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学問の世界

ある記述の中で、 極端な言い方をすれば「哲学」を頂点とする学問の世界で、はるかに下賎な経済の下に経営とか商学、会計学、簿記に至るまで ・・・・・ というのがありましたが、哲学が学問の頂点というのは 一般的に言われていることなのですか? はるかに下賎なというのもちょっと分からなくて・・・・。 気になってしまったので教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • shota_TK
  • ベストアンサー率43% (967/2200)
回答No.3

#1のしょうたです。 「数学から哲学」ですが、例えば・・・ 「同位角が等しい」というのはご存知ですよね? でも、それを証明することはできますか? これは、「公理」と呼ばれていて、証明することはできないんです。 逆に、「同位角は等しくない」と仮定すると、今、我々が信じている 数学(幾何学)体系とは全く別の体系が矛盾なく成り立ってしまいます。 このような体系を「非ユークリッド幾何学」と呼びます。 この体系の面白いところは、それまで、単なるお遊びだと思われていたのですが、 相対性理論の登場により、ある特殊な空間(ブラックホールなど)では 非ユークリッドの方が普通に成立し、 我々が信じているユークリッド幾何学(同位角が等しくなる世界)は むしろ特殊であることがわかりました。 ちょっと話はそれましたが、このように、「公理」というものは ある意味で「合意」なんですね。 数学は、定義と公理の上に成り立つ学問であり、この「合意」の部分が 哲学的、と考えられているんだと思います。 哲学の人たちの仕事についてですが、上記の考え方は、科学哲学の 中でも一部の人の考え方であって、 このように考えない人も多数いると思います。 また、哲学の分野にも、宗教哲学や論理哲学など、いろんな分野が あります。それぞれ、テーマを持って研究をしていると思います。 科学哲学は、ぼくの理解では「好奇心に対する答えを論理的かつ 合理的に説明する手法」ですが、参考URLに出ているのでご参照下さい。 「哲学が頂点」ということに対しては、こんな風に考えたらどうでしょう? 芸術の分野には「美学」という学問があります。 人間は、何をもって「美」と感じるか、という学問ですね。 これは、ちょうど「哲学」に相当します。 ところが、芸術家というのは、必ずしも美学に通じているわけではありません。 それなのに、美学の研究者よりもずっと美しいものを造ることができます。 同じように、化学、経済学などの分野の人は、学問の根底に 「確かに存在するはず」の哲学を理解していない(かも知れない)のに、 哲学者よりもずっと有難い「成果」を我々に与えてくれます。 このようなことから言って、哲学は「高尚な」学問なのかも知れませんが、 経済学などを「下賎」と見下すのはよくないことだと思います。 なお、私は哲学が専門じゃなくて、プラスチック材料の劣化が専門です(笑)。 大学時代、哲学の研究室にいたので、当時の断片的な知識でお答えしています。 回答はかたよった見方をしているかも知れません。 mayurinnさんの疑問の解決に少しでもお役に立てれば幸いです♪

参考URL:
http://www.mizzy.org/fsroom/contpc.php3?janID=1
mayurinn
質問者

お礼

紹介していただいたサイト、とても興味深いものでしたので、 じっくりと読んでみたいとおもいます。 私は哲学に対する知識もほとんどないのですが、公理と合意っていうのが ちんぷんかんぷんです・・・。 美学についての文がありましたが、初めてそういうものがある事を 知りました。大変勉強になりました。 ありがとうございました。

その他の回答 (6)

  • nubewo
  • ベストアンサー率24% (14/57)
回答No.7

哲学というものは時代によって定義が違うんじゃないでしょうか。 ギリシアまで遡れば「真理を探求する学問」ってだけで良かったんでしょうが、いろんな方面(人体、錬金術、宇宙、神、数学)がそれぞれ個別に深い真理を持ってるって事がわかって、哲学が分野別に別れて専門化していった、と。そして専門化すると元の哲学よりは視野が狭い。数学と道徳観念は遠いように。 そうすると全ての元である哲学はどこでも見える頂点に、個別の学問は一部しか見えない下層部に位置付けられますよね。 哲学者が、ものすごい実益をあげる個別の学問を見て嫉妬したんじゃないですか?(笑) 哲学が全部のもと、頂点なのだ!他は下賎! って言い張る事でなんとか哲学の優位を保とうとした、と。 まぁ高校生の戯言なんですが。 乱筆失礼。

mayurinn
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • netcatme
  • ベストアンサー率20% (76/371)
回答No.6

