• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:比喩表現の「今度の仕事を通じていい勉強になった」)

比喩表現の仕事: いい勉強への新たな展開

このQ&Aのポイント
  • 「今度の仕事を通じていい勉強になった」は、比喩表現と考えることができます。
  • この表現では、「今度の仕事」が「いい勉強」へと比喩されており、仕事の性質をわかりやすく説明しています。
  • また、「通じて」という語は、仕事を通じていい勉強が成されるという意味を表しており、仕事と勉強の関係性を示しています。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.1

既にお伝えした通り、文法的には主語に付く格助詞が「には」系統となった構文で、その主格は「私にとって」であり、その述語は「(~に)なった」です。 一種の強調表現であるこの「には」系統の構文なのですが、 「私にとって(主格)、今度の仕事が(対象格) いい勉強に(連用修飾格の副詞用法) なった(動詞述語)。」 これを通常文に戻すと、 「私は(主格)、今度の仕事で(依拠格述語) いい勉強を(対象格) した(動詞述語)。」 となります。  ここで、「通じて」を加えた場合は、接続節と主文という複文の構文になるだけです。 「今度の仕事を(対象格)通じ(動詞述語)て(接続助詞)、(私にとっては)(主格) いい勉強に(連用修飾格の副詞用法) なった(動詞述語)。」 または普通文では、 「今度の仕事を(対象格)通じ(動詞述語)て(接続助詞)、私は(主格) いい勉強を(対象格) した(動詞述語)。」

Mister0413
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございました。 正直なところ、これまで下記の前質問(実はさらにその前から続行していたものですが)で他の方との議論に気を取られてせっかくのご回答をあまり意識していませんでした。あらためて前質問でのご回答を読み直すと、争点になっている「なる」についてはkine-oreさんが最も的確に解釈されているように思います。他の方々のご回答においても、「なる」の部分についてはご回答のように置き換えるとすんなり納得できそうです。目からうろこのご説明、ありがとうございました。 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8828648.html

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (13)

