江戸時代の子供犯罪刑罰法について

このQ&Aのポイント
  • 江戸時代における子供の犯罪刑罰法について調べました。
  • 子供が事件を起こした際に適用される法律では、町奉行が吟味し、一応判決を下します。
  • しかし、その子供の年齢が指定の年齢以下であれば、その指定の年齢に達した時点で刑罰が執行されるようです。具体的な年齢については詳細がわかりませんが、中学校1年生に相当する学年に達した時点で刑罰が適用される可能性があります。
回答を見る
  • ベストアンサー

江戸時代、子供が犯した、事件の刑罰

「今回も、「歴史的に、実際にあった話を元に、架空の話を足した回から」だが、テレビ朝日系列による、時代劇「吉宗評判記暴れん坊将軍(暴れん坊将軍第1シリーズ)」から、 質問したい」と、思います。 大阪ですが、私は先日、自宅のテレビで、サンテレビ(兵庫県がメイン)による、「お昼の時代劇」として、再放送していて、見ていたら、又も「?」と思った回、主なストーリーは… 「現在で言えば、東京都台東区の浅草にある川で、一人の少年が、貝のしじみを獲って、売り歩いてた。 所が、「問題のしじみを、買った客と家族等に、食中毒の患者が多数出て、中には亡くなった人も出た」事件が、発生した。 その月、担当の町奉行は北町奉行所で、直ちに、少年はお縄になった。 因みに、この少年は、め組の人達や、有島一郎さん(故人)扮する、加納五郎左衛門(爺)とは知合いで、しじみを持って行けば、必ず買って貰っていた。 「め組と爺が知合いである、しじみ売りの少年が、北町奉行所に、お縄になった」と言う、一報を聞いた、横内正さん扮する大岡忠相は、松平健さん扮する、主人公の徳川吉宗に報告して、受けた指示により、南町奉行として、現在の東京都中央区の小伝馬町にある牢屋へ、直接出向いて、少年から一応事情聴取した。 少年は、忠相からの質問に対して、「北町奉行所のお役人は、自分の訴えを聞いてくれない。 確かに、現場の川で、獲ったしじみもあるが、自分が見た限り、異常無かった」的な内容で、 回答した。 だが、北町奉行は、問題の少年に対して、「江戸所払い」と、言う判決を、出してしまった…」と言う、内容になります。 その判決が出てから、問題の事件を、吉宗や忠相達が、再捜査した所…。 「現場の川を、遡った場所にある、とある屋敷で、「侍や、銃を扱う数軒の商家の主人達等、ある悪の一味が、飾り職人等、悪用可能な技ある、職人十数人を、誘拐して監禁し、鉛を使って新式の銃の弾を、密造させてから、密売する」事件が、発生してた。 その事件で、「 悪の一味は、出来上がった弾から、余分な鉛を取るのに、誘拐した職人達に、水で洗い流させた時の廃水を、側にある問題の川に排出させる事で、鉛で汚染させたので、それを知らない少年が、鉛で汚染されたしじみを、獲って売り歩いてしまったので、完全に無罪」と、 判明した。 言う迄も無いが、この後はお決まりとして、問題の悪の一味達は、 乗り込んだ吉宗に成敗 されたり、忠相等南町奉行所の役人に、お縄になったので、少年は釈放された…」 結果に、終わってます。 問題の少年ですが、登場シーンを画面で見た限りは、「現在の学年で言えばなら、小学校3年生~5年生前後、年令でなら、9歳~11歳前後に、相当する子供」 と、思います。 因みに、江戸時代。 「子供が、犯人として、何かの事件を、犯してしまった場合。 江戸市中だと、当番の町奉行が、吟味として調べてから、一応判決は出す。 ただ、その子供の年令が、指定の年令以下なら、指定の年令に達した時点で、判決による刑罰を、執行する」的な内容による、法律を、徳川吉宗で無い、別の徳川将軍の時に、江戸幕府が制定してた様に、思います。 なので、「法律自体は、何らかの形で制定してたのは、間違い無いと思うので、町奉行から判決を受けるシーン自体は、実際にあった法律を元に、脚本化して、撮影してる」とも、思います。 そこで、質問したいのは… 「江戸時代、子供が犯人として、事件を起こした際に、適用される法律。 この内、「江戸市中なら、北町奉行か南町奉行が、一応判決は出すが、その子供の年令が、指定の年令以下であれば、その指定の年令に達した時点で、刑罰を適用する」的な部分。 その年令は、何歳であるか? 又、その年令を、「中学校1年生」等、学年で言えばなら、現在のどの学年に達した時点で、 刑罰を適用するのか?」に、なります。

