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南太平洋海戦後のガ島を巡る戦い(IF)
南太平洋海戦 昭和17年10月26日 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%B5%B7%E6%88%A6 の終了時点で、太平洋で健在な大型空母は日本が瑞鶴、隼鷹の2隻、アメリカはゼロとなったようです。 そのしばらく後で、ガダルカナル島への重要輸送船団が着くか着かないかを巡って戦われた 第三次ソロモン海戦 11月12日~15日 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%89%E6%AC%A1%E3%82%BD%E3%83%AD%E3%83%A2%E3%83%B3%E6%B5%B7%E6%88%A6 で、日本は「機動部隊の援護なく」輸送船団をガ島に向かわせると共に、比叡・霧島を基幹とした水上艦隊のみでガ島の米軍飛行場潰しを策し、夜戦で戦艦2隻を失い、輸送は失敗に終わりました。日本側の大敗と言えるでしょう。 出典ははっきり記憶しませんが、南太平洋海戦の前か後かに角田少将が、連合艦隊に 「戦艦による飛行場砲撃は昼間になってからも継続して行うべきだ。昼間になれば目標が見えるのでより的確な陸上砲撃が可能。上空は隼鷹が戦闘機で守る」 という意見具申を行い、採用されなかったという話があります。 また、角田少将が 「大和・武蔵はともかく、長門や陸奥はなぜガ島海域に出動しないのか」 と連合艦隊の参謀に問い 「燃料が足りず、戦艦群を動かすに動かせない」 と返答されたという話も、同じ本に書いてあったように思います。(奥宮正武「ミッドウェー」の記述だったようにも思います) 南太平洋海戦でアメリカの機動部隊の勢力が後退した後であれば、思いっきり後知恵ではありますが、下記のような作戦が取れたように思います。 1. 連合艦隊の総力を挙げてガ島海域に進出。(燃料の問題はとりあえず無視します) 2. 大和・武蔵・長門・陸奥を基幹とする部隊は、敵の新型戦艦の出現に備えて徹甲弾を装備してガ島近海で待機。この時点でアメリカの新型戦艦は「数隻」が南太平洋にいたようですが、大和・武蔵・長門・陸奥の4隻(18インチ砲18門、16インチ砲16門)があれば余裕を持って迎撃できるはずです。 3. 瑞鶴と隼鷹の2隻の空母は、戦闘機のみを積んで防空に当たる。戦闘機は固有の零戦に加えて、修理中の空母の零戦、ラバウルにいる零戦のうち空母着艦可能な機を加えて定数を満たす。 4. この時点では4隻全て使える高速戦艦基幹の部隊でまず夜間飛行場砲撃を行い、敵飛行場をあらかた破壊する。これに成功した段階で高速戦艦はラバウルに下げて良い。 5. 夜明けまでに、より砲撃力の強い扶桑・山城・伊勢・日向(14インチ砲48門)基幹の部隊をガ島沖合いに進出させ、目視による照準で飛行場を徹底して破壊する。重巡の20センチ砲も陸上砲撃に加わる。 6. ガ島沖の日本艦隊の上空は瑞鶴と隼鷹に目一杯積んだ戦闘機でカバーし、飛行場から発進する生き残りの米軍航空機は叩き落す。戦艦や巡洋艦の水上偵察機で索敵を行い、アメリカ艦隊の所在を探る。アメリカ水上艦隊が進撃してくれば、大和・武蔵・長門・陸奥を基幹とする部隊で迎え撃つ。 7.ラバウルからガ島上空まで飛んでくる零戦のうち空母に着艦可能な機体は、ラバウルに戻さずにガ島沖の瑞鶴・隼鷹に着艦させ、燃料や弾薬を補給し、休養させるなり再度出撃させるなりする。日本艦隊上空の防御がより厚くなる。 8. ガ島上空の制空権を完全に米軍から奪ったことになるので、輸送船の安全はもとより、沖合いの扶桑・山城・伊勢・日向並びに重巡が米軍陣地を砲撃して甚大な効果を挙げられる。 となり「ガ島の米軍を一日で壊滅させる」ことも可能だったかもしれません。大東亜戦争後期に日本軍が守備する島が次々に米軍に占領されていった状況を考えても「日本に完全に制空権を奪われ、沖合いに居座った日本艦隊から絶え間なく艦砲射撃を受ける。