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永遠という概念は創造性と関連がありますか

永遠という概念は不変につながるように思いますが、一方創造が無限に新しいものを生み出すという意味で創造のみが永遠であるということも言えるかとも思います。芸術は永遠であるというような言い方は有限の命しか持たない人間の負け惜しみ的な言い方とも思えますが、真の芸術は創造であるということと関係があるようにも思えます。私のような凡人には永遠というのはずっと死んでいるというような、どちらかというと悪い響きしか持てないのは、自分が想像とは縁遠い生活をしているからかとも思います。永遠とは退屈などとは逆の生き生きした概念なのでしょうか。

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  • ベストアンサー
  • kanto-i
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回答No.2

永遠と変化しないことは別物のように思います。 誰かが生きたという事実の波紋は、拡散しながらも生き続けるので永遠かなと。 物理的に言えば、エントロピーの増大ですが。 例えば履物という物が創造され、履物の形や材質は変わっても履物が無くなる事はなく 今は、地球上大多数の人が使っています。 大昔の誰かが生きて、子供を残したとします。 親は、子供が存在するだけで影響は後の時代に残しています。 子供が居なかったとしても、その人の生きたという事実が 家を建てたとか、人付き合いとか、食べ物を作ったとか 何らかの影響が残ります。 その人が人間の存在が終わったとしても、影響は残ります。 それは、後に残る人達に誰しもが何らかの波紋として残していくものです。 受け継がれていく何かが必ず残る。 拡散して、一つ一つは明確ではなくても何らかのものが残っていく。 永遠とは、残されたものが融合しあっても、受け継がれ残る。 誰かに、何かを残していく。 まだ見ぬ未来の人達の中に、私が生きた痕跡が広く受け継がれるのです。 肉体が無くなるというのも、形状が変わることで残ります。 こちらは、エネルギー保存の法則ですね。 燃やされても埋められても、形を変えて残ります。 そうやって人は、恩恵を受け継ぎながらバトンを渡していくのです。 生き生きとした創造こそが、多くの人に恩恵を残せるのかもしれませんね。

noname#194289
質問者

お礼

ある個人が生きていたとぴうことが、すでに創造なのですね。ご教示ありがとうございました。

その他の回答 (7)

noname#194996
noname#194996
回答No.8

NO.7です。 >永遠とは死ぬことですから、死ぬことを忘れろと言われて素直に忘れることは難しいのですが、創造だけが死ぬことを忘れさせてくれるのではないかと これは話が逆立ちしていますね。 永遠とは死ぬことではありません。俺は永遠に死なないぞという決意を、創作の結果である芸術作品に願いとして篭めるということです。 死を忘れることは出来ません。それは現実として万人にあるわけですから。むしろ忘れてはならないのです。そのストレスを珠玉の作品に変換するのが人間の偉大さではないでしょうか。もちろん創作に没頭することで目前の不幸を忘れるということはあるかもしれませんが、それは痛みをごまかす麻薬と同じものに芸術を貶めることでしょう。 ちょっと言いすぎかもしれません。失礼しました。

noname#194289
質問者

お礼

創造ができないと永遠というものは死そのものになってしまうように思います。その人なりに創造があれば永遠は、肉体の死とは別にその人を支えてくれるように思います。ご教示感謝いたします。

noname#194996
noname#194996
回答No.7

>永遠という概念は不変につながるように思います これは仰るとおりだと思います。 >創造が無限に新しいものを生み出すという意味で創造のみが永遠であるということも言えるかと 無限と永遠とはこの場合、異なった概念だと思います。仰る意味を捉えかねています。 >芸術は永遠であるというような言い方は有限の命しか持たない人間の負け惜しみ的な言い方 負け惜しみでしょうか? 有限の生命体である一人の人間が永遠にあこがれて芸術作品に彼の生命を仮託するということでしょう。それが成功したら彼は負けたのではなく、その逆ではないですか。 私見ですが、永遠なものというより、そうなるための偉大なものを結果として得るためにひとは創作活動にいそしんでいるので、その活動そのものは日々新たな生命活動のひとつであって、永遠という概念とは無関係だということです。ですから永遠そのものに人間が関わることはなく、退屈すると言うことはないのです。 ひとまず永遠と言う概念からはなれることが必要だと思います。