  • 歴史
  • 回答数5
  • ありがとう数15

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.4

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 男子の場合は、基本的には15歳が元服ですので、15歳から罰が適用されました。 ただし、数え歳ですので、満年齢でいえば14歳でも適用されました。 現在の学齢期でいえば「中学3年生」位というところでしょうか。 5代将軍綱吉の時代に「赤穂浪士の討ち入り」があったことは、すでにご存じかと思いますが、討ち入りに加わったメンバーは皆切腹をしましたが、大石主税良金(大石内蔵助の長男)も数え年15歳でした。 また、メンバーの家族の中で男子については数えで15歳になった年に「遠島の刑」にすることが申し付けられていましたが、6代将軍家継の就任の恩赦で刑を免れました。 なお、例えば「遠島の刑」ですと、春と秋の廻船待ちでしたので、それまでは小伝馬町の老屋敷に押し込められましたが、この時、少年の世話に当たったのは、ゴツイ・オッサンの牢屋同心ではなく、何と女性の「非人」だったのです。

80568410
質問者

お礼

詳しい回答、有難うございます…。 「中学3年生位と、ズハリ回答して頂いたのと、「忠臣蔵の大石内蔵助の長男、大石主税良金も、数えでなら15歳」と、一口メモ的な証拠も、回答して頂いたので、BAにしたい」と、思います。 又、質問した時は、よろしくお願い致します…。

その他の回答 (4)

noname#224207
noname#224207
回答No.5

>法律を、徳川吉宗で無い、別の徳川将軍の時に、江戸幕府が制定してた様に、思います。 慣習法は家康の時代からありました。 成文化したのが吉宗です。 公事方御定書と呼ばれ、以降江戸末期まで使われていました。 ただ現在とは違い公表されていませんでした。 >その年令は、何歳であるか? 上記の公事方御定書によれば15歳を目途としていました。 それ未満の場合には「大人(15歳以上)の刑罰よりも一等軽く申し付けるべし」とされていました。 元服というのは、あくまでも慣習法でした。 家督を継ぐ権利を取得するという意味があり、武家では厳密に元服前か否かが問われました。 一方で元服させるか否かは家督を有する当主の判断に任されていました。 結果として年齢には巾がありました。 病弱な当主の場合には7歳で元服させることもある一方で、ウンニャまだまだと18歳になろうが19歳だろうが頑張る頑固な当主もいました。 現在の成人とは意味合いが違います。 一般庶民である町人はさほどに喧しいことは言われませんでした。 丁稚から手代に変わる際に前髪を落とすことで一人前とされました。 江戸時代は幼児死亡率が高かったこともあり習慣的に7歳未満は天からの授かりものとして万一死亡しても葬儀はありませんでした。 7歳を越えて身体がが固まり始める15歳前までを子供として扱いました。 蛇足 TV番組に関してあれこれ言っても始まりませんが、 何らかの罪に問われて奉行所の手を煩わせる段階にまでいけば番組のように個人の問題ではなくなります。 住み暮らす長屋の住人一同は元より管理人である大家、さらに家の持ち主である家主までが取り調べの範囲に入ってきます。 家主同士で定められた五人組の責任も問われることになります。 江戸の町中が大騒ぎになります。 しじみの食あたり程度であれば、町年寄の段階で裁かれます。 現在のように食品衛生法など無い時代ですので、後は意図的な毒殺か否かということになります。 これを調べて判断するのがいわゆる岡っ引きと呼ばれる銭形平次のような親分です。 岡っ引きは町年寄の支配下にある町人です。 この親分が、毒殺の疑いあり、と断定して始めて奉行所の同心が動きだします。 TVの時代劇のように武士である同心がいきなりチョロチョロ出てくることはありません。 さらに同心の上役である与力の判断で奉行にまで持ち上げられます。 め組の親分の知り合いであれば、銭形平次の段階で耳に入っていなければ辻褄が合わないことになってしまいます。 奉行が判断できる範囲は極限られていて、全て老中の審議承認が必要です。 重罪であれば将軍の認可が必要です。 北がどうだから南が口出しするとういことは、老中と将軍にイチャモンをつけることになります。 これでは、お話が面白くもおかしくもなくなってしまいます。 TVの時代劇にせよ歴史小説にせよ、史実と違いがあっても文芸作品としての価値とは無関係です。 いちいち歴史がどうのと言っていたのでは、文芸作品を楽しむ余裕がなくなってしまいます。 あくまでも文芸作品が描く世界の中での出来事だと楽しんで下さい。

