• 締切済み

体言止めとは

1311tobiの回答

  • 1311tobi
  • ベストアンサー率49% (84/169)
回答No.3

「我が辞書にないのは不可能の文字」 「私の能力は神並み」  あたりなら「体言止め」で「大言止め」でしょうね。  単純に間違いでしょう。「どういったところで関連があって誤植となったのか」……とくに関連はありませんが、音が同じだからでは。  この質問以外に「大言止め」の用例が多数あることにビックリしました。これだからネット上の情報は……。 http://www.google.co.jp/search?client=safari&rls=10_6_8&q=%E2%80%9C%E5%A4%A7%E8%A8%80%E6%AD%A2%E3%82%81%E2%80%9D&ie=UTF-8&oe=UTF-8&gfe_rd=cr&ei=3CrjU7K8H8WD9AXj8oCwBw#nfpr=1&q=%E2%80%9C%E5%A4%A7%E8%A8%80%E6%AD%A2%E3%82%81%E2%80%9D&rls=10_6_8 〈使い方と語の例〉は、体言止めのほうでよろしいでしょうか。  詩歌、文学作品のタイトルで使われるほか、新聞・雑誌の見出しにも頻出します。なかには不自然に感じるものも多々あります。  体言止めに関して詳しくは下記をご参照ください。 【板外編10】体言止めの使い方〈1〉~〈3〉 http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-769.html  以下は一部の抜粋(重言)。  文末に変化をつける方法のひとつに、体言止めがあります。  ただし、「名詞+デス」の形が続くのを防ぐために体言止めを使うのは、あまりおすすめできる方法ではありません。根本的な解決策は次項で紹介しますが、その前にしておきたいのは、体言止めの使い方の話です。  体言止めの使い方は論理的に説明するのがむずかしく、ほとんどが経験則に基づいた記述であることを、あらかじめお断りしておきます。そのため、ほかの項目以上に例外が多くなるはずです。  念のために、体言止めの辞書的な意味を確認しておきましょう。  体言とは、名詞、代名詞の総称で、副詞などを含めることもあります。通常なら文末の体言の直後につくデスやデシタなどを省略した形が体言止めです。体言止めにはいくつかの形がありますが、ここでは3つに分けて考えます。   1)後ろのデス(デシタ)が省略されている形    例 体言とは名詞、代名詞などの総称のこと。   2)後ろのシマス(シマシタ)が省略されている形    例 自然の美しさを実感。   3)「倒置」によって生じた形    例 東京郊外のターミナル住宅地、二子玉川園。  この3つのうち、よく目にするのは1)の形です。  第1章で、「体言止めは、デス・マス体の文章にはなじみにくいのではないでしょうか」と書いたのは、あくまでも個人的な感覚にすぎません。極論すると、文末に来るデスはすべて取っても構わないとさえ思っています。自分でデアル体の文章を書くときには、デアルやダは音の響きが強すぎる気がするので極力使わないようにしているぐらいです。しかし、体言止めが連続する文章は、箇条書きのようなヘンな印象になります。  では、体言止めはどのように使えばよいのでしょうか。次の3つの例文を比べてみてください。  1)まず体言止めの問題。この問題を論理的に説明するには工夫が必要です。なかなかひと筋縄には行きません。  2)まず体言止めの問題。この問題を論理的に説明するには工夫が必要。なかなかひと筋縄には行きません。  3)まず体言止めの問題です。この問題を論理的に説明するには工夫が必要。なかなかひと筋縄には行きません。  おそらく、3つの文章のうちでもっとも自然なのは1)です。2)のように、体言止めが続く形は避けるべきでしょう。3)が1)に比べてなぜヘンなのかをあえて説明すると、体言止めには次の性質があるからだと思います。   ・文章中にあるよりも、文章の始まりにあるほうが自然   ・長い文で使うよりも、短い文で使うほうが自然  この2つを原則にするとよさそうです。ここで「文章の始まり」と書いたのは、全体の始まりのことだけではありません。小見出しや改行の直後の文章の始まりも、全体の始まりに準じます。  少しヘンな感じになることが多いのは、文章の終わりにある体言止めです。付け加えるニュアンスの一文(注意書きなど)を最後に添える場合を別にすると、尻切れトンボの印象になってしまうことがあります。余韻の残ることが多い「変則形の文末」(★ページ参照)が文章の終わりに向くのと対照的です。  2)は後ろのシマス(シマシタ)が省略された形でやや特殊ですが、新聞ではよく見かけます。デス・マス体の文章で使われることはほとんどないため、後ろのスル、シタが省略された形というほうが正確かもしれません。タイトルや小見出しなど、字数が極端に制限されるとき以外に使うと、言葉足らずの印象になります。  たとえば、先に比べた例文の最初の一文を「まず体言止めの問題から開始」にしても問題はないのかもしれませんが、安易に使わないほうが無難です。この形は、新聞の文章のなかでお手本に向かない例のひとつだと思います(新聞の文章に関しては★ページ参照)。  3)は「二子玉川園は東京郊外のターミナル住宅地です。」の主語である「二子玉川園」を、後ろに移動したと考えられる形です。「倒置」によって生じた形というのは妥当な表現ではありませんが、便宜上こう呼んでおきます。1)と違い、文末に省略されているはずのデスが加えられません。この形の文は、文章の途中では使いにくく感じられるのに、なぜか文章の始まりにもってくるとヘンではなくなります。さらに、ふつうは長い文章の文末を体言止めにするのはおすすめできないのに、3)の形は多少長くてもおかしくなりません。 (中略)  辰濃和男は『文章の書き方』(p.183)で次のように書いている。http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-768.html ================================  歯切れのいい文章にしたい、という理由もあるのでしょう。体言止めを使うといかにも新聞記事らしくなるから、という人もいるでしょう。たしかに、体言止めを上手に使うことで、独特の味をだした新聞記事があることは認めます。ですから体言止め、助詞止めをいっさい使うなというつもりはありません。乱用はいかがなものかといっているのです。 ================================  本多勝一は『日本語の作文技術』(P.217)で次のように過激に決めつけている。http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-137.html ================================  例外的な場合とか特別な目的がある場合は別として、第一級の文章家は決して体言止めを愛用することがない。体言止めは、せまい紙面でなるべくたくさんの記事を押しこむために、たぶん新聞で発達した形式ではないかと思う。(中略)  素直に考えてみよう。いったいだれが、実際の会話の中で「…… 景気は回復。」とか「……という前提での予測。」というような体言止めの話し方をするだろうか。そんなに体言止めが好きなら、カギカッコをはずして間接話法にすればよろしい。 ================================  要点は2つだろう。 ・第一級の文章家は決して体言止めを愛用することがない ・会話の中で体言止めを使うのはとくに不自然 「多用するのはよくない」というのもほぼ事実だが、「多用」か否かを示す指標がないので、どうしても論調は弱くなる。  これが一般的な年配者の意見。そのとおりだと思うから逆らう気はない。  個人的な話をすると、当方は若い頃はあまり体言止めを使わなかった。「いい加減さ」や「第一級の文章家でないこと」にかけては人に後れをとる気はないんだけどさ。 