自軍の救援は期待できない」となれば「ガ島の米軍が降伏する」こともあり得たでしょう。 現実にはそのような作戦は取られず、第三次ソロモン海戦での敗北後はガ島への輸送もままならなくなり「飢島」となってしまったわけですが、上記のような作戦は物理的に実行可能だったのでしょうか? 「トラックに貯蔵された重油は***に過ぎず、『連合艦隊の総力を挙げてのガ島進撃』は夢物語」 「南太平洋海戦の終了時点で、空母着艦可能な零戦は***機に過ぎず、瑞鶴と隼鷹を一杯にするのは無理」 「第三次ソロモン海戦に出撃した比叡・霧島以外の戦艦はあらかた内地におり、直ちに動けない状況」 「陸上砲撃に適した36センチ三式弾、36センチ榴弾の在庫は***に過ぎず、ガ島沖でタマ切れを起こしてしまう」 「米海軍が南太平洋に進出させていた戦艦は旧型戦艦も含め10隻以上で、大和・武蔵・長門・陸奥の4隻であしらえたかどうか怪しい」 といったこともありそうですが、識者のご教示をお待ちします。
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角田少将が戦艦部隊による夜間砲撃を昼間も継続させ、自分の空母部隊がその援護に出ると意見具申したのは、第三次ソロモン海戦前です。 ただ、この時、少将は「敵空母がいない今・・・」とも言っています。 きっと、連合艦隊司令部ではそういう敵戦力の評価・判断が成されていたのでしょうが、第三次ソロモン海戦では、エンタープライズが出撃してきています。ですから、その判断は甘かったと言えるでしょうし、実際に角田少将の作戦が実行されていれば、アメリカの空母の分だけ計画に狂いが生じてきたでしょう。 いずれにせよ、まずは高速戦艦部隊による夜間のガ島砲撃で敵航空戦力を減殺できるかどうかが問題だと思います。 質問者様の質問の4.のところでも、「まず夜間飛行場砲撃を行い敵飛行場をあらかた破壊する」と書いておられますが、これが問題でしょう。 実際、第三次ソロモン海戦で比叡と霧島はアメリカ水上艦艦隊と戦闘となり、砲撃に失敗しています。12日に失敗し比叡を失い、14日も失敗し霧島を失いました。 ただ13日に行われた巡洋艦、鈴谷と摩耶が行った砲撃作戦は成功し、この攻撃と日本軍輸送艦隊の南下中との報告が、ルーズベルト大統領に届けられた時は、大統領もガ島からの撤退を覚悟したそうですが。 ですから、高速戦艦4隻を投入してそれが成功するか、どうかでしょう。成功すればいいですが、下手をしたら敵水上艦隊と砲撃戦になり飛行場への砲撃は失敗し大損害を受けるかもしれません。 勝負は時の運です。必ず日本の戦艦部隊が砲撃戦で優位に立てるという保障はありません。比叡は敵戦艦に沈められた訳ではありません。交戦した中に戦艦はおらず敵は巡洋艦と駆逐艦でしたが、その砲撃で致命打を受けました。 「瑞鶴と準鷹を攻撃できるのはどこの飛行機?」という事についでですが、エスピリッツサント島のB17の部隊があげられます。 実際、第三次ソロモン海戦でガ島に向かった日本の輸送艦隊をこの部隊が攻撃しています。 また、エファテ島とニューカレドニアのヌーメア基地からもB17は充分に戦闘行動半径内です。 B17の強力な防御武装と防弾性は零戦を悩ませていますし、高度8000から進入してくる場合には殆どお手上げ状態です。 命中率は落ちますが、高高度からの水平爆撃による艦隊攻撃を波状的に行えば、日本軍は相当悩まされた事になったでしょう。昼間の戦艦部隊によるガ島砲撃も充分に行えるかどうかわかりません。 たとえガ島を日本軍が占領したとしても、B17の部隊に飛行場を爆撃され続ければ再建はなかなかできず使えない事になるかもしれません。 しかも、エスピリッツサント島もエファテ島もニューカレドニアも、ラバウルの攻撃部隊の行動範囲の大幅な外側にあります。 攻撃するなら空母部隊を出すか、ガ島の飛行場を使えるようにしなければなりません。 また、この第三次ソロモン海戦が行われた11月から、アメリカはP38戦闘機の部隊配備を南太平洋で始めています。