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絶対善が支配する世界における悪の役割

asisai888の回答

  • asisai888
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回答No.15

No12です お礼みました >一律に定義することはできないのではないでしょうか? 状況によって利益の意味するものが変わるなら、実質的に利益という言葉に意味が存在しません 善悪を意味のない言葉で定義をしてることになりますから善悪も存在しないことになります >つまり、両者とも自分にとって良いことをしています。 >これが絶対善による地続きという意味です。 その両者が語る「良い」の意味が異なっていると指摘したんですが あくまで等しいと強弁するのですね 戦車も福祉車両も原料は鉄ならば、戦車も福祉車両も溶かせば鉄が得られます なら、良いが内包するあらゆる概念から「良い」という普遍的な意味を抽出できるはずです ちょっと話を整理します いかなる行いも自分にとって良いことを選択するはずだから 善意からの善行も不都合からの悪行も、どちらも良いことである そのために善も悪も地続きの関係にあるというのがshift-2007さんの主張 ちなみに善悪だけに限らず選択に関わるあらゆる概念が地続きになります それに対して私の主張は仮に全ての人が良いことをしてたとしても それぞれの良いことの意味が異なるのだから、それぞれ異なる意味同士が 地続きの関係にあるとは言えないというものです 例を挙げるなら経済的に良いことと、倫理的に良いことは、「良い」という 言葉はついていますがそもそも関係がないことです もし仮に経済的に良いことと倫理的に良いことが「良い」という意味で繋がっているならば その両者には「良い」という同一の意味が存在するはずです 車の例で出した原料の鉄に相当するものですね 経済、倫理問わず、あらゆる概念に存在し全てを関係付けている「良い」という概念 私は存在しないと思うので証明できませんが、shift-2007さんはあると信じてるようなので 是非証明してみてください

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >状況によって利益の意味するものが変わるなら、 いえいえ、 利益の意味が違うのではなく何が利益かはその時によって違うということです。 今私の目の前にA、B、Cの選択肢があり、悩んだ末Aの選択肢を選んだとします。 一年後、同じ選択肢からまた選ばなければならない状況になったとき、必ずしもまたAを選ぶとは限らないという意味です。 何が最善の選択肢なのかはその時の状況によるわけです。 >もし仮に経済的に良いことと倫理的に良いことが「良い」という意味で繋がっているならば その両者には「良い」という同一の意味が存在するはずです 全てに共通する意味は『私にとって』です。 私にとって経済的に良いか、私にとって倫理的に良いか・・・・ 共通していませんか?

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