noname#194289
質問者

お礼

私のような凡人にとっては永遠とは死ぬことですから、死ぬことを忘れろと言われて素直に忘れることは難しいのですが、創造だけが死ぬことを忘れさせてくれるのではないかと想像しています。もっとも創造ができないのが凡人だとすると、凡人でも可能な創造というものがあるかどうかが気になります。

noname#194289
質問者

補足

創作活動にとって永遠でなく永続あるいは持続ならば必要概念でしょうか。

回答No.6

>無限の可能性を有する創造が、実は永遠という概念を生み出したのではないかと思います。  それでいいと思います。 >退屈というのは何もできないということですから永遠とも想像とも対極的状況ではないでしょうか。  停止状態ですね。それでいいと思います。 >創造ができれば永遠も経験できるということはないでしょうか。  これは永遠を感じ取ることができると言うことだと思います。  永遠を経験するには、永遠を生きなければなりませんので今生きている時点で経験しきっていない証明となり、経験不可能と言う結論になります。

noname#194289
質問者

お礼

ご教示感謝いたします。

回答No.5

>永遠という概念は不変につながるように思いますが、一方創造が無限に新しいものを生み出すという意味で創造のみが永遠であるということも言えるかとも思います。 ○概念というタームを出してくると困りますが、日常の観念でいくと永遠である主体やその内容ってなんなのですか?創造が無限に継続している。そうですか?それは常に消ええているんではないですか?無限と永遠が同じですか?変わらない、それが永遠ですか?不変は事実的タームであり、永遠は価値次相のタームであるという思いは不適切でしょうか?回答を書こうとしても、先ずこのあたりで躓いてしまいます。 >芸術は永遠であるというような言い方は有限の命しか持たない人間の負け惜しみ的な言い方とも思えますが、真の芸術は創造であるということと関係があるようにも思えます。 ○“芸術は永遠である”、おっしゃるようにこれは言い方、表現、修飾でもありますね。そして永遠ということの内容が違い、混同されているようですが所謂る質問者の冒頭での永遠というタームとは異次元のことでしょうね。 >私のような凡人には永遠というのはずっと死んでいるというような、どちらかというと悪い響きしか持てないのは、自分が想像とは縁遠い生活をしているからかとも思います。永遠とは退屈などとは逆の生き生きした概念なのでしょうか。 ○価値的な永遠って、当為の要請として常に生命であり常に意識であり常に新たな存在の存在でしょうね。変わらないということはそこに当為がないとありえない。だから生命の生命が永遠でしょう。 私はヒンドゥに発するSelf-Realization Fellowshipというヨーガを40年ほど勉強精進しています。

noname#194289
質問者

お礼

私には難しすぎるコメントですが、理解させていただこうと何べんも読み返しております。

回答No.4

人間は、永遠も無限も経験することができないにもかかわらず、理解することができているはず・・ということですね。 その理性で理解できる部分である概念に芸術や退屈という感性を持ち込んでも結論は得られませんよ。

noname#194289
質問者

お礼

ご教示感謝いたします。

noname#194289
質問者

補足

無限の可能性を有する創造が、実は永遠という概念を生み出したのではないかと思います。退屈というのは何もできないということですから永遠とも想像とも対極的状況ではないでしょうか。創造ができれば永遠も経験できるということはないでしょうか。

回答No.3

生物は、淘汰の結果生まれた、存続のための“強いカタチ”です。 「強いカタチ」ならば、チタンの塊りの方が強そうですが、 どんなに固い物質も、必ず劣化・風化し、いつか崩壊します。 それに対し、生物は「固さ」によってではなく、増殖によって 永遠を可能にしました。 そして一旦、増殖による存続=動的安定性を採用すると、 そこには進化=常なる加速、限りない多様化が「永遠」への 道となるのです(留まったものは滅びる)。

noname#194289
質問者

お礼

要するにシュレーディンガーが言っているようにエントロピーを減らせれば時間が止まったと同じで永遠が実現されているということでしょうか。ご教示ありがとうございました。

回答No.1

>永遠とは退屈などとは逆の生き生きした概念なのでしょうか。 永遠とは退屈な概念です。 有限で、おしまいがある事象にこそ、退屈の反対=熱狂があります。

noname#194289
質問者

お礼

退屈の反対は創造かもしれないと思いました。ご教示感謝いたします。

noname#194289
質問者

補足

限りない新しい活動が創造とすれば、創造あってこそ永遠という概念が生まれるのではないかとも思います。永遠という概念がはじめにあったとすれば、それは内容がない、すべてを呑み込んでしまう空洞のような概念ではないでしょうか。

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