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寅さんの 良いところ

「 わたくし、生まれも育ちも 東京 葛飾 柴又です 」 ・・ 、 マンネリの極致 ではあるけれど 安定の面白さ、御存知 『 男はつらいよ 』 は 、日本の 原風景みたいな 映画なんでしょうか。 柴又 帝釈天 の 参道に在る 漬物屋で買った 名物の 塩ラッキョウ で、一杯やるのが 楽しみな 私ですが、それはまあ 置くとして・・。 映画を貫く テーゼ は 愛 と 旅 、2つとも 男のロマン じゃないですか。 映し出される 九州 や 瀬戸内 ・・ 信州の風景が、 身震いするほど 良いんですよねぇ、ただ それが 言うほど簡単じゃない事は みんな分かってる、普通の暮らしを 諦めなければなりませんから。 組織に縛られた それなりの暮らしと 自由気儘な 貧乏暮らし、殆どの人は 否が応でも 前者を選ばねばならないでしょう、例えば 普通に 就職 ・ 結婚もして 会社と家庭に両属し、好き放題にも 自ずと限度がある ・・ そんな風に。 ところが 映画の世界 ・・ フィクションとは言え、車 寅次郎 と 言う 男が、普通にそれをやってると言う 羨望 、人気の一端は そんなところに あるのかも知れませんね。 ところで 私が捉える 寅さんの特徴は、傍が 迷惑に感じるほど 親切の押し売りが凄い上 短気で軽率 、 反面 「 江戸っ子は 五月の鯉の吹き流し 」 を 地で行く人、さっぱりとした気性ではあります。 ただ この人の 自由気儘は、 おいちゃん ・ おばちゃん ・ さくら ・ ひろし 他 の善意 ・・ 、言うなれば 身内を泣かせて 成り立つ境遇 でありまして、実際 こんな人が 身近にいれば 、迷惑 この上ないのかも知れませんが。 さて そんな 『 男はつらいよ 』 又は 寅さん に関して、御意見を賜ればと思います。

  • isoken
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回答No.8

 すみません。山田洋次監督の家族アットホームが苦手で、あんまり見ないんですが、ようやく昨年の「こんにちは、母さん」を見て、やはりちょっと家族やご近所関係が悩ましく感じました。  ただその後、見た人のいろんな感想を読んで面白かった。アマゾンなどでは、家族の暖かさを感じたが多かったですが、映画芸術では、関係が絵空事のようと酷評もあれば、その薄ら寒さを下町で描いている凄さという評価もありました。  山田監督が、家族の温かさを描いたのか、表面的温かさを描いたのか、もしかしたら、昔の人情的な家族を描いたら、今の冷めた日本社会では、薄ら寒いものなのか、家族関係はかくもややこしいのかと感じます。

isoken
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nobound さん、こんにちは。 お礼が遅くなりました、申し訳ありません。 >すみません。山田洋次監督の家族アットホームが苦手で、あんまり見ないんですが、 好きなジャンルは ヤクザ ・ ギャング 他の アウトロー物、基本 私も ただ 淡々と時が流れる アットホーム系は 苦手です、事実 『 家族はつらいよ 』 は 駄目でした。 ただ 『 男はつらいよ 』 は 別腹なんですよねぇ、表面上は 紛れもない喜劇ですが、その裏に隠された ペイソス が 何となく 男心をくすぐります。 >もしかしたら、昔の人情的な家族を描いたら、今の冷めた日本社会では、薄ら寒いものなのか、家族関係はかくもややこしいのかと感じます。 昭和に生き この身で実際に触れた 、人情的な 何がしかを 懐かしく思う その一方で、それが 今 目の前で起こる現実だとしたら、それはそれで 疎ましく感じてしまう気がします。 何となく 他人行儀な 核家族的 繋がりに、慣れてしまっているんでしょうね。

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回答No.9

お礼を有難うございました。 補足を拝見させて頂きました。 isokenさま 女性の集まりの中で絶対に言ってはいけない言葉 「君は綺麗だね!」 それは言われたご本人以外の、そこにいるすべての女性を敵に回します。 絶対に一人を誉めてはいけないのです。 その周りにいる女性がすべて美しくないという事になり これ以上の侮辱はないのです。 つい言ってしまいそうですが、本当なのです。 但し一人の女性と二人きりの場合はいくら褒めてもいいのですよ。 難しいのです。