80568410
質問者

お礼

一口メモ的な内容込みで、詳しい回答、有難うございます。 私は、暴れん坊将軍シリーズ自体、基本的には、「刑事ドラマと同様に、架空のドラマ的な時代劇」として、見てます。 ただ、「さつまいもと、現在の国立病院の元となる、小石川養生所」等、幾つか「徳川吉宗が、実際に関係した、歴史的な話」も、取り入れてる回が、結構ある様に、思います。 なので、どうしても、「実話を、取り上げてる、時代劇」として、見てしまうのも、結構多いです。 今回は、「考えてた、内容による回答を、投じた方」が居るので、その方をBAにしますが、又質問した時は、よろしくお願い致します…。

  • chie65535
  • ベストアンサー率43% (8516/19359)
回答No.3

追記。 前回の回答で 江戸時代では、律令制度により「数え12歳で元服」となり、元服したら「大人と同じ扱い」です。 と書きましたが「江戸時代には、元服は、男の子は15歳で行い、女の子は14歳で行なった」などの資料もあって、はっきりした決まりは無く、地域や時代によって元服(大人の仲間入り)の時期が異なったようです。 ですので「同じ年齢であっても、元服している子と、元服してない子が居て、明確に何歳以上と言う決まりが無かった」ようです。 たぶん「しっかりしていて、周囲から大人と認められた子は、元服を済ませ大人の仲間入りをして、そうじゃない子は元服させてもらえず大人の仲間入りをさせて貰えなかった」と思われます。 犯罪を犯した場合も「年齢」で一律に決めずに「元服しているか否か」で裁きを変えたと思われます。

  • chie65535
  • ベストアンサー率43% (8516/19359)
回答No.2

「八百屋お七」の「数え15才」の話は「物語を面白くする為の創作」であって、事実ではありません。 江戸時代では、律令制度により「数え12歳で元服」となり、元服したら「大人と同じ扱い」です。 ですから「数え12で大人」です。 wikipediaにも 放火犯について15歳以下ならば罪を減じて遠島(島流し)にする規定が明確に設けられたのはお七の死後40年ほどたった徳川吉宗の時代享保8年(1723年)になってである。 と書いてありますし また『天和笑委集』第10章では13歳の放火犯喜三郎が火刑になった記述がある。 と書いてあります。 「数え年」は「産まれた瞬間が1歳、最初の元旦が来ると2歳」ですから「12月31日生まれ」の場合は「産まれて2日目で2歳」になります。 ですので「数え12歳」で元服するのは、今の「満年齢」で言えば「10歳~11歳」となり、その年齢で「大人と同じ扱い」になります。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10469/32924)
回答No.1

15歳です。数え15になると、大人扱いで刑罰の対象です。14歳以下だと刑罰の対象外です。 「八百屋お七」って有名な話がありますね。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%99%BE%E5%B1%8B%E3%81%8A%E4%B8%83

関連するQ&A

  • 大岡政談で有名な、江戸南町奉行の大岡「越前守」につ

    江戸南町奉行の大岡越前守について教えて下さい。 1.まず、名前の「忠相」はどこへつながるのですか?江戸南町奉行大岡越前守「忠相」というのですか?江戸南町奉行大岡「忠相」越前守というのですか? 2、「越前守」は、官位というのですね。実質的な役目(権限とか義務)はあったのですか? 3、「越前守」は、幕府が大岡に与えるのですか?、あるいは大岡が、自分で手に入れるものですか?4、江戸南町奉行大岡越前守忠相を現代語風に訳すと、東京都南方面警視総監大岡福井県知事忠相になると思います。江戸時代の人は、東京都南方面警視総監と福井県知事とが、並んでいても、違和感がなかったのですか?

