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殺された人の権利について 仇討ち・私刑の復活
日本では、殺された人よりも殺した人のほうの保護が手厚いように感じます。 最近の理不尽な例では、 【東京で高級国民が母子2名をひき殺した件】 高齢だと逮捕すらされない 【京アニの放火事件】 治るかどうか分からない、どうせ死刑になるのに高額な医療を施す 冤罪の可能性があるならまだしも、明らかにの件で捕まった人は犯人で、殺された人の関係者の心情たるや、想像してもしきれないくらいの怒りがあるはず。 死刑は当然としても、私刑で本人へのやり返しとか認めないと、公平性に欠けないでしょうか? 動けるものは、福島の原子力事故の炉心に入れて、素手でサンプル持ち帰らせるとか、なんかいい方法ないのでしょうか?
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仇討ちは被害者側が無条件に加害者側を罰して処することができるわけでなく、あくまでその場の立場で戦って打ち勝てるかどうか、という方法になります。本懐を遂げられない可能性もありますよ?それでもいいのでしょうか? 刑法は甘く処されていますが、その分、もしかしたらそれ以上に世間の目は厳しいかもしれません。社会復帰をなんだかんだ妨げていますよ。芸能界が割と柔軟に対応するのでさえ、復帰できるなんてクソ甘いという人がどれほど多い世の中か。厳罰を望みたくなるような事案がないわけではないですが、現状でも社会全体としての厳罰はそれなり以上に機能しているのです。一度つまずけば、立ち上がる機会はほとんど残されていないのが今の日本です。本人に相当な覚悟とたゆまぬ努力をもってしないと人並みに生きられない社会ではあります。 ここから先のバランスは好みでしかないと思います。どんな形でも納得のいく場合とそうでない場合があるのだから、受け入れるかどうかだけかと。
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- 久保 泰臣(@omi3_)
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法律は 国民の幸福のためではなく国家維持のためにあります。 例えば 殺人ライセンスを持つ兵の行為が、正当かどうかを 一々検証していては戦争には勝てません。 警察や消防も、冤罪でも拘束中の損害や、隣家の水浸しは 賠償されません。 >仇討ち・私刑の復活 は、国家に有能な人材を失う事になります。 特に権力者側の人間が守られるのが気に入りませんが。 そんな国家ではありますが、 現代の議員は、国民の人気取りをするので 国民の意見が徐々ではありますが、法律に取り入れられています。 面白いのは 飲酒運転は、厳罰化になりましたし あおり運転もそうなるでしょう。 しかし 老人を狙う特殊詐欺は厳罰化されません。 それは、老人の資産は吐出させるべきだと 役人や議員も思っているからなのでしょう。 私も老人ですが「仕方ないな」と思っています。
- 久保 泰臣(@omi3_)
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法律は 国民の幸福のためではなく国家維持のためにあります。 例えば 殺人ライセンスを持つ兵の行為が、正当防衛かどうかを 一々検証していては戦争には勝てません。 警察や消防もそうで、冤罪であっても拘束中の損害や 隣家の水浸しは、賠償しません。 >仇討ち・私刑の復活 は、国家に有能な人材(特に権力者側)を失う事になります。 そんな国家ではありますが、 現代の議員は、国民の人気取りをするので 国民の意見が徐々ではありますが、法律に取り入れられています。 面白いのは 飲酒運転は、厳罰化になりましたし あおり運転もそうなるでしょう。 しかし 老人を狙う特殊詐欺は厳罰化されません。 それは、老人の資産は吐出させるべきだと 役人や議員も思っているからなのでしょう。 私も老人ですが「仕方ないな」と思っています。
- eroero4649
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江戸時代の仇討ちも、結構面倒くさいんですよ。 まず「仇討ちするんだよな?当然やるよな?な?」という世間のプレッシャーをかけられます。日本人てそういう民族じゃないですか。認められている以上、みんながやってるのに自分だけやらないっていうのは許されない。もし「やりません」となったら「うわ、あそこ仇討ちやんねえんだって」「うそ、ありえねー」と村八分にされます。 そして仇討ちに出た以上、本懐を遂げずに帰ってくることは許されません。家に帰って来れるのは、仇討ちが成功したときだけです。だから途中で嫌になってそのままその旅先で就職しちゃう人もいました。しかしその場合は本懐は遂げていないから帰るのは許されないのです。 京都アニメーションの事件については、本人の口から動機を確認しないと被害者の遺族もやりきれないですよ。一応事件直後に「自分の小説をパクられた」といっていたようですが、それがある程度スジが通っているのか、例えば「角でぶつかったときに男女の中身が入れ替わるってストーリーをパクられたんだ!」っていったら、お前そんなストーリーは昔からあるよとこっちがツッコめるし、「誰にも発表していない秘密のストーリーをパクられたんだ」となればああ、そういう妄想にとらわれたのかとこっちも思えます。 でも、なにも分からないままに被疑者が死亡するのはただでさえ割り切れないのに、余計に割り切れないですよ。
- koncha108
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被害者の感情の赴くままにさせたら社会の秩序が成り立たないでしょう。江戸時代の仇討ちだって厳格なルールが決められていたし、恨みの連鎖を断ち切るために仇討ちの仇討ちはできませんでした。イスラム法典に則り犯罪者の処罰が厳しいサウジアラビアでも毎週行われる公開処刑は被害者遺族も立ち会うものの執行は国が行います。 量刑が国民の意識に対して甘いというのであれ、そのギャップを埋めるために裁判員制度があるので、制度のあり方について裁判所に意見するのが良いかと思います。
- tiltilmitil
