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グレゴリオ暦とユリウス暦

川原 文月(@bungetsu)の回答

回答No.6

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 日本でグレゴリオ暦が採用されたのは、明治5年(1872年)11月9日に、従来の太陰太陽暦(旧暦)を廃して翌年から太陽暦を採用することが布告されました。 この「太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ頒行ス」(明治5年太政官布告第337号、改暦ノ布告)では、「來ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候事」として、グレゴリオ暦1873年1月1日に当たる明治5年12月3日を明治6年1月1日とすることなどを定めました。 そのため明治5年12月2日まで使用されていた天保暦は旧暦となったのです(明治改暦、明治の改暦)。 また明治5年の布告では、4年に1回閏年を置くことは記載されていましたが、その後、諸外国の例にならい、「置閏法」が明治31年5月11日に、明治31年の勅令第90号で、 「神武天皇即位紀元年数ノ四ヲ以テ整除シ得ヘキ年ヲ閏年トス 但シ紀元年数ヨリ六百六十ヲ減シテ百ヲ以テ整除シ得ヘキモノノ中 更ニ四ヲ以テ商ヲ整除シ得サル年ハ平年トス」 要は、グレゴリオ暦と同じにする・・・という布告が改めて出されました。 つまりは、諸外国との通行において、「慶応○年」とか「明治×年」と言っても、西洋には通じないため、西洋方式に変更したのです。 しかし、現代でも我々は「平成24年」だとかを使い、諸役所関係の書類でも使用しますが、これは日本人の心の中に「明治」とか「大正」、「昭和」などの和暦感覚が根強いため採用することとしました。 もう少し詳しく話すと、 明治5年の太政官布告後、西暦に統一すべきだとの議論が国会でも年を置いて何度も討論されましたが、昭和51年(1976)に政府が密かに抽出による10,000人へのアンケートの結果、約87%が「和暦に馴染みがある」。との回答を得、それにより役所などの届け出に関しても「平成」などの和暦を用いることと決定しました。 ただし、学校などで歴史を教えるにあたっては、例えば、「大化の改新」とか「天明の飢饉」などと教えても、特に幼少期は、どちらが古いのかが判別できないためグレゴリオ暦を併記して教えることとなり、次第に、歴史学者や歴史家、歴史作家なども「和暦」と「グレゴリオ暦」を併記して時代の流れが分かりやすいようにするようになりました。 >>私たちが、歴史を覚える時は グレゴリオ暦で覚えればいいのでしょうか? これに関しては、できれば、和暦表記も西暦表記も覚えた方が良い・・・となるのでしょうかねぇ。 しかし、歴史の流れを汲み取るためには、グレゴリオ暦で覚えた方が分かりやすいかもしれません。 (よもやま話) ★ユリウス暦 1年を太陽の動きに合わせて365日てする。ところが、実際には太陽の周期は約365.2422日であることから、4年に一度閏年を設け366日とした。しかし、この方法では、約130年に1日ずれることが解りました。 ★グレゴリオ暦 現在、我々が使用している暦です。これは、ユリウス暦を基にして100で割り切れるが400では割り切れない年は平年(閏年とはしない)とする。というものです。

kurikuricyan
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 明治5年12月3日が突然?明治6年1月1日になったら、 当時の人たちは、どんな様子だったのでしょうかね。 12月になった、、と思ったら、突然 翌年の正月ですものね? どんな気分だったでしょうか、、、。 相当、戸惑ったのでは? 勿論、1年くらい前から、通達が出ていて心の準備?はさせられてたのでしょうか、、、。 明治になって、チョンマゲはなくなるし、刀は廃止されるし、名前はつけなくちゃいけなくなるし、 学校教育は始まるし、、、。 ほんと、明治の時代は、テンヤワンヤの時代だったのでしょうね。 西南戦争で「武士」はいなくなった、、ですし。 中井貴一主演の「柘榴坂の仇討ち」みたいに、時代は、少しづつ変わって行くのに、いつまでも 武士としての矜恃を持ち続けるその変わりゆく時代の波に乗り切れない、、。 こういう人が、沢山いたのでしょうね。 話が逸れてしまいました。 私も、誕生日を西暦で言われてもわかりませんね。 昭和◯年とか平成◯年とか言われた方が 時代背景とともにピンときますね。 グレゴリオ暦で覚えるようにします。 ありがとうございました。

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