この航続距離の長い戦闘機ならエスピリッツサント島からでもガ島は充分に戦闘行動範囲内です。 つまりB17の援護ができるし、B17は高高度からの爆撃だけでなく、攻撃方法に幅が出来ます。 それに、空からの支援があれば、ガ島のアメリカ軍守備隊もそうは簡単に降伏しないのではないかとも思いますし、ガ島の保持を諦めるにしても、まずは撤退の方向に動くでしょう。 いずれにせよ、ガ島を完全に占領できたとしても、エスピリッツサント島、エファテ島などのアメリカ航空部隊との消耗戦は避けられないでしょうし、艦隊がガ島付近にいれば、空襲の危険に晒されるでしょう。 日本軍は第三次ソロモン海戦のあった11月に300機以上の飛行機と200人以上の搭乗員を失っています。海戦では準鷹が出撃していますが、この時、主力となったのは基地航空隊でしたし全力出撃しています。 結果的には失敗しますが輸送船団や戦艦部隊の援護も行っています。 これに瑞鶴を出撃させ、その飛行隊、戦闘機部隊を増強したとしても果たして成功したかどうか・・・質問者様のプランを行ったとしても成功するかどうかは微妙だと思います。
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- DieMeute
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NO.8です。 第三次ソロモン海戦における金剛、榛名、隼鷹の位置はNO.10さんの回答の通りです。 それをもう少し補足すれば、11月9日にトラック島から比叡、霧島を含むガ島砲撃部隊と、本隊として金剛、榛名、隼鷹、巡洋艦の愛宕、高雄、利根、川内、他駆逐艦部隊が一緒に出撃します。 その後、12日に比叡、霧島のガ島砲撃部隊は本隊から分離してガ島を目指して南下し、本隊はイサベル島北方海域を遊弋しつつ、ガ島砲撃部隊の援護に入っています。 なお隼鷹の零戦部隊は、アメリカ艦隊との交戦により、舵に損傷を受けて夜が明けてもサボ島近くから退避できない比叡の上空援護にもあたっています。 佐藤和正氏著書で講談社から1988年に出版された「太平洋海戦2激闘編」や、1995年に学研から出版された歴史群像の「太平洋戦史シリーズ6死闘ガダルカナル」の中の「比叡、霧島ソロモン海に沈む」(亀井宏氏著)の記事には、金剛、榛名、隼鷹などの部隊の行動について上記のような事が書かれています。 空母瑞鶴は当時、内地にいました。11月4日にトラックを出航し、11月9日に呉に帰港しています。そして年内は内地にいました。 戦艦伊勢、日向、山城も内地にいました。扶桑を含め、これら4艦は第一艦隊の第二戦隊を構成しており、この戦隊は当時、新兵の訓練や本土近海の防衛を担当していました。 ただ、日向と伊勢については既に航空戦艦への改装が決定しており、伊勢は12月には改装に入り、翌年には日向も改装に入ります。 改装後は伊勢と日向は第二戦隊の所属を離れ、第四航空戦隊の所属となります。
お礼
No.10さんのご回答と合わせてお礼をさせていただきます。 わざわざ資料をご覧になって、南太平洋海戦後の各艦の所在を確認して頂きありがとうございます。 史実を見ますと、ガ島海域の作戦に出動できる戦艦は大和・陸奥と高速戦艦4隻、大型空母は隼鷹のみとなるようですね。 第三次ソロモン海戦を語る際に表に出てこない 「本隊として金剛、榛名、隼鷹、巡洋艦の愛宕、高雄、利根、川内、他駆逐艦部隊」 については今回のNo11さん他のご回答で初めて知りました。ありがとうございました。 長門、扶桑、山城、伊勢、日向は内地におり、戦闘に即応できる体勢ではなかったでしょうから、いきなりガ島に出撃しろと言っても無理でしょうね。就役から2ヶ月しか経っていない武蔵はそれ以上です。 そして、伊勢と日向は、膨大な資材と工数を消費して戦艦としての能力を下げただけの航空戦艦改造が「17年秋の段階」で確定していたとのこと、史実ながら何とも侘しい話です。 これにて質問を締め切らせていただきます。諸賢のご教示に感謝いたします!