  • 江戸時代の刑法・民法・判例・条例など

    江戸時代の刑法・民法・判例・条例など 「八百屋お七」の人形浄瑠璃の話には思わず涙しました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%99%BE%E5%B1%8B%E3%81%8A%E4%B8%83 ------ その時お七は、まだ16歳(現在の14才)になったばかりであったため町奉行は哀れみ、何とか命を助けようとした。当時、15歳以下の者は罪一等を減じられて死刑にはならないと言う規定が存在したため、町奉行はこれを適用しようとした。厳格な戸籍制度が完備されていない当時は、役所が行う町人に対する年齢の確認は本人の申告で十分であった。 町奉行は評定の場において「お七、お前の歳は十五であろう」と謎を掛けた。それに対し彼女は正直に16歳であると答えた。甲斐庄は彼女が自分の意図を理解出来てないのではと考え、「いや、十五にちがいなかろう」と重ねて問いただした。ところが彼女は再度正直に年齢を述べ、かつ証拠としてお宮参りの記録を提出することまでした。これではもはや甲斐庄は定法どおりの判決を下さざるを得なかった・・・・・・・・・・。 --------- それで、ふと疑問が湧きました。 質問1. 江戸時代にも現在と同様の刑法・民法・判例・条例などに該当するものがありましたか。推測ですが、江戸時代の整然とした行政組織から推測すると、ほとんど似たようなものがあったのではないかと思います。関連の情報は何でも結構です。教えてください。

  • 大岡忠光と大岡忠相は具体的にはどのような間柄になる

    (⇩)下記の URL の “大岡忠光” の wikipedia のページ の “生涯” の所によれば、 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B2%A1%E5%BF%A0%E5%85%89 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B2%A1%E5%BF%A0%E5%85%89#生涯 同時代に江戸南町奉行として活躍した大岡忠相(後に三河西大平藩主、いわゆる大岡越前)とは、ともに大岡忠吉の子孫に当たる関係であり、個人的にも親交があった。 そうですが、大岡忠光と大岡忠相は、具体的にはどのような関係に当たるのでしょうか? 大岡忠光と大岡忠相は、具体的にはどのような関係に当たるのかを教えてください。 【大岡忠光】 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B2%A1%E5%BF%A0%E5%85%89 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B2%A1%E5%BF%A0%E5%85%89#生涯 同時代に江戸南町奉行として活躍した大岡忠相(後に三河西大平藩主、いわゆる大岡越前)とは、ともに大岡忠吉の子孫に当たる関係であり、個人的にも親交があった。

  • この時代劇の切腹シーン、歴史監修の点では…?

