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世の中弱肉強食で、齢とった親は捨てるべきですよね?

世間研究家(@michitenji)の回答

回答No.16

人間も動物なので、法やルールをきちんと状況に合わせて作っていかないと、弱肉強食になります。 人間が人間であるのは、弱肉強食の酷い世界にならないよう、皆が安心に生きられる仕組みを作る知恵を持っているからです。 しかし、今の日本の現実は、法やルール・仕組みが現状に合わない状態のまま放置、問題が先送りされ続けているため、弱肉強食の世界に日を追う毎に近づいてしまっているように感じます。 資本主義・貨幣経済の下では、強者か弱者か、という条件は体の強さや若さよりも、経済的な豊かさの方がより重要な要素です。 日本国の借金を増やし続け、現代を生きる日本人がキリギリスのような生活をしている事は、事実上、(まだ産まれていない我々の子孫を含む)将来世代からの経済的搾取を続けている事と同義です。 つまり、今の日本での『弱肉強食』というのは、経済的強者である既得権者(高齢の人ほど、経済的に裕福な家庭に生まれた人ほど)が「強食」、若い人ほど、経済的に恵まれない家族に生まれる人ほど「弱肉」という、望ましくない状況に進み続けてしまっていると思います。 この日本の経済システムがこれからも持続すればいいですが、どこかで破たんすると思います。 どういう形の破たんが起こるのか、それが緩慢なものなのか、急激なものなのか、いつ起こるのかの予想は困難ですが、ある所で、これまでの「強者」「弱者」が変わってしまう、その可能性は十分あると思います。 質問さんがおっしゃるような事(親や老人を見捨てる)事は、現在の日本の仕組みでは法によって裁かれるか、或いは世間から袋叩きに合う、という形で反撃を受けるでしょう。 でも、周囲の環境が変わった時、それ(若者がお年寄りを見捨てるという、姥捨てが黙認されてしまう時代)が当たり前になってしまう可能性は、将来の日本では否定できないと感じています。 危機感も込めた個人的な予想ですが、今から30年後、アラフォー氷河期世代の私が70歳前後になる頃、こういう状況になってしまう怖れを感じています。我々氷河期世代は人口が多い層なので、このままの出生率が続き、移民を受け入れない場合、30年後の日本は今よりもっと、年寄り(=30年後の我々自身)ばかりになります。 30年後のその時、もし私に経済的余裕が全くない状態、かつ、全く働けない状態なら、今小学生である二人の息子達の事を考えると、私は自らの足で姥捨て山に行かないと、将来の息子達に迷惑をかけてしまうかもしれません。 ・・・そうなるのは嫌なので、個人的にはこれから最低30年間、70歳くらいまでは頑張って働き続け、かつ、ずっと健康を維持しなければならないと思ってますけどね。

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