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教育勅語は脅迫勅語?
- 教育勅語が脅迫勅語だったのか、その意図を考える
- 教育勅語と戦争の関係について
- 教育勅語の言葉と内実のギャップについて
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質問者が選んだベストアンサー
>教育勅語も、戦争で国家のために働かなければお前が大事にしなければならない家族はどうなるか分かっているな?的な暗に脅迫する脅迫勅語だったのでしょうか? このような目的で作られたものでも、このような効果を期待して作られたものでもありません。 明治22年に発布された明治憲法(大日本帝国憲法)の普及を図るために作られたもので翌年明治23年に発令されました。 江戸時代以前には現在考えられている統一国家という概念がありませんでした。 各大名領(藩)は治外法権を持っていました。 現在のEUのイメージとお考えください。 法制上は京都朝廷が中央政府でしたが実権がありませんでした。 江戸幕府というのは中央政府ではなく最大の大名である徳川家の統治機関でした。 この徳川家がが朝廷の委託を受けた形でこれらの大名を統率する際にこの自家の統治機関を流用していただけです。 身分の上下を問わず現在の国民という考え方はありませんでした。 あくまでも各大名に所属しているという考え方でした。 国というのはあくまでも律令時代に定められた薩摩、伊勢、武蔵、などの地方名の区分の範囲でした。 現在でも高齢者の間では出身地を聞く際に「お国はどちらですか」という言葉が残っているのはこの名残です。 幕末に締結された欧米各国との不平等条約を改正するためには統一国家という意識の統一が不可欠でした。 幕末のように薩摩や長州が勝手に外国船を砲撃するなどという行動を起こさせないようにする必要がありました。 統一国家という概念を浸透させるには、既に価値観が固まった大人よりも子供を教育するほうが得策です。 従来の各大名領(藩)まちまちの教育制度を統一して全国共通の教育を行う必要があります。 この統一された教育の基本的な指針としてだされたのが教育勅語です。 大日本帝国憲法では主権は天皇にあると定められていました。 現在の主権在民とは根本的に違う社会制度だったことをご理解ください。 統一された教育の基本方針を天皇の言葉(勅語)として出されたのはこのためです。 天皇の言葉ということで神格化されたのは後の時代です。 教育勅語を戦争遂行のために本来の目的を逸脱して流用したのは昭和初期の軍事政権です。 教育勅語が施行されていた時代であっても大正デモクラシーと呼ばれる時代があったことをお忘れなきように願います。 明治から大正にかけては、天皇というのは単なる統治機関に過ぎないというのが学会をはじめ国民の常識でした。(天皇機関説) これを捻じ曲げて神格化していたのは昭和初期の二十年程度の期間でした。 >現に先の戦争では戦争へ行かなければ家族も非国民扱いを受けてひどい目に合うという脅迫観念があり実際非国民扱いされれば村八分でした。 大日本帝国憲法下では成年男子は兵役に就くことが義務付けられていました。 戦争に行くとか行かないという選択の余地が無かった時代であったことをご理解願います。 徴兵令を受け取って兵役に就かなければ、現在の脱税と同じように犯罪者でした。 ひどい目がどうの村八分がどうのという情緒的な問題ではありません。 >教育勅語が脅迫勅語なのであれば言葉の表面的に意味するところを主張する現内閣ってトランプがよく言うフェイクニュース(嘘っぱちニュース)、オルタナティブファクト(もう一つの事実)と同様な主張をしているようで怖いです。 勝手な思い込みです。 オルタナティブファクトでもなければ主義主張でもありません。 教育勅語と言うものがあってそれが施行されていたというのは史実です。 現内閣が言っているのは教育基本法に基づいて史実として教えるか否かは自由だと言っているでけです。 教えるべきだなどとは言っていません。 教育勅語が施行されていた時代の社会制度をご理解願います。 歴史を考える際に現在の価値観や制度を基準にして考えられますと誤解や混乱が起きます。 その時代その時代の価値観や社会制度に基づいて考える必要があります。
お礼
教科書で学んだ知識を羅列している感じで分かりづらいです。理屈よりも現実的な回答を希望します。