男はつらいよとは?

このQ&Aのポイント
  • 「男はつらいよ」とは、葛飾柴又を舞台にした日本の映画シリーズであり、江戸川の風情や寅さんの人間ドラマが描かれています。
  • この映画は長年松竹の屋台骨を支え続け、男の夢とロマンを凝縮したような気ままな生き方を描いています。
  • 映画「男はつらいよ」には、出来損ないの兄貴と出来の良い妹という設定があり、多くの人々に共感を呼び起こしています。
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「 男はつらいよ 」 を語る

本質問を御覧頂いている皆様、今更ながらですが、今年も宜しく御願い致します。 さて 「 男はつらいよ 」 と言えば葛飾柴又、逆もまた然り。 その柴又帝釈天へ夫婦して初詣に参ったのが、1月4日・・というかたった4日前の事。 人出が一段落していたせいでしょう、 「 えっ !、ここの参道ってこんなに短かったっけ ? 」 ・・と印象を新たにしましたが、当柴又は葛飾の外れというよりもむしろ東京・千葉・埼玉の都県境、帝釈天と江戸川 & 矢切の渡しを除けばもうどこにでもあるといった風情、ところがこの鄙びた街が皆様御存じの通り知名度では全国有数を誇ります。 その街並みも「 男はつらいよ 」 公開当時と殆ど何も変わっちゃいない、江戸川の河川敷だってそう、京成のプラット・ホームなんて、旅に出る傷心の寅次郎をさくらが見送ったあの頃のままと想像頂いていいでしょう、駅前だって精々寅さんの銅像が出来たぐらいでして・・。 一方映画を貫くスタイルも殆ど変わらずマンネリと言えばその極致にありました、ところが斜陽の日本映画界にあって、長年松竹の屋台骨を支え続けたのもまた事実でして、「 恋と旅 」 という男の夢とロマンを凝縮したような気ままな生き方に、その秘密があるのかも知れません。 そんな「 男はつらいよ 」への個人的な思い入れは、出来損ないの兄貴と出来の良い妹という設定にあります、 これは謙遜でも何でもなくて 「 うちもそうだったな~~ 」 ・・と。 さて寅さんは元より、おいちゃん・おばちゃん・タコ社長他がお亡くなりになり随分と経ちますが、宜しかったら皆様が持つ「 男はつらいよ 」に纏わる話をお聞かせ下さい。

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noname#231734
noname#231734
回答No.3

こんにちは(^-^) 「男はつらいよ」に纏わる思い出・・。 小学生の頃、 田舎から出てきた父方の祖母と、 母と私と姉の四人で 映画館に「男はつらいよ」を 観に行ったことがあります。 後々、母はその時の事を話す時 「“寅さん”観て、 おばあさんが大きな声で何度も笑うので、 体裁が悪かった」と・・。 祖母が映画館で「寅さん」を観たのは 一生のうち、たぶんその時の 一度きりだっただろうと思います。 祖母は太っていて、声が大きく、 田舎からうちに遊びに来ると いつも一週間位泊まって、 エビフライ(殻付きの・・)を作ってくれたり、 冬に着る半纏を作ってくれたりしました。 子供の頃は冬の間、ずっとその祖母の手作り半纏を 着ていました。 私は外孫でしたし、遠方に住んでいて会う機会も少なく 「可愛がってもらった」という記憶は あまりないのですが、 祖母の手作り半纏は とても暖かかったです。 母は「おばあさんが来てくれると、 お勝手を全部やってくれて・・ 気のいい人だったよ」と。 祖母は10年程寝たきりになり、 亡くなりました。 亡くなった渥美清さんに、他の出演者の方たちに、 そして祖母に「ありがとう」って言いたいです。 (「寅さん」を語る・・ というより「祖母」を語ってしまいました。)

isoken
質問者

お礼

coffee-bean さん、おはようございます。 >田舎から出てきた父方の祖母と、 >母と私と姉の四人で >映画館に「男はつらいよ」を >観に行ったことがあります。 時代ですねぇ、家族のそういった過ごし方は最近では恐らく考えられないでしょう。 個人的な両親との映画館の思い出は、母親と行った 「 ガメラ 」 や 「 大魔神シリーズ 」 、父親に連れられて観に行った 「 OO7 」 や 「 トラトラトラ 」 です。 >祖母は太っていて、声が大きく、 >田舎からうちに遊びに来ると >いつも一週間位泊まって、 >エビフライ(殻付きの・・)を作ってくれたり、 >冬に着る半纏を作ってくれたりしました。 我が家は両親も祖父母も東京生まれですから、田舎というものが全くありません、幼い頃は田舎を持つ友達が本当に羨ましかったものです。 >祖母は10年程寝たきりになり、 >亡くなりました。 母方の祖父がそうでした、私が物心ついた頃には既に寝たきりでして、長い闘病生活を送っていたんだろうと思います。 そして亡くなった・・、荼毘に付す時の祖母の取り乱した姿を今でも鮮明に覚えておりますが、食糧難を極めた戦争の前後を含め、長い事苦労を共にした訳ですから当然ですよね。 >亡くなった渥美清さんに、他の出演者の方たちに、 >そして祖母に「ありがとう」って言いたいです。 誰だって木の幹から生まれて来たんじゃない、近くは両親そして祖父母、大きくはこの国の礎を築いて来た先達の皆様に感謝せねば罰が当たる事でしょう。 >(「寅さん」を語る・・ >というより「祖母」を語ってしまいました。) いえいえいい話です、そういう逸話をひっくるめてお待ちしておりました。 今年も宜しく御願いします、回答ありがとうございました。

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  • kamejrou
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回答No.15

こんにちはisoken さん 千葉は朝からの雨模様でして、 お知り合いに少し補足をいただきましたのでね お話しさせていただいておりましたが こんな日はisoken さんと話すのが面白い! 先日の続きを少しお話ししてみましょう 私も少し消化不良の思いもありますしね どなたかが寅さんの自由な生活に憧れると言われる 私もそうなのです ただ反面、寅さんも我々の何でもない普通の暮らしに憧れたのでしょう 弟分の津坂匡章に お前は俺のようになっちゃいけねえ、まだ後戻りができる やりなおしがきくんだ! あるいは、どの映画でしたか忘れましたが志村喬さんと りんどうの花の咲くころ 遠くの山あいの小さな明かりが灯る家でそれぞれの家族の団欒 寅はそんな生活に叶わぬことと思いながらも憧れる 先日、私は哀しいと言いましたが哀しいのです💧 それはまた浅丘ルリ子さんのリリーも同じなのでしょう 定住する家を持たない不安と寂しさです だから、寅さんとリリーは魅かれあうのでしょうか? またそれだからこそ、 寅さんは他人の心の痛みが分かり人をおもいやれるのでしょう [寅次郎夕焼け] 太地喜和子の不幸は寅には見過ごしには出来ない であれば、宇野重吉の日本画の大家もそうでなくてはいけない 勿論これは映画の話しですが 寅が玄関先で宇野重吉さんに 俺はお前が俺の家が気に入ったと言うなら 2年でも3年でもおいてやろうと思った可哀想だと思った❗ それをお前は何だ? ぼたんのことを何にも心配してやってねえじゃねえか 私は本当にもうこう言うのに弱くて💧💧 別の話しをしましょう 渥美さんと言うひとは役者の世界に入る前はテキヤであったとも言う ですからまことにこのバイ啖呵が上手❗ テキヤ、的屋の話しはisoken さんなら説明もいらない この話しは始めると長くなりますし互いに良く知っていることです 泣きバイと言うものがあります Isoken さん覚えておられるでしょうかね? [寅次郎相合傘] 寅次郎とリリーとが旅の途中で出会う船越英二、 札幌の街で泣きバイをやる!アハハハ、 火事で焼けた万年筆✒❗ 今はもうあるのでしょうかね? 私の子供の頃は縁日などでも良く見かけましたがね泥だらけ(笑) さてくだらない話しで長くなりましたが 司馬さんの[関ヶ原] 私が見逃すものでもありません おそらく私は当時観ているはずと思うのですが 50年ちかいとあっては覚えてているはずもなく 先日、すこし頭だけチラッと観ましたが何しろ前後編7時間 私もこれは追々に 森繁さんの家康、加藤剛の三成、本多正信の三国連太郎 まことに名優キラ星のごとく❗ まあこの話しはいずれお話しする機会もあるでしょう 最後に 島左近、ん?右近でしたか? これがまた三船敏郎❗ 三成に過ぎたるものが二つあり 島の右近に佐和山の城 ついでに 家康に過ぎたるものが二つあり 唐のかしらに本多平八 ここいらで

