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乱/戦いについて

歴史の教科書には「関ヶ原の戦い」や「桶狭間の戦い」など書いてありますよね。 他にも「島原の乱」「平治の乱」など… ここで質問なのですが、戦いと乱の違いは何ですか? 教えてくださいm(__)m

  • 歴史
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  • ベストアンサー
  • phj
  • ベストアンサー率52% (2344/4489)
回答No.3

戦いというは、双方に戦う意義のあるもの同士が戦うことをいいます。乱は本来なら従うべきものが、対抗して戦うことを言います。 たとえば武田信玄と上杉謙信が何度か戦った川中島の戦いは、上杉も武田も一国をもつ戦国武将であったために、双方戦う意味があり、それは自分の領土を増やしたいとか天下をとって自分の勢力の元で天下泰平を実現したい、というものです。双方に戦う「意義」と「資格」があるので「戦い」と表記されます。 島原の乱などは、本来藩の意向に従って生活するべき庶民が蜂起したものです。特に島原の乱はキリシタンの弾圧という問題点がありましたが、農民は武士階級の決めた法律に従うべきだった時代に、キリスト教が禁制になったことを受け入れられず、農民が蜂起したために「乱」つまり「秩序を乱す行為」と表現されます。 また他の方が書かれているアイヌ人と和人との北海道での争いは、アイヌ人を松前藩の領内に住む領民とすれば、その蜂起は「乱」となりますし、松前藩がもともとアイヌ人の土地だった国後を占領し、それに納得がいかないアイヌ人が自分達の土地を取り戻す為に戦ったなら、国家間の戦争ですから「戦い」になります。 これらはすべて歴史をどのように見るか、というスタンスですので、たとえば徳川家康の大阪の陣も関が原の戦いも、豊臣家絶対という価値観から見れば「謀反」であり「乱」になるといえます。 しかし、徳川は五大老とはいえ、戦国時代が終焉していないという後世の歴史家の解釈があって、最終的な勝者としての徳川家康であり、そこに至る過程はすべて「戦い」と表現されるのです。 平治の乱や保元の乱は、完全な内輪もめの権力闘争です。徳川と豊臣の戦いと違うのは、関が原の戦い以降は支配者が徳川家に変ったのに対して、平治の乱も保元の乱も内輪もめして勝った者が朝廷を居のままに動かせる、というだけで、政治機構としての「朝廷」や天皇制はまったく手付かずになっています。 徳川は豊臣に代わり征夷大将軍を受けて、その後子孫に継承していきますので、権力の支配者がまったく変ったということになります。 このように「権力」の保持者・権力構造がまったく変化してしまうものを「戦い」と表現し、権力者に反対運動をしたり、権力構造内で内輪もめしたものは「乱」といいます。 1960年代に起きた学生運動はかなり激しい戦いをしていますので、あと100年ぐらいしたら「安田講堂の乱」なんて名前になってるかもしれませんよ。

orange1tea5
質問者

お礼

双方に戦う意義がある…なんかかっこいいですね(笑)← 権力者に反対=乱なのですね! よくわかりました!回答ありがとうございます

その他の回答 (4)

回答No.5

> 戦いと乱の違いは何ですか?   戦いと戦争の違いならば、個々の戦闘行為と武力も関わるような争い全体ということですが、歴史上の事件・事変の呼称で、乱・役・変・戦のような文字の使用の違いは、単なる違いでしかないです。 乱にしても、磐井の乱、壬申の乱、承平天慶の乱、応仁の乱、島原の乱と並べて、壬申の乱を考えると、政権獲得をねらったもので反乱側が勝っても乱と云います。 役にしても、文久の役、弘安の役、文禄の役、慶長の役、西南の役と並べて、西南の役を考えると、現政権への反乱も役と云います。 応仁の乱と関ヶ原の戦いを並べると、関ヶ原の戦いは単なる短期間の狭い地域での戦闘ですが、応仁の乱は京都中央以外にあちこちで戦いがありとても長期です。乱が小規模・部分的・短期で鎮圧されるものにつけられる名称とは限らないです。 また前九年の役のように、途中に休戦期間を含む比較的長い戦役も役と云います。   白村江の戦い、壇ノ浦の戦い、桶狭間の戦い、長篠の戦い、関ヶ原の戦い、鳥羽伏見の戦い、二本松の戦い、田原坂・吉次峠の戦いのような場合は、対戦相手や原因、勝敗に関わらず、ある地域での戦闘行為・武力衝突そのものに、その場所の名前+戦いの文字を使っています。戦闘規模の大小などには関係がない名称の付け方です。 沖縄戦、ミッドウエー海戦、旅順攻囲戦なども、戦いについている名称です。 薩英戦争のように短期限定の戦闘にも戦争の名称をつけることもあります。(誤解がきっかけ?の局地戦)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%A9%E8%8B%B1%E6%88%A6%E4%BA%89