isoken
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purimuro-zu さん、こんにちは。 御礼が遅くなりました、申し訳ありません。 >女性の集まりの中で絶対に言ってはいけない言葉 >「君は綺麗だね!」 >それは言われたご本人以外の、そこにいるすべての女性を敵に回します。 拗らせると 実に ややこしい事になるのが 仕事絡みの 異性関係 ・・ 、依って 職場の女性は 、須らく 畑のカボチャだと思う事にしておりました。 基本スタンスは 好かれず 嫌われず ・・ 、 誰とも 均等に距離を取り、事実 特別な関係になった事も 好きになった事も無いのですが、 やらかした事が ない 訳ではありません。 或る時 社食で 2 ~ 3期下の 女性2人と 相席になりまして、その一方の娘に 社交辞令 で 「 相変わらず 可愛いねぇ ! 」 と 言ってしまったのです。 2人共 それなりに綺麗な女性で、私は むしろ その傍らにいた女の子と 親しかった為、それぐらいは 許されるだろうと 軽い気持ちで言ってしまった後、彼女の反応を見て 激しく後悔しました。 男って 駄目ですねぇ。 >但し一人の女性と二人きりの場合はいくら褒めてもいいのですよ。 親しくなればなるほど 好きになればなるほど、褒められないのが 現実だとは思いますが、女性に対する 能力や 性格への賛辞は、むしろ 逆効果かなと 考える次第です。 女性が 真に 褒められたいのは 、何だかんだ 言っても やはり 容姿ですものねぇ。

  • 5mm2
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回答No.7

isokenさん、こんにちは。 「男はつらいよ」は昔は結構よく見てましたが、最近日帰りのバス旅行の帰りの車中で久しぶりに見ました。 みんな疲れてて、半分は寝てるときに、ガイドさんがビィデオで流しました。 ガイドさんも疲れてるでしょうし、疲れてる人は見なくてもいいし、見る人には間違いなく楽しく見られる映画で、それが寅さんの良いところでしょう。 昔大家族が一般的だった時には家族の中に一人は、寅さんのような人間がよくいたと思いますが、僕の親父がそれに近いですね。 親はあきれて困ってましたが、叔母(親父の妹)と前に見た洋画の話を楽しそうに話してたのが、大人の世界を見るようで良い思い出として残っています。 「男はつらいよ」は寅さんを始め、妹も店の人も美男美女とは言えない人たちで、その中に突如絶世の美人マドンナが出現するのが良いですね。 それに恋して失恋するのがお決まりですが、最後に帰る場所があり、妹という絶対的な愛を感じる妹がいるということが、助けになっていると思います。 それでまた旅に出られるし、新しい恋心も生まれます。 絶対的な愛情というものは、やはり女性の持つ特殊能力のような気がします。 それが母親であったり、妻であったりしますが、男がそれを感じてる間は大きな人生の踏み外しはないような気がします。

isoken
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5mm2 さん、こんにちは。 御礼が遅くなりました、申し訳ありません。 >「男はつらいよ」は昔は結構よく見てましたが、最近日帰りのバス旅行の帰りの車中で久しぶりに見ました。 バス旅行 は 一度だけ参加した事が有ります、 2 ~ 3年前 だったでしょうか、カミさんに 尻を叩かれて 天橋立 に 行った時の事、もっとも 1泊 旅行でしたが。 東京駅から こだま に乗りまして 岐阜羽島 下車、そこに待ち構えていたバスに飛び乗って 、いざ 出発。 ただ あれって 疲れません ? 、 何せ スケジュールが分刻みで 忙しいったらない、2度と御免だと思いました。 >それに恋して失恋するのがお決まりですが、最後に帰る場所があり、妹という絶対的な愛を感じる妹がいるということが、助けになっていると思います。 反面 身内の優しさが、寅さんを 駄目にしてるとも 言えますでしょうか。 あれほど 外面と 内面 の違う 人は 、滅多にいないように思います、甘えているんでしょうね、きっと。 ところで 寅さんは 気にしちゃいないようですが、出来過ぎた妹 ( 弟よりは マシでしょうけど ) を 持つのって 、それはそれで 中々 辛いものですよ、経験から申し上げて。 恐らく 『 男はつらいよ 』 の コンセプト の 1つは 、 愚兄賢妹 なのでしょうが、我が家も 似たようなものです。 >それが母親であったり、妻であったりしますが、男がそれを感じてる間は大きな人生の踏み外しはないような気がします。 映画 『 麻雀放浪記 』で 鹿賀丈史 扮する ドサ健 が、博奕の借金のかたに 、恋人 まゆみ ( 大竹しのぶ ) を 女郎屋に叩き売る 瀬戸際、こんなセリフを 吐きます。 「 アイツはこの世で たった一人のオレの女だ。 だからアイツは オレの為に生きなくてはならねえ。 アイツと 死んだおふくろと、この二人には 迷惑かけても構わねえんだ 」 何だか 無茶苦茶 言ってますが、ちょっとだけ 分かるんですよねぇ。 生れてから こっち 、私だって 理解者 ・ 味方は 2人しかいなかった、お袋とカミさん の ただ 2人だけです。

