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特攻作戦について
太平洋戦争末期の特攻作戦について質問です。 最初の関行男中佐の特攻では大戦果を収めました。その後米軍に警戒されて戦果を上げられなくなったとはいえ、警戒行動を強いさせた事である程度の時間稼ぎにはなったと思います。 さて、降伏・終戦・戦後のGHQ統治・その後において、特攻作戦をやった事で何かしら国益になる影響があったのでしょうか。やらない方が良かったとは思いますが、教訓を残しただけで、まったく意味がなかったのでしょうか?
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- shirouuda
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ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム というものは、 1,このGHQ文書を見たという人は、文芸評論家江藤淳氏ただひとりである。 2,江藤氏自身による日本語訳もおかしい。 この程度の「研究」は史実とはされません。少なくとも、先進国ではね。 「我が家の屋根裏から発見された古文書に、秀吉は信長の子供だと書いてあった。この古文書は誰にも見せないよ。」 こんなのと同じです。
- makocyan
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私の親族も海上特攻で死んでますんで、あんまり無意味とかいった言葉は使いたくないんですがね。 具体的に国益につながったという例はないと思います。どちらかというと、「こいつら追い詰めると何をやるかわからない」ってんで、占領政策に悪い影響があったのではないんでしょうかね。ウォー・ギルト・インフォーメーションプログラムとか、憲法への介入とか。他の敗戦国には見られない過度の締め付けにつながったように思います。
- izuhara
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特攻があったからこうなった、という直接的な影響はないでしょう。 間接的な影響ならいくらでもこじつけることができます。
- MIG21BALALAIKA
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アフガン紛争で乗ってた機体です HNは 我がソビエトも独裁者スターリンにより2600万人の戦死者を出してますのであながち無関係ではない 質問者さん 回答に苦労していますね、60年も前の戦史は今とは全く異なります ソビエトも独にやられまくっていたので意味はない事はないんですよ、大東亜時代 日本の事は じいさんに聞いたくらいで、ヨーロッパ戦線でなんとかなって、敗戦すぐ前にソ連が参加 ただ、恐怖はどうだったんだろう、、、とは思います自身アフガンでは5回撃墜されてます 否定はしません あの恐怖が、、、の思いが強すぎて特攻に転嫁しなければならなかった 今の日本史は玉砕こそ全てという思いが強いのです いかんせん残念すぎです それが現代の日本になっていること、ここにこそ問があるような気がします 今まで戦争やしてますが、、、好きでやってる訳はないんです、戦争が好きでもないんです これさえわかれば、仲良くなれたんだろうな、と思います 日本史あまりわからなく、すいません 意味はあるんです。実際にあわなければわかりませんよね?
お礼
歴戦のミグパイロット、ロシア人か傭兵の方なんでしょうか?すごすぎです! 後半、意味深な感じがするんですが、今ひとつ真意が読み取れませんでした。すみません。 皆さんの意見が色々あって、確かにお礼回答をどうしていいかわからなくなってきました。視点・観点・論点を整理しないと、ジレンマが出てきてしまってどうにもなりません。今悪い頭でよく考えてます。 戦争を体験してない私なんかが、いくら考えても真実には迫れないのかも知れません・・・体験者の貴重なお話聞きたいです。 ご回答ありがとうございました。
- eroero1919