frau
質問者

お礼

大変参考になるリンク先のご紹介とご回答をありがとうございます。 リンク先みましたら 「もしかして: “体言止め”」 と言われました。大言止めはやはり誤用ということですね。 「名詞+デス」については初耳でしたので検索してみましたら「デス族」というのですね。 「本来であれば、動詞を使って表現すべきところを、『名詞+です』の形にするというのも、デス族の特徴だ」と言う。「両親に感謝しています」の代わりに「両親に感謝です」という表現…」 ということですが >通常なら文末の体言の直後につくデスやデシタなどを省略した形が体言止め としか思ってなかったので以外でしたが、この形も「体言止め」なのですね(ですからこのようなことも辞書に載せるべきと思いました)。 >体言止めの使い方は論理的に説明するのがむずかしく そうなのですか… > 2)後ろのシマス(シマシタ)が省略されている形    例 自然の美しさを実感。   3)「倒置」によって生じた形    例 東京郊外のターミナル住宅地、二子玉川園。 2)は「富士山は日本一高い山だ」 3)東京郊外の二子玉川はターミナル住宅地だ」 ということですね。 >極論すると、文末に来るデスはすべて取っても構わない 同感です。 私個人としては気持ち良いんですよね、体言止めで結ぶのは(笑) >デアルやダは音の響きが強すぎる気がするので極力使わないようにしている これについても同じです。主張を強くしたい場合以外、上から目線的に聞こえてしまうのなら逆効果ですから。 >3つの文章のうちでもっとも自然なのは1)です。 私もそう思いました。でも3)も結構自然に思われます。なぜならば体言止めである「工夫が必要。」という箇所は、強調したいがためと思わせるからです。 文章中の多用は確かにおかしいですが、この投稿欄などでは回答に余韻をもたせるために、文章全体の最後に 1)後ろのデス(デシタ)が省略されている形 は個人的に多用している次第です(笑)