  • eroero4649
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回答No.6

そらね、寅さんの良かったところは「お金で家族に迷惑をかけなかったこと」ですよ。 何年前だったか、BSで男はつらいよ全作品放送というのがあって、父親が全部マメに見ててそれを時々横で見てましたけど、私が見た中で寅さんがさくらさんやヒロシさん、おいちゃんやおばちゃんやタコ社長に無心した場面は一度もありませんでしたし、とらやに借金取りが押しかけたこともなかったと思います。 寅さんは様々な騒動をとらやに持ち込みましたが、お金のトラブルだけは一度も持ち込まなかったと思います。 テキヤという商売は実際はどこかしらの組織に所属するので、寅さんのように自由にあちことで気ままにテキヤ稼業をするというのは実際にはあり得ないとその界隈の人たちには昔からよくいわれていました。 けれどそれ以上に、テキヤ稼業でどこからも借金してないとか、お金のトラブルを起こしてないなんて人はあり得ないんじゃないかなと思います。あんな稼業でお金に困らずにいられるなんて考えられないじゃないですか。 しかも寅さんが生きていた時代は、オイルショックはあったもののそれを乗り越えてからバブル景気に向かう時代でした。彼は当時そこらじゅうにあった「怪しいビジネス」には一切手を出さず(その間に豊田商事事件などもありました)「真面目に」テキヤ稼業に勤しんでおりました。思えば、マドンナに無心したってことも一度もなければ、女を使って金儲けもしませんでした。 いやこうやって思うと実に清廉潔白、おかしなものにも手を出さず、真面目に働いてこられた方でした。 ところで北のあの国の先代の将軍様は「男はつらいよ」が大好きで、吹替も字幕もないオリジナル版を見ていたそうです。一説によると小泉首相(当時)との会談も日本語でやったとか。 あの人の好さそうな長男はディズニーランドが大好きだったし、にっこり笑って「死刑」といいそうなあの妹さんもキティちゃんが大好きという話もあります。どうもあすこの御一族は、日本が大好きなんじゃないかって気がしてなりません。今の第一書記様がどうなのかは分からないけど。

isoken
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eroero さん、こんにちは。 御礼が遅くなりました、申し訳ありません。 >何年前だったか、BSで男はつらいよ全作品放送というのがあって、 BS で 今でも 放映されておりますよ、上手くしたもので 1年経つと ほど良く 忘れちゃうんですよね、それで また 観るの繰り返しです。 >寅さんは様々な騒動をとらやに持ち込みましたが、お金のトラブルだけは一度も持ち込まなかったと思います。 叔父夫婦は 零細の団子屋 、一方 妹の旦那は 町工場で地道に働き やっと家を持ったと言う 前提ですから ・・ 。 それに 金の匂いがすると 映画が 暗くなっちゃいますよねぇ、そこいらを 考えたのでしょうか。 >テキヤという商売は実際はどこかしらの組織に所属するので、寅さんのように自由にあちことで気ままにテキヤ稼業をするというのは実際にはあり得ないとその界隈の人たちには昔からよくいわれていました。 仰る通りでね、どこぞの組織と関係し ショバ代を払って、庭主から 場を 割り振ってもらわなければ、祭礼や 縁日 の 所謂 タカマチ で 売( バイ ) する事は 不可能でした。 ただまあ テキヤ にも 2種類あって、代紋を背負い いざ 抗争時には 体を張る 組員と、単に 商売だけの人、寅さんは 後者であったと言う事なんでしょうね。 >いやこうやって思うと実に清廉潔白、おかしなものにも手を出さず、真面目に働いてこられた方でした。 元々 テキヤは 案外 地道な稼業でして、博徒のような 一獲千金的 派手さが無いものだから、中々 若手が 入って来ないんですよね、 依って 随分 前から 人材難だったようです。 もっとも テキヤが 続々と 博徒系 広域暴力団の傘下に入り、且つ 極東会 のような 独立系 テキヤ組織も 営業品目 が 似て参りまして、 博徒 と テキヤ の 垣根が ほぼ無くなった昨今です、時代の流れでしょうか。 >ところで北のあの国の先代の将軍様は「男はつらいよ」が大好きで、吹替も字幕もないオリジナル版を見ていたそうです。 金正日 が 『 男はつらいよ 』 の 大ファンであったのは 有名な話ですが、同時に 世界的 映画 コレクターであったのも 事実のようですね。 香港に在った 北系のダミー会社を使って 映画を仕入れ、それを ダビングして コレクションしていたようです。 その情報源は、1970年代後半 北朝鮮に拉致された後、脱北 して 韓国に帰国した 映画監督の 申相玉 女優 崔銀姫 共著の 『 闇からの谺 』 ですけど。 >あの人の好さそうな長男はディズニーランドが大好きだったし、 金日成 が 溺愛していたそうです、ですから 彼の生存中、 金正男 の 3代目 継承は 既定路線 でした。 それが引っくり返され 金正恩 後継が決まった背後には、まあ 色々とあったのでしょうね。 ただ そこいらの柵が、大実力者 張成沢 と その後に続く 金正男 粛清へと 繋がったのは 、恐らく 事実でしょう。 >今の第一書記様がどうなのかは分からないけど。 物知りの eroero さんですから 御存知かも知れませんが、おデブちゃんの 生母 高容姫 = 将軍様の 3番目の夫人は 、 大阪 鶴橋 出身の 在日帰国者 です。 そんな 彼女の母 = 金正恩 の祖母は 日本人でありましたから、実は 彼の体内には 日本人の血が 1 / 4 流れているのです、実は 日本の事を嫌いじゃないと噂さされる由縁は その辺りにあるのでしょう。 ところで 私は ディープな 北朝鮮 ウオッチャーでありまして、書斎は 北関連の書籍が溢れ返っております、その昔 2度も 渡航申請したぐらいで。 ところが 全て 却下されました、2度目なんて 赤坂の韓国クラブで知り合った、朝鮮総連系 旅行社 幹部の伝手があったのですが、それでも ビザが降りなかった。 後で聞いた話ですが、余りに 多い 韓国への渡航回数( 当時で10回 近かった ) が 疑われたんだとか。

