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グレゴリオ暦とユリウス暦
よく、テレビなどで、歴史学者さんが、 ◯◯の大戦は何年何月、、とか、言っておられますが これは、グレゴリオ暦に統一されているのでしょうか? 関ヶ原の戦いとか長篠の戦いとか桶狭間の戦いとか、、。 世間に発表されるときは、グレゴリオ暦で統一する、、 という暗黙の約束になっているのでしょうか? 私たちが、歴史を覚える時は グレゴリオ暦で覚えればいいのでしょうか? 愚問ですみません。ちょっと、気になったものですから、、。
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- Kirama
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回答No2の2行目以下の文章が以下のようになっています。 ---------- 高校の教科書でも、八月十八日の政変、などとグレゴリオ暦になっています。ユリウス暦(8月6日)、旧暦(8月19日)は使っていません。 ---------- しかし、以上の文章は間違っており、正しくは以下のようになります。 ---------- 高校の教科書では、八月十八日の政変、と旧暦になっています。 ----------
>◯◯の大戦は何年何月、、とか、言っておられますが 多分丁寧な方は何月は今で言えば何月と言い添えているのではないのでしょうか。 陰暦と現在の太陽暦(グレゴリア暦)とではずれがあり、季節感とはずれることがあります。 季節感と無関係なできごとであれば、そのままにしているかと思います >暗黙の約束になっているのでしょうか 暗黙というか便利なために使っています。 一般人向けに元号でいっても良く分かりません。 元号を聞いただけで何年ぐらい前の出来事だとすぐに分かるのは歴史マニアぐらいでしょう。 年代を表記するのは、世界中で違います。 世界中に暦が沢山あると考えて下さい。 イスラム暦などというのもあります。 タイでは仏暦などというものが使われています。 西暦2014年=仏暦2557年です 中国や台湾では月齢カレンダーというものも使っています。 ネットにありますのでご覧下さい ネットで中国や台湾などの友人に月齢カレンダーで日にちを言われて面喰うこともあるようです。 世界的な情報の共有という意味でグレゴリオ暦を使っているだけです。 中高等学校などの教科書でもグレゴリオ暦を補足して使っています >私たちが、歴史を覚える時は グレゴリオ暦で覚えればいいのでしょうか? 受験勉強であれば差し支えはないかと思います ただ趣味教養での歴史ということになると日本史では元号が頻繁に出てきますので、頻度の高い元号は憶えることもなく憶えるかと思います。 大化の改新、大宝律令、天慶の乱、文永弘安の役、応仁の乱、享保の改革、元禄時代、明治維新など多々あります。 受験対策としては年代表記というよりも事件名として憶えて差し支えはないでしょう。 西暦645年の大化の改新と憶えれば宜しいかと思います 中国史の場合には○○皇帝の何年という言い方もされます。 日本の古代史でも使われています。 中国韓国日本などではこの他に干支表記もあります。 日本史であれば、壬申の乱、などがあります。 中国史であれば 戊戌の変法、辛亥革命などがあります。 朝鮮史であれば 丁卯胡乱、甲戌の獄、壬午事変、甲午農民戦争、甲午改革、甲申事変などがあります。 中国や韓国では現在でも主要な出来事には干支を付けて呼んでいます。 特に朝鮮は独自の元号を持たなかったために干支表記が多いという特徴があります 韓国となってからは日本の二・ニ六事件のように日付を事件名につけるようになってきています。 三・一独立運動、六二五事変、六・二九民主化宣言などというのがあります。 日本でも最近は阪神・淡路大震災のように日付で呼ぶことがありますが、日付変更線の関係で世界的には共有できません。 まぁ~年代というのは、何時頃起きた事件かという議論をする際の目安だと考えてください。 海外の人との交流が増えれば増えるほど、現在共通して使っているグレゴリオ暦で話をする方が便利でしょう。 日本史マニアは元号で話をします。