isoken
質問者

お礼

kamejrou さん、こんばんは。 お礼が遅くなりまして、申し訳ありません。 いやいやこのところ朝晩めっきり寒くなりました、まあ冬は寒いのが当たり前、北海道や東北の方が聞いたら鼻でせせら笑うレベルでしょうが・・。 >ただ反面、寅さんも我々の何でもない普通の暮らしに憧れたのでしょう 弟分の津坂匡章にお前は俺のようになっちゃいけねえ、まだ後戻りができる やりなおしがきくんだ! やくざ稼業の匂いを消す為でしょうか、シリーズ後半では出番が無くなった津坂匡章、ただこの人はいい味を出しておりましたねぇ。 因みに彼だってもう72歳、驚くじゃありませんか。 さて寅さんが人並みに所帯を持ち、柴又に腰を据えた平々凡々の暮らしぶりでは映画にならないのは百も承知ですが、そんな寅次郎の姿を見てみたかった気もします。 >あるいは、どの映画でしたか忘れましたが志村喬さんとりんどうの花の咲くころ 確か元大学教授でひろしの親父さんという役柄でした、マドンナは池内淳子さん。 まあ志村喬さんのような人を名優というのでしょうねぇ、同じセリフでも何せ味がある、今こんな俳優さんはおりませんもの。 個人的に志村喬さんで思い出深い映画が、 「 夜桜銀次 」 を主役に据えた kamejrou さんも御存じの 『 山口組外伝・九州進攻作戦 』 です。 博多事件をモチーフにした当映画は、文太さんが銀次・梅宮辰夫さんがその兄貴分の石井一郎、そして渚まゆみさんが銀次の女房役をやりまして、志村喬さんは山口組に敵対する筑豊の大親分役、迫力がありました。 >[寅次郎夕焼け] >太地喜和子の不幸は寅には見過ごしには出来ない 当シリーズのマドンナ役として、彼女は恐らく3本の指に入るでしょう、本当に個性的な女優さん・・それ以上に弾けるようないい笑顔の持ち主だった、早世が惜しまれます。 >司馬さんの[関ヶ原] >私が見逃すものでもありません そりゃそうですね、どうも御見逸れしました。 是非ともDVDに落として、永久保存版にして下さい。 >森繁さんの家康、加藤剛の三成、本多正信の三国連太郎 >まことに名優キラ星のごとく❗ いやはや凄い配役です、NHKの大河ドラマでもこれだけの豪華版は見た事が無い、まさに 「 奇跡のキャスティング 」 、TBSも頑張りましたねぇ。 さて見どころには事欠きませんが、芦田伸介さん演じる鳥居元忠と家康の伏見城に於ける今生の別れ・・、 泣きました。 三成の挙兵を翻意させるべく、佐和山城に3度足を運んだ大谷吉継役に高橋幸治さん、この両人の友情にも胸を熱くしたもんです。 その他大友柳太朗さんの島津義弘も良かった、辰巳柳太郎さんの無骨な前田利家なんて痺れましてねぇ、おまけに芳春院役が沢村貞子さんと来てる。 ただ個人的に最も印象深いのが、細川忠興( 竹脇無我 )とその妻ガラシャ( 栗原小巻 ) の匂う様な美男美女のカップルなんです、特にあの頃の小巻さんは本当に美しい。 >三成に過ぎたるものが二つあり >島の右近に佐和山の城 関ヶ原に於ける石田隊は、槍が折れるまで・弾が尽きるまで奮戦しております、三成は家来の心を掴んでいたんでしょう、きっと・・。 司馬遼太郎さんが描いた 「 関ヶ原 」 で、幾分かでも彼に対する誤解が解けて良かった・・、私としてはそう思わずにおれません。 >家康に過ぎたるものが二つあり >唐のかしらに本多平八 家康もまた家来に恵まれた点では人後に落ちない、勿論その評価は彼の手腕に帰するべきものでしょうが・・。 後にこそ報われましたが、本多平八郎も長い事2~3万石に甘んじていた、彼の高名からすれば恐らく他家であれば軽く10万は取っていたでしょう、そんな三河気質が家康に天下を取らせた・・と言っても過言ではないと思います。 回答ありがとうございました。

noname#216458
noname#216458
回答No.14

ガラガラガラ・・・こんにちはぁ~、尾張屋です。 越後屋の旦那さん、お元気でしたか? 遅まきながら、本年も宜しくお頼み申し上げます。(笑)(おじぎ) いや、どうも失敬しました。(苦笑+汗;) ちょうど師走に入る前ぐらいから、仕事が忙しくなったことに加えて、やれ春闘対策だの、親戚や友人・知人宅で不幸が重なっただの、いろいろ振り回されまして、すっかりこのサイトから足が遠のいてしまいました。 おまけに我が旧式のパソコンは、どうにも、このサイトとだけはどうにも相性が悪く、ちょっと眺めているとすぐに画面が固まってしまう・・・ 年が明けてから、このあいだも一つだけ回答したんですがね、その後に答えようとしていた恵楠様のご質問の段になったら、回答不能になっちゃいましてね・・・ まったく嘆かわしい限りにございます。(深い溜息) かと言って、このサイトだけのために買い換えるのも気が引けますし・・・ まぁ、相変わらず、ご無礼多々申し上げますが、遅まきながら、ひとつ本年も宜しくお願い申し上げます。(笑)(おじぎ) 前置きが長くなり申し訳ありません。 さて 「 男はつらいよ 」ですが・・・ ネット上で公開できるほど、私はこの作品群に馴染んでおりません。 もちろん、幾つかの作品は劇場でも拝見していますし、レンタル・ビデオ、テレビ放送のお世話にもなっていますが、ヒトサマにウンチクたれるほど詳しくはない・・・ ちょっと、個人的な思い出を書かせていただきます。 プロフィールにも書いてありますが、私は昭和37年2月生まれで、学年としては昭和36年生4月以降生まれと同じになりますが干支は寅です。 父は分家で、祖父は本家におり、子供のころは近寄りがたい存在に見えたものでしたが、後で聞いたハナシでは、新年の挨拶周りで出向いた際、私のことを「とら」と呼び可愛がってくれたそうです。 ウィキペディァ等で確認していませんが、たしか、このシリーズが始まったのも、私が小学校に上がったころだったと記憶しております。おそらく、干支と、ただの呼びやすさと映画の主人公をひっかけてのことだろうと推察しますが、まぁ、当の本人も記憶が曖昧で、懐かしい思い出と言うにはおこがましい限りですが、明治生まれの厳格さがにじみ出る風情からか、滅多に外孫をひざの上に抱いたことが無い本家の祖父が可愛がってくれた、と、兄達はいまだに羨ましがるのです。(笑) それから、ご質問文にも書かれてらっしゃいますが、ちっちゃなところですね。(笑) 映画そのままの雰囲気を持つ、初めて訪ねたのに、どこか懐かしい雰囲気・・・ その辺から、寅さんはじめ、出演者の皆さんが、映画のなかでみせたいでたちで出てきそうな、そんな錯覚にとらわれたことを想い出します。 花のお江戸勤務のときに、一度だけ訪れたことがあります。相手は、あの、バブル崩壊でソデにされた彼女でした。今となっては思い出です。 恵須九様なぞは、私の質問文の書き出し「本日も我々ムサクルシィオッサンどもの宴が・・・」を、「待ってました、名調子」と褒めていただきますが、「帝釈天で産湯につかり云々・・・」を名口上と言わずしてなんと申しましょうか。(笑) 偉大なるマンネリと言ってしまえばそれまでですが、田所康雄さん(渥美清さんの本名)のライフワークは、これからも多くの人々の心に残ることでしょう。 きょうも、また、春闘対策で連帯協議会の詰め所に行かなくてはなりません。 (休みの日ぐらい、ゆっくり休みたいょ、まったく・・・) お目にかかれないときも、多々あるとは思いますが、本年も宜しくお願い申し上げます。 おじゃましました。(笑)lin(_ _)imo