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.4

#3です。 1. >一番最初の質問は、私の自由意志で締め切ったわけではありません。このサイトでは四週間というタイムリミットが設けられているため、システムによって(ベストアンサーを選ばない状態で)自動的に締め切られてしまう直前に手動で締め切ったものです。 : 言われてみれば、たしかにそうでしたね。「締め切ってしまわれました」という尊敬表現は撤回し、「締め切られました」と受身表現に訂正いたします。 ただ、この部分で述べたかったことを、もう少し直截に述べるなら、 【「この仕事を通じて、いい勉強になりました」と「この仕事を通じて、いい勉強をしました」を同列に捉えて質問文を書いてしまったため、焦点を絞りきれない質問になっており、結果として的を外れた回答も混在する結果となっていたのではないか】ということです。 そうした結果になったのは、正しい前者と間違いである後者を一括して「正しい文なのでしょうか」と問うてしまったところにあるわけですから、≪「今度の仕事を通じて、いい勉強になった」という表現は正しいか?≫という意図が明確に伝わるような質問内容にされたほうがよろしいでしょう、ということを申し上げたつもりです。 2. >この直前である下記の質問(まだ締め切っていませんが)からはkine-oreさんが参加されていますが、hakobuluさんの回答内容にはそれが全く反映されていない(反論もしていない)ことが気になります。失礼ですが、目を通されていますか。 : 「直前の質問」http://okwave.jp/qa/q8828648.htmlですね。 こちらの、#10の第5項はお読みになりましたか? たとえ回答者同士であれ、反論をせずに逃げるということは、質問者の理解を妨げることになり、結果として当サイトの意図に反することにもなるわけで、わたしとしては、基本的に反論することもされることも大いに歓迎すべき、というスタンスを維持し続けておりますし、今回もそのスタンスに則って反論いたしました。 「直前の質問」http://okwave.jp/qa/q8828648.htmlの、#10の第5項で述べた内容が、その方に対する反論になっていない、とおっしゃるのであれば、わたしの表現力不足ということになるでしょうね。 どういった点についての見解を求めておいでなのか、改めて教えてくださると助かります。わたしとしては、当方の反論に対する反論が無いということのほうを、むしろ不思議に思っているぐらいですので。 言いたいことだけは言うが、自分に都合の悪いこと(反論できないこと)に対しては反論しない、という姿勢は、わたしは基本的に取っておりません。そして、間違いや勘違いがあれば訂正・修正を行ないます。 3. >そこでのkine-oreさんの回答内容およびここでの#1~#2について(特に「なる」の意味について)、どのように思われますでしょうか。その点を踏まえた上でのご回答をいただければ幸いです。 : まず最初に、その部分を#3から抜粋しておきます。 【「今度の仕事を通じて(わたしにとっては)いい勉強になった」という表現は正しいというお考えもあるようです。 「わたしにとっては」が主格になり得る、という見解を否定するわけではありませんが、しかし、この場合、「何がいい勉強になったのか?」「いい勉強になったものは何か?」という点の説明が欠けていると思います。 「何=今度の仕事」であるはずで、「今度の仕事を通じて、(わたしにとっては)(今度の仕事が / 今度の仕事は)いい勉強になった」という意味にならざるを得ず、この表現が誤りであることは明らかでしょう。 用語をお借りすれば、「今度の仕事」が、「通じて」と「なった」という2つの動詞述語の対象格として共用されてしまうため不自然な表現になっている、ということになりそうです。 また、 「こたびの務めを通じて 吾には 善き勉学と 為った」 「今度の仕事を通じて 私は 良い勉強に なった」 こうした日本語表現が正しいとは、どうしても思えませんけどねえ。】 この部分が、『#1~#2について(特に「なる」の意味について)、どのように思われますでしょうか』に対する答えに該当するかと思うのですが・・・。 これで通じないということは、おそらく、わたしの表現力が乏しい、または煩雑すぎる、のどちらかなのでしょう。 4. そこで、反省を込めつつ、もう少し表現を変えて直截的に述べてみたいと思います。#1さんとしては、 「今度の仕事を通じて、いい勉強になった」は、 「今度の仕事を(対象格)通じ(動詞述語)て(接続助詞)、(私にとっては)(主格) いい勉強に(連用修飾格の副詞用法) なった(動詞述語)。」のように解釈できるから、自然で正しい文だと言っているわけですよね。 しかし、「(私にとっては)(主格) いい勉強に(連用修飾格の副詞用法) なった(動詞述語)」という構図と考えた場合であっても、「何がいい勉強になったのか?」「いい勉強になったものは何か?」という点についての説明が欠けているのではないか、ということ。 誰かに「(今度の仕事を通じて)私にとっていい勉強になった」と言われたら、「何がいい勉強になったの?」と当然聞き返しますよね? その場合、「今度の仕事が」と、これまた当然、答えるはずです。 そうしますと、 「今度の仕事を通じて、いい勉強になった」という文は、 「今度の仕事を通じて、今度の仕事が(は)いい勉強になった」と言っていることになります。 この場合、「今度の仕事」に関する話者の発言意図は、果たして「今度の仕事を通じて」なのか、あるいは「今度の仕事が~になった」なのか、どちらなのか、はっきりしてよ、という不満が違和感を生じさせてしまうわけです。 ですから、 「今度の仕事は、いい勉強になった」 「今度の仕事を通じて、いい勉強をした」 どちらかにする必要がある、ということです。 同様に、#2であげておられる例文に「通じて」を適用した場合、 「こたびの務めを通じて 吾には 善き勉学と 為った」 「今度の仕事を通じて 私は 良い勉強に なった」 となり、これも不自然な表現ではないでしょうか、と申し上げた次第です。    

Mister0413
質問者

お礼

あまりに長い議論になり、途中で知恵袋にもお世話になったこともあって、「直前の質問」の#10第5項が眼中から消えていました。まずその点について、深くお詫びいたします。 「この仕事を通じて、いい勉強になりました」と「この仕事を通じて、いい勉強をしました」がどちらも通じると思っている立場では、「直前の質問」通りにしかなりません。焦点をとらえていると思っています。 さて本題に入りますが、「直前の質問」の#3と#9で「勉強」という言葉の意味を追及されています。 そして#12では「なる」は「役だった」のニュアンスに近いと主張されています。 さらに今回の質問でも#1では構文を解析された上で「いい勉強を(対象格) した(動詞述語)」と、特に#2では(他動詞述語)(自動詞述語)という概念を説明されています。 それらを念頭に置いたうえで、今回の#3を検証したいと思います。 > 「わたしにとっては」が主格になり得る、という見解を否定するわけではありませんが、しかし、この場合、「何がいい勉強になったのか?」「いい勉強になったものは何か?」という点の説明が欠けていると思います。 「何=今度の仕事」であるはずで、「今度の仕事を通じて、(わたしにとっては)(今度の仕事が / 今度の仕事は)いい勉強になった」という意味にならざるを得ず、この表現が誤りであることは明らかでしょう。 これは「勉強」の意味と「なる」の意味を組み合わせて考えると、論拠を失いかねない議論のように思えてしまいますが、その点についてはいかがお考えでしょうか。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.3