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「公平」は「あらゆる人に私的制裁を認めず、法に基づいて処罰する」で実現されるべきというのが法治国家の考えです。「アイツは許せないからもっとひどい罰を与えろ」と感情によって刑罰を加減するのは公平ではない。
- dragon-man
- ベストアンサー率19% (2711/13695)
>殺された人よりも殺した人のほうの保護が手厚い 不幸にも殺された人は保護のしようがありません。「保護」は生きている人への対処です。保護ではなく賠償であればその限りでありません。池袋の不幸な母子には、保護とは別に多額の賠償金が下りているはずです。 >治るかどうか分からない、どうせ死刑になるのに高額な医療を施す 捜査情報(自白)を引き出すために延命措置をしているのです。口も聞かず死んでしまったら犯罪動機などすべてうやむやになってしまいます。それでも罰として死なせるべきですか? たとえこの犯人が生きながらえたとしても、死刑は免れません。
報復が認められれば、例えば放火されたなら放火して良い、盗まれたなら盗み返してよいとなる。 それのどこが法治国家でしょうね。
- staratras
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21世紀に生きる私たちには理解が難しくなっていますが、江戸時代に「敵討ち」が認められたのは、単純に被害者側からの加害者に対する復讐をすべて認めたということではありません。重要なことは「私的な復讐の容認」ではなく「名誉回復の機会を与える」ということでした。 たとえば武士が誰かに切られて死亡するということは武人として不名誉なことであり子孫にも影響するので、その子に対して父の仇を討って名誉回復をすることを認めるという考え方です。 具体的には、「子が父の」、「弟が兄の」、「家来が主君の」仇を討つことは認められていましたが、その逆の場合(「父が子の」「兄が弟の」「主君が家来の」)の敵討ちは基本的には公認されていませんでした。 なお、赤穂事件を「敵討ち」と考えるべきかどうかについては議論があります。吉良義央は別に浅野長矩対して直接的な危害を加えてはいないからです。(賄賂を贈らなかったから意地悪をされたなどという説には具体的な同時代の史料の裏付けがなく、仮にそうであったとしても「敵討ち」の理由にはならないでしょう) むしろ長矩が果たせなかったことを大石ら家臣が実行した「自力救済」ではないかと見る研究者もいて、こちらの方が実態に合っていると考えます。 いずれにせよ、敵討ちで被害者側の名誉が回復されるという考え方そのものが実感として理解できなくなっている以上、「敵討ち」や「自力救済」を21世紀の現在にそのまま持ち込むことは困難です。やはり公権力(司法)により裁くほかないでしょう。江戸時代でも殺人の被害者で敵討ちを実行できた者が多かったわけではなく、多くの場合は公権力によって犯人の処罰が行われたのです。
- roadhead
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先ず高級国民など存在しません。 単なる役人です。 その後の報道があまり派手では無かったので知らない人も多いようですが逮捕されてます。 京アニの放火犯は死刑は確実だと思われますがあまりにも分からない事だらけなので真相解明のために生かさなければいけないでしょう。 あのまま死んでいたら遺族はもっと憤り、怒りのやり場に困ると思います。 確かに日本は世界から犯罪者天国と呼ばれる国ですがそれと仇討ちや私刑を認める話とは全く違います。 普通の感覚を持つ人が犯人を殺したり傷つけたりするとやった方の精神にダメージを残します。 それが最愛の人を殺した犯人であってもです。 犯罪者のように精神が破綻しているなら別ですが一般的な人間は他人を傷つける事に抵抗があるものです。 私刑を認めてしまうと被害者は犯人を傷つける権利を与えられます。 当然その権利の行使は自由とすることになると思いますが、酷い事件であればあるほど権利を行使しなかった場合、被害者へのバッシングが起きる事が容易に想像されます。 他人への直接攻撃は自分にもダメージが返ってきますがネットなどで行う誹謗中傷はストレス発散になると言う人間の不思議な面がありますので今でも犯罪者のプライバシーは守られていて被害者のプライバシーは全く守られないと言う状況です。 私刑を認めるととんでもない荒れた世の中になることが容易に想像出来ます。 やるべきことは犯罪者のプライバシー保護や身辺保護ではなく被害者のプライバシー保護や身辺保護、手厚いケアだと思います。 特にマスコミやネットで無責任に被害者のプライバシーを探ったり晒したりすることを取り締まる必要があると思います。 それから福島原発の溶け落ちた炉心に近づこうとするだけで即死ですから死体処理の手間が増えるだけです。
- okwavey2
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良い方法はないと思います。 根本的な建前が、被害者の心情ではなく、加害者の更正と社会復帰です。 つまりは悪い事をした人も許しましょうって言うのが前提なんで、被害者は常に泣き寝入りになります。 刑罰にはもちろん納得できないでしょうが、民事訴訟による賠償金の金額も安いので、経済的な穴埋めも不十分です。 仇討ち自体がなくなるために、法律で罰するようになっています。 仇討ちOKにしてしまうと、結果的に死ぬ人が増えますからね。それが嫌なんでしょう。 また、モラル的に悪いと思うことと、法律的な責任は一致しないししていない。 元々刑罰って、社会的な地位がある程度あって、人間的な関係もある人にしか意味がないですよ。 身寄りのない老人、まともな職についていない人、なともな交遊関係のない人。 この人たち、全員死刑以外は衣食住が保証される刑だから何も困らないでしょ。 公平と言うなら、これらに該当する人とは、完全に生活する社会を分けて欲しい。 これらの人は、失うものが何もないのだから、全ての刑罰は無効で、犯罪し放題です。 こういう恐ろしい人たちと同じところで生活するのが嫌ですね。 特に犯罪を犯したわけじゃなくても、これらに該当する人は軽蔑します。 この人たちにとっても効果のある罰則がない限りは、この思想は変えられませんね。
お礼
回答ありがとうございました。 示唆に富んだご意見ありがとうございます。 考え方の参考にさせてもらいます