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人間(生物)の心は何で出来ているんですか?

hkhk1450の回答

  • hkhk1450
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回答No.8

その後、もう一度、生物と心について考えてみました。以下は、 私なりの解釈です。 我々が心と思っているものそれは、生存本能が進化したものである。 本能は、神経細胞が生存の為に無意識に反応することで成り立つ。 脳は神経細胞の塊である。人間は、進化した巨大な脳を持っている。 それは、生存本能(恐怖⇔逃避)や繁殖本能(嫌悪⇔愛情)などの 基礎的な反射神経細胞を補っても十分に余りがある。人間の脳より 小さな脳を持つ生物でも、自己を守り繁殖する為の能力は十分ある。 しかし、音声での意志の伝達や、感情の様な仕草を見せる生物は、 限られている。例えば、犬や猿、或いはイルカや鯨も脳は、大きい。 これらには、感情はありそうであるが、心があるとは言えないだろう。 しかし、もし個々の意思表示や自己認識が種の生存に必要ならば 余裕ある神経細胞は、心と呼べるものにも進化するのかも知れない。 生物は、地球の長い歴史のなかで淘汰を繰り返してきた。現在その 進化の頂点(進化の解釈によっては、違うが。)に人間は居ると思う。 それは、自己認識と心、愛を持っことができた唯一の生物だからだ。 ここで、海亀の産卵を想像してみよう。母亀は大変な苦労をして産卵 する。浜辺に這い上がり砂を掘り、そして涙を流しながら産み埋める。 この時流す涙は、眼が乾くのを防ぐためだとか言われている。しかし、 本当にそれだけなのだろうか?人間以外の生物には、組み込まれた 本能以外の感情や心は、本当に絶対無いと言い切れるのだろうか? 生物の神経細胞が絶えず進化している以上、微かな芽生えがあると それが有利に働く場合もあるかも知れない。それが遺伝子で伝えられ 種が繁栄するのに役立つたとしたら、進化した本能行動は確立する。 人間や生物は、何の為に生まれてくるのだろう?私は、自己意識が あるなしに係らず、1つの個体として幸せに生きる為だと思っている。 個々の生物には、欲求がある。それは、環境や食量や社会的条件 が異なるからである。全ての個体が、生存維持できるわけではない。 生きるための最低限を求める欲求から、最高の幸せまでを追求する。 虫は過酷な条件でも生存が可能だが、人間が生きて行くためには、 多くの条件を必要とする。「いじめ。」で自殺することもあるくらいだ。 人間は、食物と便利さの欲求を満たしたが、社会性はまだ不十分と いうことだろう。幸せの追求は限がない。自己が満足する点それは、 自分が幸せだと思えるかどうかにかかっている。私の人生は幸せだ。 心は、脳にある。脳は、神経細胞の塊である。神経細胞は、条件反射 から進化した。条件反射は、本能である。故に本能の進化が心である。 的は、本能時にあり。 以上、私の考えを偉そうに書きましたが自信があるわけではありません。 恥じています。やっぱり、専門家の書いた本を多く読むべきでしょうね。

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