解決済み

日本初のジェット機橘花は特攻機だったのでしょうか

  • 困ってます
  • 質問No.9609788
  • 閲覧数126
  • ありがとう数7
  • 気になる数0
  • 回答数5
  • コメント数0

お礼率 94% (6538/6897)

人間爆弾だった桜花が特攻機だったのと同じでやはり戦争末期の苦肉の兵器だったのでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

  • 回答No.5

ベストアンサー率 69% (902/1299)

他カテゴリのカテゴリマスター
特攻機という言葉の意味にもよりますが…現代日本語での意味で解釈すれば「特攻機=自爆テロ用にカスタマイズされた航空機」となりますので、そういう意味では「橘花(きっか)は特攻機では帝都防衛を想定して開発された決戦兵器である」と考えるべきでしょう。

また質問者の疑問である「当時の軍部はどういう目的でジェット戦闘機を計画したのか?」についてですが。これは大戦末期、既に米軍に完全に制空権を奪われて好き放題に東京大空襲などを行われていた大日本帝国軍部は、これを行う米軍重爆撃機B29を何とか迎え撃ちたいという願望から高々度(地上7000m以高)で戦闘飛行可能な戦闘機を熱望していました。最初はレシプロ機を改良、或いは新開発して対抗しようとしましたが日本の技術力では酸素濃度が極端に薄い高々度で満足に可動するエンジンを作れずに頓挫。そこで高性能エンジンや高品質燃料が必須のレシプロ機で無理なら、逆に低燃費低品質燃料でも充分に性能を発揮出来るジェットエンジンに全てを託して研究開発を命じる事となりました。

無論、細かい事を言えばジェット機であっても高品質燃料の方が良い事は言うまでもありませんが、当時の日本はもう満足にガソリンを用意する事さえ出来なくなっており、実質的に灯油(ケシロン)で動かす事が出来るジェットエンジンは渡りに船だったと思います。しかしながら高々度に耐えられなかったレシプロ機でもちゃんとしたハイオク価の高い高品質ガソリンを給油しエンジン部品(特にパッキングゴム)にも良い品を使っていれば、当時既に実戦配備量産されていた雷電や疾風でも十二分にB29やその護衛機であるP51やP47とも互角に渡り合える性能であった事が戦後の米軍による性能実験等で分かっています。

- 参考文献 https://books.google.co.jp/books?id=GUI3DwAAQBAJ&hl=ja&pg=PA152#v=onepage&q&f=false

まあ冷静に俯瞰的に物事を見れる人であれば、自分達の作ったレシプロ機では性能が出せずに満足に戦えない高々度空域で戦える様にさらに高性能のジェット戦闘機を開発しよう!…等と考えてる時点で、既にその旧式レシプロ機だけで完全に上を行っている米軍の技術力と運用力を見誤っている訳で。今も昔も変わらずですが、国内に既に充分に有能な人材や技術が充分に有るにも関わらず、それを運用差配する指導部が全くの無能で末端から組織を腐らせてしまい、やがては最終的に組織全体を完全に腐らせ破壊してしまう事になる歴史を何度繰り返せば気が済むのでしょうか…主に国民主権的な意味で。

まあそんな訳で、当時の軍部は安上がりで有り合わせの材料と技術で米軍に立ち向かえる戦闘機を熱望し、それを具現化させたモノが「橘花」だったという事になりますでしょうか。


P.S.
橘花は最終的には当時の同盟国であったナチスドイツのジェット戦闘機である Me262 を参考にほぼ模倣するかたちでの開発となりましたが。計画立案の時点では3タイプが考案されており、最初は最も先進的な「胴体埋め込み型」で開発する予定でしたが難易度が高くて手が出なかったため、比較的に難易度が低くてモデル機も既に実現していた「翼下懸架型」が採用され実際の開発計画へと進行しました。