比喩であるとは思えませんので、その点はスルーさせていただきます。 また、あまりしつこくなっても申し訳ないので、今回は軽く述べます。 ちょっと視点を変えて他の例文を挙げてみますが、「今度の仕事はいい稼ぎになった」と言うように思います。 どう考えても、「今度の仕事を通じていい稼ぎになった」とは言わないでしょう。 一番、最初のご質問内容は、【「この仕事を通じて、いい勉強になりました」とか「この仕事を通じて、いい勉強をしました」などは、正しい文なのでしょうか。】 でしたね。 http://okwave.jp/qa/q8800541.html?pg=1&isShow=open 前者は誤りであり後者は正しいのですが、これを同列に捉えて質問文を書いてしまったため、焦点を絞りきれないまま締め切ってしまわれました。 しかし、この時点で、Mister0413さんにしても、「この仕事を通じて、いい勉強になりました」という表現は不自然だと思われたからこそ質問を立てられたはずで、それが、ごく自然な感覚でしょう。 その感覚は大事にしていいんじゃないでしょうか。誤解でもなんでもありません。 疑問の焦点をぶれさせない為に、≪「今度の仕事を通じて、いい勉強になった」という表現は正しいか?≫のように、意図を明確にした質問が必要とされているのだと思います。 前回お示しになった知恵袋の回答者たちも、5人中4人が、「この仕事を通じて、いい勉強になりました」は不自然だと明言していますよね。(まあ、多数決で決めることではありませんが) http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10138549115 「今度の仕事を通じていい勉強になった」 「今度の仕事を通じていい稼ぎになった」 どちらも、明らかに誤った日本語表現です。 「今度の仕事を通じて(わたしにとっては)いい勉強になった」という表現は正しいというお考えもあるようです。 「わたしにとっては」が主格になり得る、という見解を否定するわけではありませんが、しかし、この場合、「何がいい勉強になったのか?」「いい勉強になったものは何か?」という点の説明が欠けていると思います。 「何=今度の仕事」であるはずで、「今度の仕事を通じて、(わたしにとっては)(今度の仕事が / 今度の仕事は)いい勉強になった」という意味にならざるを得ず、この表現が誤りであることは明らかでしょう。 用語をお借りすれば、「今度の仕事」が、「通じて」と「なった」という2つの動詞述語の対象格として共用されてしまうため不自然な表現になっている、ということになりそうです。 また、 「こたびの務めを通じて 吾には 善き勉学と 為った」 「今度の仕事を通じて 私は 良い勉強に なった」 こうした日本語表現が正しいとは、どうしても思えませんけどねえ。   

Mister0413
質問者

お礼

一番最初の質問は、私の自由意志で締め切ったわけではありません。このサイトでは四週間というタイムリミットが設けられているため、システムによって(ベストアンサーを選ばない状態で)自動的に締め切られてしまう直前に手動で締め切ったものです。この直前である下記の質問(まだ締め切っていませんが)からはkine-oreさんが参加されていますが、hakobuluさんの回答内容にはそれが全く反映されていない(反論もしていない)ことが気になります。失礼ですが、目を通されていますか。 kine-oreさんへのお礼の中でも述べたごとく、私も当初はkine-oreさんの回答の主要な部分が眼中に入っていませんでしたが、あらためて熟読するとこれまで議論してきたことのすべてがすんなりした形で理解・納得できるように思えます。そこでのkine-oreさんの回答内容およびここでの#1~#2について(特に「なる」の意味について)、どのように思われますでしょうか。その点を踏まえた上でのご回答をいただければ幸いです。もし既にkine-oreさんの回答内容も反映した上で回答されていたということであれば、私が理解不足だったことを認めてお詫びします。 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8828648.html

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.2

#1です。 >争点になっている「なる」についてはkine-oreさんが最も的確に解釈されているように思います。  : 「なる」には、「生る(出来る・実る)」や「成る(出来あがる・成り立つ・許す)」などの意味と共に、「為(な)す」の自動詞形「為(な)る(よい結果へと状態が変わる・よき結果を招くのに役立つ)」という意味があります。しかも本動詞であるだけでなく補助動詞にもなり、そしてまた実質概念を離れた構文上の存在詞とか形式名詞ともなる側面があり、その点の自覚的な識別が各自に求められと共に、それに役立つ共通認識が国文法に当たります。 この自他動詞構文の扱い振りは、古風に書いて対比するとより分かり易いでしょう。 1)吾 こたびの務めで 善き勉学を 為した。   私は 今度の仕事で 良い勉強を した。  (主語)(原因格)  (対象格)(他動詞述語)     2)こたびの務めは 吾には 善き勉学と 為った。   今度の仕事で 私は 良い勉強に なった。   (理由格) (主格)(状態格)(自動詞述語) この他にも使役態・受身態・授受動詞態など様々な形式での表現が可能です。