- 川原 文月(@bungetsu)
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こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 日本でグレゴリオ暦が採用されたのは、明治5年(1872年)11月9日に、従来の太陰太陽暦(旧暦)を廃して翌年から太陽暦を採用することが布告されました。 この「太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ頒行ス」(明治5年太政官布告第337号、改暦ノ布告)では、「來ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候事」として、グレゴリオ暦1873年1月1日に当たる明治5年12月3日を明治6年1月1日とすることなどを定めました。 そのため明治5年12月2日まで使用されていた天保暦は旧暦となったのです(明治改暦、明治の改暦)。 また明治5年の布告では、4年に1回閏年を置くことは記載されていましたが、その後、諸外国の例にならい、「置閏法」が明治31年5月11日に、明治31年の勅令第90号で、 「神武天皇即位紀元年数ノ四ヲ以テ整除シ得ヘキ年ヲ閏年トス 但シ紀元年数ヨリ六百六十ヲ減シテ百ヲ以テ整除シ得ヘキモノノ中 更ニ四ヲ以テ商ヲ整除シ得サル年ハ平年トス」 要は、グレゴリオ暦と同じにする・・・という布告が改めて出されました。 つまりは、諸外国との通行において、「慶応○年」とか「明治×年」と言っても、西洋には通じないため、西洋方式に変更したのです。 しかし、現代でも我々は「平成24年」だとかを使い、諸役所関係の書類でも使用しますが、これは日本人の心の中に「明治」とか「大正」、「昭和」などの和暦感覚が根強いため採用することとしました。 もう少し詳しく話すと、 明治5年の太政官布告後、西暦に統一すべきだとの議論が国会でも年を置いて何度も討論されましたが、昭和51年(1976)に政府が密かに抽出による10,000人へのアンケートの結果、約87%が「和暦に馴染みがある」。との回答を得、それにより役所などの届け出に関しても「平成」などの和暦を用いることと決定しました。 ただし、学校などで歴史を教えるにあたっては、例えば、「大化の改新」とか「天明の飢饉」などと教えても、特に幼少期は、どちらが古いのかが判別できないためグレゴリオ暦を併記して教えることとなり、次第に、歴史学者や歴史家、歴史作家なども「和暦」と「グレゴリオ暦」を併記して時代の流れが分かりやすいようにするようになりました。 >>私たちが、歴史を覚える時は グレゴリオ暦で覚えればいいのでしょうか? これに関しては、できれば、和暦表記も西暦表記も覚えた方が良い・・・となるのでしょうかねぇ。 しかし、歴史の流れを汲み取るためには、グレゴリオ暦で覚えた方が分かりやすいかもしれません。 (よもやま話) ★ユリウス暦 1年を太陽の動きに合わせて365日てする。ところが、実際には太陽の周期は約365.2422日であることから、4年に一度閏年を設け366日とした。しかし、この方法では、約130年に1日ずれることが解りました。 ★グレゴリオ暦 現在、我々が使用している暦です。これは、ユリウス暦を基にして100で割り切れるが400では割り切れない年は平年(閏年とはしない)とする。というものです。
お礼
回答ありがとうございます。 明治5年12月3日が突然?明治6年1月1日になったら、 当時の人たちは、どんな様子だったのでしょうかね。 12月になった、、と思ったら、突然 翌年の正月ですものね? どんな気分だったでしょうか、、、。 相当、戸惑ったのでは? 勿論、1年くらい前から、通達が出ていて心の準備?はさせられてたのでしょうか、、、。 明治になって、チョンマゲはなくなるし、刀は廃止されるし、名前はつけなくちゃいけなくなるし、 学校教育は始まるし、、、。 ほんと、明治の時代は、テンヤワンヤの時代だったのでしょうね。 西南戦争で「武士」はいなくなった、、ですし。 中井貴一主演の「柘榴坂の仇討ち」みたいに、時代は、少しづつ変わって行くのに、いつまでも 武士としての矜恃を持ち続けるその変わりゆく時代の波に乗り切れない、、。 こういう人が、沢山いたのでしょうね。 話が逸れてしまいました。 私も、誕生日を西暦で言われてもわかりませんね。 昭和◯年とか平成◯年とか言われた方が 時代背景とともにピンときますね。 グレゴリオ暦で覚えるようにします。 ありがとうございました。
