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もし和を以って貴しと為せと言われなかったなら・・
noname#207138の回答
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こんにちは。 お初に質問者さまの質問に回答を付けます(笑) とりあえず因にですが、聖書にはこうあります「私(イエス)が平和をもたらしに来たと思ってはならない。むしろ剣をもたらしに来たのである。親を子に、子を親に向かわせる。神よりも親を愛する者は私にふさわしくない。神よりも子を愛する者は私にふさわしくない」 ここでいう「私(イエス)にふさわしくない」というのは、意訳すると「天国に入れるに値しない」という事という解釈が一つの解釈として成立します。 聖徳太子ほどの人格者であれば「和をもって~」と言って大きく差し支えはないかもしれませんが、現代社会の一般的な人間がこれを言いだしたらそれこそイエスマン製造工場のライン作業という表現は実に言い得て妙でしょう。 つまり、同じ言葉でもそれを受け取る人、使う人の意識によって全く意味が異なるという事です。 「人のものを盗むな」という基本的な事でさえ、それを指摘すると気分を害する人はいます。 こんなのとも和を持てと?「和」は関わる人全ての働きかけによって成立しますし、逆に関わる全ての人を考慮しないと成立しません。 そのために必要なものはなんでしょう? 自分の至らない部分を指摘された時に、それを共同体と自分個人との幸せのバランスを考えて最適に保つために昇華させる、つまり変化を与える覚悟や勇気などです。 誰だって子供の頃におもちゃ屋の前でおもちゃを買ってもらうべくだだをこねる様な類いの経験をお持ち、もしくは理解できると思いますが、社会人になると当たり前にそのようなわがままを言わない程度には精神が昇華されています。 社会人になったらそれをしなくていい事は無い事を自覚するのは必須事項です。 この必須をわきまえないのであれば、そこに「和」はありえないでしょう。 自分に都合の悪い事であれ、それが正義であり真実であり守るべき価値のあるものだとしたら、自己犠牲の上それを受け入れるべきです。 ところが欲に支配されている欲の奴隷にはこれは絶対にできませんから、反発、つまり「和」を成立させません。 つまり「和をもって~」というのは有識者ではなく、有意識者の間でのみ正当な意味を持つと思います。
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・・・わたしは 和を乱すことを知らなかった。:(α) この(α)の命題についてお考えになるところをおしえてください。 参考になるかどうか 聖徳太子についての批判をつづります。 ・論文:聖徳太子は ただのくそったれ ▲ (十七条憲法) ~~~~~~~~ 一に曰(い)わく、和(やわらぎ)を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。 人みな党(たむら)あり、また達(さと)れるもの少なし。ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。 しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (1) 最後の一文は いわば民主主義に通じる自由な言論 これを 基礎とすると言っています。明治維新でも 同じく《万機公論》と言いました。 ▲ (五箇条の御誓文) 一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ (2) 次に 同じ最後の一文の中からですが ▲ 上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて ☆ については 眉唾物です。お上つまりお二階さんの論理と目線で ものを言っているといううたがいを拭えません。時代は違いますが: ◆ (上田正昭:『日本文化の原点』) ~~~~~~ 【直木孝次郎】・・・たとえば七一一(和銅四)年に出された詔(みことのり)に 《このころ聞く 諸国の役民 造都に労れ 奔亡するものなほ多し。禁ずと 雖も止まず》。 とある。これは・・・労役のために都へ出てきている人民――これが都城建設 道路づくりに使役されるわけですが 生活 労働が苦しいために途中で逃げ出す者が多い。禁止しても止まない。・・・ 【上田正昭】 その翌年の正月にも 《諸国の役民は 郷(さと)に還へるの日 食糧絶え乏しく 多く道路に飢ふ。 溝壑(こうがく=みぞ)に転びうづまるもの その類少なからず》。 というのが出ていますね。 【直木】 ・・・『続日本紀』つまり 当時の正史に記録されているわけですね。 【上田】 柿本人麻呂も 有名な歌を残していますね。 《草枕旅の宿りに誰(た)が夫(つま)か 国忘れたる 家待たまくに》 (万葉集 三・426) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (3) その(2)のうたがいを証拠立てるには 聖徳太子の同じような趣きの歌を見てみれば分かります。 ▲ (万葉集 三・415) ~~~~~~~ 上宮聖徳太子 竹原の井に出遊(いでま)しし時 龍田山の死(みまか)れる人を悲傷(かなし)びて作りましし御歌一首 家にあらば妹(いも=妻)が手巻かむ 草枕 旅に臥(こや)せるこの旅人あはれ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 人麻呂の歌(426番)では すでに死んだ人に向かって 早く起き上がりなさい ふるさとに帰って行きなさいと声をかけていますが 聖徳太子の歌では ああ かわいそうにとだけ言っています。 (4) ▲ 忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。 ☆ と言われても 庶民はもともと けんかをしつつも仲間として和をもって暮らしていた。ところへ お二階さんたちが これをパクって 《和を以って》うんぬんと言いだした。まねをして和をとうとぶと言われても けっきょく 人びとよ自分たちには《さからうな》と言っているとしか聞こえません。都合のよいことだけを言っているとしか聞こえません。 (5) 聖徳太子は 国を挙げて例の仏教を受容するか否かのとき 崇仏派と排仏派の戦いになりそこで前者に味方し 後者の物部守屋を亡きものにすることにたずさわった。そのように敵を倒したあと《和を以ってとうとしと為せ》と言っちゃってもらってもねぇ。 権力は握った もうおれたちには逆らうなとのたまわっていらっしゃいます。 (6) 無念のうちに波に呑み込まれた人たちも――つまりあるいは お二階からのでっかく酷い津波に呑まれかけたこれまでの歴史上の数多くの人たちとともに―― われは堂々と立派にまともに真面目に地道にふつうによく生きたと いまいちど起き上がって言って欲しい。 (7) しかも・しかも 聖徳太子の場合には みまかれる人は のちに聖人であったと分かったと伝えられることになります。聖と聖こそ互いによくわかり合えるのだとか。ちゃんちゃらおかしいわい。 (8) 人麻呂スサノヲの心意気なら 先の(α)の命題を飲みませんか?
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もし和を以って貴しと為せと言われなかったなら・・・ ・・・わたしは 和を乱すことを知らなかった。 :(α) この(α)の命題についてお考えになるところをおしえてください。 参考になるかどうか 聖徳太子についての批判をつづります。 つるぎを投じることになるひとつの視点です。 * ・ 論文: 聖徳太子は ただのくそったれ ▲ (十七条憲法) ~~~~~~~~ 一に曰(い)わく、 (あ) 和(やわらぎ)を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。 (い) 人みな党(たむら)あり、また達(さと)れるもの少なし。ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。 (う) しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (1) 最後の一文(う)は いわば民主主義に通じる自由な言論 これを 基礎とすると言っています。明治維新でも 同じく《万機公論》と言いました。 ▲ (五箇条の御誓文) 一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ (2) 次に 同じ最後の一文(う)の中からですが ▲ 上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて これについては 眉唾物です。お上つまりお二階さんの論理と目線で ものを言っているといううたがいを拭えません。時代は違いますが われわれは次のような歴史を経て来ています: ◆ (上田正昭:『日本文化の原点』) ~~~~~~ 【直木孝次郎】・・・たとえば七一一(和銅四)年に出された詔(みことのり)に 《このころ聞く 諸国の役民 造都に労れ 奔亡するものなほ多し。 禁ずと雖も止まず》。 とある。これは・・・労役のために都へ出てきている人民――これが都城建設 道路づくりに使役されるわけですが 生活 労働が苦しいために途中で逃げ出す者が多い。禁止しても止まない。・・・ 【上田正昭】 その翌年の正月にも 《諸国の役民は 郷(さと)に還へるの日 食糧絶え乏しく 多く道路に飢ふ。 溝壑(こうがく=みぞ)に転びうづまるもの その類少なからず》。 というのが出ていますね。 【直木】 ・・・『続日本紀』つまり 当時の正史に記録されているわけですね。 【上田】 柿本人麻呂も 有名な歌を残していますね。 《草枕旅の宿りに誰(た)が夫(つま)か 国忘れたる 家待たまくに》 (万葉集 巻三・426番) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (3) その(2)のうたがいを証拠立てるには 聖徳太子の同じような趣きの歌を見てみれば分かります。 ▲ (万葉集 三・415) ~~~~~~~ 上宮聖徳太子 竹原の井に出遊(いでま)しし時 龍田山の死(みまか)れる人を悲傷(かなし)びて作りましし御歌一首 家にあらば妹(いも=妻)が手巻かむ 草枕 旅に臥(こや)せるこの旅人あはれ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 人麻呂の歌(426番)では すでに死んだ人に向かって 早く起き上がりなさい ふるさとを思い出し 帰って休みなさいと声をかけていますが 聖徳太子の歌では ああ かわいそうにとだけ言っています。 (4) たとえば ▲ 忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。 と言われても 庶民はもともと けんかをしつつも仲間として和をもって暮らしていた。ところへ お二階さんたちが これをパクって 《和を以って》うんぬんと言いだした。 口先だけ庶民のまねをして和をとうとぶのだと言われても けっきょく 人びとよ自分たちには《さからうな》と言っているとしか聞こえません。都合のよいことだけを言っているとしか聞こえません。 (5) 聖徳太子は 国を挙げて例の仏教を受容するか否かのとき 崇仏派と排仏派の戦いになりそこで前者に味方し 後者の物部守屋らを亡きものにすることにたずさわった。そのように敵を倒したあと《和を以ってとうとしと為せ》と言っちゃってもらってもねぇ。 権力は握った 文句あっか もうおれたちには逆らうなとのたまわっていらっしゃいます。 (6) 無念のうちに波に呑み込まれた人たちも――つまりあるいは お二階からのでっかく酷い津波に呑まれかけたこれまでの歴史上の数多くの人たちとともに―― われは堂々と立派にまともに真面目に地道にふつうによく生きたと いまいちど起き上がって言って欲しい。 (7) しかも・しかも 聖徳太子の場合には そのウタに《旅人》として歌われたみまかれる人は のちに聖人であったと分かったと伝えられることになります。聖と聖こそ互いによくわかり合えるのだという尊き教えであります。――ちゃんちゃらおかしいわい。 (8) 人麻呂スサノヲの心意気なら 先の(α)の命題を飲みますか? * われらがふるさとを取り戻したいがために つるぎを一振り投じる問いです。 なにが おおごとなのでしょう? どこが エラーなのでしょう?