回答No.5

isokenさん、今晩は 大谷翔平、選手生命脅かす大ピンチに遭遇。まさか震源が二人三脚の「親友」水原一平とは、、びっくりしました。人は見掛けに寄りませんね。人間不信に陥ります。それにしてもマスコミの掌返しは見事ですね。大谷は人気凋落のMLBの救世主「宝」ですから第二のピート・ローズに成らないでしょうけど今季のパフォーマンスに影響必至は心配です。何とか開幕迄に立て直して欲しいです。 本題の寅さんは、勿論、マドンナですね。玉石混淆、いや、百花繚乱でしたね。監督は泉ちゃんと満男の結婚まで撮りたかった様ですが渥美清が亡くなり叶わなかったのが残念です。ブブカの好きなマドンナは浅丘ルリ子リリーさんより太地喜和子ぼたんさんですね。

isoken
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ブブカ さん 、こんにちは 。 御礼が遅くなりました、申し訳ありません。 >大谷翔平、選手生命脅かす大ピンチに遭遇。まさか震源が二人三脚の「親友」水原一平とは、、びっくりしました。人は見掛けに寄りませんね。 6億 8000 万円 ですかぁ、凄いですよね。 女と博奕 ・・ どっちが 男を狂わせるかと言いますと、 博奕だと 断言出来ます。 それと 経験上 言わせてもらえば、ギャンブルで 身の丈を考える人は 殆どいません、皆が皆 背伸びをしてやってるんです、ギリギリのところで やってる、場合に依っては 使っちゃいけない金をつぎ込んで。 彼の場合 それが 大谷翔平 の 金だった、現段階の捜査で 引っ掛かるのは、精々 詐欺罪 と 窃盗罪 ですが、 マネー ロンダリング への関与も 噂されておりますよね。 FBI が 出張るってのは そう言う事です、単なる 詐欺や窃盗に関わる 組織じゃありません。 その点が 立証されると、懲役の桁が 1つ 上がって 、 最低 10年は 連邦刑務所に食らい込む事になるかと思います。 >今季のパフォーマンスに影響必至は心配です。何とか開幕迄に立て直して欲しいです。 ホームランが出ませんよねぇ、自己 ワースト の 38打席 ノーアーチ だとか ・・ 、今朝も テレビで流しておりましたが。 ブブカ さんと 同じく 私も、大谷 活躍の障害となる 全ての可能性を 排除したいのです、正直言って 水原一平 氏の 事件なんて どうでも良くて。 >ブブカの好きなマドンナは浅丘ルリ子リリーさんより太地喜和子ぼたんさんですね。 『 寅次郎 夕焼け 小焼け 』 、 播州 の 小京都 龍野 が舞台でしたが、宇野重吉 さんが 横山大観 を 捩った 池ノ内青観 を演じ、彼の初恋の人が 、樺太で 愛の逃避行を決行した 岡田嘉子 さん。 全 49作中 、クオリティが 最も高い作品だったように思います、勿論 太地喜和子 演じる ぼたん も 最高でした。 人気投票に依ると、マドンナ の 1位 は やはり 浅丘 リリー だそうですが、 太地喜和子 さん ・・ 良い女優さんでしたよねぇ。 杉村春子 の 後継者は この人しかいない 、そう言われたほどの人、その早逝が 惜しまれます。