「哲学が学問の頂点」という言い方はヘーゲルの時代が最後ではないかと思います。その後は各学問は専門化し、哲学が全てを統合・網羅するということはなくなりましたので、哲学者の間で気取って使うぐらいで、実感にそぐわなくなっています。 「はるかに下賎な経済」というのは、よく分かりません。言っているとしたら経済学の発達は他の学問より遅く始まっていますので、ヘーゲルぐらいしか可能性がないような気がします。だとしても、これも経済学の発達により実感にそぐわないですから一般的ではないと思います。

mayurinn
質問者

お礼

質問にある記述を全面的に否定されている回答になってますね。 昔に関して、哲学が学問の頂点という考え方が合っていた というのは想像がつきます。 ありがとうございました。

  • shota_TK
  • ベストアンサー率43% (967/2200)
回答No.5

定義と公理(すなわち合意)についてちょっと補足します. 数学というと,答えがひとつしかない明確な学問のようなイメージを お持ちだと思いますが,根本的なところを突き詰めていくと, 案外,明確ではなくて,みんなの合意で「正しい」と判断した法則 (証明することはできない法則)の上に成り立っている,ということです. あと,「頂点(あるいは上から下)」については,#4さんの意見と同感です. 上・下の定義の仕方によると思います. 「頂点」というと何となく「ベストワン」というイメージを持ちますよね. そうではなくて・・・ 「なぜ?」を解明するのが哲学であって,それはすべての分野に共通するから, 位置づけとして端っこになってしまう, と考えるべきだと思います.頂点じゃなくて,「根底」でもいいですよね. 自分なりにわかりやすく書いてるつもりなんですけど,mayurinnさんの バックグラウンドがわからないので,わかりにくくなっちゃって ごめんなさい~.

mayurinn
質問者

お礼

たびたびありがとうございます。 私のバックグラウンドは・・・  まぁ知識小学生レベルの好奇心博士課程という感じでしょうか   (汗) >「なぜ?」を解明するのが哲学であって,それはすべての分野に共通するから, 位置づけとして端っこになってしまう この説明わかりやすいですね。偉いとか征服しているとかではなく、 根底にあるという意味で、位置として図の頂点の部分にあるという とらえかたをしました。 ありがとうございました。

noname#2850
noname#2850
回答No.4

<注意> 哲学は、ひとつの答えに結びつくことの難しいテーマです。質問者と回答者、回答者同士での論争にならないようお願いいたします。回答される際は、他の方への意見を載せるのではなく、質問者への回答やアドバイスをご投稿ください。 この「哲学カテゴリ」に回答する人は、この注意を目にしているわけです。 後半はともかく、「哲学は、ひとつの答えに結びつくことの難しいテーマ」であるということをまず念頭においてください。 わたしは、どこかの本で三角形の図を見たことがあります。その図の頂点には「哲学」と書かれてあり、その下に「神学」「美学」「形而上学」などが入ってきて、底辺には「経済学」「法学」があったと記憶しています。ということは、これは、学問の「ヒエラルキー」ですね。 もちろん、階級制度というのは時代によって崩壊しますから、現在の大多数の人間がそのような体系に納得できないことでしょう。 自然哲学の原初に論じられていたのは、「万物の根源はなんなのか」という問題でした。なんのためにそんなことを知りたかったのかをおもんみるに、われわれの住んでいる世界とはなんなのかを知りたかったということが言えるのではないかと思います。世界の形象についてさまざまなことが考えられました。天動説や、自分たちの住んでいる場所が平面であるという考え。これらは現在では否定されていますが、科学の発達していなかった時代は、想像力による部分が大きかった。それゆえ多士済々の意見が出たわけです。 それはそうと、「世界を知る」というのにはいろいろな方法論があります。哲学というのは、まず最初に疑問を投げかける者だと考えて下さい。人はその疑問に答えるべく、あらゆる仮説を立ててみました。例えば神の存在というものを仮定した上で、世界観を構築しました。しかし、その神というのが1つなのかたくさんいるのか、またどういう存在なのか、と次々と疑問が沸き起こってきます。それを纏め上げたのが「神学」というひとつの体系であると思います。他にも「天文学」であるとか「地理学」であるとかが方法ではあるのですが、そのためには、どう測定するかという問題が絡んできます。そこで「幾何学」というものが現れたのです。幾何学をやるとなると、論理的に物を考えなくてはならない。そこで弁論術が生まれてくる…… しかし、こうして四角四面に測ってみても、世界の全体が依然としてつかめないのが実際のところです。次第にわかってきたのは、「われわれ人間とはなんなのか」ということに注目していなかったということです。 その疑問を哲学が起こすことで、新たな学問が立ち上がりました。大雑把な部分がつかめてきたところで、さらに一歩踏み込んで、人間の活動についてもうすこし実際的なところを知りたいという疑問が起こります。その中に社会活動があり、さらにその中に「経済学」という学問が生じる。「経済学」が大体わかると、それの実用性を鑑みて、「商学」「経営学」などが生まれてくる。 大体こういったことなんですね。 哲学はまるで何も知らない子供のように問いを発する。それに答えるべく一生懸命仕えるのがその他の学問であり、ある学問それ自体の広がりが広ければ広いほど位が上ということになる(例:言語学>日本語学>女性の使う日本語についての研究)。だから哲学を学問と見なさない考え方もあってもおかしくないわけです。しかし学問を生産する原動力ですから、頂点とする考えも成り立ちます。 はるかに下賎な、の「下賤」をあまり文字どおりに解釈せず、位が低いということにしましょう。例えば「食べるとは何か」というのは幅が広く、底の深い質問です。しかし、それに対して「ピーマン1個あたりの栄養素とカロリーは」と考えるのは重箱の隅をつつくようなもので、考えていることはちっぽけということになると思います。そういう意味で「下賤」という風に表現しているものだと考えられます。 上から下へ、という考え方で回答しました。