Mister0413
質問者

お礼

「なる」に関するさらなる詳しいご説明、ありがとうございました。

Mister0413
質問者

補足

下記の「直前の質問」時から、hakobuluさんがkine-oreさんのご回答に対抗するご意見を述べています。それに対するご意見などをお聞かせいただけませんでしょうか。 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8828648.html 私としては今回の例文の場合、hakobuluさんが言うように「何がいい勉強になったのか?」「いい勉強になったものは何か?」を意識する必要がないケースだと思っていますが、いかがでしょうか。 このままではhakobuluさんとの議論が延々と平行線をたどり、納得のできる形で締め切ることができそうにありません(喧嘩別れのような形は避けたい)ので、ぜひご意見をお伺いしたく存じます。 私としては、そもそもhakobuluさんが言うようにこの例文における「なる」は「~という機能がある」という用法であると断じたつもりはありません(長い議論の中で一時的にその方向に傾いたり、そのような用法もあり得ると言ったことならあるかもしれませんけれども)。 数決で決めるつもりはありませんが、下記のヤッフー知恵袋ではhakobuluさんが言うように4:1だとは思っていません。mumumukujujumumuさんは正しいとも正しくないとも言っていないので除外するべきでしょうし、kawashimasyashin17さんは「この仕事を通じてという書き方になると、その仕事をしている経緯で何を学んだのかという事を意味していると思う」と言っているので、むしろ正しい文だと言っていることになると思います。よって、実質的には2:2だと判断しています。できましたら、これに対するkine-oreさんのご意見もお伺いいただければ幸いです。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10138549115

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 比喩表現

    比喩表現っていくつか種類があったと思うんですが(直喩とか…)、詳しく思い出せません。例文を使って説明してほしいです。

  • 「ぐっすり眠っている」の比喩表現が思い出せなくて……

     日本語を勉強中の中国人です。ある表現が思い出せなくていらいらしています。  うろ覚えですが、「ぐっすり眠っている」には比喩の表現があるような気がします。たとえば、「帰りのバスで、あまりにも疲れたので、ぐっすり眠っている」の「ぐっすり眠っている」という部分なのですが、「眠る」や「寝る」のように直接に表現するのではなく、何か比喩の表現はありませんか。手がかりが少なすぎて、申し訳ありません。ご存知の方がいらっしゃいましたら、教えていただけないでしょうか。  また、質問文に不自然な表現がありましたら、それについてもご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

  • ある比喩的な表現の英文について質問があります

    『出る杭は打たれる』という意味の英文に対して The noisy wheel gets the oil. というおそらく比喩的な意味の英文があるのですが、これはいったいどのように訳せばよいのでしょうか・・・? 辞書などの例文も調べましたが、それらしいものが見当たりません。 きっとこれも日本で有名なことわざで、『出る杭は打たれる』とは対照的な意味のようなものだとは思うのですが、どうもしっくりくるものが思いつきません。 この文に対して何か最適な訳し方があるようでしたら、教えてください。 よろしくお願いします。  

  • 比喩法や擬人化を上手に使われた和歌や俳句をを紹介していただけないでしょうか

     日本語を勉強中の中国人です。先日、「比喩法や擬人化で有名な日本の詩句を紹介していただけないでしょうか」という質問をいたしましたが、日本近代詩の例文をたくさんいただきました。その時は、「和歌」と「俳句」という言い方を知りませんでしたので、「詩句」という大雑把な書き方にいたしました。実は、あの時、和歌と俳句では、優れた比喩法や擬人化が使われた文を知りたかったのですが、うまく書けませんでした。  ということで、再度質問をさせてください。比喩法や擬人化が上手に使われた和歌や俳句を知りたいのですが、紹介していただけないでしょうか。恐れ入りますが、古典がよく判らないものですので、お挙げになった例文の現代語訳も書いていただけないでしょうか。難しい単語に読み方も振っていただければ助かります。    また、質問文に不自然な表現がありましたら、それについてもご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

