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哲学に正解はありますか?

哲学というのは個人個人で思い思いの『私の思う世界』という箱庭をつくり「どうです?私の箱庭。これが世界なんですよ」と披露しあうことなんじゃないかと思います。 その箱庭の中で矛盾が生じなければ一応合格であると思います。 もしその箱庭にファンが多ければ、その作者は偉大な哲人として名を残すことになるのでしょう。 そこにはどれが正解、不正解というのはない気がするのですが、いかがでしょうか?

みんなの回答

noname#208724
noname#208724
回答No.11

哲学には正解があるのか、という普段考えもしないことを考えていたら、正解というのが世界の答なのか、目の前の事柄の答なのか、はたまた答なんか無いのか、という疑問がわいてきました。だいたい私は哲学には馴染みがないので。 そこで最近のニュースでとりあげられて話題になった、家具メーカーでの高級志向親父と、リーズナブルお嬢さんの対立について考えてみました。私としてはそんなもの、分裂でも共有でもどっちでもいいよと思いましたし、むしろ答ではなく、経営方針を決めるプロセスに正解を探す必要があるんじゃないかって思いました。 ただし、問いかけのプロセスとして、初めに解ありきで問いかけをするならばそれは誘導尋問であり、また、正しいプロセスを行ったとしても、正しい解が導かれるとは限らない。お嬢さんは、原理主義的な職人さんと一緒に外の世界を旅行し、考える機会を与えながら、問いかけを続けなければならない。 ただ私としては、ベッドを購入する予定もないし、そんなものどうでもいいのであり、今晩のおかずを何にするか、店長おすすめ商品を買うべきか、買うとすれば明日の献立は変更可能か、残り物の使いまわしは消費期限に間に合うかなどで、頭がいっぱいなのであり、要するに私としては、自問自答のプロセスとして、むしろ味よりも消費期限の長さが重要なのである。 長々と書いてしまいましたが、問いかけから気付きまでのプロセスには正解があり、その正解も時と場所とともに変わって行きますが、哲学とは、問いかけであるということに変わりはないことを申し上げました。しかしこれを箱庭と言われるならば、それまでですけど、ウサギ小屋と言われるよりは風情があって好きです。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございました。お礼が遅くなってすみません。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.10

stmim様、こんばんは。 >「その箱庭の中で矛盾が生じなければ一応合格であると思います。」 ・・・・・・「一応合格」は、 >「そこにはどれが正解、不正解というのはない気がするのですが、いかがでしょうか? 」 「人権侵害」をしていては、不正解です。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ええ?そうですか? そもそも人権なんて存在するのか? みたいなことも含めて考えるのが哲学の気がします。

noname#207785
noname#207785
回答No.9

正解を求めてはいるけど、正解があるかどうかわかりません。 一生求め続けるのが人生だと思います。 正解がこれだとか、正解がないのが正解という知ったかぶりは信用できません。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございました。お礼が遅くなってすみませんでした。

回答No.8

宇宙=有限な存在性は、認識される事で派生する。 即ち、不確定性原理において、本質的に確定化しよう とすると無限不確定に発散してしまう(=無)ものを、 階層的現象を表面的に(いい加減に)に捉える事で、 有限化している以上、真理とは、全ての「箱庭」を 無に還元するプロセスの事であって、いかなる一つ の「箱庭」の事でもあり得ない。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございました。お礼が遅くなってすみませんでした。

  • yuniko99
  • ベストアンサー率15% (31/204)
回答No.7

まあ 教科書道理に言えば 箱庭とは「人生観」「世界観」と言う事でしょう。 人それぞれ違うものです。世界はひとつですが「世界観」は皆違います。 正解は真理でしょう。真理があればですが。 人生観には正解はないかもしれません。人それぞれ違っていいのですから。 世界観は同じ世界に生きてるでしょうから 正解があるのではないでしょうか。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございました。お礼が遅くなってすみませんでした。