isoken
質問者

お礼

尾張屋さん、お久し振りです。 お礼が遅くなり申し訳ありません、公私共にお忙しそうで何よりですが、暇を見つけてたまには顔を出して下さいな。 >おまけに我が旧式のパソコンは、どうにも、このサイトとだけはどうにも相性が悪く、ちょっと眺めているとすぐに画面が固まってしまう・・・ それって恐らく linimo さんのパソコンだけじゃないと思いますよ、システム変更してからこのサイトは相当に重い、立ち上がりも遅いようです。 >ネット上で公開できるほど、私はこの作品群に馴染んでおりません。 >もちろん、幾つかの作品は劇場でも拝見していますし、レンタル・ビデオ、テレビ放送のお世話にもなっていますが、ヒトサマにウンチクたれるほど詳しくはない・・・ 私も他人様に能書き垂れられるほど観ちゃおりません、ただそれでいいんだと思います。 「 男はつらいよ 」 は日本国民みんなのものでしょう、何かを語り合う事で断片的な思い出を共有出来ればそれでよし! >明治生まれの厳格さがにじみ出る風情からか、滅多に外孫をひざの上に抱いたことが無い本家の祖父が可愛がってくれた、と、兄達はいまだに羨ましがるのです。(笑) 「 降る雪や 明治は遠くなりにけり 」・・中村草田男の有名な当句は、我々が持つ昭和へのノスタルジーに繋がるものがあるのでしょう。 それにしても明治の男はまた格別でした、うちの爺さんもまあ厳しい人だった、 ただそんな明治生まれの頑固爺さんに可愛がられたとは、 linimo さんには幼い頃から人に好かれる才能があったという事でしょうかねぇ。 >映画そのままの雰囲気を持つ、初めて訪ねたのに、どこか懐かしい雰囲気・・・ >その辺から、寅さんはじめ、出演者の皆さんが、映画のなかでみせたいでたちで出てきそうな、そんな錯覚にとらわれたことを想い出します。 今でもそうですよ、帝釈天脇で御前様が源公を叱り飛ばしていても可笑しくない雰囲気があります。 >恵須九様なぞは、私の質問文の書き出し「本日も我々ムサクルシィオッサンどもの宴が・・・」を、「待ってました、名調子」と褒めていただきますが、「帝釈天で産湯につかり云々・・・」を名口上と言わずしてなんと申しましょうか。 Sさんは linimo さんの飾らない人柄がお好きなんだと思います、私もそう・・。 何はともあれ 「 ムサクルシィオッサンどもの宴が・・・ 」 というフレーズは、M姐さんの 「 ぺこりん 」 辺りと並んで、当カテで商標登録してもいいんじゃないでしょうか。 >きょうも、また、春闘対策で連帯協議会の詰め所に行かなくてはなりません。(休みの日ぐらい、ゆっくり休みたいょ、まったく・・・) お忙しいのでしょうが、今年一年またお付き合い御願い致します。 回答ありがとうございました。

回答No.13

御目っとうさんです、新年です、寅さんにも一回やらせてあげて下さい! 其れが山田監督に願う唯一の注文ですね(^^)。思い返せば、 寅さんも紋次郎さんも素人童貞ですかね⁉︎、道化や聖者,戦士には其の傾向有るでしょうし、ヒーローとはそう云う者なのか⁉︎,異性交遊は二の次か、 でもアジア特有かも、、ハリウッドやフィルムノワールは色事も付き物ですね。松竹大船code,じゃ仕方ないのか、でも何十人も付き合ったんだから、、 💐リリー浅丘ルリ子さんとは何度か縒りが戻ってるようで、一夜位は供に過ごしたでしょうか、それともあくまで純潔か、。 現実ではなく一種のメルヘンだとは理解しますが、実際の同業者の旅芸人は何と見てるのでしょう、私は山田演出には両義的かな。~新宿でフーテン族が流行った少し後、先輩のセミプロバンドマン達はドサ廻りでも平気で女を連れていた。やはりモテますから。 港々にスケが居る。香具師や旅芸人も大抵そうでしょう.。私が長らく働いた港湾でも全国をツアー。工業地帯のタワーやタンク内の洗浄、高圧ジェットガンを撃ち派手なので花形にも見られてた、居並んで放水すっと出初式の如く虹が架かる、。 健さんの青函トンネルや裕次郎さんの黒部ダムのような労働環境で働き甲斐は有る。毎年何処かで酸欠者も出る,油塗れの3K典型ですが無頼の徒が多く酔な振舞するのでまあモテる、結構高給なので月の半分はフラフラ遊んでる、。此処に元祖オタクの後輩を連れて込んで教えると、ちゃんと女性を口説くように成ります、私よりも巧くなったなぁ。~私は元実家が妹夫婦の住まいと為って私物を置いたままです。偶に立寄るとその日は歓迎ですが、真面目な公務員の旦那の手前もあってか扱い段々御座なりになるのは止む得ない。居づらくなって直ぐオサラバ。身につまされますわ。~そんな彼女らも寅さん映画なら良いらしい。親や教師でも寅さん好き多いかな、純情なら安心なのね !。彼れがモテ捲りヤリ捲りでは国民的人気には成らないでしょう。其の点テレビ版白黒の寅さん初回だけ観たけどもっとヤクザでしたねぇ。あっちが本当に近いでしょう。 🐯寅さんはいい男だったわ。〉あんな人はザラには居ないもの…〉では相手も未練引き摺りますね、キレイな侭では。やる事やってサッパリと別れた方が良いと想う、。 ★渥美さんは他にも似た面白いの有ります、同じく山田洋次原案で,森崎東初監督の、 ⚫︎喜劇 女は度胸」-倍賞美津子初主演でも愚兄役、親父を手めえ!,とこき下ろす(^^。 ⚫︎佐久間さんと「喜劇 急行列車」。「おったまげ人魚物語」伴淳とかと、。 純情奥手だけ良しとしますと、草食系と核家族ばかり蔓延る気がする、、私も騙されたヨ、もっとヤれば良かった。~あの路線が監督か渥美さんの意向かは判りませんけど、どうも無頼に対しタカ括ってるのでは? でも柴又の風情は何より懐しく好ましい、。アッシの一族は全て江東ですが幾分オットリしてる。比べて墨東から北~葛飾からビートたけしの千住辺りは激しいですねぇ。小学校からは千葉に引っ越しまして京成沿線です。此れが他の私鉄沿線とまるで違う人種ですね、乗れば解る!特に青砥辺りから、、そうですか今も変わらんですか⁉︎ 太地さんと大原さんの回が個人的には好みです。頼むからやらしてくれぇ~(*^^*、失礼。

