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PHSの評価やイメージ
PHSはいつごろ流行ったもので、なぜ流行ったのですか? また、どのようなイメージがありましたか? 旧DDIポケットやドコモPHSの時代も含めてお願いします。 ウィルコムのアドエスしか知らないので、実験的なイメージがあるのですが。
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他の方が書かない思い出話をすれば、PHSは発売された当初は高速移動中は繋がらなかったのです。基地局の範囲が狭く、その電波の移動が頻繁過ぎたらだめだったのです。どのくらいの速さだと繋がらないかっていうと、車だともうアウトです。 そしてまず都市部からだったので、繋がる範囲も狭かったのです。田んぼばっかりの田舎に行くとまず繋がらない。当時は携帯でも地方は圏外の地域は割とあって、「あまりに誰からも電話が来ないから、携帯が圏外の田舎に帰った」なんてジョークもあったほどです。でもピッチはそれ以上に圏内が狭かったです。 そして、電波が弱くて乱反射にも脆弱だったので、ビルが多いところでも繋がらないことがよくありました。ビルの影に隠れると圏外って当初は割とよくありましたね。地下は全く繋がりませんでした(ただし当時は携帯でも地下は繋がらないところがよくありました。今のソフトバンクの前身の前身のツーカーは本当に地下じゃ繋がらなかった)。 だから、何かに乗って動いているときは繋がらない、ちょっと郊外に行くと繋がらない、都市部でもビルの影だと繋がらない、地下も繋がらない、ってものだったのです。そう、どちらかというと繋がる場所のほうが希少なんじゃないかってくらい・笑。 だから発売された当初は値段が安くて爆発的に売れたのですが、あまりに繋がらないのが多くて大ブーイングだったのです。各社はその不満を受けて繋がるように基地を増やしましたが、そうこうするうちに携帯の使用料が以前より下がっていって、ちょうどその辺りにdocomoのiモードが大ブレイクしたので、客を全部失ってしまいました。 その後自動車などの移動中でも繋がるようになったのですが、すでに「ピッチって繋がらないアレでしょう?」「お金がない高校生が持つアレでしょう?」というイメージがついてしまってそのまま衰亡の道を辿ることとなりました。
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- okok456
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一般的電話のコードレス電話機の技術を応用したシステムで中継のアンテナは小型で電柱やビルの屋上などに設置できるのでインフラの投資額が携帯電話より少額でできたので携帯電話より低額で利用できました。 https://blog.bari-ikutsu.com/wp-content/uploads/2009/04/dscn2156.jpg (東京電力もKDDIの株主でした。) ただし、アンテナ一基の電波の届く範囲は狭いので街中でしか利用できないと言われていました。 ガスメーター(ガス漏れの監視)や自動販売機の保守管理にも使われているようです。 http://br.toyo-keiki.co.jp/case/lpgas/detail/02.html http://www.jiten.com/dicmi/docs/p/9407s.htm アナログTV放送が終了したように国策でPHSはADSLとともに近い将来、終了予定のようです。
度々盛り上がった時期がありましたね。値段のやすさが主な売り。 20年ちょい前から2,3年おきに波があったかな。 ほとんどDDIポケット系列がメインでした。シェアも品質も。 ドコモとアステルのPHSは最初から最後までイマイチでした。 地域差も結構有って、とある地域の高校生はほとんどPHS、 大人になったら携帯、という地方もありましたし。(auの学割発表で死んだ) 関西など比較的都会では圏外にもなりにくく、そこそこシェアがありました。 W-ZERO3(初代アドエス的な)の発売や、 つなぎ放題プランで低迷と浮上を繰り返してました。 大成功したスマホの先駆けや話し放題はその後、携帯会社にパクられました。 低迷時も、ノートパソコン等のデータ通信カードはそれなりに需要がありました。 24時間接続し放題のモバイル機器は初でしたしね。 私も青春時代はPHS販売してきたので思い入れは有るのですが、 携帯の一段下、おもちゃ電話と言うイメージは根強いですね。
- potatorooms
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NTTパーソナルからのユーザーです。 データスコープって機種を使ってました。 ピッチを辞めたのは昨年の年末です。30年以上使ってました。周りがケータイを持つ人があまりいなかった時代、ページャが生き残ってた時代からですね。 ケータイは自動車電話から、ピッチは家電の子機から生まれた規格です。 出始めの当初は、ホントに、家では子機、外ではピッチという機種がいくつかありました。 わたしは、ケータイの方が当時は使い物にならないものと思ってましたよ。 ピッチの音声はCDと同じ品質で、本人の声がそのまま聞こえます。 ケータイはアナログ時代は音声品質が悪く、デジタルになって合成音再生になって良くなるまで、私は使いたくありませんでした。 あと、30年前からデータ通信ができてました。 いろんな機種を使いましたが、先に挙げたデータスコープは調べるとおもしろいと思いますよ。 これとザウルスポケットなどを直結するとパソコン通信ができたんですね。 あ、書き忘れました。 ピッチを使い始めたとき、まだ、インターネットは民生解放されていませんでした。
- t_ohta
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全盛期は20年近く前ですかね。 携帯電話より料金が安かったのと、当時の携帯電話はデータ通信がほとんど出来なかったのに対し、PHSはデータ通信機能が使えました。 そのため、高校生・大学生など若者の利用が多かったのと、ビジネスマンが外出先でパソコンを使うためによく利用してました。 あと、使用している電波が家庭用のコードレスフォンと互換性があって、家ではコードレスフォンの子機として使用し、外へ持ち出すとPHSとして使えるなんて製品もありましたね。 その延長で、企業では社内の電話をPHSにして、社内に居る時は内線電話として使用し、外出する時に持って出ればPHSとして使えるなんてモノもありましたね。
- Zephir_rihpeZ
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1996年以来、いまだに1回線持っています。 PHSは簡易型携帯電話と呼ばれて普及していたのが95~97年くらいまでですね。PHS大手3社いました。 それ以降は携帯3社に押されて、事業者も減って、衰退していきましたね。 当時の流行の理由は「価格が安い」「音声きれい」この2点でした。自分が選んだ理由もそれだけでしたね。 やはり周りからは「あいつはPHSww」って言われてましたけど。