• 締切済み

正面突破と、奇策

こんにちは、お世話になっております。 「奇策」のほうが、評価される。 何かと、そういう風潮は、無いでしょうか? それは、どこに端を発するのでしょう。 宜しくお願い致します。

みんなの回答

回答No.3

kurinalさん おはようございます。 ちょっと、質問から外れた、回答で、歴史カテのようになるかもしれませんが、No.2のhekiyuさんの回答を読んで思うところがあるので、回答します。 まず、源義経ですが、あれだけの武功をたてましたが、源頼朝により、武家社会の国を造るためには、他の武将の命令を聞かず、勝手な行動をとり、秩序を作るのに妨げになるとして、奥州藤原氏のもとで、あえない最後をとげました。 そして、この歴史から「判官びいき」という「弱いものに同情する」という言葉が出来ました。 これは、日本人の特質のひとつであり、例えば、吉川英治は名著「三国志」を執筆するにあたり、日本人の判官びいきに目をつけ、徳と人望だけは、すぐれた劉備を中心に書いてます。 しかし、現在の若者の、いじめによる自殺のニュースを見るにあたり、この「判官びいき」なるものは、日本人の精神として残るのだろうかと考えさせられます。 もちろん、昔から、いじめは、あったでしょう。しかし、現在は、ドラえもんの「ジャイアン」のような、ガキ大将は、いなくなり、ネットによる集団の誹謗中傷等、手口も陰湿になっていると感じます。 さて、本論ですが、奇策も大事ですが、正面突破という策も捨てられません。 真田幸村は大坂夏の陣において、家康本陣を目指し突撃し、びびった旗本は旗印を捨てて逃げて、後、一歩のところまで攻め込み、武士としての死に場所を見つけました。 hekiyuさんの楠木正成、以前に目を向けると、源頼朝と平家の「富士川の戦い」において、平家軍は、水鳥の飛び立つ音に驚き、逃げ出す始末。 戦国時代の「姉川の戦い」における、信長・家康連合軍 VS 浅井・朝倉連合軍の戦いでも、浅井・朝倉連合軍は、信長が構えた、7段の陣か10段の陣だったかの、隊列を平行に重ねて陣を敷して、防御重視する陣を中央突破し、信長本陣まで後、一歩でしたが、隊列が長く伸びすぎたため、家康や援軍として駆けつけた秀吉により、側面を突かれて負けました。 現在において、大企業であっても、大軍だからと安心し、勝ち戦と、のうのうとしていたら、「大坂夏の陣」の家康軍や「富士川の戦い」の平家のように、真田幸村のような社長であるベンチャー企業があったら、正面突破で、大企業の社長や会長の首など、簡単にとることが出来、M&Aで吸収合併されるかもしれません。 また、政治においても、中国の習近平国家主席との安部首相が首脳会談するなら、たしかに「奇策」も必要ですが、大軍の人民を有する中国に対し、日本は「正面突破」でガチで会談してもらいたいものです。 最後に「川中島の戦い」kurinal VS amenhotep2000。 kurinal軍の山本勘助の奇策「きつつき戦法」なるものは、とうに見破っておるわ。kurinal軍は鶴翼の陣か。全軍に告ぐ、車懸の陣を敷け。目指すはkurinalの首ひとつ。一騎打ちで私の名刀斬鉄剣で軍配もろとも切り捨て、四条河原に首をさらしてくれるわ。全軍突撃! 注意)回答に疑問があったら歴史カテで質問してみてください。

