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須彌壇収骨後の遺骨はどうなるのか?
先日、祖母の遺骨を真宗本廟(東本願寺)御影堂の宗祖親鸞聖人御真影御下の須彌壇に遺骨をお納めてきました。 私は、まだこのような事情に詳しいものでもありませんが疑問が浮かびました。 全国から須彌壇に遺骨を納める方々が相当におられました。遺骨は7cm四方の桐箱に納められ須彌壇へと運ばれました。しかし、納められる須彌壇の中までは入ることはできません。全国からこれだけのペースで納骨されれば、須彌壇は相当に広いスペースを必要としますが、相当な広い場所なのでしょうか?というものです。それとも、ある時期がきたら他の場所へ移されるのでしょうか?また、”お斎付収骨”でこの須彌壇に納められる待遇は違うのでしょうか? この疑問に答えられる方お願いします。
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公営墓地に収めていた遺骨(1体)を納骨堂に移すことになったのですが、納骨堂に遺骨を納めるときは法要のようなものが必要らしいのですが、今の墓地より遺骨を取り出すときに、例えば僧侶にお経をあげてもらうとかなにか儀式のようなものが必要なのでしょうか? 現在、私は特定のお寺の檀家にはなっていないのですが、納骨堂に収めるときは納骨堂の経営母体が契約しているお寺の僧侶が来てくれるとのことです。遺骨を取り出すときは知人に聞いてみても宗派によってまちまちのようです。 私は無宗教ですが、遺骨の故人は浄土真宗本願寺派です。
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