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あたら若い命を無駄遣いしたのですから、なんの国益もなかったと思いますよ。参加された方の精神性の問題はさておきますけれども。 米軍の士気に脅威を与えた、という声もありますが、怖いのは現場の将兵たちであって、国内にいる指導者ではありません。どんなに臆病な人でも、他人の痛みなら3年は耐えられます。 米軍には、ドイツ本土爆撃という作戦がありました。日本の特攻作戦で亡くなったパイロットは2000名くらいですが、ドイツ本土爆撃で米軍が失った爆撃機搭乗員はなんと2万名に達します。実に特攻作戦の10倍の犠牲者です。 このドイツ本土爆撃、ひどいときは損害率が実に50%に達しました。10人乗りの爆撃機の半分が還ってこないんですからね。当時のパイロットの手記によると、昨日は搭乗員たちでごったがえしていた兵舎が、今日はガランとしていて絶望的な気分になったそうです。そこまでして本土爆撃をすべきかどうか、当時から議論になっていましたし、アメリカの軍事マニアの永遠のホットな話題は「ドイツ本土爆撃は意味があったのか」だそうです。 なにがいいたいのかというと、アメリカという国は本当の本気になるといくら犠牲がでようと金がかかろうと国民を欺こうとどんな手段を使っても勝ちにくる国だということです。先日のイラク戦争では、ブッシュ大統領が散々「出せ。出さないと攻めるぞ」といっていた「イラクの大量破壊兵器」なるものは元々存在しなかったことが明らかになっています。つまり持ってないものを出せといってそれを名目に攻め込んだんですね。湾岸戦争や米西戦争のように、でっちあげで戦争に持ち込むのはアメリカの常とう手段です。真珠湾攻撃をアメリカが事前に情報を得ていたことは近年ほぼはっきりしていますし、9.11テロでさえアメリカの情報機関は事前にテロ計画を察知していたのではないかといわれていますね。 戦後に日本が分割統治をされなかったのは日本人の叛乱を恐れたのではなく、戦勝国の政治的思惑の結果に過ぎません。戦争中は異常なまでの抵抗を見せたのに、終戦となると従順に従う様を見てあのチャーチル卿は「日本人は喉ぶえに噛みつくか、ひれ伏すかのどちらかだ」と得意の皮肉を交えたコメントを残しています。 特攻作戦の実態は、日本軍パイロットの練度が落ちてきて、通常の攻撃方法ではもはや米軍に対してダメージを与えることができなくなり、本当は誘導爆弾が作りたかったけど技術的に作れなかったので思い切って体当たり作戦をしてみたら、これがとんでもない大戦果を出してしまった。皮肉にも大戦果を出してしまったのでやめるにやめられなくなったのが現実です。 しかしアメリカ人というのは戦訓を取り入れてフィードバックする能力に実に優れていますので、すぐに対策を打たれてしまったのですね。具体的には、レーダーピケット艦という駆逐艦を艦隊の外部に配置することで艦隊本体を守るようにしたのです。このため、特攻機といえども沖縄作戦頃には艦隊本体に近づくことさえ困難になりました。そこで仕方なく艦隊の外部に位置するレーダーピケット艦に攻撃をして一応損害を与えました。しかしドライな現実主義者のアメリカ人からすると「レーダーピケット艦の駆逐艦程度ならいくらでも損害を補てんできるから構わない」のです。空母の3000人の乗組員を守れるなら、駆逐艦の100人の犠牲はしょうがない、と割り切れるのです、アメリカ人は。 だから特攻作戦に対しては、日本人同士にのみ理解できるノスタルジーと精神性においては評価できるとは思います。私個人も同じ日本人として、自らを犠牲にしていった人たちに対して「あなたたちの犠牲は無意味でしたよ」とは口が裂けてもいえません。「あなた方がいたからこそ、私たちは戦後豊かになることができました」といいたい。しかし、アメリカ人の超現実主義からすると「甘いわ」の一言でしょうね。哀しいことですが。
- shirouuda
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特攻作戦の軍事的側面については、 米軍の戦闘機と対空砲火をかいくぐって、爆弾や魚雷を命中させる「スーパーパイロット」を養成する時間も油も無いので、それよりは、短期間の訓練で済む特攻作戦に踏み切った。ただし、軍の官僚的惰性による特攻作戦の運用に流れていたかも知れない。米軍の艦船に対する戦果は、以外にあり、米兵を恐れさす効果もあったらしい。 占領政策については、 ウヨやサヨの言うような「日本を植民地に、奴隷に」なんて意図は、最初からアメリカには無い。今日、日本の景気とアメリカの景気が連動するように、当時も連動していた。アメリカは日本の貧困化など望んでいない。アメリカの工業製品をたくさん買ってくれる、それでいて、外交的には従順な先進国になってもらいたいのだ。あの占領政策は、アメリカの事情によるものである。
- jkpawapuro