isoken
質問者

お礼

marc さん、こんばんは。 遅ればせながらですが、今年も宜しく御願い致します。 >新年です、寅さんにも一回やらせてあげて下さい! >其れが山田監督に願う唯一の注文ですね(^^)。 浅丘ルリ子さんが、寅さんとリリーを添わせてやりたいと、山田監督に頼んだらしいですね、でも却下だったとか・・。 「 男はつらいよ 」 は人気の広がりと共に、結局男の純情を具現した映画に成らざるを得なかった、渥美清さんも役者さんとしての活躍の場を狭めてしまったという感じです。 それが良かったのかそうでなかったのか・・。 >💐リリー浅丘ルリ子さんとは何度か縒りが戻ってるようで、一夜位は供に過ごしたでしょうか、それともあくまで純潔か、。 褥を共にした男女では、あの空気感は出せないんじゃないでしょうか。 良い悪いは別として、一度寝ちゃうと男女間の緊張感は急速に薄れてしまう、そんな気がしますがどうでしょう。 >~新宿でフーテン族が流行った少し後、先輩のセミプロバンドマン達はドサ廻りでも平気で女を連れていた。やはりモテますから。 >港々にスケが居る。香具師や旅芸人も大抵そうでしょう.。 男の理想郷ですね、私も港々に女を作りたかった。 >偶に立寄るとその日は歓迎ですが、真面目な公務員の旦那の手前もあってか扱い段々御座なりになるのは止む得ない。居づらくなって直ぐオサラバ。身につまされますわ。 甥っ子に過ぎない寅さんが我が家以上に寛げる空間・・、おいちゃん・おばちゃん夫婦との交情は、今の日本ではほぼ有り得ない状況のように思えます。 それとひろし・さくら夫婦、少なくとも私は妹の旦那にあんな感じで接する事は出来ない、互いに遠慮があり全くの他人行儀、ひょっとしたら実の妹とすら他人行儀かも知れません。 >🐯寅さんはいい男だったわ。〉あんな人はザラには居ないもの…〉では相手も未練引き摺りますね、キレイな侭では。やる事やってサッパリと別れた方が良いと想う、。 仰る通りでしょう、いい線まで行ったが結局寝るに至らなかったいい女との別れは、妙に引き摺っちゃいますねぇ、飽く迄もこれは個人的感想ですが・・。 >でも柴又の風情は何より懐しく好ましい、。アッシの一族は全て江東ですが幾分オットリしてる。比べて墨東から北~葛飾からビートたけしの千住辺りは激しいですねぇ。小学校からは千葉に引っ越しまして京成沿線です。此れが他の私鉄沿線とまるで違う人種ですね、乗れば解る!特に青砥辺りから、、そうですか今も変わらんですか⁉︎ 江東区は23区の中で最も環境が激変した場所じゃないですか、インターチェンジが出来た為大規模な立ち退きに迫られ、木場の風情も変わりました、辰巳芸者なんて跡形もなくなっちゃった、その昔この大東京で芸者と言えば先ずは辰巳でしたからねぇ。 それから東京ガスとボタ山しかなかった、かつての陸の孤島豊洲に今や高層マンションが立ち並び、築地市場の移転先にもなった、この先も開発の嵐に晒されるとすれば恐らく江東区、何せ横浜・千葉とのアクセスが抜群にいいですから。 さて柴又は殆ど変わっちゃおりません、江戸川に面した狭隘な土地ですから変わりようが無いと言った方が正解なのかも知れません、まあ私にとってはその方が好ましい。 marc さんも出掛けてみればどうですか、そんなに遠くないでしょう。 回答ありがとうございました。

回答No.12

「男はつらいよ」は全作品見ました。そらはなぜかというと単純に楽しめたからです。 寅さんみたいな生き方をしている人は少ないと思いますがだからこそ憧れるのです。 一年中旅をしていて恋ばかりしている。家庭や家族とは無縁で自分の好きな様に行きている。そういう生き方にみんな憧れるはずです。実生活では考えられないからです。 寅さんの周りはさくらを始めそれを暖かく見守っているし助けている。寂しい時は「男はつらいよ」を見ていました。周りの家族が暖かいからです。

isoken
質問者

お礼

crazythunder さん、こんばんは。 >「男はつらいよ」は全作品見ました。そらはなぜかというと単純に楽しめたからです。 捻った作品、それはそれでいいのでしょうが、シンプル イズ ベスト・・と言うのも分かる気がします。 >一年中旅をしていて恋ばかりしている。家庭や家族とは無縁で自分の好きな様に行きている。そういう生き方にみんな憧れるはずです。実生活では考えられないからです。 そもそもスクリーンの中でまで、現実を投影した自分と等身大の生活なんて見たくないですよね、少なくとも私はそうです。 >寅さんの周りはさくらを始めそれを暖かく見守っているし助けている。寂しい時は「男はつらいよ」を見ていました。周りの家族が暖かいからです。 時代背景にも依るんでしょうかねぇ、それにしてもとら屋の面々はそりゃもう温かい。 回答ありがとうございました。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10478/32953)
回答No.11

満男くん(吉岡秀隆さん)とはほぼ同世代なのです。そう思っていただければ「リアルタイムで見ていたのはいつ頃からか」ってのはなんとなく分かって頂けると思います。 初期と後期では、寅さんの性格も大きく変わりましたね。初期の頃は寅さんも若かったせいかいかにもやくざ者というか、結構毒のあるキャラクターでした。その頃の倍賞千恵子さんはまさに泥に咲く蓮の花のような可憐でしたね。何かのときに第一作を見たときは「なにこの超絶清純派!」って思いました。 私がリアルタイム(といっても劇場で見たことは一度もなかったですが)で見た頃はおいちゃんは下條正巳さんでしたが、ファンや出演者がみな口をそろえて絶賛するのが初代おいちゃんの森川信さん。いかにも「下町のオヤジ」って感じでべらんめえ調が素晴らしい。寅さんとのケンカシーンはやっぱり森川信さんがいいですね。「人が黙ってりゃあ好き勝手なことを抜かしやがって!」「なにをォ!上等だ、表に出ろい!」って。ただもう後期作品になる頃には東京の下町にもあんなオヤジはいなくなりました。下條さんのほうがリアルになりましたね。 時代を感じるなァと思うのが、中期の作品で寅さんを頼ってきた父なし子が母親を探すって回があったと思いますが、小さい子が一人でとらやにやってきて、おばちゃんが「本当だったら施設に送るんだろうけど、そんな残酷なことはできないよ!」といって泣き出すんですよね。昭和の頃は施設に送ることが残酷でした。今はもうそういう人情が良くも悪くも通じません。 私がここで同じような映画シリーズで比較として出す007との一番の違い。寅さんは女を抱きません。中期以降は段々その純潔路線が前面に出てくるようになって、どの作品だったか寅さんがマドンナに迫られる場面があったと思いますが、BSの解説番組で山本晋也監督が「寅さんの純潔が奪われる!と日本中の寅さんファンがドキドキした」と・笑。 印象に残っているセリフが二つあります。ひとつは、お婆ちゃんが「人間の後悔は二種類あると思うの。どうしてあんなことしちゃったんだろう、っていうのと、どうしてあのときああしなかったんだろう、っていうのと」というセリフ。もうひとつは確か満男くんが「人間はなんのために生きているんだろう?」って問いかけて、寅さんが「生まれてよかったなあって思うときがなんべんかあるだろう?そんなときのために生きてるんじゃないかなあ」っていうようなセリフ。どの作品だったかもう忘れたので、セリフも正確ではなかったと思います。

isoken
質問者

お礼

eroero さん、こんばんは。 >満男くん(吉岡秀隆さん)とはほぼ同世代なのです。そう思っていただければ「リアルタイムで見ていたのはいつ頃からか」ってのはなんとなく分かって頂けると思います。 何となく分かりますが、私だって大きな事は言えない、テレビとDVDが殆どですから・・。 >初期と後期では、寅さんの性格も大きく変わりましたね。初期の頃は寅さんも若かったせいかいかにもやくざ者というか、結構毒のあるキャラクターでした。その頃の倍賞千恵子さんはまさに泥に咲く蓮の花のような可憐でしたね。何かのときに第一作を見たときは「なにこの超絶清純派!」って思いました。 フーテンのはずの寅次郎が、何故か国民的人気を博し遂には神棚に祀られるようになった・・、製作側もやり辛かったろうと思います。 極力テキヤ色を控えた為、恋そしてマドンナへの傾斜度合いが更に強まったんでしょうねぇ。 一方で倍賞千恵子さんは本当に得難いキャラクターですよね、決して取り澄ましてる訳じゃないけど何となく品がある、彼女の主演映画そして歌の通りまさに 「 下町の太陽 」 といった感じでね・・。 >ファンや出演者がみな口をそろえて絶賛するのが初代おいちゃんの森川信さん。いかにも「下町のオヤジ」って感じでべらんめえ調が素晴らしい。寅さんとのケンカシーンはやっぱり森川信さんがいいですね。 これはもう仰る通りで、皆さん森川信さんが一番だったと言われる、もっとも私もそう思うのですが・・。 >小さい子が一人でとらやにやってきて、おばちゃんが「本当だったら施設に送るんだろうけど、そんな残酷なことはできないよ!」といって泣き出すんですよね。 >昭和の頃は施設に送ることが残酷でした。今はもうそういう人情が良くも悪くも通じません。 私も断然おばちゃん支持、そりゃもう昭和のメンタリティーにどっぷりと浸かってます。 >私がここで同じような映画シリーズで比較として出す007との一番の違い。 >寅さんは女を抱きません。 カルチャーの違いなんでしょうかねぇ、我が国のヒーローは性的な匂いをさせちゃあ駄目みたいです、それこそ人気が出るに連れて次第に聖人君子になって行く、その辺り私個人は否定的ですが・・。 >印象に残っているセリフが二つあります。ひとつは、お婆ちゃんが「人間の後悔は二種類あると思うの。どうしてあんなことしちゃったんだろう、っていうのと、どうしてあのときああしなかったんだろう、っていうのと」というセリフ。もうひとつは確か満男くんが「人間はなんのために生きているんだろう?」って問いかけて、寅さんが「生まれてよかったなあって思うときがなんべんかあるだろう?そんなときのために生きてるんじゃないかなあ」っていうようなセリフ。 後者はいみじくも ex さんが述べておられました。 さて前者に関してですが、私でしたらした事への後悔は少ないと思います、ただしなかった事への後悔は一生引き摺るでしょうねぇ、それにしても中期以降の 「 男はつらいよ 」 には、何気に人生訓のようなものが散りばめられておりますね。 回答ありがとうございました。

