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■弱肉強食を見ておもったこと
野生の動物と自然のドキュメンタリーを見ていると、人間はちっぽけなものだなぁと感じさせられます。 今なにか獲物をとって食べていた魚が、次の瞬間もう食べられてて、「命」について考えてしまいます。 もし私があの海に行ったら、とりあえず深い海の中で、いろんな魚に食べられてしまうんだろうなぁ。それで私はいなくなってしまう。 どうせいつかいなくなってしまうのに、人間の喜び悲しみなどの感情はなんのためのものだろう? あそこの魚はなんのために弱肉強食をやってるのだろう? そんな風に思いました。 みなさんの意見を聞かせて下さい。
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こんばんは。私も自然ドキュメンタリーが好きでよく見ています。 見ながら、自然界は弱肉強食の世界だとずっと思っていましたが、最近は、自然界の食物連鎖なのだと思って見ています。そう見ることによって、今更ながら自然の均衡を保つためにの自然の摂理ってすごいなあと感じます。 きっと、人間は食物連鎖の枠から外れてしまったので「感情」というものを得たのではないでしょうか?そのぶん他の生き物に比べ生きていく上での選択肢が増えてしまったので、得したことなのか、損したことなのかわかりませんが・・・ でも、魚たちは食うか食われるかの毎日で生きている実感をし(感じているかどうかはわかりませんが)、私たちは感情によって考えることで生きていることを実感しているのではないでしょうか。私は今そう思っています。 こんな考えですが参考になりますでしょうか?
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- acacia7
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人間は動物としては例外的な寿命をもっています。 といっても、一般的な時間軸に対する寿命でなく、 心拍数を基準とする時間軸に対してです。 つまり、鼠のような小さな動物は早い心拍数で短い生涯をかけぬけます。 これに対し、象のような大きな動物は遅い心拍数で長い障害をすごします。 ところが、人間はある程度の心拍数に対して、奇妙なまでに長い生涯をおくります。 詳しくは、「象の時間・ねずみの時間」という本をご参照下さい。 で、何が言いたいかというと・・ 人間は弱肉強食の世界からすこしはみ出し、文明を築きました。 これは長寿命化を起こし、さらに動物としてのあまった時間を持つことができたのだと思います。 このあまった時間が人間特有の余興となっているのではないかと思います。 無論、いつかは居なくなってしまう人生ですが、動物としては余りが出る・・ これが、感情なんじゃないかと思います。 いかがでしょう?(^^;
お礼
なるほど。感情は人間として生まれた醍醐味ということですね。
こんにちは。 全ての生命は神様に生かされています。 人間もしかり。魚もしかり。 宇宙にあるものは、すべて神様の中にあります。 あなたの「命の中心」はどこだと思われますか? 下記の#18の方の回答を読まれるといいと思います。
お礼
URL 拝見しました。 金子みすずさんの詩は不思議ですね。 命の中心はどこでしょう。 食物連鎖はくるくるとめぐっているので、 その真ん中にある運命(神様?)が命の中心なんでしょうか。
お礼
わかりやすく教えていただいてありがとうございます。 >魚たちは食うか食われるかの毎日で生きている実感をし(感じているかどうかはわかりませんが)、私たちは感情によって考えることで生きていることを実感しているのではないでしょうか。 そう考えるとわかるような気がします。 ありがとうございました。