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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:老子:37章 道は常に無為にして⇒《非知》か)

老子:37章 道は常に無為にして《非知》か

suzumenokoxの回答

回答No.6

 私利私欲を含めた作為的な人為という意味では無為こそ道にかなっている、ただし何もしないのではない。無為自然ということで、タオの流れと矛盾しない人為が望ましいという主張なのだと思います。

bragelonne
質問者

お礼

 すずめのこくすさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。  質問者のわたしがいぢわるなことは ご存じだと思います。  ★ 私利私欲を含めた作為的な人為という意味では無為こそ道にかなっている、ただし何もしないのではない。  ☆ ええっとですね。  (1) 《私利私欲を含めた作為的な人為》 これは誰が考えても よいものだとは言わないでしょうね。いちいち老子とその解釈によって言われなくても分かっていることです。  (2) では 《私利私欲を含めた作為的な人為》がよくないことだ だからそうではない内容として《無為》を持ち出してくる。そこまでは分かります。でも この無為が《道にかなっている》というのは どこからみちびかれますか? みちびかれないとも言えないかも分かりませんが みちびかれるのだと断定することは どうしてですか?  (3) 《ただし何もしないのではない》ということであれば その無為――ないし無為自然――も そこで人為があります。人間の意志行為が行なわれます。まづ ここまでをおさえたわけです。次としては:  ★ 無為自然ということで、タオの流れと矛盾しない人為が望ましいという主張なのだと思います。  ☆ (4) 《タオ》って 道のただの中国語読みにしか過ぎません。けっしてその中身は まだ定義されてもいません。ただ《私利私欲を含めた作為的な人為》ではない人為だと規定しただけです。  (5) 結論を急ぐならば 片や《私利私欲を含めた作為的な人為》 片や《前者の作為ではない無為自然なるタオの流れ〔としての人為〕》があるわけです。悪と善 善と悪だとすれば 哲学の問い求めるのは これら善悪の彼岸だということは 相場が決まっています。そこんところを どうお考えになりましょうか?  そういう問題が横たわると考えます。  聖俗・浄穢・優劣等々の二項対立を持ち出して その内のよいほうをえらぶ。というのは 子供だましだと考えませんか? 世の中は そんな簡単に善と悪とに分かれるものでしょうか。  道教・タオイズムとか 老荘思想とか ただ有名なだけで中身は どうなのかな? という問題になりませんか?

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