kurinal
質問者

お礼

amenhotep2000様、ご回答ありがとうございます。 >「まず、源義経ですが、あれだけの武功をたてましたが、源頼朝により、武家社会の国を造るためには、他の武将の命令を聞かず、勝手な行動をとり、秩序を作るのに妨げになるとして、奥州藤原氏のもとで、あえない最後をとげました。 そして、この歴史から「判官びいき」という「弱いものに同情する」という言葉が出来ました。 これは、日本人の特質のひとつであり、例えば、吉川英治は名著「三国志」を執筆するにあたり、日本人の判官びいきに目をつけ、徳と人望だけは、すぐれた劉備を中心に書いてます。」 筵売りなのが、実は「皇室の流れを汲む」で、時の皇帝の覚えも目出度く「オジサン」と称され、年を取ってからですが三国鼎立の1とまでなり、でも、義兄弟たちとは悲しい別れもあり・・・その息子は「暗君」の見本のように「市井に生きれば、まだそれなりの幸せもあっただろうに」と書かれていますね。 >「しかし、現在の若者の、いじめによる自殺のニュースを見るにあたり、この「判官びいき」なるものは、日本人の精神として残るのだろうかと考えさせられます。 もちろん、昔から、いじめは、あったでしょう。しかし、現在は、ドラえもんの「ジャイアン」のような、ガキ大将は、いなくなり、ネットによる集団の誹謗中傷等、手口も陰湿になっていると感じます。」 聞くところでは、「弱者(同士)ほど、弱い者いじめは陰湿」とか。親が喘いでいる世代ですから >「さて、本論ですが、奇策も大事ですが、正面突破という策も捨てられません。 真田幸村は大坂夏の陣において、家康本陣を目指し突撃し、びびった旗本は旗印を捨てて逃げて、後、一歩のところまで攻め込み、武士としての死に場所を見つけました。」 びびった旗本に同情してしまいます。 >「hekiyuさんの楠木正成、以前に目を向けると、源頼朝と平家の「富士川の戦い」において、平家軍は、水鳥の飛び立つ音に驚き、逃げ出す始末。」 野鳥に驚くなんて、武家らしくないですよね。(武家の歴史も、まだ浅かった?) >「戦国時代の「姉川の戦い」における、信長・家康連合軍 VS 浅井・朝倉連合軍の戦いでも、浅井・朝倉連合軍は、信長が構えた、7段の陣か10段の陣だったかの、隊列を平行に重ねて陣を敷して、防御重視する陣を中央突破し、信長本陣まで後、一歩でしたが、隊列が長く伸びすぎたため、家康や援軍として駆けつけた秀吉により、側面を突かれて負けました。」 ドラマチックというか、「事実は小説よりも希なり」でしょうか。 >「現在において、大企業であっても、大軍だからと安心し、勝ち戦と、のうのうとしていたら、「大坂夏の陣」の家康軍や「富士川の戦い」の平家のように、真田幸村のような社長であるベンチャー企業があったら、正面突破で、大企業の社長や会長の首など、簡単にとることが出来、M&Aで吸収合併されるかもしれません。」 多少、耳の痛い話であります。 >「また、政治においても、中国の習近平国家主席との安部首相が首脳会談するなら、たしかに「奇策」も必要ですが、大軍の人民を有する中国に対し、日本は「正面突破」でガチで会談してもらいたいものです。」 話し合い、いいですねえ。 >「最後に「川中島の戦い」kurinal VS amenhotep2000。 kurinal軍の山本勘助の奇策「きつつき戦法」なるものは、とうに見破っておるわ。kurinal軍は鶴翼の陣か。全軍に告ぐ、車懸の陣を敷け。目指すはkurinalの首ひとつ。一騎打ちで私の名刀斬鉄剣で軍配もろとも切り捨て、四条河原に首をさらしてくれるわ。全軍突撃!」 ちょっと、ちょっとちょっと。 小隊は、ヘルパーやナースで構成されており、アヤシイものではございません。 お見掛けになっても「あれは捨て置け」と、ご容赦のほどを。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.2

"何かと、そういう風潮は、無いでしょうか?"     ↑ あると思います。 信長の桶狭間、義経の一ノ谷の戦い。 ”それは、どこに端を発するのでしょう。”     ↑ 楠木正成辺りじゃあないでしょうか。 天皇に味方した、という点が評価されたのかもです。 心情的には、大軍が勝つのは当たり前で 小軍が勝つには奇策しかないわけです。 だから奇策を用いて、大軍に勝つ方が格好良く 思えるのではないですか。

kurinal
質問者

お礼

hekiyu様、ご回答ありがとうございます。 >「"何かと、そういう風潮は、無いでしょうか?"     ↑ あると思います。 信長の桶狭間、義経の一ノ谷の戦い。」 10倍の大軍を破った、ですからねえ。 >「”それは、どこに端を発するのでしょう。”     ↑ 楠木正成辺りじゃあないでしょうか。 天皇に味方した、という点が評価されたのかもです。」 >「心情的には、大軍が勝つのは当たり前で 小軍が勝つには奇策しかないわけです。 だから奇策を用いて、大軍に勝つ方が格好良く 思えるのではないですか。」 ・・・そういう事例があるからこそ、「そういうことも可能だ」と。

noname#221347
noname#221347
回答No.1

政治の保守の業界ではないですね。かわって、昔の2ちゃんねるでは目新しいチャレンジはありましたが現在は聞こえてこないですね。

kurinal
質問者

お礼

sabuadoubtuonom様、ご回答ありがとうございます。 「正面突破」ですか。 武蔵が小次郎を破ったという事例(昔)も、あるんですよね。

関連するQ&A

専門家に質問してみよう