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墓の無い民族

あるアフリカ出身の黒人タレントがお墓など作りたくない。死んだら自分のことは忘れてほしい。しかもみんな墓を作らないと言っていました。確かに人間以外の動物が墓参りをしているようには思えません。ある意味で合理的だとも思うのですが、自分には出来そうもありません。他の民族のことは知りませんが、日本民族はどうして墓をつくるようになったのでしょうか。

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回答No.3

>ある意味で合理的だとも思うのですが、自分には出来そうもありません。 それは、日本は古来より祖先信仰がある国民性だからです。 先祖に安らかに眠ってもらう家(墓)を作ると言うのも、日本人の国民性に適合したのだと思います。 しかし、今のように日本人みんなが墓を作るようになったのは、高度経済成長期の昭和30年以降の話です。それ以前は、江戸中期からは武士階級が、明治以降は富裕層が墓を作るようになりましたが、一般の庶民は墓など作らず埋葬処理されました。 そのアフリカ出身のタレントと、同じような埋葬処理だったのでしょうたぶん。 これはヨーロッパも同じで、昔から庶民が皆、墓を作っていたわけではないです。 経済的に裕福になり、墓を作る余裕も死んだ人の魂も思い描く余裕も出てきて、墓は普及します。 アフリカは発達していますが、一般人の暮らしは先進国には程遠いです。死んだ人にお金をかける余裕などないでしょう。死んだ人の事を考える余裕もないでしょう。国によっては国民の過半数がエイズに感染している国もあります。そんな状態で祖先信仰が培われるとは思えません。死んだ人より、生きている人を気にせざる終えない社会状況でしょう。(アフリカと一言で言ってもたくさんある。たぶん墓の文化がある地域は存在します。たぶん。)

titelist1
質問者

お礼

なるほど。豊かになったから墓を作れる。墓を作れない言い訳として「自分のことは忘れてほしい」などと言っているだけ。

その他の回答 (3)

回答No.4

誰しも、いつかは死ぬ。 人が死ぬのは悲しいし、自分が死ぬのはもっとイヤだ。 だから、死後の世界を信じたいし、死者を敬う事で、 自分め死後に忘れられないようにできる。

  • phj
  • ベストアンサー率52% (2344/4489)
回答No.2

日本人の墓石との関係性は、古くは前方後円墳に見られる豪族、新しくは鎌倉時代以降の武士階級の勃興が契機になっているといえます。 そもそもどの民族においても「なぜ墓を作るのか」という問題があります。日本の前方後円墳や兵馬俑で有名な秦始皇帝陵など、権力者は大きな墓を作るのが常です。 これは、自分の権力をひけらかすという意味のほかに、後を継ぐ子孫の権力を維持する目的があるのです。 たとえば始皇帝は自分の部下(兵士たち)まで土偶にして墓に埋葬しました。 これは跡継ぎから見れば「自分の分身を先代の墓に入れて永遠の忠誠を誓うなら、現世では先代が指名した跡継ぎである私に忠誠を尽くすのは当然の約束」ということになります。 まあ、必ずしもうまく行くわけではありませんが・・・ 日本の武士階級は自分の土地を自分たちで開墾し「自分たちの土地を代々守る」というシステムになっています。そうなると土地の所有権の正当性は「私の先祖がこの土地で開墾した」ということにつきます。 これらのことを誇示するためには墓のシステムが必要になります。菩提寺などを作って一族郎党すべての系譜などを保存するとともに、墓に亡くなった人々をすべて記載して、自分の出自と土地所有の正当性を表すのです。これは武士階級から分離した百姓でも同じです。 このシステムが江戸時代までにある程度固定化し、現代の墓石の形になっているといえます。 あ、そうそう儒教の問題も忘れてはいけません。儒教というのはそもそも農耕民族が「自分の土地をどのように維持するか」ということを主題に行動規範を作ったものです。 主君に対する忠がなければ、自分の土地を維持することはできず、親に従わなければ土地の継承が危うくなり、弟が兄を立てなければ相続時に長兄がすべてを相続することができなくなります。 儒教思想は中国で発達しましたが、これはモンゴルや満州から騎馬民族が押し寄せて農耕する土地が常に危うくなるために発達したものです。 日本も田んぼを中心とした農耕民族であったため、かなりの部分を輸入して使いました(ただし、宦官など取り入れなかった制度もけっこうありますし、日本的に変節した思想もたくさんあります) さて、モンゴル人ですが彼らは遊牧民族ですから農耕民族のように自分の田畑(土地)という概念はありません。彼らの葬式は昔は鳥葬もあったようで、今でも「墓地として利用される場所」に土葬して終わり、ということらしです。まったくの他人とごっちゃになっていて、個人の墓石はあっても「先祖代々」とか親戚中集まって、などの概念はないようです。また、いったん埋葬したら何年も来ないそうで、毎年彼岸やお盆に故人と交わる風習をもつ日本とはかなり違います。

