると思いますが大体のあらすじはこのようなものであると思います。 当時、小学生だった僕にとってはとても衝撃的な内容であったように記憶しております。 この映画の雰囲気は全体的に静かなもので、少し寂しげな感じでした。 ご存知の方がいらっしゃいましたらご協力お願い致します。