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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:中国の日本の忍者への認識が???なんですが!?)

中国の日本の忍者への認識が???なんですが!?

g27anatoの回答

  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.6

少ない知識の範囲で、厳密に知ることは不可能なんですが、 中国では紀元前の古い時代から文明が存在して、各地の王族同士が覇権を争っていましたから、当然ながら諜報活動も盛んに行われていた筈です。 日本では源平の頃、中国では唐の時代か、それ以前に、 「忍び」に該当する諜報の仕事を職業とする者が渡来して、時の支配者に仕えただろうという説は確かに有ります。 その頃だと、武士とか貴族とか、他には商人とか職人とか、 職業として確立していたのは都会と呼べる地域くらいで、 あとは農村漁村など自給自足で生計を立てていた時代でしょう。 そんな時代ですから、支配者に雇われて来た渡来説も否定するには根拠も見つからず、妥当な説として受け容れざるをえません。 各地で武家や貴族の争いも発生していたでしょう。 そんな中で争いに負けた落人(おちうど)達の行き着く先は、人里から離れた山奥しか無かっただろうという事は想像に難くないでしょう。 …現代なら山里といったところかと思います。 そういう落人に係る歴史的言い伝えは、各地の山村地域に存在しますから多分間違ってないと思います。 落人や落ち武者の中には、雇われスパイ、つまり忍びの術を心得た渡来人も含まれていた可能性も否定できません。 なにせ何も無い山奥ですから、諜報を仕事とする忍びの生存技術や知識は、さぞかし重宝されたのではないでしょうか。 そのような生存技術を皆で共有することで狩猟や食料栽培などに活かし、集団の生活を維持したのだと考えられます。 勿論、その集団ごとに忍びの技術も独自に進化したことでしょう。 「忍びは中国人」というよりも、「忍びの技術は中国の諜報技術が起源」と捉えたほうが合ってるかと思います。 その技術を基に、山里に居を構えた落人達が「忍び」の里として生活に直結した「諜報技術」を進化させたと、そう考えたほうが合点がいくのではないでしょうか。 渡来人ばかりの集団が移動するのは、さすがに目立ちますし、 渡来人の集団が存在したという話も聞きません。 落人達が山奥まで逃げのびた中に、 共に戦で働き、忍びの基となる技術を持った移民が紛れていた。 …そう考えたほうが妥当性は高いと思います。 日本の弥生人は、朝鮮半島南部から逃げて来た落人が起源という説も有るようですし…。 中国の移民説は、そのような推測を都合よく発展させたものと考えれば、なんとなく理解できるのではないでしょうか。

yufy62
質問者

お礼

そうでしたか。 という事は、半分は的を得ているということなのかな。 教えてくれてありがとうございます。 回答ありがとうございます。

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