- あずき なな(@azuki-7)
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あくまで学者が言うのは新暦での事 関ヶ原の戦いは1600年9月15日ですが これは新暦(グレゴリオ暦)での言い方です しかし 豊臣秀吉の死去は1598年8月18日、前田利家の死去は1599年閏3月3日です この場合は旧暦での表現ですね なので一概に全て統一されてるとは言えないと思います
お礼
回答ありがとうございます。 関ヶ原の戦いは 慶長5年9月15日ではないですか? グレゴリオ暦だと1600年10月21日 だったような? 豊臣秀吉は 慶長3年8月18日 グレゴリオ暦では1598年9月18日だったような? 違いましたっけ? ありがとうございました。
- technatama
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日本史の場合は、それぞれの出来事の年月日は、すべてその当時の暦通りになっていると私は思っていました。 #3の回答通り、当時の元号を使って年月日を表し、必要に応じて、現在の暦では○○年◇◇月××日に当たるとの注釈が付加されるのだとの理解でした。 例えば歴史上の出来事を記念して、現代のイベントを実施するときも、旧暦表示を根拠にしていることが多いと感じています。 この12月だと、赤穂浪士の吉良邸討ち入りを記念して、地元赤穂市では毎年イベントを行っていますが、12月14日に実施しています。 旧暦には閏月もあるので、そんな場合はどうするのでしょうね。 世界史の場合にしても、ユリウス暦の当時の出来事を、わざわざグレゴリオ暦にして表示するわけではないと、個人的には勝手に理解していましたが、歴史学者の方のご説明を頂きたいと思っています。 学問的にはその必要もあるのでしょうが、一般の庶民にとってはほとんど意味はないような気がします。 過去の歴史年表を書き換えるようなことまでするのでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 >旧暦には閏月もあるので、そんな場合はどうするんでしょうね。 そうなんですよーー。 あーぁ、ややこしい。 赤穂市は、イベントと選挙で市役所の人達は、大忙し、、ですね。 まぁ、一般庶民の私にとっては、日常 さほどの問題ではないのですが、 ちょっと気になると、何でだろー、、と思ってしまって。 Wikipediaを信用?するしかないですね。 ありがとうございました。
- eroero4649
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他の回答者さんのおっしゃる通りですが、特に日本史の場合、もともと旧暦(太陰暦)なのに、それを太陽暦に換算しないでそのままになっているケースが多いので注意が必要です。 例えば、桶狭間の合戦は、「永禄3年5月19日」の出来事となっています。しかしこれ、旧暦なので、グレゴリオ暦に換算すると「1560年6月12日」となります。 桶狭間の合戦は、「強いにわか雨が降って信長軍を隠した」なんていわれますが、これが「5月19日の出来事」だと思うと、「5月にそんな雨が降るなんて珍しいな」と思ってしまいます。しかし、「6月12日の出来事」だと思うと「梅雨も始まる次期だし、そんな大雨が降ってもおかしくない」と思えるわけです。 ついでにいうと、時期的に今は「忠臣蔵」のシーズンでございますが、これも旧暦の出来事なわけですね。赤穂浪士が討ち入ったのは「元禄15年12月14日」です。だから我が国では、忠臣蔵・クリスマス・第九は12月の三大定番イベントとなっているわけですよ。でも思いませんでしたか、忠臣蔵といえば深々と雪が降る中に大石内蔵助が陣太鼓を叩くシーンじゃないですか。「12月に東京で雪が降るって珍しいなあ」って。「昔は寒かったから12月でも雪が降ったのかな」って思ったでしょ? しかし、旧暦の出来事なんだから、グレゴリオ暦(太陽暦)に換算しなきゃいけません。そうすると、「1703年1月30日」なんですよ。そう、江戸時代の正月はいわゆる旧正月なのです。「1月30日」なら、東京で雪が降ってもおかしくないですよね。東京で雪が降るのはだいたい1月下旬から2月にかけてです。