    時代劇の切腹シーンですが、朝日放送と松竹(京都映画、現在の松竹撮影所)が、昭和56年(1981年)前後に本放送してた、連続テレビドラマの時代劇番組、「新必殺仕事人」で、「主水金魚の世話する」と、言う題名の回。 「金魚を、悪用した金儲けで、被害者夫婦を、自殺に追い込んだ悪の一味のボスである、一人の旗本の男を、藤田まことさん(故人)扮する、主人公の中村主水は、仕事人として、始末する事になった。 ある日の夜、悪のボスである、旗本の自宅に乗り込んで、「居間で、逆さ屏風や、裏返した畳を、用意する」等、切腹を利用した手口で、その旗本が逆ギレした所を、始末した…」回に、ついて… 「切腹のシーン、歴史監修の点から、どうなのか?」的な内容で、私は以前質問しました。 すると、「問題のシーンですが、概ね歴史監修の点では、間違いありません」的な内容で、回答は頂きました。 (詳しい内容は、質問履歴を見て貰うと分かると、思います。) つい先日、同じ再放送番組として見た、テレビ朝日と東映制作による、連続ドラマとしての時代劇番組、「吉宗評判記暴れん坊将軍(暴れん坊将軍第1シリーズ)」で、題名が、「お七里飛脚は鬼より怖い」と言って、主なストーリーが… 「現在の島根県松江市方面を、主な領地とした、松江藩をモデルにした藩は、江戸と領地の間を、七里に分けた、お七里飛脚と言う役所を、置いてた。 担当者であり、悪のボスである、宮口二郎さん(故人)扮する一人の侍は、このお七里飛脚を利用して、準ボスである、天津敏さん扮する米問屋の主人と、手を組み、飛脚としての部下を利用して、大阪(大坂)の米相場を悪用する事で、金儲けしてたが、これを知った一人の町人の男から、脅された。 宮口さん扮する、悪のボスは、飛脚として時々動く事あるから、藩の江戸屋敷から、呼び出された場所に走って出向いて、問題の男が、別の女性とトラブルになってた事から、その女性を犯人にする為、あらかじめ盗み出した、女性のかんざしを使って、問題の男を刺し殺してから、再び走って、江戸屋敷に戻った。 つまり、「飛脚による、足の速さと、アリバイ工作を、悪用した」殺人事件を、起こした事になる。 その後は、犯人にされた女性の知合いだった、め組の面々から、新之助として相談を受けた、松平健さん扮する、主人公の徳川吉宗は、横内正さん扮する、南町奉行の大岡忠相と共に、裏付け捜査した上で、 悪の一味の関係箇所である、米問屋の主人の別荘に乗り込んで、集まってた悪の一味を、成敗した。 問題の犯人である、ボス含めて、悪の一味は全員、南町奉行所に捕まって、結局ボスと準ボスの米問屋の主人は、死罪になった…」と言う回が、放送されてました。 問題なのは、ほぼ最後に登場した… 「悪の一味のボスの上司だった、藩の江戸留守居役は、「部下への監督不行き届きによる、責任を取る為」として、藩邸内で切腹したが、首は切られてなかったので、 介錯人は無しで、 自分だけで切腹したかして、正座座りの状態で、前に倒れ込む事で、死んでた…」シーンに、なります。 そこで、質問したいのは… 「問題の切腹シーン、介錯人は無しの設定かして、切腹した人は、首を切られずに、正座座りのままで、前に倒れ込む様に、死んでた。 介錯人無しによる、この様な切腹シーンだが、歴史監修の点から見て、実際にはどうなのか…?」に、なります。

  • 江戸時代の無礼討ち、この時代劇で、このシーンが…?

