• 締切済み

鎌倉と室町の守護

jkpawapuroの回答

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (812/3033)
回答No.4

(1)鎌倉時代の守護→国内(現在で言うと県くらい)の軍事指揮官。国内の小領主である地頭を率いて戦争や犯罪者の追跡を指揮する。 室町時代の守護→前半は鎌倉時代と概ね一緒。領内の所領争いについての裁判権も追加。 14世紀後半になると、半済の権・半済令を獲得、領内の田畑の収穫の半分を徴収する権利を得る。 (2)上記の裁判権と半済の権を獲得することにより、守護が領内を実質的に支配する力を持ち、守護大名が領内の支配者となり戦国大名へと強大化していきます。 これはいくつかの戦国大名成立の大きな流れとなっています。 (3)これは難しいですねえ。いくつかの戦国大名の成立にはこの守護の強大化の流れがありますが、この流れに依らない戦国大名も少なくありません。戦国時代の到来は基本的には応仁の乱による幕府権威の失墜、それによる地方の無法地帯化が招いています。各地方で中央集権化が発生したことが戦国時代を起こしたと言えなくもないですが、私はあまり無理に関連付ける必要は感じません。守護(大名)も戦国時代の背景の一つ程度に考えたほうが良いのではないでしょうか?

noname#238475
質問者

お礼

ありがとうございました。 ご回答の内容について、さらに教えていただきたいことがあります。 「気が向いたら」で結構ですが、教えていただければ幸いです。 (1)国内の小領主である地頭を率いて戦争や犯罪者の追跡を指揮する。……守護と地頭との間には上下関係があったのでしょうか??? (2)半済の権・半済令を獲得、領内の田畑の収穫の半分を徴収する権利を得る。……この「権利」を得た背景は何でしょうか???この「背景」こそが、次の時代の到来を予見させる「もやもや」だったのではないか???という気がしているのですが。

関連するQ&A

  • 鎌倉幕府、室町幕府の直轄領

    江戸幕府の直轄領(天領)は400万石くらいあって、いかなる雄藩もはるかに上回るものでした。 それでは鎌倉幕府や室町幕府の直轄領はどのくらいあって、それは有力な御家人や守護大名 と比べてどれだけの規模だったのでしょうか? どの範囲までを直轄領とみなすかにもよりますし、江戸時代と鎌倉時代や室町時代では土地の制度も 政治制度も違うから、一概に比較は難しいかもしれませんが。

  • 戦国時代と室町時代の違い

    戦国時代と室町時代とは何が違うのでしょうか?  室町:戦争少ない   戦国:戦争多い  室町:幕府が強大   戦国:幕府が弱い  室町:守護大名    戦国:戦国大名 というように単純な図式で区別できるようにも思えません。 二つの時代は何が違うのでしょうか、何を持って異なる時代として区分しているのでしょうか。

  • 室町時代の国人の出自

    室町時代の「国人」についてです。これらは鎌倉時代の地頭、悪党がそのまま地元に根付いて、その出自の者たちが室町時代に国人といわれたということでしょうか?いきなり「国人」というのが登場して、それまでこれらは何をしていたのか、わからないのです。教えてください。

  • 室町時代に在京した守護大名が行った施策や政治

    室町時代に在京した守護大名が行った施策や政治には、どのようなものがあったのでしょうか? 内容と共に文献資料なども教えていただけると助かります。よろしくお願いします。

  • 鎌倉時代について詳しく知ってる人、教えて下さい。

    鎌倉時代について詳しく知ってる人、教えて下さい。 (1)源氏(源頼朝)と平氏(平清盛)が対立した「源平の内乱」はなぜおきたのか? また、両者のあいだでどのような戦いがくり広げられたのか? (2)鎌倉幕府を築いた源頼朝が御家人と結んだ支配関係についてまとめた文。 (3)以外の言葉の意味の説明する。 →「幕府」とは/「封建制度」とは/「守護」とは/「地頭」とは。 この3つを教えて下さい。

  • 鎌倉時代の女性の地位はどれくらいだったのでしょうか?

    「鎌倉時代は比較的女性の地位が高かった」と高校の日本史の先生が授業で言っていました。 証拠物件も残っています。 鎌倉時代には守護・地頭という役職が置かれていましたが、 守護もしくは地頭であることの証明書に「○○の母」などと、 女性の名前が記録されている物が歴史資料集に写真で載っていました。 女性の守護・地頭も存在したということです。 ですから、女性の地位はおそらく高めであったと判断できます。 しかし、時代が下るにつれて女性の地位は下がっていった。 ではどの辺の年代から下がり始めたんでしょうか? 歴史(女性史)に詳しい方、教えて下さい。

  • 室町時代の地頭についての本

    地頭が幕府や荘園領主などからの二重支配を受けていたことについて調べています。 それでなのですが 「室町時代、地頭が足利将軍家の威光を背景に守護使不入の特権を得て、守護からの段銭徴収を拒絶し、幕府からの段銭要求に対しても幕府への直接納付が認められて守護からの加重徴収の危険を免れた」 というような内容が書かれている本はないでしょうか? なるべく分かりやすく書かれていると有り難いです。 図書館で調べてみたのですが、自分の調べ方が悪かったのか、見つけることは出来ませんでした…。 どうかよろしくお願いします。

  • 江戸時代の鎌倉

    鎌倉幕府亡き後の鎌倉は、室町時代には少し政治色が残っていたようですが、江戸時代あたりの様子はどんなだったのでしょうか?

  • 戦国時代の北条早雲って鎌倉幕府の北条氏の子孫ですか?

    鎌倉幕府の北条氏は室町幕府に倒されたと思いますが、戦国時代に出てくる北条氏はどんな関係なのでしょうか? 子孫?親戚?無関係? どなたか教えてください。

  • 鎌倉・室町、戦国、江戸時代の天皇 権威はあったの?

    鎌倉・室町、江戸時代の天皇は権力がなく、室町時代や戦国時代は食べるものに困るほど貧窮した暮らしをしていたと思うですが、その時代には天皇の権威はあったのでしょうか? あったとすれば、それは祭司王としての権威でしょうか?過去に作られた神話をもとにした権威でしょうか?古代の神(同時に鬼としても)信仰があったのでしょうか?ピースメーカーとして機能していたの? 権威があったのならあの時代、貧窮しなかっただろうし、江戸時代も皇位継承を幕府に握られるようなことはなかったと思うのですが。。。 そこらへんを詳しく解説していただけると助かります。