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哲学の自己完結性とは?
- 哲学にとって最も重要な事は、その自己完結性である。
- 宗教や思想である哲学を成立させるためには、それが内部矛盾を抱えずに自己完結していることが重要である。
- 思想や哲学において最も重要なのは、自分自身がその思想や哲学を納得できるかどうかであり、自己完結しているかどうかである。
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以下のとおりお答えします。 >自己完結したものなど一つも存在しない ⇒賛同します。そのとおりだと思います。「自己完結したもの」どこにも存在しない、と言えるでしょうね。変な反発をする人はいるかも知れません。自己完結の「風上にも置けない代物」かも知れませんが。 「学びて思わざれば即ち暗し、思いて学ばざれば即ち危うし」という言葉が『論語』にあります。「情報を仕入れることも大事だが、自分の頭で考えることもそれに劣らず大事だ」ということでしょうか。ところで、この後半でいう「思いて学ばざる者」は、ある意味で「自己完結している(!?)」と思っているかも知れませんね。と言ってもそれは、いわゆる「頑固」と言われるような類で、お粗末この上ない「自己完結」の仕方、というか「唯我独尊」というような装いでしょうけれども。 >思想や哲学において最も重要な事は、…その思想や哲学を納得できるかどうか、その思想や哲学が自分自身の中で自己完結しているかどうか、それ以外ない ⇒「自分の見たものを他者のそれと接合することによって、そして、それのみによって、我々は『神の視点』に近づけるのだ」と、ある哲学者(オルテガ「パースペクティビズム」)は言いました。ここで言う「神の視点」なるものは、「自己完結した哲学思想」に近いものかも知れません。 その自己完結している様を「輪が閉じている」状態に譬えると、自己完結性の質を高めることは、言ってみれば、その輪の閉じ方を修正したり、大きくしたりすることに譬えられるでしょう。つまり、学んだり自己と他者の視点を接合したりしながら、いびつになったり破れたりしている輪を補修する、あるいは、輪そのものを大きくする、すなわち、より普遍的なものにする…。この繰り返しが、自己完結性の質を高める営為に他ならない、ということにでもなるでしょうか。 自己完結への希求は、間断なき営為であるべきでしょうが、一方、完全な自己完結はユートピア(=どこにもない場所)かも知れません。逆説的・悲観的ですが、「自己完結」=「永遠に達し得ないのに、(シジフォスのような心境になっても)常に求め続けなければならないもの」かも知れませんね。 以上、自己流ながら、ご回答まで。
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- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
宇宙は存在する。 君は存在しない。 ケラケラ。 自己完結したければ、宇宙を証明しないで、自己を証明したまえ。 神に助けを乞うても聞き届けない。 君の神は幻だからだ。
お礼
わしにはアルケーの神がついている。 あ~、アルケーっていいな~。 あ~、アルケーと一緒だと楽しいな~。
- doc_somday
- ベストアンサー率25% (219/861)
>それだけならただの飲んベーの与太話でもことは足りる。 悪いが顔を洗って出直してきてくれ。 だからあなたはしっぽを追いかけている犬の儘だ。 >ただの飲んベーの与太話でもことは足りる、悪いが顔を洗って出直してきてくれ。 人間の行いに差別を付けてはならない、 もし「飲んベーの与太話」で「悟り」にたどり着けるならそれでもちっとも構わない。 「飲んベーの与太話」で解決しないのは「翌日忘れる」人が多いからだ。 忘れない人が居ればそれはどこの坊主の説教よりも尊い。 あなたのように森羅万象に「神仏」を見る事を「忘れた」者が「人の道」などちゃんちゃらおかしいぜ。
お礼
>あなたのように森羅万象に「神仏」を見る事を「忘れた」者が「人の道」などちゃんちゃらおかしいぜ。 その「人の道」にはアルケーの神ってゆー立派な神様がついておるんで何も不自由は御座いません。 あんたも「人の道」を歩めばそのうち分かります。
- doc_somday
- ベストアンサー率25% (219/861)