お礼
回答ありがとうございます。 そうなんですよ。 忠臣蔵、12月であんなに雪がふるのかなぁーと、、。 でも、もしかしたら、突然の大雪だったのかな? と私も思ってました。 今で言うなら、1月30日なんですね。 それなら、雪も降るかも、、ですね。 でも、今更、忠臣蔵が1月30日ですよ、、、と言われてもピンときませんね。 「時は元禄15年、、、」という、あの語りがいいですね。 今日、討ち入りの日に、選挙でした。 与野党接戦で、与党の言うこと何でも反対!という何も決まらない国会、、というのも、困りますね。 ありがとうございました。。
- Kirama
- ベストアンサー率54% (45/82)
歴史を覚える時は グレゴリオ暦で覚えればいいと思います。 高校の教科書でも、八月十八日の政変、などとグレゴリオ暦になっています。ユリウス暦(8月6日)、旧暦(8月19日)は使っていません。 グレゴリオ暦もユリウス暦も、紀年法は西暦で、違いは月日です。 現在の日本の暦法はグレゴリオ暦で、旧暦は天保暦(てんぽうれき:1844~)ですが、さらに前は、寛政暦(かんせいれき:1798~)、宝暦甲戌元暦(ほうりゃくこうじゅつげんれき:1755~)、貞享暦(じょうきょうれき:1685~)、宣明暦(せんみょうれき:862~)、五紀暦(ごきれき:~863(併用)~)、大衍暦(たいえんれき/だいえんれき:764~)、儀鳳暦(ぎほうれき:~697~)、元嘉暦(げんかれき:~689~)となっています。
お礼
回答ありがとうございます。 グレゴリオ暦ですね。 No.1さんと、同意見ですね。 ありがとうございました。
- aokii
- ベストアンサー率23% (5210/22062)
日本では1873(明治6)年1月1日に太陰太陽暦からグレゴリオ暦に改暦されましたので、世間に発表されるときは、グレゴリオ暦で統一します。暗黙の約束です。 私たちが、歴史を覚える時は グレゴリオ暦で覚えればいいです。 基本的には、ユリウス暦同様に西暦年が4で割り切れる年を閏年とし、その年の2月28日の翌日を2月29日(閏日)とします。但し、西暦年が100で割り切れ、かつ、400で割り切れない年は閏年としません。従って、グレゴリオ暦における1年は、365.2425日となります。 「但し」以降がグレゴリオ暦で改良された部分であり、これによって太陽の運行とのずれが大幅に縮められました。
お礼
回答ありがとうございます。 グレゴリオ暦で覚えればいいのですね。 ありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございます。 最初にお詫びいたします。 私は、受験生ではありません。学生でもありません。 結構、年を食ったオバさんです。が、歴史が好きなのと本が好きなので、、。 この前は、宇喜多秀家の一生、小早川秀秋の人生模様、今日は、 真田幸村連載記を読み終えた処です。 歴史上の人物の本は大概読みました。 歴史に関わる女性たちのも、、、。 長篠の戦いは 天正3年5月21日 ユリウス暦だと1575年6月29日 グレゴリオ暦だと 1575年7月9日、、、。 あーぁ、ややこしい、、と思って、どれで覚えたらいいものか、、、と 思い質問した次第です。 でも、グレゴリオ暦が一番いいみたいですね。 が、元号で覚えるのも歴史ファンとしては大事ですよね。 ありがとうございました。
補足
沢山の皆様の回答を頂きありがとうございました。 No.7さんの 補足欄をお借りして皆様に御礼申し上げます。 ポイントは、どなたの回答も勉強になり、お一人だけに絞ることが出来ませんでした。 ありがとうございました。。