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マルクスの「定在と概念の矛盾」につきまして。

urigadai2013の回答

回答No.6

tefu_tefuさんへ 私はあなたがマルクスの「資本論」から引用していたので、「資本論」を読んで少しでも理解しているのかと思っていましたが、あなたの補足の文章を読んで私の考えていたのがとんでもない間違いで、あなたがほとんどと言っていいほど、マルクスを理解していないのが分かり、落胆しました。 あなたは「マルクスは労働をすべて商品と考えて賃金としたことで彼は資本主義の信仰者になってしまったのだと思います」と言っていますが、では何のために「資本論」を書いたというのか? 資本主義の社会は、富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなる、貧富の格差が限りなく拡大する社会です。 このような社会では、人間が人間らしく生きられません。 そのような資本主義を批判するために「資本論」を著したのです。 そのマルクスが、どうして、資本主義の信仰者であるでしょうか? そしてあなたは「人間の幸福はお金の多さでではないと思うんです」と言いますが、それと同じことを貧しくて幼い子供に何も買ってやれない、学校にも行かせられない、毎日食うのもやっとの貧しい人に対して言えますか? 貧しくて苦しい生活をしている人に対して「人間の幸福はお金の多さではないと思います」と言えますか? そういうことを言えるのは、あなたが食べるのに何不自由のない恵まれた人だからです。 マルクスが言うように資本主義の社会では、すべてが商品です。 その商品を買うために、みんな働いているのです。 決してボランティアで働いているわけではありません。 家族を養うために、一生懸命に働いているのです。 商品を買うためにはお金が必要だからです。 だれも、商品をただでくれる人はいません。 「労働をすべて商品としたことで」と言いますが、労働は「労働力」という商品です。 資本主義は、それ以前の時代と違って労働力という商品を発見したことで、飛躍的にその生産力を増大しました。 資本家はその労働者の労働力を商品として買い、それを他の資材・原材料と一緒に生産過程に投入し、資本制生産をしているのです。 ハンナ・アーレントはマルクスは労働以外の「仕事」とか別の活動があるのを無視した、と言って非難していますが、マルクスだってそんなことは十分承知の上です。 どうしたら、貧しい人たちを、その苛酷な状況から救い出すか、というのが「資本論」の課題だったので、労働以外の人間の活動は、とりあえず「棚上げ」にしたのです。 アーレントはそれを忘れているのです。 「人間の幸福はお金で買えない」というのは、当たり前のことです。 そんなことは言うまでもない。 だけど、一方では、お金がなかったら、幸福もない、と考える人はいっぱいいます。 今の社会で、非正規労働に携わっている若い男子は結婚も出来ず、幸福さえも手に出来ません。 そういう人に「人間の幸福はお金で買えません」と言えますか? 「貴方は、富と権力を無限に持つ人間が世界の中で一番の幸福者だとお考えですか?」と言いますが、世の中の多くの人たちが、富と権力を無限に持ったならば、一番とは言わないまでも、幸福だと考えるでしょう。 考えないのは、お金がない人の嫉妬心から出た「負け惜しみ」としか聞こえないでしよう。 キリスト教は「貧しいものは幸いである。天国への道が開かれているからである。富める者は天国に迎え入れならない」と言います。 それも同じ、貧しい人間の「ルサンチマン・憎悪」から来た「負け惜しみ」です。 そんな貧しいものでも、宝くじが当たって、大金を手にしたならば、自分の意見を撤回し、やっぱり幸福はお金だなあ、と思うに違いありません。 「もっとも豊かさを感じている人間は大富豪ではなく、みずから必要な物を想像したり、創造できる人ではないでしようか?」とあなたは言いますが、「想像した」だけではお腹はいっぱいになりません。 食べ物がなくてひもじい思いをしている子供に「食べ物を想像しなさい、それでお腹がいっぱいになりますよ」という母親がいるでしょうか? ひもじい思いをしている子供が、想像しなさいと言われて、それで喜ぶでしょうか? それに芸術家だったら、食べ物を描いて、それで満足するかもしれませんが、ひもじい思いをしている子供が、絵に描かれた食べ物を見て、満足するでしようか? 満足するのは芸術家だけではないでしようか? 「マルクスは正しかったでしょう。でも、人間の幸福はお金ではありません。そう言いたかった」 たしかにお金がなくても幸福でいられたら、どんなにかいいことだろうとマルクスも思ったかもしれません。 また「彼は富める者こそ、足るを知る」を語れたらどんなにかいいと思ったことでしよう。 だけど現実の目の前の苛酷な資本主義を目にして、そういう思いをマルクスは「封印」したのです。 資本家はお金に対する無限の欲望を制限したりはしません。 どんどん労働者から利益を引き出し、その反面では労働者をますます貧しい境遇に落として恥じません。 社会の富は少数の者に集中し、その反対に貧しいものがどんどん生産されています。 経済格差はますます拡大します。 最近、フランスの経済学者のピケッティが「21世紀の資本」という本を著し、ベスト・セラーになっていますが、今後の資本主義は経済格差が拡大し、貧しい者の不満が鬱積して反乱や暴動の危険性が高まると警告し、富める者から「累進課税率」を高くして税金を多く徴収し、貧しいものに分配しないと、それを乗り越えられないと言っています。 結論を申し上げれば、あなたにあるのは「甘いヒューマニズム」でしかありません。

kimko379
質問者

お礼

ご苦労様です。

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