- tande
- ベストアンサー率12% (22/179)
>残りの伊勢、日向、山城と第三次ソロモン海戦に参加しなかった金剛・榛名はどこにいたのでしょう? 金剛・榛名 ガダルカナル北東海域において航空部隊の警戒支援 隼鷹 航空部隊として挺身隊攻撃支援。11月12日~15日において挺身隊及び4戦隊の上空直援、ガダルカナル島へ偵察制空を実行。 12日、14日に敵艦と撃ち合っていないので第三次ソロモン海戦に参加したかといえばしてないになりますが、ガダルカナル近海で任務を行っていることは確かです。 http://en.wikipedia.org/wiki/Japanese_aircraft_carrier_Juny%C5%8D In mid-November 1942, she played a covering role in the three-day-long Naval Battle of Guadalcanal. と書かれているように隼鷹は出撃しているのです。
お礼
ご回答有難うございました。 No.11へのお礼欄にコメントさせて頂きます。
- toro321
- ベストアンサー率29% (1222/4138)
このIFについては、いろいろな方が書いてますよね。 決戦があると読んだ大本営海軍部と、連合艦隊参謀が、主力艦の出し惜しみをして、結局無駄な使い方であれだけあった艦艇を失うに至る。 どうも残念ですよね。 ミッドウエーでも、大和以下の主力艦が空母を取り巻いていれば、4隻も失うことになったかどうか微妙ですしね。 第一次ソロモン海戦で、三川中将が輸送船を攻撃してたら・・・。 問題の第三次ソロモン海戦で、レーダーがあれば・・・ 問題は、全艦の出動が可能であったかどうかですが、微妙でしょう。 ただ、勝つためには、大和と武蔵(就航間もなくなので不安はありますが)か、陸奥の2艦を連れて行けば勝てたと思いますよ。 陸上砲撃ですが、飛行場ばかりを狙ってたようなので、大和みたいな大口径なら、相手の防御陣地も破壊できたと思います。36センチ砲に比べて48cm砲は倍以上の威力がありますからね。 この2隻を出し惜しみしたのは、米軍が、新鋭の戦艦を出動させ、空母を修理しながら応援に出したのとは、雲泥の差ですよね。 ガダルカナルを占領し、制空権を確保できれば、ポートモレスビーへの米軍の補給線が脅かされますから、少なくともニューギニアの悲劇はなかったこといなるでしょうね。
お礼
ご回答有難うございます。 全てを知った後世の立場から見ると「陸軍のみでなく、海軍もガ島戦に兵力の逐次投入の愚を犯していた」と見えますよね。 アグレッシブに戦力を投入してくるアメリカに対し、日本側の腰の引けた戦い方が後世から見ると歯がゆいです。アメリカ側には闘志に満ちた指揮官がそろっているのに、日本側はハンモックナンバーに縛られて活躍するべき人材が別なことをやっているのもこういう局面では大きく響いてきます。 昭和19年にレイテ湾に特攻を命じるなら、日本側の戦力が充実していたこの時期に全力でガ島海域に突入して欲しいですよね。大和の18インチ砲で陸上を射撃するかどうかは別として、大和+陸奥のニ隻で、サウスダコタ+ワシントンのアメリカ戦艦相手に有利に戦えたはずです。 史実では、この2隻はトラックで眠っていたわけですが。 第三次ソロモン海戦の第1戦にしても、敵水上艦隊の迎撃を予期して、大和・陸奥が徹甲弾を用意して陸上砲撃部隊の後ろに控えていれば、迎え撃つアメリカ艦隊を全滅させることは容易だったと思われます。
- jkpawapuro
- ベストアンサー率26% (817/3046)
史実では「撤退の意思決定も全力投入の意思決定も出来ず、ズルズル出血を続ける」 そのとおりですよ。私が言いたかったのは、全力投入の意思決定は、撤退の意思決定より難しいと言うことです。 この作戦を実行したとすると「瑞鶴・隼鷹を攻撃できるのはどこの飛行機?」 現実には無いですよ。ただ当時の日本軍にはわからないということです。
お礼
再度のご回答有難うございます。 当時の日本海軍が「南太平洋海戦の結果、アメリカの可動空母がなくなった」状況を果たして諜報活動で掴んでいたのかどうかですね。この点は解説した本を読んだことがありません。 「全力出動も撤退も意思決定できなかった」というのは確かにその通りでしょう。米海軍のハルゼー、日本海軍の山口多聞や角田覚治のような果敢な指揮官が連合艦隊を指揮していれば別だったでしょうが、IFにIFを積み重ねる話ですね。
- tande
- ベストアンサー率12% (22/179)
