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幕末御家人の窮乏の原因

ichikawa2017の回答

回答No.5

>そんなに貧しかったのはなぜでしょうか?  江戸時代は政治力と経済力が分離された世界史上も希な社会体制だったことが最大の理由です。 ある意味で江戸時代が300年近くも維持されていたのは権力者に経済力が無かったことが一つの大きな要因です。 町人階層には経済力はありましたが政治力や権力が認められませんでした。 幕府にせよ大名領にせよ基本は軍事組織でした。 家臣団というのは基本的に領地からの収入(年貢)で生活していました。 武士の下層階級はこの領地が支給されずに領主(大名)が得た年貢から米が支給されていました。 この制度が江戸時代全期をつうじて維持され続けていました。 戦が途絶えて平和な時代が続くと交易(商売)によって収入(貨幣)を得ていた町人階層が裕福になり経済が発達して世の中が貨幣経済化していきました。 幕府の家臣であった御家人が暮らす江戸の街ではこの貨幣経済化が急激に進み幕府から支給される米を貨幣に換えて(売って)生活することを余技なくされました。 武士というのは基本的に戦闘員ですので他の職業に従事することが禁止されていました。 政治権力を持つ武士が経済力を蓄えることを防ぐ意味合いもありました。 江戸時代といえども経済が発達するのに伴い物価が上昇します。 武士階級は親子代々の終身雇用でしたが俸給はあがりませんでした。 限られた領地内で誰かの俸給を上げるということは誰かの領地を減らすか大名の年貢地を減らす必要がありますので簡単な話ではありませんでした。 100年以上も前の俸給のままでしたので物価の上昇にはついていけなくなります。 結果としてご指摘の勝家のように赤貧洗うがごとしという状態になりました。 蛇足 現金を持たない幕臣は屋敷が街道筋に面していれば、道路に面した土地に長屋を立てて家賃で暮らしていました。(原則的には禁止されていましたが黙認放置されていました) 街道筋に面していない屋敷地を拝領した幕臣は屋敷内で草花の苗などを育てて町人に買い取ってもらっていました。 現在も東京でみられる朝顔市やほうずき市などはこの名残です。 桜草が東京で広くみられるのもこの名残です。 これも難しい場合は傘張などして現金を得ていました。 TVの時代劇などで浪人者が傘張をしていますが、あり得ませんでした。 当時は材料支給の出来高払いでしたので、身元のあやしげな浪人に仕事を出す町人はいませんでした。 当時傘は高額な商品でした。 破れれば張り替えて再生利用していました。 このような高額な商品の材料を持ち逃げされてはたまりません。 貧乏とはいえ御家人は幕臣ですので身元が確かです。 つまり当時の傘張などの内職仕事というのは御家人の仕事でした。 江戸時代の中期に田沼意次が武家を含めて貨幣経済体制に移行しようとしましたが、浅間山の噴火や凶作でとん挫しました。 旧来は田沼意次が守銭奴のような悪人とされていましたが近年は先見性があった人物だと評価が変わっています。 江戸時代の末期に無理やり米本位経済に戻そうとした天保の改革が失敗したことが明治維新を早めたと言われています。 田沼意次が天候に恵まれていれれば日本の近代化はそうとう様相が変わっていたでしょう。

gesui3
質問者

お礼

やはり貨幣経済の問題ですね。

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