  • 「紡ぐ」の比喩の意味について

     日本語を勉強中の中国人です。「紡ぐ」という動詞の比喩の意味についてお伺いしたいと思います。下記の二つのフレーズはどういう意味でしょうか。なぜ「紡ぐ」という動詞を使うのでしょうか。 1.語りが紡ぐ 2.紡ぎ出す言葉  また質問文に不自然な日本語がありましたら、ご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

  • 比喩的表現でつかわれた単語について

    本を読んでいたら「単玉ダイヤ」という表現がでてきたのですが、どうしても「単玉」の意味がわかりませんでした。問題の文は「さらにこれにやや劣る大きさの五顆の粒選りの単玉ダイヤが第一の列の随所にあしらわれているのが、一段と豪奢な趣をそえた。」と載っていました。ここで使われている「単玉」どんな意味あいでつかわれているのでしょうか。ちなみにこの部分は首飾りの説明でつかわれています。言葉に詳しい方教えてください。お願いします。

  • 自然な日本語に添削していただけないでしょうか(比喩)

     日本語を勉強中の中国人です。文章を書きましたが、自分の書いた文が自然な日本語になっているかどうか気になりますので、添削していただけないでしょうか。  文章を書く時に、とんでもない比喩を使う癖があります。時々自分自身しか理解できない文を書いてしまいます。人と対面して会話する時に、相手が意味をわかってくれなかったら、更に言葉を付け加えるチャンスに恵まれます。しかし、一旦文章にしたら、たった一回のチャンスで取り返しがつきません。  文を生き生きするために、比喩を使ったのですが、文意は時々自分のたとえたい意味と全く違う方向へ先行したり、いやに気取って人に反感を与えたり、人に傷をつけたりします。また、私の文章の癖をある程度知っている人なら、通常比喩でないところも比喩と取られてしまうことが多いです。結局、自分の意味を伝えないまま誤解を招いてしまいます。わかりやすい文章を書きたいです。  また、質問文に不自然な日本語がありましたら、ご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

  • 比喩法や擬人化で有名な日本の詩句を紹介していただけないでしょうか。

     日本語を勉強中の中国人です。比喩法や擬人化で有名な日本の詩句を知りたいのですが、紹介していただけないでしょうか。読み方も振っていただければ助かります。    また、質問文に不自然な表現がありましたら、それについてもご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

  • 「今度は」なのか、「今度に」なのか、「今度ね」なのか

     日本語を勉強している外国人です。会話の本を読んでいます。理解できない助詞がありますので、質問します。 「A:ねえ、Bさん、いっしょにショッピング、行かない? B:ちょっときょうは… A:うん、いいよ、また今度は。 B:すまん。」  「今度」の後ろになぜ「は」なのでしょうか。「に」(「今度にしましょう」の省略)と「ね」(柔らかく聞こえるために)にしたら、よろしいのでしょうか。この会話の本の作者が日本人ではないので、疑問に感じるところです。もしかして、印字ミスなのでしょうか。ご教示お願いします。  日本語を何年間も勉強していますが、まだまだ文章がうまく書けません。質問文の中で不自然な表現があれば、それも併せて指摘していただければ助かります。よろしくお願いします。

  • 作文の本に理解できない表現(及ぶ、感激)

     私は中国人で、日本語を勉強しています。文章が上手く書けるように、作文の本を読んでいます。理解できない例文があるので、質問させてください。 「小さいとき着せ替え人形や、ままごとに夢中だった。少し大きくなってからは、赤い靴や姫鏡台を買ってもらって喜んでいた。そういう幼い頃の生活のうちに、すでに私の将来は示されているように思う。それが二十歳を迎え、母が無理して作ってくれた振袖を着て、成人式にのぞみ、人々の祝福に及んで私は深く感激した。その時私の進むべき道は決まったと言ってよい。」 1.「人々の祝福に及んで」の中の「及ぶ」はどういう意味でしょうか。「及ぶ」のこんな使い方が初めてで、困っています。こんな使い方の「及ぶ」のほかの例文も書いていただけませんか。 2.日本語の「感激」という表現には「他人の好意や援助について感謝する」という意味も含まれているのでしょうか。それとも、ただ感動するという意味だけでしょうか。また、「感激」と「感動」とでは、どちらが度合いが激しいでしょうか。 3.「深く感激した」のほかの書き方も勉強したいのですが、教えていただけませんか。多ければ多いほど有り難いです。  質問文について一箇所伺いたいのですが、「こんな使い方の『及ぶ』のほかの例文も書いていただけませんか。」という文は、「の」が多すぎて、何か解決方法があるでしょうか。ほかに質問文に不自然な部分の添削も宜しくお願い致します。