    連続テレビドラマとしての時代劇番組では、「町人が、旗本つまり侍に対して、邪魔になる行為や言動すれば、その侍は、無礼討ちとして、その町人を斬り捨てる」シーンが、入った回ある番組、結構多い様に思います。 ただ、これらの番組では、「単に、侍が町人を、斬り捨てただけの様に思うので、言わゆる「むやみやたらに…?」で、斬り捨ててるだけなのでは…?」と、私は思いました。 以前、再放送番組として見た事ありますが、「無礼討ちを、悪用した殺人事件を、旗本が犯した」回として、 TBSテレビ系列の時代劇番組、「大岡越前」の第7部で、「仇討ち夫婦駕籠」と言う回があって、そのワンシーンから、質問します。 少し長いですが、問題のシーンは…。 「ある日の夜中、ある川の側で、岡部正純さん扮する、手下のヤクザ銀次(以降、基本的に銀次)と行動してた、船戸順さん扮する旗本稲葉(以降、基本的に稲葉)が、着てた着物の裾を洗ってた。 そこを、住吉正博さん扮する駕籠屋の駕籠かき亀吉(以降、基本的に亀吉)が、通り掛かって目撃してしまったので、稲葉は、問題の亀吉を斬り捨ててから、銀次に対して、持ってた酒入りの瓢箪から、亀吉の遺体に、酒を振り掛けさせる事で、「亀吉が、酒に酔っぱらって、稲葉の旦那に絡んだので、無礼討ちとして、稲葉の旦那が斬り捨てた」感じに、見える様に小細工した。 そこへ、 パトロールして来た、南町奉行所の担当同心と、同行した岡っ引きだった、和田浩治さん(故人)扮する風間と、高橋元太郎さん扮する辰三の二人に対して、稲葉は同行の銀次経由で、声を掛けてから、「この駕籠かきの男(亀吉)が、酔っぱらって絡んだので、無礼討ちとして、斬り捨てたが、この事については、俺の方から、目付に報告する」旨を、自分の身元と合わせて、申し出た。 銀次の方も、「この駕籠かきが、酔っぱらって、余りにも無茶な状況で、絡んで来たので、ウチの稲葉の旦那が斬り捨てたのを、確かに見た」旨、申し出た。 所が後で、風間は、 工藤堅太郎さん扮する、亀吉の相棒、六助(以降、基本的に六助)の自宅での亀吉の通夜の席で、一応事情聴取した所。 六助から、「ウチの亀吉は、奈良漬を一切れ食べても、酔っぱらってしまう程、酒は飲めない身体なのに、酔っぱらって、無礼討ちされるのは、不審じゃないか…?」的な内容で、申し出た。 風間から、報告を受けた、加藤剛さん扮する、主人公の南町奉行大岡忠相は、自らも不審に思い、 部下達に指示するなり自らも、更なる捜査した結果。 「問題の稲葉が、遊ぶ金を貸りてた質屋へ、手下の銀次と一緒に行って、秋山勝利さん扮する、質屋の主人の惣助を、「利息込みで、膨れ上がった借金を、返さなくて良い様に、借用証文と有り金を、奪う為」として、斬り殺して、自分の借用証文と、千両箱的な保管容器に入ってた有り金に、付近にあった、酒入りの瓢箪を奪って逃げた時。 惣助を、斬り殺した時の血が、着てた着物に付いてたのに、手下の銀次が気づいたので、近くの川の側で洗ってたのを、亀吉に目撃されたので、「惣助を、斬り殺して、金を奪って逃げた所を、目撃された」と、判断して、亀吉を斬り殺してから、銀次に命令する事で、無礼討ちに見せ掛ける小細工したのが、結局は判明した…」シーンに、なります。 私は、問題のシーンを見て…。 「江戸時代の無礼討ちだが、他の時代劇番組で、登場するシーンあれば、「片っ端から、侍が町人を斬り捨てて、それだけで終わる」回しか、登場して無い番組しか、見た事は無い。 ただ、分かる範囲で調べたら、幕府では、「無礼討ちと言っても、斬り捨てた侍にせよ、現場の関係者が、その旨を目付に届けるのが、義務付けられていて、その目付側の担当者が、一応捜査する事になってる。 その捜査の結果、「無礼討ちとしては、正当な状況だった」と、判断されればなら、言わゆる「正当防衛による、無罪」として、罪には問われない。 しかし逆に、「無礼討ちとしては、間違っていて、違法な行為である」と、判断されればなら、何らかの罪に問われる事も、あったと言う…」 制度として、定めてた様に、聞いた事あるが…?」と、思いました。 そこで、質問したいのは…。 「江戸時代、侍が町人を無礼討ちとして、実際に斬り捨てた場合。 私が、大岡越前の問題の回で見た、「船戸さん扮する、旗本の稲葉が、取ってた行動」の様に、目付に届け出るのが、義務付けられてたか?」に、なります。

  • 光市母子殺害事件 彼はなぜ死刑判決を受けたのか 

    彼の死刑が確定し、2日が過ぎました。冷静に考えますとアホでも分かる事ですが、この事件よりも残虐で年令も大きい少年少女の事件は少なからぬ前例があり、そのいずれもが死刑判決を受けていない事を取ってみますと、やはり彼が死刑になったのは、これすべて弁護団の落ち度であるように思います。報酬が割に合わないと思ったのか、ほとんど気合も見られません。弁護団にどのような計算違いがあったから彼が死刑になったのか、どなたか教えてください。