回答No.4

車寅次郎 懐かしいですね。そして寅さんは大好きです。 あまり観た事は無かったのですが 「とらさん」は私の世代では大人気 昭和 時の人です。 「 江戸っ子は 五月の鯉の吹き流し 」なるほど! 寅さんそのものです 私の伯父は明治生まれで、名もない画家でしたが、 寅さんとちょっと似たところがありました。 東京長崎アトリエ村(今の豊島区東長崎)という画家が多く住んでいる所におりました 自営の甘味喫茶経営は伯母に任せきりで 自分は毎月のように絵筆をもって全国を歩き回っていました。 そして行く先々で女性のファンが増え それを土産話にするような人でした。 私は伯父にその話を聞くのが好きで よく伯父のアトリエに通っていました。 90歳まで生きましたが、伯父は男として幸せだったと思います。 男の幸せは女の我慢にある なんて、私は思っているのですが、 昭和は女の我慢の歴史みたいなものです。 私の時代は女性がみんな男性の為に我慢した そしてそのお陰で夜の中が上手く廻っていたのですが 今、そんな事言ったら叩き潰されそうですね。 寅さんみたいな人は今の時代フィクションでも炎上されそうです。 男女は平等なのですが、身体的な力と、役割が違います。 男性の力、女性の力、両方でお互に協力していければ とても良い事なのですが、 なかなかうまく行きません。 みんな自分の都合ばかりを考えているように思えます。 21世紀も来年四半世紀 時代は驚くほど変わりました 昔は当たり前のように思われていた事が 今はハラスメントとして俎上に載せられ メディア、ネットで叩かれる それでも日本人はまだ大人しい方ですが、 いろいろ考えさせられることが多くあります。 寅さんが実際この世界に生きていたらどう考えるでしょうね。 キャンピングカ-で日本一周 「俺は日本一自由人!!」 私の時代はそれでも昭和一桁ではありませんので 少しは考え方も違っている世代でしたが (OL、高度成長期、女性週刊誌世代) それでも、もうカビの生えた考え方になるのでしょう と思いつつ 毎日 苦笑いです。

isoken
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purimuro-zu さん、こんにちは。 御礼が遅くなりました、申し訳ありません。 >私の伯父は明治生まれで、名もない画家でしたが、 欧米と日本の違いは 当然 星の数ほどありますが、芸術家に対する スタンス 辺りは その1つでしょう、我が国でチヤホヤされるのは 、御承知の通り 著名人だけです。 ところが 特に 西欧に於いて、身内に芸術家がいるのは 大変 名誉な事でありまして、兄弟が何人かいると 中の1人を 音楽家や画家にしたがり、 且つ 物心両面から 支援を惜しまないそうです、一族の誉れに繋がると ・・ 。 >自営の甘味喫茶経営は伯母に任せきりで >自分は毎月のように絵筆をもって全国を歩き回っていました。 家族を養う為 額に汗して 働く 世の亭主からすれば、誰もが羨むであろう 夢のような話 ・・ 、恐らく それに勝る法楽は 無いと思います。 寅さん人気の 原点も、そこいらに あったのでしょうね。 >男の幸せは女の我慢にある なんて、私は思っているのですが、昭和は女の我慢の歴史みたいなものです。 永遠の哲学 みたいなものだった その種の パラダイム ですが 、 今は どこを探しても 見つからないはずです、 三下り半を 叩き付けるのは 、ほぼ 女性の側と 相場が決まっておりますから。 >今、そんな事言ったら叩き潰されそうですね。 いみじくも purimuro-zu さんが 仰る通り、その時代に於いて 口に出してはならない 本音みたいなものがありまして、昔は 「 宗教 と 哲学の話は 絶対にするな ! 」 と 言われておりましたが、今 触れちゃならないのは フェミニズム や ジェンダー に 関して。 私もね フェミニズム には 大きな疑問を持つのです、 「 男と女が 違っちゃ 悪いのか 、 殊更 取り上げる 必要があるのか 」 ってな 具合に。 ただ 自分の意見を持たない 無知な人間ほど 、メディア や SNS が 振る旗に 靡き易いですよねぇ、その種の事を 熱く語るのは、大概 底の浅い 知識しか持たない 馬鹿です、言っちゃ 悪いのですが。 >寅さんみたいな人は今の時代フィクションでも炎上されそうです。 コンプライアンス や モラル みたいなものが 幅を利かせている限り、今の日本に 車 寅次郎 が 嵌る場所はないでしょう、何せ 自分勝手の権化 みたいな人ですから。 一方に於いて、現代社会の在り方も、 何だかな ~ って 感じではありますが。 昭和の日本には、強烈な個性が 生きて行ける 土壌が在ったが 今は無い、大勢に流されないと 生きて行けないんです、きっと。 >昔は当たり前のように思われていた事が >今はハラスメントとして俎上に載せられ >メディア、ネットで叩かれる 平成 のいつ だったか 忘れましたが、私が 管理職に成りたての頃、当時の常務を委員長とする コンプライアンス委員会なるものが 立ち上がりましてね、そこから流れて来た 紙切れを見て 驚いたものです。 上司が 部下に取ってはならない言動が 幾つか 書かれていたのですが、 「 いつも 美しいねぇ 」 は セクハラ に 当たり、そうでない女性への モラハラ に当るんだとか ・・ 、もう 訳が分かりませんでした。 私なんて、日に3度の飯を食べるぐらいの頻度で 、日常的に 使っておりましたから。 簡単に セクハラ って 言いますけど、容姿を褒められて 嫌がる女性なんて、どこを探したって いませんよね。