いい加減な事いってすみません。 ラバウル及びブイン基地からの飛鷹航空隊が出撃しただけで空母「飛鷹」は出撃していませんよね。 レス汚しで申し訳ない。 私の書き込みは無視して頂けたら幸いです。
- tande
- ベストアンサー率12% (22/179)
これも回答とはちょっと違うんですがアレですが、下で書き忘れたことということで。 >上空は隼鷹が戦闘機で守る それ実施しています。 意見具申の話は存じませんが、実施したということは採用されたんでしょう。
- tande
- ベストアンサー率12% (22/179)
回答じゃないのでちょっと気が引けるんですが。 >で、日本は「機動部隊の援護なく」輸送船団をガ島に向かわせると共に、比叡・霧島を基幹とした水上艦隊のみでガ島の米軍飛行場潰しを策し、 第三次ソロモン海戦前後において、隼鷹及び飛鷹はガダルカナル近海で作戦行動を行っています。 援護してます。
- k16399638
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拝読しましたが、それだけのことができる日本軍だったら、誰かが 「ニューギニア全島の完全占領しようよ。ポートモレスビー再チャレンジ」 と、言いそうな気もしてきました。その方が地図をみるといいような気がしますが。 ・戦艦は空母より強靱ですが、いったん損害をだすと図体もでかいので手に負えないことになります。外地での修理能力が日本は低いので、アメリカ側が戦艦を配備し出した場合、対抗するだけの隻数を割り込むことは避けたいのではないでしょうか。 ・さらに日本側がレーダーを持っていても、肝心の戦闘機とのコミュニケーション手段が貧弱に過ぎます。 ・戦闘機空母はいいのですが、戦闘機の損耗次第では事後の作戦全般に悪影響がでます。米軍より補充がききません。 ・ガ島を占領しても、海軍なり陸軍の基地航空隊がそこに速やかに進出して、米豪連絡線遮断任務につけるかどうか、極めて疑問です。守備隊の問題もあるでしょう。 ・米軍はガ島から後退しても、エスピリッツサントという策源に行くだけです。日本側は伸びた補給ラインを維持するコンヴォイの負担がふえます。アメリカの潜水艦が猛威を振るいはじめるのがこの時期なので、別の意味で飢島になりかねません。 ・潜水艦にしばらくまかせておけば、放っておいても日本側は損耗します。さらに、今度はアメリカ側が日本のやりかたを手本に、ルンガ飛行場を艦砲射撃する可能性もあります。 ・空母の戦場滞在能力は高くありません。航空機用油脂、弾薬等が消耗したら、制空権も何もなくなります。 ・トラックには3万トンの重油貯蔵能力、4000トンの航空油脂貯蔵能力がありますが、このころは定数に達してなく、この作戦をやると以後の艦隊行動に重大な支障が出ると思います。 ・で、結局ウォッチ・タワー作戦がいくらか遅くはじまるだけで、オチは同じようなことになると思いますが。 で、やはりニューギニア全島占領のほうが……
お礼
ご回答有難うございます。 「トラックには3万トンの重油貯蔵能力、4000トンの航空油脂貯蔵能力がありますが、このころは定数に達してなく、この作戦をやると以後の艦隊行動に重大な支障が出ると思います」 調べてみますと、戦艦の重油搭載量は6千トン前後のようですね。すると、トラックにある3万トン未満の重油を全て使っても、戦艦4隻を満タンにするのが限度のようです。連合艦隊参謀が角田少将に言ったという「燃料がなくて戦艦を出せない」という言葉が理解できます。 史実では、第三次ソロモン海戦では比叡・霧島の2戦艦と重巡6隻、軽巡2隻、駆逐艦多数を送り出したわけですが、これでトラックの重油をあらかた使ってしまいそうです。 内地から扶桑型2隻を呼び寄せ、トラックにいた?伊勢型2隻と共に三式弾と零式弾を満載させ、戦艦12隻でガ島海域に向かうにはそれだけで重油が10万トン以上要りそうですね。「トラックには3万トンもない」という現実ではどうにもなりません。 ご回答の趣旨は「そこまでやってガ島を再占領したとしても大きな意味はない」ということのようで、確かにそうかもしれません。 1943年になってから、アメリカが大機動部隊と戦艦部隊を持ってきて、ガ島を再奪回するだけかもしれません。 ただ、もし私が示したような作戦が実施され、ガ島に上陸した米軍精鋭部隊数万が降伏する(そっくり消える)事態となれば、アメリカに厭戦気分をもたらす効果はかなり見込めたのではないでしょうか。「IFの作戦で勝ったらどうなるか」検討しても意味のないことですが。
補足