noname#224992
noname#224992
回答No.10

学生時代、学科の先輩が「民青」の人で無理やり「赤旗」購読させられたりして 嫌だったのですが、彼が映画好きとわかって接点が持てるかなとよろこんだのですが 話すのは三里塚闘争の映画や「どっこい人間節」、せいぜい黒澤明の「生きる」とか で娯楽映画がない。 「もっと楽しい映画は好きじゃないですか?」 と訊いたら 「じつはね。一番好きなのは寅さんなんだよ」 と言ったのを覚えています。 実は、わたしも「男はつらいよ」はあまり観ていないのです。 けれど、仁義なき戦いのセリフ同様、なぜか「男はつらいよ」の名セリフのいくつかは 憶えています。 たまに観るテレビの放送で、渥美清の顔に似合わない男前の美声と滑舌のよい流れるようなセリフまわしが心というより聴覚に残るのですね。 よく「おいちゃん、おあ(ば)ちゃん、さくらもよくお聞き」とかセリフを真似てましたね。「見上げたもんだよ屋根屋の褌、たいしたもんだよカエルの小便」なんてテキ屋の啖呵売の口上も渥美清の流れる美声にのると聞いていて気持ちがよかったですね。 「男はつらいよ」にながれる「美学」ダンディズムは「負けず嫌いの美学」なんですね。負け惜しみと知ったかぶりも混じって、それが笑いを誘うのですが、それでも生きる誇りは失わない。 どのはっきりとは覚えていませんが 「何で生きてんのかなぁ」と少年が問う場面で 「あのなぁ。長い間には、生きていてよかったなぁって思う場面があるだろ。それを感じるために行きているんだよ。」 このセリフは泣けますね。 憶えているセリフはなぜか食べ物に関するものが多いですね。 「おばちゃん、今夜のおかずは何だい?」 「お前の好きなお芋の煮っころがしだよ」 「貧しいねぇ うちのメニューは。もうちょっと何かこう 心の糧になるおかずはないかい、例えば厚揚げとか筍とかよ」 これは、好きな笑いです。 似たようなので 「あのお嬢さんがラーメンなんか作るかい、手前の考えは貧しいからいけねえよ」 「だったら、何作るんだよ」 「きまってるじゃねえか、スパゲッチーよ」 山田詠美が西村賢太の苦役列車のなかで「お蕎麦とか書いているのがキュートだ」と 言っていますが寅さんのスパゲッチーも負けないくらいキュートです。 ついでに検索したら、こんなのもありました 「上等、上等、あったかい味噌汁さえありゃ充分よ。あとはおしんこと海苔とタラコ一腹ね、辛子のきいた納豆、これにはね、生ねぎを細かく刻んでたっぷり入れてくれよ、あとは塩昆布に生卵でもそえてくれりゃ、もう何もいらねえよ、おばちゃん。」 遠慮してるのか、あつかましいのかよくわかりません。 貧しいけれど誇りをもって生きること、さらに愛とロマンを失うなというのが 山田洋二の脚本が伝えるメッセージなのかもしれません。 1972年の頃は、洋画の封切は学生には高価でした。街中には300円で観られる 二番館、三番館があって「男はつらいよ」のリバイバル上映はその定番だったような気がします。 最初に暮らした下宿屋の隣の部屋に、雰囲気が渥美清そっくりな後輩がいたのを 思い出しました。

isoken
質問者

お礼

ex さん、こんばんは。 お礼が遅くなりまして、申し訳ありません。 >学生時代、学科の先輩が「民青」の人で無理やり「赤旗」購読させられたりして嫌だったのですが、彼が映画好きとわかって接点が持てるかなとよろこんだのですが話すのは三里塚闘争の映画や「どっこい人間節」、せいぜい黒澤明の「生きる」とかで娯楽映画がない。 ex さんの母校は、「 民青 」 の一大拠点だったらしいですね、因みに私のところで幅を利かせていたのは、統一教会の下部組織 「 原理研 」 というデコスケの集団でした。 女にモテたいのと坊ちゃん大学の校風に合わせて、サラサラのストレート・ヘアーにしてた私はきっと舐められたんでしょうねぇ、入学早々オルグか何かの目的で教室に乗り込んで来た青瓢箪のこいつらが、野次を飛ばした私を取り囲んで絡んできたんです。 でも高校時代はやくざ顔負けのパンチにセンター・ベントの短ラン、そしてバギートップ ( ボンタンはカッコ悪いので・・ ) でセンター街を練り歩いてたワルですからねぇ、所詮勝負にならない、地金を出して一発凄んだらそれ以降キャンパスで出会っても逃げてくれるようになりました。 >「じつはね。一番好きなのは寅さんなんだよ」 と言ったのを覚えています。 学生運動の闘士にも、実は 「 死んで貰います 」 ファンというのが大勢いたらしいですね、それと同じなのでしょう。 >たまに観るテレビの放送で、渥美清の顔に似合わない男前の美声と滑舌のよい流れるようなセリフまわしが心というより聴覚に残るのですね。 これは kamejrou さんがよく御存じなのですが、 テキヤさんの口上は俗に啖呵売と言いまして、商売の生命線ですから昔の香具師は先ずその修行を積んだと言いますね、私なんか無形文化財に指定して欲しいくらいなのですが。 それとこれも後の回答で御大が述べておられますが、渥美清さんはどうも一時期テキヤの手伝いをしていたらしいんです、つまりまるっきりの演技でもないんでしょう。 >「あのなぁ。長い間には、生きていてよかったなぁって思う場面があるだろ。それを感じるために行きているんだよ。」 >このセリフは泣けますね。 或る種の哲学でしょう、そこいらのインテリが垂れる能書きよりもずっと説得力がある・・。 >寅さんのスパゲッチーも負けないくらいキュートです。 私は今でもスパゲッチーって言いますよ、嫁さんから 「 昼何にする? 」 と聞かれましたら、「 スパゲッチー 、ボンゴレでな!」・・てな具合に・・。 スパゲティーともパスタとも言いたくないんですね、何故だか分かりませんが・・。 >「上等、上等、あったかい味噌汁さえありゃ充分よ。あとはおしんこと海苔とタラコ一腹ね、辛子のきいた納豆、これにはね、生ねぎを細かく刻んでたっぷり入れてくれよ、あとは塩昆布に生卵でもそえてくれりゃ、もう何もいらねえよ、おばちゃん。」 充分どころかこのラインナップは贅沢の極みでしょう、考えただけで生唾が出て来ちゃう、最近そんな贅沢な食事はした事がありません。 回答ありがとうございました。