mayurinn
質問者

お礼

>わたしは、どこかの本で三角形の図を見たことがあります。その図の頂点には「哲学」と書かれてあり、その下に「神学」「美学」「形而上学」などが入ってきて、底辺には「経済学」「法学」があったと記憶しています。 ということは頂点と言うのが本になってる位ですから、知識人(?)と呼ばれている人たちの間では哲学が頂点というのは一般常識なのですか。 とても分かりやすい説明ありがとうございました。

mayurinn
質問者

補足

>本質追及型で修行中、ポイント獲得無視でボランティア回答をする影の騎士。回答数100になりましたら即退会します。 99回ですね・・・今気づいたものですから。 ありがとうございました。

  • jun95
  • ベストアンサー率26% (519/1946)
回答No.2

「下賤」とは、「身分が低い」という意味です。shota_TKさんは、心理学からといいながら、その学問を「脳の機能の解明」とされておられるのには納得がいきません。心理学は、かつては哲学の一部で、現代になって、実験心理学が主流になり、認知の仕方や行動の仕組みなどを経験的に、あるいは、モデル論的に研究されているものだと思いますし、経済学も、その根幹は、心理学なのです。 ただ、経済学でも、シンプルな仮定(assumption)のなかで理論を組み立てており、「効用」というのは、心理学的な概念です。 私が思うには、認識枠組や観察対象といった学問の背景を決めているのが、「哲学(科学哲学)」なので、このような記述がなされているのかもしれません。

mayurinn
質問者

お礼

早速の回答ありがとうございます。 ちょっと使われている言葉が難しくて何度か読み返しが必要でした。 (私は学問に対する予備知識がほとんどありません。) >学問の背景を決めているのが、「哲学(科学哲学)」なので と言う所に答えが見えた気もしますが、結局の所、 一般的に学問の頂点と言われているわけではないのですね。 科学哲学ってどういうものですか?っていう別の質問もしたいところですが、とりあえずありがとうございました。

  • shota_TK
  • ベストアンサー率43% (967/2200)
回答No.1

一般的に合意を得られていないと思いますが,次のような考え方があります. 大雑把に説明します.やや乱暴な議論であることをお許し下さい. 経済学から出発すると大変なので,心理学あたりから出発しますね. 心理学というのは,脳の機能を理解するのが目的と言えますよね. 脳の中では化学反応が起きて「意識」が生まれると考えられるので, 「化学」を完璧にマスターすれば心理学は解明されるかも知れませんね. で,化学というのは原子と原子の相互作用のことですから,これを扱うのは 物理学です.物理学を完璧にマスターできれば,化学は解明されたことに なるかも知れません.物理学は何かと言うと,突き詰めると数学になります. 数学を突き詰めるとどうなるか・・・哲学になると言われています. で,哲学とは考えることそのものなので,それ以上解明することができない, という考え方です.この理屈によると,頂点は哲学か神学になります.

mayurinn
質問者

お礼

早速の回答ありがとうございます。 理系の説明はなんとなく理解も出来るし、納得も出来ますが、 数学から哲学に・・・・想像もできない世界ですね^^;;; >哲学とは考えることそのものなので,それ以上解明することができない, ということは、今現在哲学を学んでいる人は、何をしているのでしょうか? とちょっと思ったりもして・・・。 この質問て答えは無いものなのでしょうか。 アドバイスの理屈の所から最期の結論がやっぱり分からないのですが もしこれをご覧になっていたら、補足していただけないでしょうか。 よろしくお願いします。 補足を期待しつつ、早速の丁寧な説明ありがとうございました。

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