史実では、アメリカの潜水艦に輸送船をバカスカ沈められ、航空戦力もガタ落ちになった1944年にサイパン沖とレイテ沖で連合艦隊を全力出動させているわけですよね。いずれにおいても、艦隊の大部を重油を入手しやすいボルネオ島のタウイタウイとブルネイから出撃していますが、この時は全艦隊を満タンにする重油を何とか都合したわけです。 1944年にはアメリカと日本の戦力差はお話にならないほど開いており、全力出動した連合艦隊が惨敗したのは皆さんご承知の通りです。 アメリカとの戦力差がほとんどなかった1942年にラバウルに重油を集積して「連合艦隊の全力投入」をやって欲しかったものですが、スマトラやボルネオからトラック・ラバウルに重油を運ぶタンカーが既に不足していたのでしょうか。 No7さんが言われるように「全力投入の意思決定は撤退の意思決定より難しい」ということもあったでしょうが「燃料がないからトラックの戦艦群は動かせない」というのが現実だったのでしょうか。
- jkpawapuro
- ベストアンサー率26% (817/3046)
まず基本的に、当時直掩と言うのが事実上不可能でした。爆撃機の場合相手の侵入高度に待ち構えないと、迎撃は不可能でした。 雷撃機の場合、海面まで降りないと迎撃できません。 それでは、もしその後爆撃機がきたら、迎撃は間に合いません。 隙間なく迎撃体制を敷くなら各高度に戦闘機をばら撒かないといけません。敵機の直掩機だけで五倍は必要でしょう。 瑞鶴・隼鷹にめいいっぱいゼロ戦積んだところで、カバーできるのは燃料が持つ間だけです。あと、全力出撃とその収容となると、それだけで空母甲板はてんやわんやで、とてもラバウル機の世話はできません。 よってその作戦では、未確認空母(実際にはいませんが)やサンクリストバルあたりから敵機に攻撃を受けると、大ダメージとなります。全艦隊を犠牲にしかねない作戦は、いささか無理があります。 米軍が南太平洋で運用できた戦艦はワシントン・サウスダコタの二隻、確か扶桑・山城あたりは内地だと思いますが、残りの戦力でもその作戦は決行可能でしょう。 ただガ島のとりあいごときで海軍のほぼ全軍を犠牲にするような作戦は取れません。 ミッドウェーは、敵の虎の子の空母を一挙に退治や、ハワイに圧力をかけることを見越しての作戦です。博打も打てます。 でもガ島に日本軍が殺到したからといって、ミッドウェーのように米海軍が全力ででてくるともかまいませんし、ガ島ごときに博打は打てません。 なお、戦艦と言えど丸一日全力で走ればガス欠ですし、随伴艦は半日です。そしてこれらの艦隊の半分も補給するタンカーも無いです。 浅学にしてトラックに貯蔵された重油量を知りませんが、タンカーのほうが問題は大きいように思えます。
お礼
ご回答有難うございます。 実際問題として、日本海軍はガ島戦で大量の航空機とパイロット、輸送船、比叡と霧島をはじめとする多数の軍艦を失っています。 詳しい数字は失念しましたが、ガ島撤退までの間に失われた航空機と搭乗員の数は「開戦時に日本海軍が持っていた数と同じ」程度であったと記憶しています。 第三次ソロモン海戦以降の「押されっぱなし」の状況になってからは、大量の駆逐艦と潜水艦を失っています。輸送船の莫大な損害、陸軍の大きな犠牲はもちろんです。 正直「ガ島戦は日本の自殺行為であった」と思いますが、ガ島の戦いを続けるのであれば、角田少将が意見具申したような「連合艦隊の全力を投入する」覚悟が必要だったでしょう。史実では「撤退の意思決定も全力投入の意思決定も出来ず、ズルズル出血を続ける」最低の結果となったわけですが。 サンクリストバル島に米軍の飛行場があったのでしょうか。ガダルカナル島から至近距離ですから、ここから来る飛行機に対する警戒は必要ですね。また、日本側が「新たな空母が回航されてきている/エンタープライズが修理されて出撃してくる」ことを警戒するのは当然ですが、これについては、多数の戦艦や巡洋艦の水上偵察機で偵察することで不意打ちを防げると思われます。この時点では、日本側も対空レーダーをかなり活用していますし。 戦闘機による迎撃ですが、戦闘機の数が十分であれば何とかなったのではないか、と思われます。ガ島沖の戦艦が砲撃を継続している以上、ガ島から飛び立てる残存機はほとんどないでしょうし、No1さんへのお礼にも書きましたが、戦艦は空母より遥かに強靭です。むしろ、ガ島からある程度距離を置いて、広い海面で艦隊防空に当たる瑞鶴・隼鷹を敵から守ることがより重要だったのでは。ただし、この作戦を実行したとすると「瑞鶴・隼鷹を攻撃できるのはどこの飛行機?」となりそうです。 ガ島上空を零戦が乱舞し、14インチ砲弾・8インチ砲弾が陣地で次々に炸裂する状況となれば、アメリカ陸上部隊は身の置き所もなくなります。IFとしては実に痛快ですが… やはり問題は、連合艦隊参謀が言ったように「燃料」でしょうか。トラックにどの程度の燃料が備蓄されていたのか、南方油田からトラックやラバウルに重油を運ぶタンカーが既に足りなくなっていたのかどうか、識者の方のご教示を引き続きお待ちします。