こんにちわ、お好きですね、だがあなたは「言いっ放し」で「お答」 を「期待していない」回答者と議論もしない、議論でも無く次の言いっ放し が来るだけだ。あなたのタイトルは「人の道」と読めるが、あなたは 人間の道を歩いては居ない。 この前「自我」を使ったら「人」だと答えた、人の中には莫大な物が 詰まって居る、そのうちで「議論可能なものが自我」それさえ知らない。 >哲学にとって最も重要な事はその自己完結性である まともそうだが間違っている、それは「自己整合」と言うべきだ。 日本語の語彙が足りない。 哲学と云いながら議論は宗教、教祖の議論をあげつらう必要はない、教祖や 巨大な弟子は「善悪の彼岸に居る、「一人救う」だけで充分だ、矛盾した議論 でも構わない、臨済禅は修行者に「完全な矛盾」を問う。 他の宗教で坊さんは毎日デタラメな講話をするが、それでも構わない、 聴衆の中に「人生が変わる」人が居れば良い。
お礼
>他の宗教で坊さんは毎日デタラメな講話をするが、それでも構わない、 聴衆の中に「人生が変わる」人が居れば良い。 それだけならただの飲んベーの与太話でもことは足りる。 悪いが顔を洗って出直してきてくれ。
- kurinal
- ベストアンサー率10% (128/1195)
>「思想や哲学において最も重要な事は、その思想や哲学の歴史でも権威でもなく、またそれを支える組織やコミュニティの存在でもなく、純粋に自分自身がその思想や哲学を納得できるかどうか、その思想や哲学が自分自身の中で自己完結しているかどうか、それ以外ないのである。 このように考えるとそれが自分独自の考えであろうとなかろうと、やはり自分自信で辿り着いた思想なり哲学なりを最も大事にしないといけないのではないだろうか。」 人権を侵害しないでね。 (というか、不可侵・・・)
お礼
ひたすら、人権。 どっかの人権NPOに入ったらどーですか。
- a_hona
- ベストアンサー率21% (95/444)
それは一つの見解で一理ある。我が為に自ら為した思索なのであるから、自身に還元されて当然だろう。 一方で、対話や議論によって新たなる展開や思索の進捗があるのもまた本当だろう。 自分が納得行っているなら、それは一番大事かもしれない。他人から納得の行く話を聴くのも、おろそかにはできないが。 もし、自分の思索に納得がいかないのなら、それこそ談論の出番と言うことになるだろうか。
- hiak123
- ベストアンサー率16% (14/87)
知者は自己撞着を持ち合わせていないが内部矛盾をいつまでも保有している知っている。 いつまでも保有している解決し得ないこと、なのに解決できると知っている。 願望ではなく知恵なのである。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
あらゆる公理系(論理的体系)は、不完全である(その 公理系内で証明できない言明がある=自己完結していない) か、矛盾する(Aと非Aを同時に可能にする)かのどちらか である(ゲーデルの不完全性定理)。
お礼
>あらゆる公理系(論理的体系)は、不完全である(その 公理系内で証明できない言明がある=自己完結していない) それを公理という。 公理は自明の理として受け入れ、証明する必要はない。 宇宙の公理 第1公理 宇宙と宇宙の法則は一体である 第2公理 宇宙のすべての現象は宇宙の法則に支配される 第3公理 宇宙は存在する 第4公理 宇宙の法則は唯一絶対である 第5公理 宇宙の法則は永遠不変である 第6公理 宇宙の法則は永遠不滅である
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
こんにちは。 阿呆か――阿呆化?――としか言いようがない。
お礼
つまりあれだ、非思考ってことだろ。 非思考 → 阿呆か → 阿呆化? だんだんとその庭に入っていったね、 分かるか分からんかが分からんだろーね、 やっぱ思考停止って楽しいね。
- pigunosuke
- ベストアンサー率19% (1063/5529)
それも一つの意見です
お礼
かくにん、よかった。
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
君の言ってるのは、自己完結でなく、自己閉塞だ。 社会的廃人の不満だ。
お礼
君は世間では変態V字アニマルって見なされている。 V字開脚しろ。
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お礼
>その自己完結している様を「輪が閉じている」状態に譬えると、自己完結性の質を高めることは、言ってみれば、その輪の閉じ方を修正したり、大きくしたりすることに譬えられるでしょう。 素材の異なる2つの小さな輪があったとします。 これを接合して一つの大きな輪にするにはどうすればよいか。 これをヘーゲルの弁証法に準じて説明してみたい。 2つの輪を接合するには、まず各々の輪を一度切断する必要があります。 まず一方の輪を切断する。→ アンチテーゼ 次に他方の輪を切断する。→ アンチテーゼ 次に各々の輪の端っこをくっつけて接着剤でつなぐ。→ ジンテーゼ すると一つの大きな輪が誕生する → テーゼ あ~、スッキリした。