回答No.3

isoken大センセともだチンコ!! 「わたくし、生まれも育ちも東京葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、 姓は車、名は寅次郎、 人呼んで "フーテンの寅" と発します。 不思議な縁持ちまして、たったひとりの妹のために 粉骨砕身、 売(ばい)に励もうと思っております。  西に行きましても東に行きましても、とかく土地のおアニィさんにごやっかいかけがちな 若僧でございます。  以後、見苦しき面体、お見知りおかれまして恐惶万端引き立てて、  よろしく、お願(たの)み申します。」 この有名な口上を遠藤元・徳島市長がスラスラっと言えましてね、さすがは落研だなぁと感心した記憶があります 私も風の吹くまま、気の向くまま生きていますから、半分寅さんみたいなもんですよ(^o^)

isoken
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ミッタン、こんにちは。 >「わたくし、生まれも育ちも東京葛飾柴又です。 柴又 と言う 鄙びた街には、 帝釈天 と その参道 以外 本当に何も無い、 故に 人情劇 と絡めるには 打ってつけの土地だったのかも知れませんね、そこいらは 山田洋次 監督 の 慧眼だったと言うなの事でしょう。 ところが 現在、 周辺の 都道 拡張計画が持ち上がっておりまして、戦災を逃れ 奇跡的に保持された 昔ながらの 低層木造の街並みが 、景観を一変する可能性があるんだとか。 行けば 分かりますが、京成線 柴又駅を降りまして、 帝釈天 へと向かう 参道の途中に 1つだけ信号が在りまして、ここで 参道とクロスするのが 通称 柴又街道 と言う 都道なのです。 >この有名な口上を遠藤元・徳島市長がスラスラっと言えましてね、さすがは落研だなぁと感心した記憶があります 亡くなられた 6代目 円楽 さん の 後輩ですよね、法学部 繋がりで お二方共 私の先輩に当るのですが。 一方 蓮舫 姉ちゃん は 後輩なんです、7つ 下の。 ところで 20年前ぐらいかなぁ、彼女が 参院へ打って出る際、後援者名簿に 名前を貸してほしいと 、スタッフが 訪ねて来られましてね、気楽に OK したはいいが、その後 なしのつぶて ・・ 礼状 1枚 届かなかった 、「 ええかげんに せ ~ よ ! 」 と。 ちょっと調べましたら、遠藤さんは 今春の 徳島市長選に 再度 立候補 されるんですってね 、頑張って欲しいものです。 >私も風の吹くまま、気の向くまま生きていますから、半分寅さんみたいなもんですよ(^o^) 確かに ! 貴女ぐらい 勝手気ままに 生きてる女性も 珍しいでしょう。 似たような 境遇だった 私と言えば、会社と嫁さんに飼い慣らされて、いつの間にか そこいらにいる 小市民になっちゃいました、それも 運命ですか。

