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なぜ人は他人をほめるより批判する方が楽なのでしょう

なぜ人は他人をほめるより批判する方が楽なのでしょうか?

みんなの回答

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.8

自分のことを標準化して考えがちだからです。誰しも自分が特殊、例外だとは考えたくないもので、自分こそ普通、自分がやることこそ正しいと思いたいのです。ですからそれから外れるものは批判したくなります。

回答No.7

高等な動物は、雌雄の遺伝子を組み合わせ、親の性質と少し違う、  多くの子孫を産みますが、生き残れるのは僅かです。 子らへの性質は突然変異なので、新たな環境下で、  有効である場合より、不利である場合の方が多くなりますが、   不利な遺伝子は選別されます。 ネアンデルタール人の様に。 進化を続けたホモサピエンスは、    不利な性質(遺伝子)を、未だ排除し続けているのです。 さて、  ホモサピエンスの文化も遺伝子と同様で、   不利な性質を排除し続けていて、その速さは遺伝子の万倍です。 結果として  有効な性質を称えるより、不利な性質を排除するようになったのです。 もし、将来を考えず、お祭り的に騒ぎたいのなら、  有効だった性質を誉めそやせばいいのです。   朝日新聞が 日露戦争に勝った勝った、と騒いだように。

  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.6

批判することで、自分の中では自らの正当性が維持できます。 …ただし、あくまでも自分の中だけの事なんですが。 本当に自らの正当性が維持できるなら、それは楽な事だと思えるのではないでしょうか。 しかしながら、人は多くの他人の中で社会の一員として生きています。 無闇に他人を批判する者は、自らも社会の一員だということは考慮しないので、 社会における自らの正当性はというと、それは別だという事に気づいてません。 その気付かないという現実が、自分の中でのみという事実を忘れ、単に楽だという感覚だけを与えているのです。 そこには批判した相手のみだけでなく周囲の多くの他人から批判を浴びる「苦」という現実が待っているという事に対して、 全く思いが至らないのです。 既に自分の中で「批判⇒正当性確信⇒楽」という答で完結しているので、それ以外の答は存在してないのです。

回答No.5

 人を褒める方が楽ですよ  批判するのはできないです。  

  • marukajiri
  • ベストアンサー率45% (504/1101)
回答No.4

質問者さんは「なぜ人は」と言っているので、すべての人がそうであると思っているのですか?それとも何かの統計やアンケートを元にしているのでしょうか?あるいは、単に自分がそうだし、周りの人から自分がほめられることがあまり無く、批判する人としか付き合ったことがないとか、ネットの掲示板には、ほとんど批判するような人しかいないからそう思ったのでしょうか? いずれにせよ、そのような人たちは、基本的に自分の保身のみにしか意識が向いておらず、自分さえよければ他人はどうでもいいという考えでいるような人だからでしょう。 批判だけして終わりにしている人は、誰かの役に立ちたいとか、後継者を育てようとか、何かしらのものを伝授したり、誰かのためになるようなアドバイスをしようとかいうことは一切考えていないはずです。 あなたの周りにはそんな人しかいないとしたら、人間関係でかなり苦労したり、人材に恵まれずに、精神的にも重圧を感じるだけの日々を送られているかもしれませんね。 世の中にはそんな人ばかりではありません。そんな人たちとは別の考えを持った人もいるのです。つまり、他人を批判したり、けなしたりすることは、なるべくしたくないし、批判することが楽なこととは思えないという人も多く存在していいます。 もし批判する場合には、どういう理由でこのようなことを言うのかを説明し、これをどのようにすればいいかを説明し、あわせて相手のいい所も認めつつ、相手のやる気を促すように導くような人もいるのです。 結論として、自分中心の利己主義の考えの人は、他人をほめる必要もないし、そんなことを考える必要もなく生きてきたので、批判することの方が他人をほめることりもはるかに楽にできるはずです。ろくに他人をほめたことが無いので、ほめ方を知らないのかもしれません。 他人を育成指導するような立場にある人や、周りのことに気を配れる優しさや相手のことを思いやれる考えのできる人は、ほめるより批判する方が楽だという考えは持っていないのです。人は批判だけされて伸びたりすることはないことがわかているからです。ちなみに多くの人は、ほめられて伸びることが多いので、こういう人たちは、人を伸ばすには批判するより、ほめるのが楽だと思っているかもしれませんね。

  • GENESIS
  • ベストアンサー率42% (1201/2809)
回答No.3

人の批判すべき面は目立ちます。なのであえて意識していなくても容易に見ることが出来ますが、ほめるべき良い面というのは相手のことをちゃんと見ていないと中々気づくことが出来ないものです。また面と向かってほめると言う行為が結構照れくさいとかいった気持ちがあるようにも感じます。 「相手の長所と短所を書き出してください」と言われた場合、おそらく短所は短時間でいくつか書き出すことが出来ると思いますが、長所は数個見つけるだけでもかなりの時間が掛かるのではと思います。

  • SPROCKETER
  • ベストアンサー率26% (2128/8000)
回答No.2

 その人の性格によって異なると思いますけどね。  他人を批判すると言うよりも、非難する事しか考えない人もいます。多くは病気ですけどね。相手の立場を考慮して、褒めたり、批判したりするのは、相手への思いやりであって、批判するのが楽だというのは曲解ではないですかね。  褒め殺しという言葉があるように、皮肉の意味を込めて褒め言葉を使う人もいますし、他人を褒める人が良い人とは限りません。  相手の気持ちを見抜いて話す人の言葉は重みを持ちますけどね。

  • hue2011
  • ベストアンサー率38% (2801/7249)
回答No.1

いいことというのはあまり見えず、悪いことは目立つからです。 というか、いいことは忘れるのです。 このサイトの質問で前に「いい思い出は忘れるのに嫌な記憶だけ残るのはなぜ」というのがあってそれに私が答えたこととかぶることをいまいいます。 生物には、適応能力というのがあって、痛い目にあったりしたら二度とそういう目にあわないように記憶する必要があるのです。いいことは忘れてまた体験しても痛い目に合うわけじゃないから問題はありません。 それと同じで、当人の嫌なことは自分がいやだからあまり二度三度と見たくない。そこで注意したり批判したりすることになるのです。第三者も同じ思いをするだろうから、うるさくいいたくなるのです。利害関係でいうと害があるので、それを阻止しようという本能が働くのです。 いいことは、ああこれいいなと思うだけで、別にこちらは痛いと感じないことなので、指摘する必要もないと思ってしまうのです。 というわけで、あまり褒めないで叱るだけという存在になる人が多くなるのです。

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