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まず特攻作戦と硫黄島の玉砕抵抗があり、その後ホワイトハウスで降伏勧告路線が生まれ、ポツダム宣言が発表され、原爆投下があり、8月13日にバーンズ回答で日本に対しあいまいに天皇と日本国を残すことを告げられ、ポツダム宣言受諾という流れです。 日本本土上陸作戦における損害見積もりが硫黄島での米軍の莫大な損害を元に計算され、それが本土上陸を躊躇させたわけですから、明確に特攻や玉砕が日本および天皇を残らせたと言えるでしょう。 降伏のタイミングですが、バーンズ回答の時期を見ればわかる通り、明らかにアメリカは原爆投下後と決めています。 戦争をいつ終わらせるかは結局勝者が決めるものなので、日本の意思ではどうにもなりません。 ただ戦後の姿が日本が解体されアメリカの植民地にならずに済んだのは、し烈な抵抗のおかげです。 ウィキペディアのポツダム宣言の降伏勧告路線の本格化の項目にある1945年6月18日の会議後のトルーマンがマックロイが非常に興味深いと思います。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%84%E3%83%80%E3%83%A0%E5%AE%A3%E8%A8%80
- rabbit_cat
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#3です。 >悲しいですがソ連参戦・原爆は、降伏のためのステップだったと思います。 >戦艦大和などの水上特攻作戦も、米内などの終戦工作の一貫で、あれだけ目立つ戦艦を残したままでは継戦派を納得させられないから、だとか。 呆れてモノが言えないです。 この言い分が通用するなら、それこそ、特攻はものすごく有意義だったんじゃないですか。 つまり、飛べる飛行機が1機でも、紙一枚でいくらでも召集できる死なせてもかまわない若者が1人でも残っているうちは継戦派を納得させられない、ってことですね。 確かに、その通り、日本国内の継戦派を黙らせるために特攻は非常に有効だったわけで、特攻がなかったら国内の継戦が反発して戦争がどれだけ長引いたかと考えると、特攻作戦は日本の国益にものすごくプラスの影響を及ぼした、と言えるでしょうね。
- malaytrace
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以前出張中にたまたま「回天」についての映画を見て、その後調べてみたことがあります。 アメリカ本土の港湾を攻撃するつもりで設計されたが、もはやそんな所まで行ける状況では無くなった。 一度決めたら撤回する気がないのか、大洋上の作戦に使うことになったが、そんな風には設計されていない代物。 動いている船を攻撃するには三角関数がわからない頭脳だと命中させられない(潜望鏡を上げて走る訳にはいかない)ので、優秀な学生が選ばれた。 元々は停泊している船舶を攻撃するようつくられた設計のままのため、バックができないので、訓練中に座礁して命を落とす者が多かった。 しかも2ヶ所あった訓練所の一方はやたら殴りつけることで悪名高い。 結局、一度決めたことを撤回しない官僚主義の犠牲で優秀な若者の命を失うことになりました。彼らの命と頭脳こそが国益だったでしょう。
- PENPENMAKKY
- ベストアンサー率17% (344/1984)
特攻の戦果ってどら位あったかご存知ないのですか? 艦船350隻ほどが撃沈ないし大破しております。 スチムソン長官以下、米陸海軍上層部は「これ以上、特攻攻撃を受けたら兵士の精神が持たない。日本との和平を考えるべき」と主張したようですが
お礼
戦果は、思っているより意外に多い、と思ってはいましたが、350隻ですか。 戦局を変えるまではいかずとも、精神的にはかなり影響を与えたでしょうね。 特攻の戦果があまり伝えられないのは、特攻を肯定させないためでしょうか。 タブーを廃して、冷静な戦争の総括をしたいですね。 ご回答ありがとうございました。
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お礼
ご回答ありがとうございます。 >私の親族も海上特攻で死んでますんで ご遺族にとっては英霊ですが、特攻を美化はできませんね。 作戦としては愚かだったと断じるべきだけど、家族や故郷を守るために散らした命には敬意を払うべきですよね。 >占領政策に悪い影響 そっちの考え方もありますか。ウォー・ギルトは非道な植民地政策をしていた欧米列強が日本をスケープゴートにするために、悪役を押しつけたんじゃないかなぁとも・・・これからも勉強してみます。 編集されてしまいましたが、アドバイスもありがとうございました。