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「永遠の命を得ると必ず後悔する」とは?
- ドラえもんの「もしもBOX」やXファイルというドラマのエピソード、ファイナルファンタジー3など、永遠の命を持つと後悔するという話が存在します。
- 「なんでも3つだけ願いを叶えてくれる」という能力を持つ存在が登場し、人間の欲望や我欲によって願いが叶えられるものの、結果的に不幸になってしまうというパターンが描かれます。
- それに対して、人間の一生は限られた期間があり、その限られた時間を大切に生きることの素晴らしさが描かれています。永遠の命を求めることで失われるものや、一生の中にある喜びや成長といった要素が強調されています。
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親兄弟、妻、恋人、心から親しい友人知人、その人達が亡くなって行く事を貴方は何度経験した事がありますか、 おかしな歌ではありませんが「俺より先に死ぬな」なんて言葉もありました、 そんな事を何度も経験すれば鬱病にもなります、 精神科の先生から「悲しみは堪えていたらだめだ、思いっきり悲しみ涙を流し悲しみつくせ」と言われました 母親の死でもなく、妻の死でもありませんでした、幼友達が死んで葬儀が終わった後眠れなくなり食事も出来なく酒どころか、水さえ飲めなくなりました 心の中のどこかに「悲しみ」と言う引き出しがあるのかもしれません ある日突然その引き出しが溢れ壊れ流れ出したのでは、などと思います 半年以上、普通に生活している時でも人前はばからず泣き始めたりしておかしく思われる事にも平然として慣れて行き やっとの事で、鬱病からは抜け出せました。 思う事は、「なぜ自分のほうが先に死ななかったんだろう」と言う思いです こんな思いをするならば、好きな人など今後作るまい等と思った事もあります 人生は矢の如く早いです、一時の幻のような物かもしれません でも思い出は両手に溢れるほど、山のようにあります、 人の心は「一生」と呼ばれる数十年ほどが心の中の容量なのではないでしょうか 不老不死、何て人の心の容量からして無理な話、と言った方が早い いつ死のうが、それがその人の天命、それ以上でも以下でも無いと言う事でしょう。
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- ichikawa2017
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ドラえもんやゲームを持ち出さなくても永遠の命と言いますか不老長寿や不老不死という思想は古代中国で生まれた道教の基本思想です。 道教では修行の結果不老不死を達成して仙境(桃源郷)に住んでいる仙人は理想の一つです。 道教には不老不死を授ける西王母というお話もあります。 中国で最初の統一国家を作って皇帝の始祖となったとされる秦の始皇帝は徐福という人物に若い男女を預けて不老長寿の秘薬を求めて東方に覇権したと言われています。 古代中国ではこの不老不死の秘薬を作る錬丹術というものもありました。 始皇帝はこの錬丹術でつくられた秘薬を服用していたと言われています。 つまり中国思想では永遠の命を得て後悔するという考え方はありません。 永遠の命を得て後悔するという思想はキリスト教に基づいた思想です。 ユダヤ教イスラム教キリスト教にはこの世の終わりに死んだ全ての人が蘇り神から永遠の命を授かったのちに生前の行いに従って神の裁きで天国へ送られる者と地獄に落とされる者とに振り分けられるという考えがあります。(最後の審判) なまじ永遠の命を授かったばっかりに永遠に地獄で苦しめられることになるという考えが生まれました。 これに対してキリスト教ではキリストは十字架で処刑された後で蘇りやがて昇天したとされています。 キリストに神格があるということを意味する基本思想です。 不老不死というのは人間が持つ願望の一つですが神ならぬ身である人間が永遠の命など持てばろくなことにならないという戒めの意味もあります。
- Nouble
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どうも、私は 答えられそうに、ありません 済みません。 何故なら、私は まぁ、 仮の話しと、しては 他者の、望みを 叶えつつ、 永遠に、生きるだろう ものと、対面したなら、 其の痛みは、 作品で、 例え、一部で あろうと 理解しているので、 直ぐに 様子を、伺い、 察し、 傷を、現認できたなら 先ずは 君とは、対価無く 求め合わず、 親密な、友達で 永遠に、居られ 同等、対等で 居られる、 其の、選択権を 欲し 「対等、同等な、 対価を、伴わない 永遠の、友好関係を 欲し」 自身、及び、 其の、妖精と、 同等のものを 最低は、友として、 増やす、 権能を、欲し 全員が、末長く 幸せで、健康で、飢えも、無く 妖精さんとも、 他の、全てとも 仲良く、居れるようにも 欲しますかね? まぁ、でも 二つ目、三つ目は 既に、 欲す、必要すら 無いので、しょうがね。 妖精さん、自身の ために、 そして、 自身、以外を 含めた、 全員の、ために 友好と、幸せと、健全さを 望む、 あぁ、そうそう! 妖精さんが 望みを、叶える際の 対価、痛み等を 一つ目の、質問で 先ず、聞いても 良いかな? 其れ、次第では 二つ目は、 先の、質問通り 対等、同等の 友に、なり、 此の、 二つ目の、権能を 駆使して 全知全能に、なり、 併せて、 妖精さんの、 誰しもの、 寂しくも、ない、 不幸も、ない、 世界を、作り、 更に、 妖精さんの、ままでも 人間と、して 生きて居る、感覚を 妖精さん内に、作る。 てかさ、 確かに、 ペットロスの、類いに 似た 数多な、ロス感は 多少は、感じるけどさ 人の、長さでも、 亀の、長さでも、 鰤の、長さでも、 永遠の、長さでも、 ロスを、感じるのは 同じ事だし しかも、みんなで 永遠に、なり、 誰をもに 永遠を、与えられ、 死をも、与えられ、 復活も、叶うし、与えられる。 みんな、普遍に 全知全能。 悟りを、開いている。 此の、何処に、 苦が、あるの? 永遠の、命なんで 不幸では、ないよ? もっと、添えれば、 だって既に 例えば、 蠅から、見れば 70年なんて 途方も、無い 永遠。 人から ドラゴンや、鶴亀を 見れば、 此も、 途方も、無い 永遠。 永遠の、命を 悟りたる、ものに とっては、 大した事でも、無いよ? てぇーかね、 但独りの、愛するものと、 刺激し合い、愛を、満たし合い 人の世を、傍観して、 時に、導き、 時に、 に、 むかってもらい、 時に、 自ら、受肉して、 堪能し、 人を、思うままに 救済し、 絶滅勢力を、説得し、 抑制を、働きかけ、 バカンスに、勤しんでてって… 後は 思いの、丈のまま 他者を、救える 資金力さえ、あれば… ねー ふ・こ・う?
