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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:江戸患い(脚気)の実態。)

江戸患い(脚気)の実態とは?大流行の理由は?

lotus_exigeの回答

回答No.1

kouki-koureisya 様、 URLを提示して該当部分をコピペします。 http://www.maisen.co.jp/jiten/genmai-eiyo.html コピペ部分です。 『玄米は、白米よりも、ビタミン・ミネラル・食物繊維を豊富に含んでおり、人間が健康を保つために必要とされる栄養素をほとんど摂取できるため、完全栄養食と言われています。栄養バランスのとれた食事の例として、「1日30品目以上」と言われることがありますが、これはあくまでも白米を主食にした場合のことです。逆に言えば、白米を主食にした場合には、1日30品目以上の食品を摂取しなければ、健康を維持するための栄養素が不足する、ということです。 玄米を主食にした場合にはその必要はありません。昔の人が、「一汁一菜」でも健康でいることができたのは、玄米を主食にしていたからなのです。』 ★更に解説しますと、白米を食する時は副食として30品目以上必要ですが、精米する前の玄米だけだと、副食が無くても玄米のみで人が必要とする栄養素を殆ど摂取可能です。元禄年間に日本人の食生活が以前に比べると贅沢になってきましたが、この時代の知識では、白米だけの食生活では栄養素が不足して脚気になることを知りませんでした。ですので、江戸で美味しい白米を食しても、他に必要な動物性蛋白質やビタミンなどが豊富な副食を食べることが出来ませんでした。これが、脚気の主因です。 ★余談ですが、江戸時代が終わり、明治維新以降、日本は近代国家らしく兵制を充実しました。その時に、陸海軍ともに軍隊内で兵士の脚気が流行しました。その対策として、陸軍は給食を主食を白米食から玄米食へ切り替えると脚気が激減しました。海軍は艦艇での給食をフランス料理を参考に洋食に切り替えました。そうすると脚気が激減しました。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >★元禄年間に日本人の食生活が以前に比べると贅沢になってきましたが、この時代の知識では、白米だけの食生活では栄養素が不足して脚気になることを知りませんでした。 栄養素に関する知識は乏しかったのかもしれませんが、武士階級は参勤交代で上京した経験から白米飯は何かおかしいと、気づいていたのではないでしょうか。 「文化・文政の頃に町人にも大流行した」のは、例えば、江戸では米の値がうんと安くなって野菜や麦その他が高くなったとか、炭や薪の値が高くなって一膳飯屋の白米飯が安くて旨いとか、米搗き賃が安くなったとか、何か町人が白米飯に飛びつきたくなるような理由があったのではないかと想像していました。

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