orange1tea5
質問者

お礼

詳しい説明ありがとうございました\(^^)/ はっきり「これ!」という明確な区別はされてないということでしょうか 乱や戦いを沢山挙げていただき、ありがとうございます! 知らないのもあったので、勉強になりました♪

  • oignies
  • ベストアンサー率20% (673/3354)
回答No.4

戦いの場合には、主導権争いの戦い。勝った方は天下をとります。 乱の場合には、天下とりの戦争ではないです。すくなくとも、そうな らず、負けた場合に、乱とよびます。ただし、実際には、支配者側 が、かなりあやうかったものも含まれます。乱=反乱の略ではない でしょうか。なので、天皇が自分の側にいた場合には、たぶん乱 にならないです。 ほかには、戦い、とついているものは、戦国時代のものにおおい 印象です。主導権をだれがにぎるかまったくわからなかったもの についていわれているのでは? 一般民衆も含め地域全体が蜂起した場合は、乱ですね。

orange1tea5
質問者

お礼

確かに、今まで習った乱や戦いを思い浮かべると 回答者さんの通りですね! 分かりやすい回答、ありがとうございました\(^^)/

  • mekuriya
  • ベストアンサー率27% (1118/4052)
回答No.2

「戦い」といった場合は、戦闘を意味します。「青島の戦い」のように内戦だけに限定されず外戦の場合もあります。前提条件として、そもそもが平時ではなく、有事の状態で特定の場所、特定の日時に限定した戦闘を識別する為に戦いという訳です。 これに対して「乱」は戦闘に限定されない、反乱、混乱、騒乱、戦乱といった平時における異常事態を表す用語です。要するに、それまで統治機構が機能していて平時だった時に何らかの異常事態が勃発したという意味が乱なのです。 といったようなニュアンスの違いがありますが、「戦い」と「乱」は厳密に使い分けられている訳でもない。例えば、「クナシリ・メナシの戦い」「クナシリメナシの乱」。クナシリ・メナシの戦い(乱)は江戸時代の18世紀末に松前藩領の国後島(北方領土の一部)と北海道の目梨地方で発生したアイヌの和人に対する蜂起でありました。明快な武力衝突があったわけでもないし、組織だった戦闘が行われたわけでもない。その意味においては「戦い」と呼ぶのは私は違和感を覚えるのですが、現実的には「クナシリ・メナシの戦い」といった表現も生き残っている。「戦い」にはアイヌの和人に対する武力蜂起という側面を歴史的意義において強調したいという話者の思いが感じられるし、松前藩の統治に正当性が無かったというニュアンスも込められているように思える。 言葉は生き物で、誰が審議して統一的に決定している訳でもないことを理解してください。それぞれの歴史学者が様々な歴史用語を唱えて、長い時間揉まれて生き残る用語もあれば、廃れて誰からも忘れられる用語もある。松前藩は領地が辺境で、なおかつ政治の中枢にほとんど関われなかった外様なだけに一般に関心が低く、その分「クナシリメナシの乱」は歴史用語として十分揉まれているとはいえないといった事情もあります。 何事も人間の営みですから、綺麗さっぱり割り切れるものでもないのです。それぞれの用語に込められた歴史学者の思いも見えてくるようになれば、歴史はより面白くなります。

orange1tea5
質問者

お礼

乱=反乱、と考えるのがとてもわかりやすかったです しかし厳密に区別されているわけではないのですね! 勉強になりました、回答ありがとうございます\(^^)/

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

中央権力に対する戦いの場合「乱」 中央権力が関係ない場合「戦い」 とされる場合が多い おまけ中央権力が地方に戦いに行かせた場合「役」になる 前九年の役とか後三年の役とか ここで中央権力というのは、早い話が「歴史」を決める人々のこと

orange1tea5
質問者

お礼

簡潔な回答で、とってもわかりやすかったです! ありがとうございます♪

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