titelist1
質問者

補足

なるほど。墓は跡継ぎが自分の権威維持のために作る。 縄文人の価値観はどのようだったのでしょうか。

noname#205281
noname#205281
回答No.1

あなたのいう「墓」の定義は、どのようなものを言いますか?によって多少ちがってきます。 私は、「(漠然とした)墓」というものがなぜするようになったか?を、昔、誰かに説明された記憶があります。だれだったのか?高校の時の教師かな?それともTV番組か? もともと。人間が死んだら、腐敗しますので、それを見続けることができるか? が発端だったという話でした。 死体に、蛆虫がわいて・・・、ああそれから・・・とても想像すらできません。 死体。 その死体が、自分の知ってる人間のものだったら、見るに堪えないから埋めたのが発端だと。 そのほかに、死体には虫だけでなく、動物が食べに来る場合もあって、そういうことをさせないように埋めたというのも。 一説には、埋めた場所から死体が化け物になって生き返ってこないように、重しとして石を置いたとか。また別の説では、死体を踏みつけられたくないという遺族たちの思いが、石や木片などで「ここは故人が眠ってるから踏まないで」と目印にしたという考えもあります。 「日本民族はどうして」と書かれてますけど、大和民族は、今の中国大陸の場所と、今の韓国、北朝鮮の場所からの影響も大きく受けてます。文化も入ってきてますから。 倭の国?が先なのか、あちらが先なのか、わかりませんが。 墓が、目印ならば・・・。 仏像に向かって手を合わせるのが偶像崇拝であるように、何かに向かって手を合わせたいので、その手を合わせる目標(表札、看板)が墓ではないでしょうか? 中国?韓国?っていっていいのか、何といえばいいのか、あの辺では、風水ってあるじゃないですか。 陰宅が墓で、陽宅が生きる人間の住まい。 陽宅よりも陰宅のほうが大事だそうです。 こういう考えは、大和にもはいってて、天皇さん皇后さんの御陵が八王子でしたっけ?近年でもそうだったらしいですね。 象には、「ここが死ぬ場所」と認識してる、象の墓と言われるものがあるそうですよ。もうすぐ寿命が来ると知ったら、そこへ行くという話です。 私見ですが、地球が始まってから、人間の一部が墓をほしがって、始めは一人に一基ずつ・・・ そんなことしてたら、何年もの間に、何億って人が死んでいくのに、地球上の陸地がお墓で満杯になってしまうのでは?って・・・。

titelist1
質問者

補足

死体の埋葬の事ではなく、墓石のように目印のことです。私の祖父や祖母は土葬で墓地に埋葬し、墓石は寺にあります。古墳のような支配者の墓ではなく庶民の墓のことです。日本民族とは縄文も含めてのことです。大きな墓石の遺跡が無いように思います。木の目印なので腐り忘れられたのでしょうか。忘れて良いとしたのでしょうか。 縄文人の墓は?。渡来系の弥生人の墓は?。古墳時代の墓は?。仏教伝来後の墓は?。庶民が墓石を作るのはいつからか。

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