またこの技術提携は相互提供のバーターで、ドイツ側はMe262を、日本側は当時日本で実用化に成功していた小型ディーゼルエンジンとを交換する形での技術供与がなされました(ドイツは小型Uボート用に小型エンジンが欲しかったみたいです)。がしかし、ドイツ側日本側共に現物を載せた潜水艦が連合軍によって攻撃撃沈されてしまい、日本側エンジンは海の底へ、ドイツ側Me262も破壊され僅かに残った断片的な資料図面のみが日本へ持ち込まれたに過ぎません。このため実際には外見こそ似通って見えますが内部的にはほとんど日本側の独自開発と言って良いモノになりました(だから実戦配備出来なかったのかな?)。

しかしながら仮に敗戦前に実戦配備が間に合ったとしても、当時の軍上層部や戦争指導者たる昭和天皇の能力では充分に活用出来たとは到底思えませんので、帝都防衛任務もそこそこに直ぐに自爆テロ用に転用されたであろう事は想像に難くありません。


P.P.S.
さらに細かい突っ込みをすると実用化はともかく大日本帝国時代に開発計画されていたジェットエンジン搭載の航空機は以下の4つがあり…

- 橘花(きっか) : 1944年08月に計画立案 -> 1945年08月07日に初飛行
- かつをどり : 1935年12月に計画立案 -> 1939年09月06日に飛行実験開始
- 陸軍単発噴進式戦闘機 : 1944年末に計画立案 -> 設計案のみで開発番号無し
- キ201 : 1945年に計画立案 -> 図面のみ

~以上の経緯から単純に最も開発計画の実施立案が早かったのは橘花では無く「かつをどり」となります。

- https://en.wikipedia.org/wiki/Kimura_HK-1

一般的なミリヲタには写真等の画像資料が豊富で憧れのナチス機Me262と同型機体の橘花の方が知名度人気共にありますが、この「かつをどり(以降、"HK1" と記述)」も試験飛行回数は100回を超え、また開発開始時期が他の機体の様に終戦間近の切羽詰まった状態では無かったためある程度余裕を持って開発実験が行われていたため、実戦配備のための量産体制に入ってもおかしくないくらいまでに開発は進んでいましたが…。

しかしながら参考リンク先の画像などを参照して貰えれば分かる通り、このHK1は無尾翼機と呼ばれる独特の機体形状が特徴の航空機で、今までの一般的な航空機とはかなり機体特性が異なり操縦方法等も全く別系統のものでした。このHK1の一連の飛行試験を終えて最終的な軍用機としての実地試験を行うために陸軍に引き渡されたのですが、その跡を受け継いだテストパイロットの陸軍少佐は無尾翼機の知識が無く当時の一般的なレシプロ機として操縦しテストしたため、試験飛行は失敗し実験機も墜落大破してしまいます。

その後も機体改良を重ねて再度試験を行いますが、やはり担当テストパイロットが前回と同じ少佐で無尾翼機の機体特性等を学ぶ事無く同じ調子でテストを行ったため再び墜落大破、これにより陸軍はテストパイロット少佐の意見を鵜呑みにしてHK1は欠陥機であると判断して1940年に計画は終了してしまいます。ただしこれらの試験飛行は全てエンジン未搭載での滑空飛行によるものなので、実際のジェット推進力を用いた初飛行という意味では最初の「橘花(きっか)」が大日本帝初という事になります。

こういう流れだと如何にも当時の軍部が無能だったみたいな感じになりますが、実際に無尾翼機の操縦は難しくて現在みたいにコンピュータによる操縦補佐等が全く無い完全に手動による操作の時代ですので、やはり実用化しても有効活用する場面がなかなか想定し難いと言うか。戦後の現代ジェット戦闘機の時代になっても無尾翼機タイプはほとんど無く、あっても三角翼機タイプが主流ですので。結果論ですが当時の軍部の判断はそんなに間違ったものでも無かったかなとは思います。

仮に実戦配備されたとしても、これまた前述の橘花と同じく恐らくは帝都防衛などの局地戦闘機としての用途でしか運用出来なかったと思われ…そういう意味ではこれも架空戦記などでありがちな "決戦兵器" というヤツですね(笑)。

その他の回答 (全4件)

  • 回答No.4

ベストアンサー率 29% (5276/17933)

