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自分から話し始めるのが苦手です
大学一年生です。 私は普段から仲良くしているグループにいる女子のことが好きです 私は、今でいうコミュ障なので話すことが苦手です 喋るのは得意なのですが私が喋るときは話題提供者あってこそ 喋るので自分から喋り始めたりすることが出来ません 何を話そうか考えていると余計に話せなくなって沈黙が生まれます 二人きりになると好きなのを余計に意識してしまいもっと話せなくなります 大学に入って初めて人をちゃんと好きになれたので真剣に向き合いたいです それに、例え付き合えたとしても喋れなかったら意味ありませんし(笑) 喋ることがメインになる歩いてる時や座っている時にはどんなこと話したらいいですか? アドバイスありましたら欲しいです
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- blazin
- ベストアンサー率50% (20252/40150)
苦手を即「得意」にする必要は無い。 苦手なら、 苦手「なり」の会話(話し掛け) 貴方なりに身に着けていけば良い。 それを、 大学生活4年を「通じて」身に着けていけば良い。 そう考えたら・・・ 1年のド頭で一気に完成形を急いで悶える俺。 そんな自分を笑えるんじゃないの? ⇒超不器用な自分に何でそんなに多くを課してんの?と。 少しずつじゃないと出来る訳ないじゃん? 今までだって出来ていないのに、 大学生になっただけで急に変わる訳ないじゃん? ↑良い意味で、 自分に「突っ込み」を入れてあげるんだよ。 でも、 大学に入って、 初めて人をちゃんと好きになれた。 素敵な人と出会えた。 それは、 貴方が本気で変わりたいと思えた大事な出会い。 凄く意味がある出会い。 真剣に向き合いたい人に出会えた。 だからこそ、 一番最初に真剣に向き合うのは自分自身。 今まで以上に丁寧に。 今まで以上に誠実に。 苦手云々という人って、 直ぐに反対側の自分を得ようと急ぐ。 苦手を即克服方向に意識したり、 もっと遠くの「得意」方向に変えようとしたり。 出来ない自分を、 急に「出来る」自分に急かそうとしたり。 結果、 気持ちだけが理想を追い求めて、 現実の自分を置き去りにしてチグハグに。 そういう自分を更に悩みとして抱えて、 貴方自身が「硬化」してしまう。 今の貴方のままだと、まさにそうなるよね? 貴方は貴方。 これからも貴方。 仮に自分に変化を付けていくとしても、 スタートラインは今の貴方の足元から。 それを忘れない事。 貴方の場合は、 自分の中の出来る出来ないにこだわり過ぎ。 これは大丈夫(⇔これは無理、苦手) 極端な世界に自分をハメ込み過ぎ。 それが自分を苦しめている。 自分からは話し掛けられない。 その「思い込み」が、 自分自身を苦手方向に追い込んでしまう。 相手の話を受けたり、拾ったり。 そういう角度なら・・・ 苦手という言葉に触れずに向き合える。 だから割と肩の力が抜けて話が出来る。 自分で世界を線引きし過ぎる事が、 柔軟に会話を楽しむ作業を妨げている。 沈黙を嫌うのだって、実は極端さが原因。 沈黙は別に悪じゃない。 相手あっての沈黙。 休む為の沈黙もある。 新たに始動する為の蓄えの有意義な沈黙もある。 そして、 相手あっての沈黙だからこそ、 貴方一人が丸抱えするものじゃない。 でも、 貴方は沈黙を一人で抱えようとする。 相手の沈黙さえ、 自分のものとして不誠実に抱え込んでしまう。 沈黙は悪だ、マイナスだ、恐怖だ。 そう「思い込んで」いる分、 会話が途切れる(止まる)事がとにかく怖い。 怖い貴方は、 メリハリのある会話を楽しめない。 楽しむという感覚があまり働いていない。 上手くやるという事ばかりに囚われているから。 そして、 止まる(休む)事を極端視しているから。 常に沈黙を怖がる事で、 車に例えるならアクセルに足を置いた「まま」、 常にチョロチョロ踏み込んだ状態で会話をしている。 