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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「 男はつらいよ 」 を語る)

男はつらいよとは?

マレンヌ(@Marennes)の回答

回答No.4

本年もエロエロイケイケ人情仁義のisokenさん(お前公共の面前で勝手な事言うな~ゴラァ)とお叱りを覚悟で。。。本年も役立たずの世の中のくそったれですか、宜しくお願いします。 『男はつらいよ・・・』 女性の心は移ろいでいくもの・・・二十歳前後でイヤというほどしりました。高校1年にしてナンパ師・・・・このとき、人の心を引き留めるのがどれだけ難しいのか・・・後年の私の晒の内容で分かるように、見っともない一匹オオカミです。 (仕事も私事も実質はそうなんです) 私の両親の仲人・・・どこかで話したのがあるのですが母は7歳上の管理職、親父はパシリ・・・この縁が普通はあり得ない。ただ、ある機会に一緒になった時亡母は『軽口の上手のあんちゃんかな・・・でもやたら気づかいする人』。それに対し亡父は『若くて学歴で資格持ち、小憎らしいような出来過ぎ女、とっとと仕事終わらせ仲間と飲みに行くか~♪』 このくだりだけで全然接点のない二人・・・しかし、当時専務だった亡母の上司がものすごい車酔いで困ってました。ドライバー・・・そこで白羽の矢が親父にたったのです。親父は以前直ドリとかサイド引いてスピンターン等、ジムカーナ的力量をそこそこ持っていたそうです(亡くなった時同僚さんから伺った話ですが)。でも公用車の運転では指名があるくらいでした(その専務さんは親父しか依頼しなかった) 亡母も専務もクルマが大の苦手。バスでも酔うくらいです。 毎々親父が時には約片道100kmの顧客先のドライバーとして当時は高級車だったセドリックを転がし万事丸く終わりました。 おまけ(大好きでよく鼻歌で歌ってました 自動車ショー・小林旭) https://www.youtube.com/watch?v=eeyjzIiuml0 でも仲人夫婦は10年近く内心『無理じゃない・・・』だったそうです。 (おいおい路線外れ過ぎだぞ!でも自動車ショーの現代版をサザンで聴きたいな~) じつは当時、親父まるっきり帝釈天の近くのアパート暮らし。時代はオリンピックを前後した高度経済成長期。帝釈天を真夜中仕事帰り仲間で酔っ払いながら(とらやお酒を出すのはご存知かと)翌日二日酔いでのろのろ出ていく始末(事務+運転なので)。 そして、時代を経て私の学友がやはり帝釈天の近くに・・・ 『はじめまして~お噂はかねがね伺ってます。あいつもうすぐ帰るので・・・』 何だよ!お前女と同棲してさらに俺の愚行を散々随分言ってくれてたネ~(その場は怒り狂うほど) いえ、マレンスさんいろいろうちの人お世話になったそうで・・・ は?『うちの人』!!!?いよいよ万年酔っぱらいの思考回路が崩壊します。 そこで、実はこの度結婚することなりまして、お式の友人代表と2次会の幹事を・・・ 私『フェ・・・あ!おめでとサンです(拍手)』 これしか言葉が出なかった・・・。だっせーよな~大人だろ!いいこと言えよ(猛省) 結局翌日彼ら未来の夫婦の話を伺い、日取り・日程・メンツをお伺いし・・・一人帝釈天の通路をとぼとぼ歩きつつ駅に向かった記憶があります。さて、どうすっかな・・・。 (後日花嫁のご両親からご挨拶という事で父君から『宜しくお願い申し上げます』と頭下げられる始末・・・もう絶対ヤバいよ・・・) 今では当時の二人は都の(世田谷方面)に新居を持ち幸せいっぱいのようです。 二人2馬力で何とか家と子供を養うどこにでも普通にある家庭ですが、夫婦円満、家族円満な事は何よりです。 (私が角瓶一気飲みしたのを子供に話したらしく、ぜひ見たいと・・・できるかよ!今やこんなおいぼれおっさん) ちなみに結婚式2次会・・・荒れに荒れましたよ~暴露大会とカラオケ構成で店にはオードブルジャンジャカ追加・・・あの時程、金、新郎新婦以外にどうやってこいつらから回収しようか!!!(予想以上のオーダーでビビっていました) ただのウォーターグラスに誰かの残りのワインのボトルを注いで呑みながらひっそり頭を抱えるおっさんでした(一応20代です!)。 寅さんの名演の話をするところが、とんでもない愚行話になりました。 私はこんなろくで無い話しかできない人間という事で・・・失礼千万ながら、なにやらキーボードに手が向かってしまいました。 誠に失礼しました m(__)m