回答No.6

哲学の表現方法は大きく分けて二種類有ります。 一つは、 素朴集合論とブール代数で論理を展開する数理哲学です。 二つは、 自分の得意な自然言語を使いレトリックとユーフェミズムを駆使して、同一言語使用者のサークル内だけで通用する哲学を楽しむ派です。 前者には数学と同様に明確な正解と不正解があります。 後者には発言の自由以上に解釈の自由がありますので、正解も不正解もありません。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.5

"哲学というのは個人個人で思い思いの『私の思う世界』という箱庭をつくり 「どうです?私の箱庭。これが世界なんですよ」と披露  しあうことなんじゃないかと思います。"    ↑ 違うと思います。 ソクラテスが無実の罪で処刑されるのを目にした ことから哲学が始まったのです。 人間は間違える。 だから、真理を発見し、それに沿えば間違えることは なくなる。 そうやってギリシア哲学が誕生したのです。 人によって異なるモノは真理とはいえないでしょう。 ただ、現実の世界では質問者さんの言う通りに なっていると思います。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なるほど。提示している人は「私の箱庭」なんて思っていない、 「私の発見した真理です。これが世界です。」と思っているということですね。 それはご指摘のとおりと思います。

  • Key_A
  • ベストアンサー率9% (55/603)
回答No.4

まあ、このカテには譫言を並べて悦に入る者が少なくないですね。 でも、彼らは哲学者ではなくて病人です。 ただ、哲学も実験証明が必要です。頭に浮かんだ事を並べるだけでは 現実で活かされないでしょうから。 あと、人間の考える事ですから正解不正解はあるでしょう。 真善美もその一つじゃないかなw

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.3

stmim様、こんばんは。 「古典」の凄さとは、ということでしょうか。 例えば?、「ニュートン」→「アインシュタイン」ですか。 >「その箱庭の中で矛盾が生じなければ一応合格であると思います。」 なるほど。「技術の進歩」であきらかになる矛盾、というのも、あるんですね。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

noname#205511
noname#205511
回答No.2

そうなのですかね?(笑) 歴史的に考えてみると20世紀に起こった1つの対立、『哲学VS構造主義』がありますが、ここを勉強すると貴方が質問していることが見えてくるはずです。誤解を招くことを承知で、簡単に説明してしまうと、哲学とは『実在』を問題にします。これに文句をたれたのが構造主義。構造主義は『実在や真理と言ったものは、人間の知性で扱えないものである』と考えた訳です。この意味で言えば、貴方の主張は『構造主義的な考え方に近いもの』と言えますね。正解・不正解が無いという主張も、構造主義的です。 本格的にご興味があれば、入門書で十分ですので構造主義を勉強してみると良いです。決して難しい思想?(笑)というより物ごとを考える道具と言ったほうが良いですが、修得しやすいものなので、勉強されてみてはいかが?とは思います。偉大なる哲人として名を残すのは、従来の思想を変化させた方ですね。しかしアインシュタインやダーウィンもそうですが、同時代には、同じことを考えていた方がきちんといるものでね(笑)個人の能力というより、時代が大きく変わりえるところにいた天才と言ったほうが良いかもしれませんね。 昔から難問として解けなかったフェルマーの最終定理を証明したのは、プリンストン大学のワイルズという学者さんです。彼が院生になった時、フェルマーの証明を願い出たそうですが、担当教官に受け入れてもらえなかったそうです。その頃の数学力では解けないとされ、同時に、多くの天才数学者が解こうとして廃人になった経緯もあるから『才能を無駄にするな』ということだったようです。ワイルズは、自力で証明していったのですが、証明に必要になった数学や仮説には、日本人数学者も多くいます。 元々、東大の先生が『解く為の仮説』は提示していました。ワイルズはそれを使って証明したといったほうが良いですが、証明するに必要なものが『丁度そろってきた時に解いた方』とも言えますね。ワイルズが挑戦した人たちのなかで最も才能があり天才だったとは言えないと私は思います。ちょっと話しは逸れましたが(笑)基本的に貴方の考えは、哲学というより、科学に近いですね。 アインシュタイン 『科学とは経験したことを論理の中に持ち込んで矛盾なく説明することである』 と述べていますが、哲学は、こう考え無いと思いますよ(笑)

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございました。

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