- eroero1919
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ええと、まず軍隊というのはある意味お役所の権化ともいうべき組織であり、特に日本軍というのは海軍も陸軍も「柔軟な運用」というのが極めて苦手な組織だったんですね。それは現代日本も変わっておらず、例えば事故米みたいな問題に農林水産省と厚生労働省が共同して対処するなんてことは不可能なわけです。 つまり、そもそも「空母に戦闘機だけ」という運用が非現実的で不可能であるといえると思います。空母に着艦するというのは大変な訓練が必要で、「お前、ベテランパイロットだから着艦できるだろ」なんていうわけにはいきません。ましてや、空戦をして疲労困憊した状況で無理やり着艦しようものなら事故続出で、日本軍機は米軍機に比べて作りが繊細なのでちょっとした事故でもパイロットの命が失われる可能性は高いといえます。 また、現実問題として実は日本軍の防空能力というのは(我々日本人の希望より)低いのです。特に大馬力エンジンを持つドーントレス急降下爆撃機に対してゼロ戦は意外に非力で、例えばミッドウェー海戦では1機も阻止することができませんでした。また無線機が全く使い物にならなかったので、上空の護衛機を誘導することも不可能で、「パイロットが気づかなければ護衛機がいても奇襲される」という事態になります。それはある程度当時の指揮官も把握していたと思います(使える無線機が作れないので対策方法がない)。 ついでに、ガ島周辺海域というのは入り組んでいて浅瀬も多く、大型戦艦が機動する余地がありません。金剛と榛名が最初の夜間砲撃をしたとき、艦隊は一度砲撃を加えただけで反転攻撃していません。なぜかというと、予定航路は入り組んでおり夜間にごちゃごちゃ動いたら接触したり座礁する危険もありました。 狭い海域を小回りのきかない戦艦がウロついた場合、万が一潜水艦の待ち伏せを受けたらひとたまりもありません(米軍側は迎え撃つ立場なので待ち伏せができる)。また魚雷艇による奇襲も警戒する必要があります。海域が狭いので駆逐艦が護衛するだけに充分な広さもありません。 また日本軍には後に米軍がノルマンディーや太平洋諸島で見せたような「地上部隊を目標とした砲撃」という思想は皆無でした。ガ島で見せた砲撃は全てヘンダーソン飛行場に対するものであり、しかも最初の砲撃で大損害を受けたヘンダーソン飛行場も実はたった半日で稼働可能になっており、仮に再三飛行場を砲撃したところで米軍の工作能力を考えると半日~数日で航空基地としての能力が再稼働してしまう、と考えるのが自然です。実際問題、ヘンダーソン基地の航空機は迎え撃つ強さから1日何度も出撃して日本軍船団に対して大きな損害を与えています。 米軍地上部隊への砲撃が不可能(やるためには海軍と陸軍との間で緊密な連絡が不可欠で日本軍が最もできない行為)である以上、いくら大型戦艦を投入しても海兵隊を壊滅させることはほぼ不可能(米軍が降伏したくなりそうなほど長期間制海権を確保することがほぼ不能)である以上、史実以上の戦果を与えることは極めて難しいでしょう。 個人的意見ですが、ガ島をめぐる戦いで最も賢明な判断は、一木支隊が壊滅した時点でガ島奪回を諦めることだったと思います。ガ島に上陸した時点で、米軍の兵力は10000ほどあり(後に約20000の兵力になった)、4000程度だった川口支隊でどうする相手でもありませんでした。
お礼
長文のご回答有難うございます。ただ、いくつか私の考えを申しますと 「ガ島海域では大型戦艦が機動する余地がない」 →米軍は、第三次ソロモン海戦で「ガ島海域」での「夜戦」にサウスダコタとワシントンを参加させています。夜が明けて昼間航行となれば戦艦の機動に支障はないでしょう。 「米軍地上部隊への砲撃が不可能(やるためには海軍と陸軍との間で緊密な連絡が不可欠で日本軍が最もできない行為)」 →2度に渡るガ島飛行場砲撃は、陸軍を支援するもので、当然陸軍と緊密に連絡して行ったものです。 海軍が「連合艦隊の全力を投入してガ島上空の制空権を確保し、昼間にガ島沖に戦艦4隻を居座らせて徹底砲撃して戦局を挽回する」と提案すれば陸軍は狂気し、可能な限り協力したでしょう。 また、角田少将の意見具申にもありましたが、昼間になれば目標の把握や弾着観測が容易になり、砲撃効果がぐっと上がります。 