isoken
質問者

お礼

Marennes さん、こんばんは。 色々と形容詞をお付け頂き恐縮ですが、正直そのどれもが当てはまる、我ながら随分と面白い人生を歩んで来たんじゃないかと・・、私の半生を知る友人達も口を揃えてそう言います。 基本的にはチャランポランそして行き当たりばったり・・、誰もその点を否定しませんからねぇ、そりゃもう酷いものだった。 高校なんて 1/3 はズル休み、無期停学は3~4回喰らいましたかねぇ、正直自分でもよく覚えていない、大ぴらに休めるぐらいにしか感じていませんでしたから・・。 何せ家を出ると喫茶店で時間を潰した後、雀荘に直行して大人相手に麻雀を打ってた、それも4人麻雀じゃありません、より賭博性が高いとされる3人麻雀、俗に言う 「 北抜き 」 というやつでして、とてもガキのやる遊びじゃなかった。 でなきゃ競輪か競艇、嘘だと思われるかも知れないが全て本当の事なんですよ、大学時代には馬券の買いを入れてたヤクザ系のノミ屋がパクられて、私の名前が出て来た事もあった、その時は九段の東京検察庁で事情聴取を受けましたが、先がある身という事で勘弁してくれたみたいです。 ただ人生のメルクマールと呼べるものが幾度かありまして、その都度恐らく無意識のうちに最良の選択をして来たんでしょう、それが進路であったり結婚相手であったりしたんだろうと・・。 斯様に人様の助けや情けが無ければ、私になんて恐らく人並みの幸せが訪れる事は無かったでしょう、これまで私に関わってくれた全ての人に感謝すると同時に、その恩を万分の一でもお返ししたい・・とはいつも思ってます、但し出来ちゃおりませんがねぇ。 >女性の心は移ろいでいくもの・・・二十歳前後でイヤというほどしりました。高校1年にしてナンパ師・・・・このとき、人の心を引き留めるのがどれだけ難しいのか・・・後年の私の晒の内容で分かるように、見っともない一匹オオカミです。 動き出した歴史の歯車と移り行く女心ばかりは、誰にも止める事が出来やしません、私だって嫌というほど思い知らされた経験がある、もう成り行きに任せるしかないでしょう。 >私の両親の仲人・・・どこかで話したのがあるのですが母は7歳上の管理職、親父はパシリ・・・この縁が普通はあり得ない。 そりゃもう普通ではちょっと有り得ない御縁でしょう、但し事実は小説よりも奇なりと申します、フィクションなんて所詮作り事であって、小説家が 「 さすがにそこまでは・・ 」 と躊躇う描写の延長線上に、それ以上に波乱に満ちた人生があったりしますから・・。 それはそうと、いつぞや給料に纏わる御両親のお話を伺った事がありました、あの時私は正直胸が熱くなったんです。 私如きが語るのは大変僭越ながら、お母様が一歩下がって支えておられるという印象でね、 そんな御両親が Marennes さんに対し、きっと愛情に満ちた良質な教育を注がれたんだろうなぁと・・。 >親父は以前直ドリとかサイド引いてスピンターン等、ジムカーナ的力量をそこそこ持っていたそうです 私も馬鹿ですからねぇ、スピンターンの真似事はよくやりましたよ、あれはサイドブレーキの引き・戻しとクラッチを切るタイミングとの兼ね合いが難しい、一番面白いのが実は軽トラなんです、もっとも友達の親父 ( 電気工事屋さん ) さんの軽トラを横転させ、大目玉を喰らった事もありましたが・・。 >じつは当時、親父まるっきり帝釈天の近くのアパート暮らし。 あの辺りは江戸川の土手付近まで家が犇めき合いまして、言うなれば 「 The 葛飾 」といった風情、交通の便だってとても良いとは言い難い、でもそこがいいのでしょう、しかも江戸川の河川敷という考えように依っては贅沢なものが直ぐ傍にありますし・・。 >今では当時の二人は都の(世田谷方面)に新居を持ち幸せいっぱいのようです。 >二人2馬力で何とか家と子供を養うどこにでも普通にある家庭ですが、夫婦円満、家族円満な事は何よりです。 全くその通りでね、この歳になってつくづく思うのは、やっぱり幸せとは愛に溢れた家庭にあるんであって、必ずしも金の有る無しじゃないという事・・、そこいらの鼻たれ小僧にでも分かるこんな簡単な摂理に辿り着くまで、50年を費やしましたがね。 さて長くなりましたが、今年も宜しく御願い致します、回答ありがとうございました。

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