当然一人でガソリンを喰うんだよ。 大事なエネルギーが漏れている。 休む時は休み、 踏み込む時はサクッと踏み込み、 道幅や道路の種類によって速度を使い分けていく。 それが心地が良いドライブ(会話)の秘訣。 貴方は、 常に止まる事を怖がって、 不自然にエンジンを吹かし続けている。 ボディーだけが不自然に温まっている。 だから会話の温度調整が上手く行かず、 二人の間の会話の適温が見つけ難い。 一人でもつれる作業に多くを割かれ過ぎているから。 会話は義務じゃない。 背負うものでも無い。 相手を丁寧に感じて「分かち合う」もの。 分かち合うという誠実な目線があれば、 相手の言葉も丁寧に拾えるし、 分かち合う目線から相手に届ける(伝える) 自分から伝える事にも気負わなくなる。 そして、 コミュニケーションに正解不正解なんて無い。 両極端思考の貴方は、 正解探しのように会話をしてしまう。 だから動ける範囲が狭い。 ここではこういう風に話す事が正解なんだ。 正解が上手く見つからないと、 不正解を怖れる事で自分を締め付けてしまう。 誰も貴方に答え(正解)なんて求めていない。 答えが無いから、 会話(コミュニケーション)自体を楽しめる。 正解なんて無いから、 皆それぞれのスタイルで臨めるんだよ。 お互いの違いが心地良いんだよ。 違いもあれば、 似ている感覚を分かち合える事もある。 それもまた楽しいんだよ。 こうして書き込んでみたからこそ、 自分自身をもう少し柔らかくほぐしてあげる事。 まだ大学生活は3年半以上あるよ? 彼女は何も急いでいない。 仲良くしているグループだって、 まだまだ始まったばかりの居場所でしょ? もっと長い目で見ていくんだよ。 自分自身の成長練磨に対しても、 新しく見つけた(好きになれた)気持ちに対しても。 大切にしてみて☆
- sp550uz
- ベストアンサー率49% (544/1091)
高3の頃の長女が、自ら「コミュ障」って言ってました。おそらく、今までは「自分のことで精一杯」とか「あまり他人に興味がない」という思いだったのでしょう。会話も、まー、「聞かれたことに答えたら、それで終わり」という具合でしたね。なので、社会に出て、多少困ったようです。 親として助言したのは、「見聞を広めろ」「観察力を付けろ」ということです。 「見聞を広めろ」というのは、「広く浅くで良いから、見出しだけでも、新聞を読め」と言いました。ネット社会になって「自分の興味があるものしか見ない」という世の中になりました。もちろん、それが良い意味で深い知識として力になることがあります。しかし、他人と自分は全く違います。自分を基準に物事を考えるのは、学生さんまでです。新聞でもネットニュースでも、興味がわいたものは、本文を読んで、自分なりの解釈や感想を考えろ、と。そして、ふとした切っ掛けで知ってる話題になったら、「アレ、どう思います?」とか「自分はこう思うんですよね」と、そこから話を掘り下げることが出来るんだよ、と。 「観察力を付けろ」というのは、「相対する人を見ろ」ということ。今までも、話をする人をさんざん見てきているはずなんですよ。学校の先生とか、同級生や先輩・後輩とかね。その人が、どんなタイミングで、どんな話題を、どのような話し方(聞き方)をしているのかを、気をつけて見てみましょう。勿論、日常生活以外でも、テレビ番組の司会だったり、テレビドラマだったり、映画の中の会話だったり、参考になる場面は多々あるのです。 あとは、「聞かれたら、聞き返そう」ということ。たとえば、「何色が好き?」と聞かれて「白」と答える。そこからは相手は「なぜ?」という理由を聞いたりするでしょう。そのあとで「貴方は何色が好きですか?」と、同じ質問を聞き返してあげましょう。えてして、質問する人は「話の切っ掛けづくり」で聞くものです。質問自体に大きな意味が無いことの方が多いもので、場合によっては、自分が聞いて欲しい話をわざわざ言っているのです。 「雑談力」と検索すれば、サイトや本が出てきます。話のきっかけ作りとしては、役に立つと思いますよ。