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天下とり
eroero4649の回答
- eroero4649
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そこは一代で成り上がったブレーンのなさゆえの哀しさでありましょうね。徳川家康の場合、元の家が小さかったとはいえいわゆる譜代の家臣というのがいて、その家臣の徳川家に対する忠誠心は絶対でした。幕末になってもこの譜代の家臣で徳川家を裏切った家臣の家はなかったのですから、その忠誠心はまさに絶対といえるでしょうね。 この家臣団は家康個人に心酔していたというより、「徳川家」という存在そのものに対しての絶対の忠誠心だったので、当主が家康だろうが秀忠だろうが家光だろうがそこが揺るぐことはなかったのです。 一方の豊臣家は、元はといえば農民ですから家臣団というものがいない。組織そのものが非常に弱かったのです。しかもその忠誠心は豊臣家ではなく秀吉個人のカリスマ性に頼るものだったのですね。秀吉には前田利家のような竹馬の友もいたわけですが、しかしその利家でさえ大名としての扱いで、「家臣」にすることはできなかったのです。だから関ヶ原のときも前田家に味方に付いてもらうことができませんでした。 その家臣団の組織も、徳川家は小家であっても昔から続く組織が完成されていたわけですが、豊臣家は文字通りに何もないところから急成長したのでツギハギだらけだったのですね。加藤清正も福島正則も石田三成も秀吉に対する忠誠心は絶対だったけれども、家臣団としての結束にはならなかったのです。いってみりゃ石田三成なんて中途採用組ですからね。 これって急成長したベンチャー企業の典型的なパターンですよね。カリスマ的な社長のもとに急成長するけれど、急激な会社の巨大化に組織が追いつけずに社員のまとまりができず、その社長が亡くなったり事業の失敗で引責辞任したりするとあっさりバラバラになってしまいます。ライブドアなんてそうでしたね。あの騒動の中で社員たちが結束したのかというとまるで逆でホリエモンも含めてみんな自己保身に走りましたよね。「俺たちはライブドアという看板を守るのだ」なんて意識はまるでなかったわけです。だからあんなにあっさり瓦解したのです。 徳川家はまさにトヨタのそれと似ていますね。社員の「トヨタという看板」に対する忠誠心は絶対じゃないですか。それは創業一族である豊田家個人に対するものというより、トヨタという会社そのものに対する愛社精神ですよね。
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