回答No.2

「男はつらいよ」は、渥美清主演のTV番組「泣いてたまるか」が元だったと思います。 この「泣いてたまるか」は、私がまだ小学生で当時は白黒・真空管のTVで親と一緒に見てた記憶があります。 この「泣いてたまるか」は「男はつらいよ」と同様に片思いの女性に振られたりする話もあったとは思いますが、毎回違う職業を演じて仕事でお客さんから苦情や罵声にじっと堪えるような内容も多かったと思います(かなり昔なので曖昧な記憶かも知れませんが・・・)。 そのTV放送が終わり、その後釜として「男はつらいよ」ができたと思いますが、その内容は結局は最後に女性に振られる内容なので、どれも同じように感じて面白くないですね。 以前ディアゴスティーニから「泣いてたまるか」のDVDが発売され懐かしくて第1号だけ買い久しぶりに見ましたが、やはりこちらの方が面白いと思います。もう一度「泣いてたまるか」をどこかのTV局で製作して欲しいと思いますが、渥美清に代わる俳優はなかなかいないですね。

isoken
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anatahadare さん、おはようございます。 御礼が遅くなりました、申し訳ありません。 >この「泣いてたまるか」は、私がまだ小学生で当時は白黒・真空管のTVで親と一緒に見てた記憶があります。 調べましたら 、当板組は 私が 小学校に上がった年に 始まっておりまして、 全く 覚えていない、恐らく 見ていなかったのだろうと思います 。 もっとも 寅さん 自体、人気シリーズになって後、初作に返って 見出したクチですから。 >そのTV放送が終わり、その後釜として「男はつらいよ」ができたと思いますが、その内容は結局は最後に女性に振られる内容なので、どれも同じように感じて面白くないですね。 anatahadare さんの御指摘は、 至極 もっともな事だと感じます。 ただ オチが分かって 尚 、映画館に 足を運ばせ ・ 笑わせる って、それはそれで 凄い事ではないでしょうか。 事実 全 49作 30年弱 に渡り、 松竹 の 屋台骨を支え続けた訳で ・・ 。 日本の正月に 無くてはならない、締め飾り や 門松みたいなものだった ・・ 、当たらずとも遠からず かも知れません。 >渥美清に代わる俳優はなかなかいないですね。 そりゃ いないでしょう、そもそも 車寅次郎 = 渥美清 って 図式からして 、他には 見当たりませんから。

回答No.1

isokenさま☆こんにちは(*ˊᵕˋ*) 『江戸っ子は 五月の鯉の吹き流し』も知らなかったし 『啖呵売』も知りませんでした ほかにも知らないことだらけ汗 葛飾といえば『こちら葛飾区亀有公園前派出所』という漫画をチラリと聞いたことある程度だし••• 下町のお話しなんですね? と いえば人情でしょうか わたしは生まれも育ちも大阪の下町です これはある意味 自慢なんですよ୧(๑•̀ •́๑)イェイ 確かにおばちゃん達は 親切の押し売りがスゴイです( ・∇・) でもこの町が大好きです 沢山ある映画の中で 1作目のあらすじを読んだだけですが 主人公が失恋して泣くところなんて良いですね 時代背景は分からないのですが 映画が公開されたのは1969年 その頃は「男が泣くなんて」という風潮があったように思うのですが スンナリと受け入れられたのでしょうか? 当時の女性達の「男は子供だから」と呆れ混じりの寛容さのある 良き時代の映画のように思いました(∩゚□゚)ハィッ! 因みに わたしにはそうした寛容さは微塵もありません