  • IDii24
  • ベストアンサー率24% (1597/6506)
回答No.9

こどもの頃はこんな映画のなにが面白いんだと思ってましたが、年をとるにつれてそう思っていた当時の風景、風習や車、流行りが懐かしくて最近はのんびりしてたんだな当時はと見てます。 泣いてたまるかなどの流れなんでしょうね。当時は渥美清って他の映画とかにもちゃんと出てましたよね。大船の予備校に通ってた頃、ソバ屋で時々見かけました。その当時は「ふーん」的な感じしかなかったですが、今になってみればサインぐらいもらっておけばよかったと思うし、その当時の大船の景色や自分の置かれた状況も思い出します。 今見て思うのは昭和の40年代当時では東京と田舎って今よりずっと遠く、ずっとギャップがあったんだなと。だからこそ旅が面白かったんでしょうし、今は海外まで行かないとこういうギャップ感も無いんでしょうね。そういえば当時の歌謡曲には旅とか夜汽車とかよく出てきます。日本はいまよりもっと広かったんだな。

isoken
質問者

お礼

IDii さん、こんばんは。 お礼が遅くなりまして、申し訳ありません。 >こどもの頃はこんな映画のなにが面白いんだと思ってましたが、年をとるにつれてそう思っていた当時の風景、風習や車、流行りが懐かしくて最近はのんびりしてたんだな当時はと見てます。 そういう事って多いと思いますよ、私だってそう、歳を取った証拠と言われればそれまでなんでしょうねぇ。 「 男はつらいよ 」 に限らず、例えば両親が食い入るように眺めていた懐メロの類、私は大嫌いでした。 ところがどうでしょう、最近はその種の番組は何を置いても先ず録画、勿論対象となる歌手・楽曲は全然異なりますが・・。 >今見て思うのは昭和の40年代当時では東京と田舎って今よりずっと遠く、ずっとギャップがあったんだなと。 仰る通りで、30年40年前の方が東京と田舎の差は大きかった、ところが昨今は、全国どの地方に参りましてもさして光景が変わらない、一部の例外を除き田舎というものがこの日本から消え去ったという印象すら持ちます。 その理由を求めますに、先ずは各種交通機関の発達に依り、この日本列島が確実に狭くなっている事、次いでテレビ・パソコン他情報発信ツールの多様化に依る、情報の共有並びにタイムラグの解消、その辺りの森羅万象がこの島国に暮らす人々に生活の画一化を齎せた・・、そういう事ではないでしょうか。 >そういえば当時の歌謡曲には旅とか夜汽車とかよく出てきます。日本はいまよりもっと広かったんだな。 「 花嫁 」 は夜汽車に乗って嫁いで行かねばならなかったんですがねぇ・・。 回答ありがとうございました。

  • sqqrcxvx
  • ベストアンサー率9% (84/911)
回答No.8

isokenさんこんにちは。 本年もどうぞよろしくお願い致します。 >宜しかったら皆様が持つ「 男はつらいよ 」に纏わる話をお聞かせ下さい。 男はつらいよシリーズは残念ながら私はほとんど観ていません。語ろうにも何もありません。ありませんと素通りしてはisokenさんに年頭のご挨拶も出来ません。他の話題で盛り上がろうと思います。盛り下がってしまうかも、ですが。 年末TBSで、戦力外になった選手たちというテーマで夜遅く90分枠でしたか、放送していました。もう何年も続く年末の恒例番組なのですが私が気付いたのは去年から。 昨年も3人の戦力外選手を取り上げていましたが今年も3人。そもそも人さまの不幸を撮る方もですが、観る方もまた観る方で。そういうバツの悪さもあります。しかしこうも考えます。 放送されて皆が観れば話題になり、あの選手を拾い上げようかという誰かも現れるのじゃないかと。そういう期待もあり選手達も対象になるのを認める。良い方に解釈するようにします。 今年の3名は千葉ロッテのN投手とY投手。オリックスのY野手。皆合同トライアウトを受けます。Nは制球定まらず散々。Yはまずまず。オリYは7打数1安打。オリYはこの時点で引きは無いな感じました。 トライアウト後1週間以内に連絡があるかが鍵で過ぎれば駄目の世界。この辺の緊迫感が下手なドラマ以上です。観ているうちにこちらも選手に肩入れしているし、身を乗り出します。 結果、千葉Y27歳は連絡1件のみ。新日鉄住金のクラブチームでやらないかとのオファー。正社員でという付帯条件付き。彼は中日の育成で4年在籍しましたが去年戦力外、そして千葉に拾われ年俸は常に400台。その彼からすれば結構な条件ですね。奥さんは美容師、今は子育て専念中。 N26歳にも連絡1件。独立リーグ埼玉でどうか?但し給与は相場10万~15万。悩みに悩んだ末、1年限りという条件で受諾します。1年の内に12球団の何処かからオファーがあるのを期して。 オリY29歳には連絡0。やはり30歳が目前だと実業団からも誘いは無いのですね。今は引退後の求職中。 NもオリYも騒がれて入団した選手だったのですが、世の中厳しいです。1年前の同番組で対象となった楽天・藤江も気になります。横浜を戦力外で楽天に。そこも1年で戦力外。トライアウト受験もその後は不明。楽天では年俸1000でしたが、それが0ですからね・・ 昨年12月には、マエケンについても語って頂きました。 契約がまとまりましたが意外と基本給が低いですね。広島でも3億だったので、さほどの上積みは無い。松坂・ダル・田中と、来ると必ず故障する日本人投手と、先方さんも学習したんでしょう。 FA権も無し。球団側は途中解雇の権利を有する。8年契約という事はマエケンは向こうで選手生命を終えるつもりかな? 制球がよくて速球は(MLBでは)さほどでもない・・危いですね。どうなりますか。確実にウケるのがマエケン体操であるのは承知しています。 今年もよろしくお願いします。

isoken
質問者

お礼

sq さん、こんばんは。 お礼が遅くなりました、それ以上に誠に丁寧な御挨拶を賜りまして、恐縮至極です。 >年末TBSで、戦力外になった選手たちというテーマで夜遅く90分枠でしたか、放送していました。 私はその手の番組が好きで録画してますが、まだ観てはおりませんから、個別の選手に関しては語れませんが、過去この手の番組を観た上での印象は、今後プロ野球というステージでの活躍が正直難しい選手が殆どかなぁという事です。 >昨年も3人の戦力外選手を取り上げていましたが今年も3人。そもそも人さまの不幸を撮る方もですが、観る方もまた観る方で。そういうバツの悪さもあります。しかしこうも考えます。 >放送されて皆が観れば話題になり、あの選手を拾い上げようかという誰かも現れるのじゃないかと。そういう期待もあり選手達も対象になるのを認める。良い方に解釈するようにします。 sq さん同様私としても、彼等の決して短くはない第2第3の人生に於いて、ドラマ仕立ての当番組が何等かのメリットに繋がって欲しい・・、御家族の為にもそう願うばかりです。 何せ人間は霞を喰っては生きて行けない、養わねばならない家族があれば尚の事そうでしょう、その点が道の行くまま・気の向くまま、好き勝手に暮らす寅さんとの決定的な違いですね。 プロのスター選手という一握りの存在は、斯様に多くの屍の上に成り立ち破格の年俸を取る訳で、その陰に隠れた数えきれないほどの無念の涙を肝に銘じて欲しいものです。 まあ球団経営に於ける補強と一般企業の投資は同義語ですから、選手の商品価値が全てでしてそこに浪花節の介在は許されないのでしょう。 尚昨今では同じ事が我々サラリーマン社会に関しても言えるようです、経済が右肩上がりだった頃は、大変失礼ですが正直無駄飯を貪っている先輩諸氏は随分とおられましたが・・。 その一方で温情を前面に押し出しす企業も少なくなかったとの印象ですが、幸之助イズムを排除したパナソニックの雇用方針の大転換が指し示す通り、大企業に於いてすら年功序列は元より終身雇用が崩壊しつつある現在では、リストラ・果ては実質的な指名解雇という容赦ない淘汰の嵐に晒されてしまう、厳しいものです。 >昨年12月には、マエケンについても語って頂きました。 >契約がまとまりましたが意外と基本給が低いですね。広島でも3億だったので、さほどの上積みは無い。松坂・ダル・田中と、来ると必ず故障する日本人投手と、先方さんも学習したんでしょう。 いや~仰る通りでマエケンの評価は、悲観的だった個人的予想すら大きく裏切りまして思った以上に低い、それにしてもインセンティブ・ポーションが大きく最大で1000万ドルですか、日本球界のエース級としては近年稀に見る条件の悪さじゃないでしょうか。 この年俸面での低評価と8年契約との整合性をどの辺りに求めるかという点ですが、先発右腕のコマ不足に悩むドジャースとしては、マエケンの能力に若干の疑問を抱きつつも、化ける可能性をも否定しきれない・・という迷いが如実に出た契約内容、私としてはそう捉えております。 それからこの条件を呑ませた辣腕のネゴシエーターの存在、その点も忘れちゃなりませんねぇ。 その一方で広島カープが得るプロフィットに興味を持ち調べてみたのですが、譲渡金が協約上限の2000万ドル ( 約24億6000万円 ) ときては悪い商売じゃない、・・どころか恐らくウハウハでしょう 。 以前にも申し上げましたが、これはもう日本球界に於ける新しいビジネス・モデルですね、つまり開発 ( 育成 ) した商品 ( 選手 ) をポスティングで売り飛ばして新たな商品開発の原資とする・・、だから如何な大選手・人気選手も最近はポスティング限定で大歓迎といった風潮。 さて私の可愛いマエケンが、大方の予想を良い方に裏切りメジャーで大活躍するさまを、是非共この両目で見たいものです。 回答ありがとうございました。 今年も何卒宜しくお願い致します。