歴史 カテゴリマスター
時代の流れとして、日本もジェット戦闘機は開発しなければいけないと思っていました。ところが戦局の悪化で開発費がない。資材もない。だからゼロから開発することがもうできなかったのです。それで手っ取り早い方法としてドイツのMe262を参考にしたのです。一応、コピーではなくインスパイアされてモチーフにしてリスペクトしてオマージュとして捧げたらああなったみたいです。

そもそも、Me262が本来は爆撃機として開発されたものです。戦闘機に変更することを最後まで拒んだのはあのヒトラーでした。伍長殿の誤判断のご判断のひとつといわれていますが、まあ閣下の仰ることにも一理はあります。けれど、それについては割愛します。

それで作るだけ作ってみたものの、もう日本には量産するだけの資材も施設も技術者もいない。完成した頃にはもうなんでもかんでも特攻機にしちゃえ的な空気感もあったので「使うとしたら特攻機だよね」ということになっちゃったのだと思います。
しかしね、ジェット機を自爆攻撃機として使うってのはフェラーリで自爆攻撃するようなものでね。ジェットエンジンだって貴重品なのに使い捨てにするなんておかしな話でしょう?もうね、「貧すれば鈍する」ですよね。陶器の手榴弾を作り出したくらいですからね。手榴弾というのは爆発したときのガワの破片で敵を傷めつける兵器なのに、それが陶器だと細かく破裂しすぎて威力にならないんですよね。ただの火薬の無駄になるのに、他に資材がないから作り始めちゃった。
「もうそこまで来たら続けるだけ意味がないのにやめよう」って発想ができないんですな、我々日本人は。「もうここまで来たら続けるのも意味がないのにやめようにならない」ってのは今も続く日本人の宿阿ですよ。原発がまさにその状態ですからね。
お礼コメント
kaitara1

お礼率 94% (6538/6897)

名前は素敵なのですが、ご教示の内容は深刻ですね。
投稿日時 - 2019-04-24 01:03:16
  • 回答No.3

ベストアンサー率 49% (490/993)

「橘花」は「桜花」のような特攻専用機ではありません。
戦闘攻撃機です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%98%E8%8A%B1_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)

特攻専用機として開発された航空機はご存知の「桜花」の他では陸軍はキ116「剣」がありました。
お礼コメント
kaitara1

お礼率 94% (6538/6897)

実戦には参加できなかったにしても、当時の状況下でよく作れたものだと感心してしまいます。
投稿日時 - 2019-04-24 01:06:46
  • 回答No.2

ベストアンサー率 14% (1647/11226)

開発当時は特攻機ではなかったらしいですが、命名した時点で特攻機として扱われていたのは確かでしょう。海軍は桜花や藤花といった具合に、特攻機に花の名前を使っていましたから。
お礼コメント
kaitara1

お礼率 94% (6538/6897)

特攻という発想でモーターボートや潜水艇も計画されていたそうですが、飛行機も例外でなかったのですね。
投稿日時 - 2019-04-24 01:09:45
  • 回答No.1

ベストアンサー率 38% (121/313)

他カテゴリのカテゴリマスター
特別攻撃、でなく
特殊攻撃機って聞いたこと、あるんですけど
特攻機じゃない、と思います。
お礼コメント
kaitara1

お礼率 94% (6538/6897)

当時の軍部がどういう目的でジェット機など計画したのか知りたいと思います。もっとも震電のような変わった戦闘機も企画していたのだから似たようなものなのかなとも思いますが。
投稿日時 - 2019-04-23 18:10:50
結果を報告する
このQ&Aにはまだコメントがありません。
あなたの思ったこと、知っていることをここにコメントしてみましょう。
関連するQ&A
AIエージェント「あい」

こんにちは。AIエージェントの「あい」です。
あなたの悩みに、OKWAVE 3,500万件のQ&Aを分析して最適な回答をご提案します。

その他の関連するQ&A、テーマをキーワードで探す

キーワードでQ&A、テーマを検索する

ピックアップ

ページ先頭へ