- staratras
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あの絵本の名作「百万回生きたねこ」(佐野洋子 作・絵)を読むと実感します。永遠の生命を得て不機嫌な人生(猫生?)を百万回繰り返すよりも、ただ一度だけの生命を享け、愛する者を得て喜び、失って悲しみ、懸命に生きて生涯を終えることの方がすばらしいということではないかと思います。
- tiltilmitil
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死がある意味では救いであると考えないと死の恐怖に耐えられないから、永遠の命は永遠の牢獄であり死が救いであるという物語を作るのでは。
- ddtddtddt
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>なぜ、人間の一生(期間が限りあるもの)は素晴らしいんでしょうか。 素晴らしいとは限らない、そんな事は決まっていないが自分の意見ですが、それらの寓話を否定はしません。 2001夜物語で有名(?)な星野之宣の妖女伝説では、かぐや姫を育てたお爺さんが見返りとして永遠の命を与えられ、お婆さんとはとうの昔に死に別れ、数々の飢餓や災害や戦争を経験し、それでもかぐや姫と再会する夢をあきらめきれず、最後は宇宙飛行士となって月面に降り立つ、というものでした。そこでお爺さんの観たものは・・・。 2001夜物語の楕円軌道では、亜光速宇宙船の女船長(母親)とステーション勤務の主人公(息子)の話で、ウラシマ効果で歳をとらない母親と、歳をとってゆく息子の葛藤が描かれています。 萩尾望都のポーの一族も、現代人と歳をとらない吸血鬼の葛藤がモチーフで、ポーの村への故郷回帰が旅の目的になってます。 B級SF(ヒロイックファンタジー?)永遠の傭兵では、磔になったイエスを槍で刺した罰として神から永遠の命を与えられたローマ兵の彷徨の物語で、人間のくだらなさを見続け、たくさんの人と死に別れ、沈没船の中で窒息の苦しみを味わいながら10年も海中におり、人生が辛くて自殺を図っても死ねず(心臓を刺しても、死ぬより前に心臓が速攻で復活する)、数100歳で初めて愛した女房が老けた時にはだまって出て行き・・・、最後は中東戦争のさなかに現代の傭兵として達観した風情で現れる、というものでした。B級なんだけど、ちょっとこの話は心に残ってます。 仏陀によると、人生は苦しみの塊ですから、それが永遠に続くとなると・・・(^^;)。 これらの話はうがった見方をすれば、限られた生しか生きられない人間の言い訳にも見えますが、限られた人生の素晴らしさに気づく方法を提示するものでもあるかも知れません。 限られた人生が素晴らしいとは限らないと同時に、永遠の命が素晴らしくないとは限らない(謙虚に使う必要はあるでしょうけど)。 ハインラインのSFメトセラの子らを読むと、ちょっとそんな気もしてきます(^^)。
- qwe2010
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誰でもが、経験したことしか理解できません。 人間は、知らないことがあるから、楽しいことがあるのです。 健康であるから、楽しめるのです。 テレビとか、ゲームとか、恋愛とか、旅行とか、 知らないから、わくわく、どきどきして楽しめるのですが、 すべて知ってしまえば、得るものは何もなくなります。 70才くらいになると、欲しい物が、ほとんど無くなります。 食べ物、どんなにおいしい物でも、3回ぐらいたべれば、おいしくなくなります。 いろんな物、欲しいと思える物はすべて買っています。 お金持ちと、普通に生活できる人、することはあまり変わりません。 不安な気持ちは、両者どちらも持っています。 違うのは、ゴルフに行くか行かないかだけでしょう。 何もすることがないから、仕事をしている人は沢山いますね。 80代の叔母様、叔父様がいますが、早く逝きたいなと10年くらい前から言っています。 何もすることがない、体が衰えるから、余計にすることがないからです。 90才を過ぎても、死にたくない人もいますが、怖いから、死にたくないのでしょう。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11128/34636)
心底愛した女性も、かけがえのない友達も、みんな自分より先に死んでいくんですよ。こんなにつらいことはないのではないですかね。 俺は友達も愛する人も不要だ、そんなものに興味がないという人であれば、永遠の命を持つ意味もないでしょう。山の中で一人ぼっちで何千年も生きていても退屈そうです。
お礼
他の方もご回答誠にありがとうございました。