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お礼
あぽっするさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。 マタイによる福音(10章 34節以降)を挙げておられます。 ▲ (=これは わたしでもなく対話の相手でもなく第三者からの引用であることを示すシルシです) ~~~~~ 「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。 平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。 [・・・] ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これは 昔からの神ないしその信仰(というよりはむしろ集団としてのシュウキョウ)が イエスの言葉を聞いて新たにたどって行くさまと過程があるので そのことについても触れているのかとわたしは考えるのですが いま保留とします。 なおまづ先にこの問いの命題は 次の聖句から発想をぜんぶぬすんで来ていることを明らかにしておきます。 ▼ (パウロ:ローマ書 7:7) ~~~~~~~~~~~~~ では、どういうことになるのか。 律法は罪であろうか。決してそうではない。 しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったでしょう。 たとえば、律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりを知らなかったでしょう。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ さて: ★ 聖徳太子ほどの人格者であれば「和をもって~」と言って大きく差し支えはないかもしれませんが、現代社会の一般的な人間がこれを言いだしたらそれこそイエスマン製造工場のライン作業という表現は実に言い得て妙でしょう。 ☆ 賛同していただきありがとうございます。 そしてじつは――今回はあまり出さなかったのですが――その聖徳ウマヤドのミコの思想をこそ批判している内容になってはいるのです。 ☆☆ (シルシをふたつ重ねるのは 過去のものからの引用であることを意味します)(No.1お礼欄)~~~~ すなわち 問いとしての命題は 言いかえると: 和を乱そうとしてなら これこれの批判的な思想や施策を提出することはなかった。 と言おうとしています。そういう問題であると考えていますし それについてさらに広い見地からのご意見をつのりたい。こう思います。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ つまり ひと言で言うと 聖徳ぼんくら太子は 蘇我氏とともに物部氏を殺しほろぼしたあと このフレーズを憲法としています。すなわち 権力はおれたちがにぎった おまえら文句あっか みなおれたちにしたがえという意味にしかなりません。ひとごろしをしてから このような《和》を言っているのです。 和にとって: ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~ [・・・]必要なものはなんでしょう? 自分の至らない部分を指摘された時に、それを共同体と自分個人との幸せのバランスを考えて最適に保つために昇華させる、つまり変化を与える覚悟や勇気などです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 外交官(アポステロス)さんは こちらの方面で受け取って解釈されています。そういうことだとわたしも思います。 少々きびしい調子でも言っておられます。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 自分に都合の悪い事であれ、それが正義であり真実であり守るべき価値のあるものだとしたら、自己犠牲の上それを受け入れるべきです。 ところが欲に支配されている欲の奴隷にはこれは絶対にできませんから、反発、つまり「和」を成立させません。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ きびしいですね。つまりあるいは 中身は おっしゃるとおりであると同時に その口調はきびしいですね。 というのも やはりパウロからパクるとすれば: ▼ (コリント前書 6:12) ~~~~~~~ 「わたしには、すべてのことが許されている。」 しかし、すべてのことが益になるわけではない。 「わたしには、すべてのことが許されている。」 しかし、わたしは何事にも支配されはしない。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これもきびしいのですが 何と言いますか 律法のように禁止命令とは少し違うようにもひびきます。と思って出しました。どうですかねぇ。 つまり: ★ つまり「和をもって~」というのは有識者ではなく、有意識者の間でのみ正当な意味を持つと思います。 ☆ というように世界を狭く区切らないほうがよいのでは? とも思ったものですから。(行動するのにどこか窮屈に感じるのではないかと思ったものですから)。どうでしょうかねぇ。