関連するQ&A

  • 「~から」って体言止め?

    「~から」と書いたら「それは体言止めだから止めなさい」と 言われたのですが、体言止めは「名詞」で終わることですよね? 「~こと」が体言止めなのは分かりますが。

  • 報告書に体言止め?

    標記のとおりです。 とある会社の女性が、報告書等書く場合は、体言止めで書かないとダメでしょ!と言うのを聞きました。 そのとき私は、「えっ?体言止め?」と思ったのです。 会社の報告書等の書類は体言止めで書くのが正しいのでしょうか? それとも?曖昧なときに使いたいときのみに・・体言止め?を使うのでしょうか? 会社での正しい報告書の書き方を教えてください。

  • 体言

    日本語の文法で、体言は名詞や代名詞を表すということですが、 体言という言葉がどういう意味なのかわかりません。 何かの略なのでしょうか。

  • 体言止めがだめ?

    学校で小論文とか書いてたら、体言止めはダメと言われます。 これってみなさんとこでも一緒ですか? もしそうなら、そもそもなぜ体言止めはいけないんですか?

  • 「体言止めに句点」について

    体言止めに句点はつけないのが、一般的だと思います。 初歩的で恐縮ですが、次の件について具体例を示してご教示お願いします。 句点をつけた方が好ましい例 句点を付けるとおかしい例 以上、よろしくお願いします。

  • マスコミはなぜ体言止めを好むのか

    マスコミの見出しは気持ち悪い体言止めが多いです。 なぜなんですか?

  • 体言止めのルール

    「体言止めのルール」というタイトルの付け方自体適切なのか自信がないのですが、以下の(1)・(2)につき、どちらも正しい日本語表現と言えるか御教示いただければ幸いです。 (1)「・・・官公需要が減退、地方経済が大きな影響を被りました。」 (2)「・・・公共事業が削減、地方経済が大きな影響を被りました。」 言うまでもなく、(1)は「減退し、」という能動態、(2)は「削減され、」という受動態が省略されたものですが、(2)の方の省略形は、どこか語感的に違和感があります。

  • 体言止について (日本語文法)

    体言止について教えてください。 「ファイルの削除。」は体言止で、「ファイルを削除。」は体言止ではないのでしょうか。 また、コンピュータのマニュアルとかで箇条書きされている場合の「ファイルを削除する。」も体言ではないのでしょうか。 国語辞典では体言を「主語になりうるもの」と記述しているので「ファイルを削除。」や「ファイルを削除する。」は体言止ではないのかな。 でも、「形容動詞の語幹などを含める説もある」ともあるけど「削除する」は動詞だからやっぱりダメかな。

  • 「仰せ」を体言止めとして使用できるか

    サービス業に携わるものです。 クレーム報告書などを担当スタッフに作らせることが間々あるのですが、 報告書内で「お客様が~~と仰せ。」と書くスタッフが居ます。 私としては「仰せ」を体言止めで使用することに違和感を覚えるのですが、これは特に問題ない表現なのでしょうか?

  • 体言止め

    修辞法に「体言止め」というものがありますが、その効果として「余韻を残す」と言います。なぜ、「体言止め」が「余韻を残す」のか教えていただけますでしょうか? よろしくお願い致します。