  • 江戸時代の刑罰

     時代劇などで「打ち首・獄門」などと裁かれている人を見かけますが、そもそも、江戸時代にはどんな刑罰があったのでしょうか。教えてください。

  • 江戸時代の刑罰について教えてください

    宮部みゆきさんの時代ミステリー小説を読みました。 同心が中心となって活躍する人情物のストーリーで面白かったのですが、最後に同心や岡っ引きは犯人を特定したにも関わらず、捕らえもせず放免した状況となっています。(実際は管轄外であることなどでややこしい設定となっていますが)犯人は、殺人及び幼児誘拐監禁を犯しています。(ましてや誘拐監禁は同心の目の前で行われています) 現代なら、死刑もしくは無期懲役相当の罪になるところかと思いますが、江戸時代ではこのような事態に対して役人が見逃すことなどもありえたのでしょうか。 妻もこの小説はすでに読んでいて、私のこの疑問に対して「宮部みゆきは人情物語を書いたのであり、このような情状酌量を認める心温まる同心の活躍を書くことが主眼であったのだろう」と言いますが、どうも納得いきません。 私は宮部みゆきさんの時代小説は時代考証もきちんとしていると思っているだけに、江戸時代には公の機関によって罪に罰が下されないということがありえたということが得心いかないのです。 どなたかお考え、ご意見をお聞かせ下さい。

  • ドラマや時代劇で、登場する、病気のシーン2

    大阪で、私が住む地域も、放送エリアであるサンテレビ(兵庫県が、メインの放送エリア)で、10月1日現在、祝日含めて毎週月曜日~金曜日、午後零時から、言わゆる「お昼の時代劇」として、テレビ朝日と東映が、共同制作してる、暴れん坊将軍シリーズとしては、第1シリーズとなる、「吉宗評判記暴れん坊将軍」が、再放送されてます。 自宅のテレビで、今年の8月、お盆明けのある日に、再放送されてるのを見た、ある回から、質問します。 問題の回、「松平健さん扮する、主人公の吉宗(徳川吉宗)は、表向きの顔、浪人の新之助として知っている、江利チエミさん(故人)扮する、外科医である女性の開業の医師が、世話するのに走り回ってる、知合いの尼さん(女性のお坊さん)が、住職してる寺院で運営してる、児童養護施設への国からの補助金。 これを、近藤宏さん(故人)扮する、補助金の国側の担当部署の担当の役人が、「嵯峨善平さん(故人)扮する、幕府の元幹部である自分のボス が、幹部として返り咲きの為、必要な賄賂」として、確保するのに、児童養護施設へ支給せず、横領した事件が、 発覚した」と言うのが、主なストーリーです。 質問したいのは、問題の回が、比較的スタートして、登場した… 「有島一郎さん(故人)扮する、爺(加納五郎左衛門)が、江戸城中で仕事中、倒れてしまった。 この事を、横内正さん扮する、南町奉行の大岡忠相から、報告受けた吉宗は、新之助として、江利さん扮する、町医者の診療所へ行って、「往診として、爺の自宅へ行って、直接の診察」を、依頼した。 後日、江利さん扮する医師は、爺の自宅へ行って、新之助として、後から来た吉宗の前で、問診より、診察を始めた。 暫くして、往診を終えて、爺の自宅から出て来た、吉宗は、「爺の病気の診断結果」を、質問した。 すると、江利さん扮する医師は、「神経の疲れで、胃に炎症を起こしてかけてますが、刺激物を摂らずに、薬を飲み続ければ、治ります」的な内容で、回答した」シーンに、なります。 因みに、私は「逆流性食道炎」と言う、胃腸の病気を、持病として、持ってます。 ですので、問題のシーンを見た限り…。 「有島さん扮する爺が、患ってる設定の病気と、私の病気は、病名としては、違うのは確かである。 ただ、症状の内、「胃に、炎症を起こしてるか、起こしかけてる」部分は、似てるなぁ…?」と、思います。 私が、患ってる症状だと、「有島さん扮する、爺の症状よりは、炎症を起こしてしまって、呑酸と言って、酸っぱさ感じる症状」と、言う事になると、思います。 そこで、質問したいのは、「病名としては、多いと思うので、世間一般的に知られてる病気、2~3個程度だけで、構わない。 暴れん坊将軍の問題の回で、有島さん扮する爺が、患ってた胃腸の病気は、何と思われるか?」に、なります。

  • 少年探偵・江戸川乱歩シリーズについて

    少年探偵・江戸川シリーズ(ポプラ社)の、27巻目から46巻目ってもともと大人用を子供用に書き直した本なんですか?また、27巻目以降は、殺人事件も多いような気もするんですけど、なぜですか?素人のような質問ですいません。