「現実問題として実は日本軍の防空能力というのは(我々日本人の希望より)低いのです」 →ミッドウェーでは、機動部隊の上空を守っていた零戦は僅か8機だったと言われます。なお、日本の艦隊直衛戦闘機への意識の低さ、零戦の欠陥については兵頭二十八氏が「パールハーバーの真実」で指摘している通りですが、艦隊上空の直衛に数十機を回せ、かつ米軍飛行場は前夜の砲撃でボロボロであれば、米軍が僅かな飛行機を出して来ても掃討するのは容易でしょう。 そして、扶桑型、伊勢型の旧式戦艦であっても、防御力がないに等しい空母のように脆くはなく、急降下爆撃を跳ね返す防御は十分持っています。 「ラバウルから飛来する零戦がガ島沖の瑞鶴や隼鷹に着艦するのは困難」 →私もラバウルを基地としてガ島戦に参加していた零戦パイロットの技量を詳しく知りません。ただ、例えば坂井三郎氏もその一員だったわけで、ラバウルからガ島への往復飛行をこなす戦闘機搭乗員はそれなりの熟練者だったのでは? 「軍隊というのは役所の権化ともいうべき組織であり、特に日本軍は海軍も陸軍も「柔軟な運用」というのが極めて苦手だった」 →これは全く同感です。角田少将が提案した「ガ島沖居座り砲撃」は一顧もされずに却下されたようですので。 ただ、私としては「角田少将の大胆な提案は実行可能だったのだろうか?」と考えて質問した次第です。
お礼
詳細なご回答有難うございます。 「高速戦艦4隻を投入してそれ(ガ島飛行場の夜間砲撃)が成功するか、どうかでしょう。成功すればいいですが、下手をしたら敵水上艦隊と砲撃戦になり飛行場への砲撃は失敗し大損害を受けるかもしれません」 ご指摘の通りですね。アメリカにはワシントンとサウスダコタの2隻が少なくともいたわけですが、この2隻と日本の金剛型4隻が正面から徹甲弾で撃ち合ったとして、恐らく米軍の2隻の方が有利ではと思います。 第三次ソロモン海戦の第2戦で、ワシントンの16インチ砲によるレーダー射撃を受けた霧島は、瞬時に戦闘能力を喪失したようです。金剛型は、アメリカの16インチ砲新型戦艦とはマトモに戦えなかった可能性が高いですね。 この場合、史実に沿うとなると、金剛型4隻(比叡・霧島の2隻?)が飛行場砲撃隊として、大和と陸奥を基幹とした援護隊が並行して進撃していくとなるでしょう。水上偵察機やラバウルの陸攻による索敵が十分に出来るはずですから、敵の戦艦が動く様子があれば日没前に分かると思われます。その場合、金剛型4隻も弾丸を徹甲弾に換えて、 日本: 大和・陸奥・金剛型4隻(18インチ9門、16インチ8門、14インチ32門) アメリカ: ワシントン・サウスダコタ(16インチ18門) となります。これなら日本の方が圧倒的に有利になります。 アメリカ側も「日本艦隊は戦艦6隻。新型1隻、長門級1隻、金剛級4隻、その他多数。大型空母2隻を伴う」と知るわけですから、新型戦艦とはいえ2隻の戦艦で向かってくるかどうか? 史実の第三次ソロモン海戦(第1戦)では、米軍は「重巡2隻、軽巡3隻、駆逐艦8隻」の艦隊で、「戦艦2隻、軽巡1隻、駆逐艦20隻以上」の日本艦隊を迎え撃ったわけですので、新型戦艦2隻を持つ米軍がおめおめ引き下がるかどうか分かりませんが、IFの話ですのでこのくらいで。 ガ島海域で、ガ島飛行場の米軍機、アメリカ空母の艦載機に加え、主にエスピリッツサント島のB17、P38の脅威があるというご指摘は気がつきませんでした。水平防御が弱い扶桑型など、ガ島砲撃中に高空からB17の水平爆撃を受けて火薬庫に引火→轟沈ということもありえますね。零戦では高高度を飛ぶB17を撃墜するのが困難であったのはご指摘のとおりです。
補足
No9さんからご指摘がありましたが、武蔵はこの年の8月5日に就役したばかりで、史実ではトラックに進出したのは翌年の1942年の1月のようです。また、長門と扶桑も42年秋の段階では内地にいたようですね。3隻ともその気になればトラックに急速進出は可能でしょうが、1週間かかってトラックに着くくらいが関の山でしょうか。戦機を逃してしまいそうです。 特に武蔵は就役直後で戦力になったか怪しいですね。42年1月にトラックに進出した際も未完成の部分があり、工員が乗っていたそうですから、ビスマルクと戦ったP.o.ウェールズのようなものです。 ネットで少し調べた所では、大和と陸奥はトラックに確かにいたようですが、残りの伊勢、日向、山城と第三次ソロモン海戦に参加しなかった金剛・榛名はどこにいたのでしょう? また、隼鷹が第三次ソロモン海戦に参加したというお話もあるのですが、私の調べた資料では確認できませんでした。南太平洋海戦で飛行機隊を消耗したものの、軍艦自体は無傷の隼鷹と瑞鶴はどこにいたのでしょう?