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幕末御家人の窮乏の原因

eroero4649の回答

  • eroero4649
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回答No.3

他の方も指摘しているように、武士のお給料は米で払われていました。それぞれの武士はまず自分たちの食べる分を確保して、余った分を米問屋などで換金して、そのお金でお米以外のいろんなものを購入していたのです。 それで、その(お米の)給料というのは昇給はないのです。そもそもそういう概念がありません。この役職はこれだけのお給料と決まっていたら、江戸時代を通じてずーっとそのお給料なのです。 ところが時代が進めば当然開墾が進んだり技術が進んだりして米の収穫高が上がります。米の量が世間に多く流通するとどうなるかというと当然一俵あたりの米の値段は下がるということになります。インフレが起きるということですね。 また経済の生産性が上がると、米のインフレに合わせて蝋燭とか炭とかの世の中のありとあらゆるものの値段が上がります。当然ですよね。昔は120円でラーメンが食べられたとか電車の初乗りが80円だったとかそういうやつです。 電車の初乗りが80円だった時代に決められた給与が、初乗り120円の時代になっても変わらなかったら、そりゃ相対的に貧乏になります。 しかも武士というのは生産階級ではないですから「こんだけ働いているんだから昇給してくれ」とはいえないのです。例えばとある武士なんかは「私の家は代々殿様が通ったときにこの部屋のふすまを開ける仕事」だったりするわけですから、その仕事の生産性が上がるわけではないので昇給する理由がない。 そこで武士が一生懸命になったのが「アルバイト」です。よく時代劇に出てくるのが傘張りの仕事です。あとはですね、金魚を育てるとか、朝顔を育てるとかほおずきを育てるとか、まあやっぱり武士ですからあんまり下品な仕事はいけませんのでそういうことを皆さん頑張っていたのです。 蛮社の獄で散った渡辺崋山は画家でも有名ですが、あれは風流な趣味じゃなくて、生活費を稼ぐためのアルバイトだったのです。「田原藩家老」だったのにね。確か武士やめて絵師になっちゃった人もいたはずです。でも武士はとりあえず世襲ができるので辞めるのもなかなか勇気が要ったと思います。 下級武士の多くは明治時代になると商人などに鞍替えしました。バイトが本業になったわけですね。 でも下級武士ならアルバイトにも精を出せるけれども、上級武士となるとそうもいかない。では役職があるような上級武士はどうしていたのかというと、それが「賄賂」だったのです。役職柄いろんなところからやってくる付け届けが、大切な生活費の一部だったのです。 「江戸時代の賄賂は悪いことではない」という人がいるのは、そういうことなのです。 でも賄賂は賄賂だよなということで、吉宗なんかは基本給を上げるような改革もしています。役職のボーナスを弾んだのです。ところがこうなると、今度はその役職から外れるとボーナスがもらえなくなるから今の立場を守ろうとする。まあなかなかうまくいかないものですよな。 それでもまだ膨大な直轄地を持つ徳川家の御家人はそれでもまだマシなほうで、独立国であり単独に財政を行わなければならなかった諸藩は大変です。前述の渡辺崋山の田原藩はおちんちんの形をした渥美半島だったので、台風が通るたびに大きな被害です。農民の田畑が被害を受ければ当然税収も減ります。税収ないなら武士の給与も払えない。田原藩士の間では「晩酌」が贅沢だったというほどの窮状でした。渡辺崋山が蘭学に手を出したのも「領地の生産性を上げるために外国の知識を求めた」というご家老として実に立派なお考えからです。それで蛮社の獄ですからね。悲しい話ですよね。 日本の一番端っこにして領地がほぼ全土火山灰に覆われる薩摩藩となるともう悲惨。なにせ参勤交代の片道だけで1万5千両もかかりますからね。一番ひどいときで3年くらい給料が遅配!していたというのですから、みんなどうやって食っていたのか。「一目見れば薩摩藩士と分かる」と江戸っ子に揶揄された(痩せててボロボロの格好をしていたから)ほどで、屋敷の壁の補修もできずに外から入りたい放題。泥棒がそこから中に入ったら、あまりにも盗むものが何もなくて憐れんでお金を置いて行ったという都市伝説があるほどです・笑。 宝暦治水事件という大工事を幕府から命ぜられたこともありましてね。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9D%E6%9A%A6%E6%B2%BB%E6%B0%B4%E4%BA%8B%E4%BB%B6 これはもう幕府による薩摩藩潰しのかなりえげつない陰謀で、そりゃ藩主もストレスで27歳の若さで亡くなるし、幕末に徳川幕府を倒してやろうというふうにもなるわけですね。

gesui3
質問者

お礼

詳しい解説をありがとうございました。 貨幣経済の問題が一番大きいようですね。

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