  • kamejrou
  • ベストアンサー率17% (191/1107)
回答No.7

こんにちはisoken さん 今日は土曜日か? 眺めてみれば昨日から質問しておられた? [男はつらいよ]を語る? まあ、語れるほどのものもありませんが、寅さんフアンの一人として 思うところは言えそうです ただ、支離滅裂とりとめのない話しになるやもですが 何時ものこととご容赦ください 話しの前に、 4日に柴又へ行かれた? 私はもう20年以上も昔になるのでしょうかね? 家内と二人でいきましたが駅前に寅さんの銅像はなかったような 参道が長い短いの記憶もあまりもうないのです💧 ただ、帝釈天と矢切の渡しがあるだけなのです それと、矢切の渡しの手前に[川甚]と言う鰻割烹のお店があったこと これは家内が入ると騒ぎましたので覚えております 結局、入りませんでしたけどね(笑) さて、寅さん 何から話せば良いものか? Isoken さんご存知のように映画の前はテレビドラマでした 当時の世情は学園闘争の只中、あるいは3億円事件そのような時代 実は私は当時観ていないのです 他に忙しいことが沢山ありましたからね🎵アハハハ、 後年、観る機会がありましたから知ってはおりますが そう言えば今日bsで7時から初回と最終話を放映するようです まあ、isoken さん仰るように映画にする時、 [愚兄賢妹]のタイトルの予定だったようですがそれではいかにも硬い! 当日、北島三郎さんの歌で意地の筋金の中の一節 つらいもんだぜ男とは、これから取ったと山田さん何処かで言っておりました 以前、michiyoさんの質問で言ったことがあります Isoken さんも同じようなことを言っておられたが男なんてものは 意地と見栄で生きる! 見栄をはれてなんぼのものでしょう 顔で笑って心で泣く!男はまことにつらいのです💧💧アハハハ、 余計な話しばかりしているものですから中々前にすすめないのですが どなたかと森川信さんの話しをしておられたので 三人のおいちゃんの話しを少し 私も一番印象深いのは森川信さんでしょうね Isoken さんもご存知のようにあの人は浅草の軽演劇出身❗ 座長もされていた ですから渥美さん始め谷幹一、八波むとし、映画にも出ておりましたが関敬六 彼らが尊敬する人でもあった ですから演技がまことに軽妙です どなたかと森川さんの馬鹿だねえの話しをしておられたが そのあとに続いて 俺、熱でてきたまくら、さくら❗ アドリブではなく単に台詞を間違えたようですが 山田さんはそれを面白がり以降の作品で決まり文句になりましたね(笑) 森川さん亡くなられてから二代目おいちゃんの松村達夫さん ベストの選択でしたでしょうね 森川さんのあの明るさを引き継いだ、途中で降りられましたが スケジュールの都合でもあったのでしょうか? そのあと何本か出ておりますしね 三代目下條正己さんはミスキャストとまでは言いませんけど どうも印象が暗い、森川さん松村さんの明るい演義がありましたからね まあ、そう思うのかも知れません 下條さんには面白い話しがありましてね、あの人は胡座がかけない 椎間板ヘルニアだったそうで、ですから初めの頃は全部正座!アハハハ、 あまり長い回答も嫌われるでしょうし 最後に寅さんの話しをして終わりにしましょう 私などが何故、寅さんの映画にこうも魅かれるか? 石原慎太郎さんがbsの寅さんの放送が終わって寂しいと言っておりましたが 慎太郎さんも寅さんは好きなのか? 少しおかしかったのですが これは戦後の我々が何処かに忘れてきた無意識のうちにある 昭和と言う原風景なのかな?と思いますね それともう一つ言えば、なるほどハチャメチャに映るのでしょうが 世間と言う大きな歯車に寅さんは自分なりに噛み合おうとしている ただ、噛み合わない空回りしてしまうのですね 私が寅さんの映画で哀しくもあり面白いのはおそらくそこなのでしょう 私の好きな何本かお話してみたいと思いましたが まあまたお話する機会もあるでしょう 特に宇野重吉さん、太地喜和子さんとの[寅次郎夕焼けこやけ] あとは浅岡ルリ子さんのリリーとの[寅次郎忘れな草] いずれまた何処かで ここいらで

isoken
質問者

お礼

kamejrou さん、おはようございます。 お礼が遅くなりまして、申し訳ありません。 実は昨日仲間内の新年会を兼ねたゴルフ・コンペに参りまして、久し振りで調子が良く、短い最終ロング・ホールを2オンしてほぼ真っ直ぐな2メートルのイーグル・パットが残った、それを捻じ込めば久し振りの30台・・、ところがぶるっちゃいまして見事に大外し、今年も多難な一年になりそうです。 >私はもう20年以上も昔になるのでしょうかね? >家内と二人でいきましたが駅前に寅さんの銅像はなかったような 今調べましたらあの銅像は17年前に建てられたものらしいですね、それにしても kamejrou さんは何度も行かれていると思ってました、意外です。 私はここ何年か初詣は浅草寺か帝釈天と決めておりますが、浅草はともかく仰る通りで葛飾柴又には見事に何もない、その先にはただただ江戸川の風景が広がるだけ、この先恐らく開発の余地もない故に保全状態が見事でして、寅さんやさくらそして御前様が今飛び出して来ても違和感が無い風情を残しております。 >それと、矢切の渡しの手前に[川甚]と言う鰻割烹のお店があったこと これは家内が入ると騒ぎましたので覚えております 私も入った事はありませんが、 『 川甚 』 は寛政年間創業の老舗であの辺りでは例外とも言える立派な店構え、220年の重みはやはりさすがですねぇ。 >そう言えば今日bsで7時から初回と最終話を放映するようです 勿論私も録画してます、追々観てみましょうと・・。 >[愚兄賢妹]のタイトルの予定だったようですがそれではいかにも硬い! 寅次郎とさくら、それ以上に私共兄妹の在り方に思いを馳せ親の目線に立ちますと、授かるならば息子よりもやはり娘の方が数段いい・・、そう考えずにはおれません、誠に残念ながら・・。 >顔で笑って心で泣く!男はまことにつらいのです💧💧アハハハ、 男から意地と見栄を取り去れば、ひょっとしたら何も残らないのかも知れません、また私としてもそういう人物とこそ友人になりたい・・、ただ昨今の世相を眺めますとどうでしょう、痩せ我慢すら出来ない女々しい輩が多いように感じます。 寅次郎が財布から500円札を取り出して旅芸人の座長にそっと握らせる、その後で我が財布を覗けば見事なまでのスッカラカン・・、時にそんな光景が散見出来れば、我が日本もまだまだ捨てたものじゃないんでしょうが・・。 >私も一番印象深いのは森川信さんでしょうね >Isoken さんもご存知のようにあの人は浅草の軽演劇出身❗ >座長もされていた 私が森川信さんの人となりを知ったのは、彼が若くしてお亡くなりになった後の事でした。 歴代のおいちゃんは仰る通り三人三様ですが、もっとも歯切れがいいのがこの方、寅さんの年齢が上がる連れそれに見合った人選という事なんでしょうか。 >石原慎太郎さんがbsの寅さんの放送が終わって寂しいと言っておりましたが慎太郎さんも寅さんは好きなのか? 或る意味目線が高いと感じさせる、慎太郎さんのような人物にすら何等かの感慨を抱かせたのだとしたら、 「 男はつらいよ 」 を語る上でのキー・ワードは、やはり昭和という事なのかも知れません。 >特に宇野重吉さん、太地喜和子さんとの[寅次郎夕焼けこやけ] >あとは浅岡ルリ子さんのリリーとの[寅次郎忘れな草] この2本は、私にとっても印象深い作品です。 特に若くして亡くなられた太地喜和子さんの弾けるような笑顔、良かったですねぇ。 回答ありがとうございました。