isoken
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miraikanata さん、おはようございます。 よんどころない事情が出来、御礼が遅くなりました事、お詫び申し上げる 次第です。 >『江戸っ子は 五月の鯉の吹き流し』も知らなかったし 『啖呵売』も知りませんでした 口は悪いが 腹は真っ白 ・・ 、 今はもう 江戸っ子 を感じさせる 「 粋でいなせ 」 な人は おりませんね。 それにしても 『 啖呵売 』 なんて よく調べましたねぇ、 私が ガキだった頃は 祭りの華だった、事実 胸を弾ませたものです。 ところが 所謂 「 反社 」と 言う名で 一括りにされ、露天商 ・ テキヤさんが 、 祭り・縁日の場から 締め出されて 今に至る。 良くも悪くも 日本の伝統じゃないですか、それを 簡単に切って 良い物かどうか ・・ 、非常に残念です。 >葛飾といえば『こちら葛飾区亀有公園前派出所』という漫画をチラリと聞いたことある程度だし••• 電車で言うと、亀有は JR 常磐線 ・ 柴又 は 京成金町線 なのですが、同じ葛飾区ですし 直線距離は短いですよ。 ところで 10年 一昔どころか、 5年も経てば すっかり変わっちゃう昨今でありまして、東京なんて その典型なのでしょうが、その東京にして 変わらない場所が無い訳じゃない。 寅さん 効果で 全国有数の 知名度を誇る 葛飾 柴又 は 、明らかに そうでしょう。 そもそも ちょっと歩けば 江戸川 に 突き当り、川を渡ると 千葉県、川沿いを 北に行けば 数分で 埼玉県、つまり 千葉 ・ 埼玉 との境 ・・ 東京 の どん詰まりにある 狭隘 且つ 鄙びた街ですから 、変わりようがなかったと言うのが 本当のところなのかも知れません。 >わたしは生まれも育ちも大阪の下町です 大阪の下町に関して ちょっと調べてみたのですが、明確な 線引きらしきものは 見当たりませんでした、イメージ的には 十三 ・ 新世界 辺りなのですが、違うでしょうか ? その点 東京の下町は 簡潔にして 明瞭でありまして、 浅草 ・ 下谷 ・ 本所 ・ 深川 を結んだ線の内側 、つまり 隅田川 を 挟んだ 両岸が 、江戸時代の流れを汲む 言わば 血統書付きの 下町。 江戸が舞台の時代劇に出て来る地名も ほぼ そこいら ですが、現在の住所で言いますと 台東区 ・ 墨田区 ・ 江東区の一部、その他 日本橋 ・ 神田 辺りも 含まれるでしょうか。 ただ 東京大空襲で そのエリアがほぼ壊滅しまして、むしろ その外側に 江戸情緒的な物が残された為、自然と 下町の概念が広がって行き そこに含まれるのが 葛飾 ・・ 個人的には そう捉えております。 ところで 天然の商都 大阪 に対して、何等 生産性のない 武士を食わせる為、100万を超える 町人が暮らした 人工の 消費都市であり 政治都市が 江戸。 本音 ・ 普段着 の 大阪 に対し、 建前 ・ 余所行き の 東京 ・・ 、そう言い換えても 良いでしょうかねぇ。 例えば かつて 大阪 転勤を経験した 同期 が 、いみじくも こう こう申しておりました、 「 会社名・名刺で商売が出来るのが 東京、肩書など クソの役にも立たないのが 大阪 」 ・・ だと。 殊に 飲み屋さんが顕著であるそうで、 銀座 は一流企業の エリート ・ サラリーマン が モテ、北新地 は 金払いが良い客が 一番 モテる そうです。 色んな面で 実に対照的な 両 メガ ・ シティ でありますが、実は 明治新政府の首都は 大阪で ほぼ 決まりかけていたのです。 そもそも 薩長 主導に依る 西の 雄藩 連合政権でありましたし、京・大阪 自体 、 二百数十年の歴史を持つ 潜在的な 反 徳川 でありましたから。 それが 諸々の理由に依り 引っくり返され、急転直下 東京 遷都が 決定した 経緯があるのですが、それでも 尚 大阪 は 経済的繁栄を続けました。 仮に 大阪 が首都であったならば、日本の歴史は その後 随分と 違ったものになった事でしょう、大阪弁が 標準語になっていた 可能性が高い点を含めて。 その一方で、 東京が 東日本の中心都市として 機能したかどうかは 大いに懐疑的です、何故なら 先にも書いた通り、 江戸 は 人工の大都会でしたから。 ただ もち上げてばかりでは なんですので、正直に書きますと、 その後 膨張する一方だった 日本の首都機能を 大阪が 果たすのは 、恐らく 無理だったように思います。 何故なら 大阪平野は 非常に 狭いんですね、その点は 私自身 大阪城の天守閣に登り 、周囲を見渡した際 痛感した事なのですが。 >確かにおばちゃん達は 親切の押し売りがスゴイです( ・∇・) >でもこの町が大好きです 大阪のおばちゃん = ド派手な ヒョウ柄 イメージはともかく、元気印 名古屋 が台頭し、諸々の経済指標に於いて 横浜 に凌駕されて 尚、 東京 に肉薄可能な 大都会は 大阪だけだと 感じます。 個人的に 日本で最も 興味をそそられるのが 大阪、その成り立ちの複雑さや 面白さでは 東京など 比較にもならない、 歴史と伝統も凄い。 薄れ行く 大阪の アイデンティティ や DNA の 継承 ・・ 、大切な事ではないでしょうか。 以上 長くなりました。

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