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宗教懐疑派と葬儀。
私は神仏の存在が確認出来ないという理由で、全ての宗教・信仰と距離を置いていますが、それ故の悩みが出来ました。最近になって父が末期がんである事がわかり、不謹慎かもしれませんが、長男である私は遠くない将来に父の葬儀で喪主を務める事になりそうです。全ての宗教と距離を置き信仰を拒んでいる私でも、父の葬儀は宗教とは別物として関わるべきでしょうか?それとも父の葬儀といえど、憲法第20条第2項「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。」という条文を根拠に、宗教行為として避けるべきでしょうか?どうかご教授願います。
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まず、お父様の意思を優先する必要があるのですが、今は宗教的儀式のない火葬するだけの「直葬」も有ります。 また、葬儀するにしても本当の身内だけで行う家族葬であれば、喪主の役割は殆ど有りません。 先日、私も母の葬儀を家族葬で行い、喪主となりました。参列したのは故人から見て、子供と孫だけであったたま、喪主として何をしたと言う事は有りません(葬儀費用やお布施は負担していますが)。
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- oska2
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>全ての宗教・信仰と距離を置いています 日本人は、世界でも珍しい無宗教派ですよね。 要は、何でも良い。 「神道で生まれ+キリスト教で結婚+仏教で死ぬ」 今では、年中行事として神道・仏教・キリスト教行事が溢れています。 最近の、ハロウィンも旧キリスト教(ケルト人)の行事ですよね。 >私でも、父の葬儀は宗教とは別物として関わるべきでしょうか? これは、父親の考え次第です。 元気な頃の父親が「宗教行事をしていた」のなら、その宗教で葬儀を行う事です。 例えば、父親が法事に出かけていた。お盆・彼岸・命日に墓参りに行っていた場合。 仏教徒として、仏式の葬儀を行います。 質問者さまが無宗教・無信者でも、父親は宗教を信じていたかも知れませんよね。 葬儀は、喪主・遺族の為に行うものではありませんからね。 あくまで、主役は故人です。 父親が「葬儀は要らない」と言えば、無宗教で機械的に行う事も可能です。 >条文を根拠に、宗教行為として避けるべきでしょうか? これは、質問者さま次第ですね。 第三者が、決めるものではありません。 無宗教の人前結婚式が増えている様に、無宗教の葬儀が増えてくるのも現実です。 多くの寺院が赤字で、後継者不足も加えて「廃業」していますからね。 ただ・・・。 葬儀が終わって⇒火葬するまでは良いのですが・・・。 遺骨・位牌はどうします? 無宗教だと、お墓が不要です。位牌も不要。仏壇など祭壇も不要。 父親の親族・関係者が「近くに寄ったので、お線香でも」と訪問されたら・・・。 無宗教での葬儀は、簡単です。 が、後々の事を考慮すれば「父親の宗教に従う」事が良いと思いますね。 葬儀の主役は、故人ですから。
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- nagata2017
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無宗教の葬儀というのでいいと思います。 献花だけで 読経などはない 葬儀。 例 https://www.osohshiki.jp/column/article/136/
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- hue2011
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まず当人の意思を確認すべきです。死んだときどうしてほしいかです。 誰と誰と誰には知らせてくれ、という話があるはずです。 そうして葬式をしてほしいかどうか、が重要です。 あなたの思想はともかく、故人が最後に言い残した希望は叶えるべきだと考えます。 宗教上のことも含め、葬式がしてほしいか、そして骨になったとき先祖代々の墓に入れてほしいか、はいちばん聞いておくべきことです。 いざというときはそれにしたがって動かないといけませんから。 死というのはある瞬間にポッと蒸発していなくなるというものではありません。そこには遺体があり、処理して火葬する必要があり、火葬後は骨を拾い容器にいれなければならず、その骨壺を今後どうするかを決め、既存の墓があるならそこにいれるか、もしないのなら墓地を確保するか、というような検討が必要になります。 とにかくこれは「後始末」です。宗教者が絡むかどうかはべつとしてやらなければならないことです。 私の義兄は、もともと家自体が浄土真宗ですけどそれらのつきあいに交じりたくないという考えでキリスト教の受洗をうけました。つまりもはや門徒ではないのです。しかし、自分の父親が死んだときは、いままでつきあいのあった真宗の住職に葬儀をしてもらい、納骨までその方式でつなげました。 宗教上の理由がありますから、自分はもはや父親と同じ墓にははいらないでしょうけど、すくなくともけじめとして先代は先代のやりかたでみおくったのです。
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- kaitara1
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ご兄弟にご自分の考えを話して喪主を引き受けない。経費は応分に負担する条件が重要です。また○○家の墓があるならば、墓をだれが引き継ぐかも、もっと大きな問題になります。私は代々の遺骨を同じ寺にある共同墓碑のほうへ移し自分も家内もこの墓碑に入ることを子供に行ってあります。
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- qwe2010
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昨日、親戚の葬儀に参加してきました。 亡き人の、親戚一同、葬儀は、初めてで何も知りません。 喪主を含め、皆の考えは、亡くなれば、葬儀をするのが常識であるとの考えがあるだけです。 日本人は、幼い時から、一つの宗教を信じるとする、教育を受けてきていません。 生活の中に、宗教の考え、それに関する行動が取り入れられているだけなのです。 お盆、正月には、お墓に参り。 年間を通して、祭り行事、お正月の、宮参り、子供が生まれたら、丈夫で元気な子に育ってほしいと思い、お宮さんでお祈りをします。 宗教には良い教えがあり、悪いことをしてはいけません。 良いことをしながら、みんなとともに、神とともに暮らしていきましょう。 又、人が亡くなれば、神になり、仏になると、されています。 日本には、天皇がいます、 この人には、お仕事があります、ただ単に国民の税金で暮らしているのではありません。 国民全員の、幸せを祈り、又、全世界の人類の平和と幸せのために、神のしもべとして、年間の行事を執り行っているのです。 つまり、信仰心はないけど、その考えと、行動はみんなの心の中にねずいています。 お父様の、葬儀を行わない行為は、 あなたのお母様、兄弟、おい、姪等、親戚全員の心を不安にする行為なのです。 つまり、親戚全員の心を傷つけますので、批判され対立が生まれます、 対立することは、戦いです。 避けたい行為です。 私も、妻も、信仰心はありませんが、葬儀は行います、 でも、墓などは、子供たちに負担になるから、いらないね、と話し合っています。 宗教行為を、するのかしないのかは、話し合って決めたらいいと思います。 あなたが、喪主にならなくてもいのですから。 次男三男が、喪主になることも多いです。
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- nekosuke16
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深く考え過ぎですね。 日本の葬式仏教など、宗教の名を借りた仏教風の慣習でしかないでしょう。 ただ、そこには間違いなく仏教的な色彩や、長く風習として行われてきた独特の作法やしきたりがあるのかもしれない。 しかし、葬式を宗教の一環と考える人など、現実にはいないのであって、貴方が喪主を務めて無事葬儀が終わったならば、お寺なり会場を出た瞬間に元の現実に戻るだけのこと。 葬式は宗教的な儀礼ではあるけれども、所謂、信心を伴う宗教ではないということだと思いますよ。
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貴重なご意見に感謝致します。「家族葬」は大変参考になりました。