isoken
質問者

補足

当欄をお借りしまして、kamejrou さん以降に御回答頂いた皆様に御詫び申し上げます。 明日少しばかり野暮用がありまして夜は宴会、・・という事でお礼が明後日以降になると思われます、誠に相すみません。 さて kamejrou さんはBSもチェックされているようですから当然御存じでしょうが、例の 「 関ヶ原 」 の前編が本日の昼頃 BS - TBS で放映されておりました。 後編は明日なんでしょうかね、万が一見落としておられましたら、要チェックです。

回答No.6

あけまして、おめでとうございます 自分で言うのもなんだかなぁ~ですけどぉ フーテンの寅さんとは、まるっきし逆の人生。 と言っても勉学だきゃぁ1・2・1・2・・ 出来のわる~い長男坊だけどぉ 美術技術体育は4・5・4・5・・だもんねぇ~。 あの生き方にどんだけ憧れたことか・・ インテリに苦手意識なところ、とか・・ちっとんべ似てるぞぉ インテリにゃぁ敵わん事もあるけどぉ インテリにゃぁできん事もあるだんべ? インテリにゃぁ負けん事もあるだんべぇー。

isoken
質問者

お礼

raimugurin さん、明けましておめでとうございます。 今年も宜しく御願い致します。 グンマーは何と言っても関東やくざの保守本流、高崎のだるま市他有名な祭礼にも事欠かない、映画の中の寅さんも一度や二度は訪れているんじゃないでしょうか。 >出来のわる~い長男坊だけどぉ 右に同じです。 >あの生き方にどんだけ憧れたことか・・ >インテリに苦手意識なところ、とか・・ちっとんべ似てるぞぉ そうおいそれと選択出来ない生き方だからこそ、人気が出たんでしょうねぇ、そもそも映画の中でまで自分と等身大の人生を見たかないですもの。 >インテリにゃぁ敵わん事もあるけどぉ >インテリにゃぁできん事もあるだんべ? >インテリにゃぁ負けん事もあるだんべぇー。 そりゃそうでしょう、この世の物差しは何も知識や理屈ばかりじゃない。 ただねインテリという人種は概ね好奇心が旺盛みたいですよ、ただ若い頃はそれが勉学に限定されているだけの話でして、それが社会に出ると女性や趣味の世界他多岐に渡るようです。 一度得た知識の吸収力も確かに凄い、私は野暮天の彼等に女の口説き方や飲み屋での作法、女性に好意を持たれる服装のコーディネーション他随分教えてやりまして、変な話ですが或る種の尊敬を勝ち得ました。 要するに知識に貪欲なんでしょう、それを与えてくれる相手には非常に素直です。 回答ありがとうございました。

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    恥ずかしながら、この歳になってはじめて「男はつらいよ」シリーズを見始めました。いや~面白い!こんな上質な喜劇を今まで知らなかったとは。 前半第1作~15作、中盤何作か、後半42作~50作、と半分ほど観たでしょうか。つい先日観た15作「寅次郎相合い傘」は寅さんと船越英二とリリー(浅丘ルリ子)の楽しい3人旅、リリーが大舞台に立つ寅さんの妄想語り、有名なメロンのくだり、結婚話のくだりなど、始終見所でとても面白かったです。リリーが寅さんに啖呵を切るシーンが素晴らしく、似たもの同士の二人の対等な関係がよく描かれていて、リリーがマドンナの筆頭に挙げられるのも納得です。 でも私はやはり吉永小百合演じる歌子さん(第9作)が好きだなぁ。清楚で気取らない美しさで可愛らしく、寅さんの舞い上がりっぷりが面白かったし、歌子は寅さんを兄のように本当に慕っていて、二人で星を眺めながら歌子が寅さんの気持ちも知らず想い人の事を語り、一人グッとこらえる寅さんにはめっちゃ感情移入。第13作で夫を亡くした歌子と再会、年の差はあれども押せばいけるだろと思いつつも、自立をめざす歌子を応援するのが寅イズムなんだなぁ。マドンナによっては寅さんをその気にさせといて、寅さんの気持ちを察すると「困るわ」と言う人もいたけれど、歌子さんはその点無意識で、こうゆう女性に恋してフラれるなら本望だなぁと思うMyBestマドンナです♪ ストーリーは毎回同じパターンでも、色んなタイプのマドンナがいて、それぞれの寅さんの接し方が描かれているのがこのシリーズの醍醐味でもあるし、でも結局最高のマドンナはいつも心配して待っていてくれる妹のさくらなんじゃないかとか、毎回おなじみの家族ケンカや寅さんの名言とか、満男と泉の恋とか、ああ語り出すともうキリがない、、、あなたにとっての「男はつらいよMyBestマドンナ」に限らず、この作品への思いを語っていただけたらと思います。

  • 男はつらいよ、のお約束シーンについて

    今はもう終わってしまいましたが、松竹映画が年末年始に「男はつらいよ」を上映していました。 あの映画には毎回出てくるお約束のシーンがいくつかあります。 その中で、以下のようなシーンがあります。 映画冒頭、団子屋の連中(おいちゃん夫妻、さくら夫妻とみつお)は平和な日々を送っている。 (お出かけの予定を楽しみにしている、頂き物のフルーツなんかをみんなで食べている、etc) そこへ寅次郎が柴又の団子屋に予告なしに帰ってくる。 団子屋の連中は平和な日々を乱されては大変、とあわてるが、帰ってくるのを止めるわけにもいかず、 あわてて寅次郎を歓迎する。 寅次郎も最初のうちは自分の帰りを歓迎してくれる団子屋の連中にニコニコしているが、そのうち、「招かれざる客」であることを察知すると、「実家に帰ってきたのに招かれざる客」扱いされたことと、それを隠してうわべだけ歓迎の態度を見せたことに二重に立腹する。 一同、寅をなだめるのに必死であり、結局さくらが割を喰う。 わたし、このシーンを見ていると、すごーくいたたまれない気分になるんですけど・・・・ 他の観客(あるいはTV放映での視聴者)はどう感じているのでしょうか? 山田監督はいったいどういう意図で、毎回毎回、冒頭にこのようなシーンを作っていたでしょうか? 「日本人はうわべだけの建前社会である」 というような深いテーマでも持ち込みたかったのでしょうか? それとも映画の中で 「ああ、こういう事ってわれわれの生活においても、往々にしてあるよね」 というあるあるネタを入れ込みたかったのでしょうか? それならそれでもっと他に表現の仕様があったと思いますし、もっと言えば、映画は日常をわすれる娯楽なのですから、楽しいシーンだけにしておけばよかったと思うし、スパイスの為に、嫌なシーンを入れる、というのも、もうすこし工夫のし甲斐があると思います。 私が映画館で見てたら、確実にトイレタイムにしています。(ビデオの場合は早送りにしています) 山田監督の意図は何でしょうか?

  • 東京一人旅

    来週、親戚宅にとめてもらい3泊ほど東京を 見て回りたいのですが、どこかお勧めの 場所ありますか?東京は、同じような状況で 3回ほどいったのですが、いつもあまり 楽しめません。前回は、お台場の船の博物館と (北朝鮮の船を見に)、秋葉原をぷらっとして、 その後、靖国の遊就館に行き、後は、ラーメン屋 めぐりをしました。 なにせ、男(20代)なため、 渋谷とか代官山とかは、行く気にならなし・・・。 あ、それと葛飾柴又とか浅草とかは、ちょっと・・。 皆さん、アドバイスお願いします。